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第十六話 “シルバーブレット”


(……空が輝いている)

 残った炎がまだ魔力を取り込みダライアスの裾を舐める。

 祭祀場から屋敷の中央をぶち抜いた大穴からは巨大な雲のフィールドがよく見えた。つい先程までその雲の半分は真黒に染まっていたのだが、瞬きの間に雲はこの空諸共黄金に輝いていた。

 その祭祀場には八柱の躯が伏していた。成り立てとはいえ神をダライアスが全て倒したのか、と問われればダライアスは否と答える。事実として、とどめを刺したのはダライアスだ。しかしそれが成せたのはテオドールの置き土産の力が大きかったとダライアスは言うだろう。

 テオドールが女神の一柱を火刑に処し、神秘も神聖も等しく残酷に焼き尽くす炎がこの祭祀場に満ちた魔力を伝い燃え上がった。祭祀場を浸していた魔力は新しい神々のためのものだったのだろうが、十字架はそれを横領し容赦なく魔力を奪い燃え上がらせた。魔力がある限り燃え続ける炎など神とは相性が悪すぎる。神というのは魔力の塊のようなものなのだから。

 しかしそれでも半分の神は残った。その神はどう殺したのかといえば、簡単だ。

 「この神々は不死ではなかった」。それが答えだ。

(……ここで神々がどうなろうと、ハイドリヒには関係無かったのかも知れんな。奴だけでも残れば……いいや、「奴が諦めなければ」事は成されるのか)

 実験棟で見た「患者達」。あれを確立させる為にどれだけの苦難があったのか、研究事業に明るくないダライアスでも想像できる。無限というのは、見かけだけでも成立させるのは困難を窮めるのだ。そしてそれに必要不可欠なのは精神論。「諦めないこと」。誰が言ったか、この世界に不可能は無いのだから。

 ダライアスは上着の内側をまさぐる。神を相手にしてまだ生き残っているという現実味のない話に脳が泳いでいるような気分だ。もしかしたら自分も死んだのかとダライアスは思ったが、指先に触れた冷たいケースの感触と漏れ出る魔力はその浮ついた思考を現実に引きずり戻した。

 その手に収まる正方形の箱は銀でできていた。確かに銀には魔を退ける力があるが、ここまでの戦いで角すら潰れていないのは違和感を感じる。だがその違和感は箱の中身に比べれば些事だろう。

 入念に煙を吸い込み、左腕と長銃の接続を外す。癒着した神経を剥がすように、魔力血管の一本一本を丁寧に、慎重に外していく。

 左腕が無事だった事に安堵し、ダライアスはもう一度空を見上げた。黄金の空は美しく、幼い頃に想像した神話の世界というのはこの空のような色をしているのだろう。だが、それは神話だからこそ美しいのであって、人の世の空はやはり青くあるべきだ。見慣れた色こそ、平和の証なのだから。

(全てが終わるまで意識があることを願おう)

 最期を思えばこそ、青空が最も尊く思える。

 ダライアスは銀の箱をゆっくりと開く。蓋の隙間から黒い砂のような魔力が流れ、その中から聞こえてはならない「声」が聞こえる。

「……その怨み、どうかここで果たされんことを」


* * *


『──《Ich befehle dir aufzuwachen. (私は命じる。お前が目覚めることを)》』


 「(アンスール)」「太陽(シゲル)」「猛り(ウル)」。


『──《Ich befehle dir, ihn zu sehen. (私は命じる。お前が()の姿を見ることを)》』


 「耐乏(ニイド)」「戦い(テュール)」「運命(ウィルド)」。


『──《Ich befehle dir, den Weg zu ebnen. (私は命じる。その(みち)(ひら)くことを)》』


 「遺産(オセル)」「成長(ベオーク)」「始まり(ダエグ)」。

 詠うようなその声に暗い青色を持つルーンが剣槍(グングニル)の周りを旋回する。


『《訣別の路(Ansur U)を闢け(r Wird)》』


 剣槍の「鍔」の両端からストラのような細い旗が形成され、ハイドリヒが見出した全てのルーンが並ぶ。刻まれるは勝利のルーン、全ての運命をこの一幕に(なげう)つように旗に刻み込んでいく。

これまでにハイドリヒが、第三神国が喰らってきた魂とその滴りの一片に至るまで力の全てが収束していく。

 ハイドリヒの眼に青は無くなった。それをその両眼で見届けたテオドールはきつく目を瞑り、腹を括ったように息を吐く。


「……《来い(Komm)》」


 低く、唸るようにテオドールは言葉を放つ。


「《来い(Komm)》。《来い(Komm)》。《来い(Komm)》。《来い(Komm)》」


 破滅の炎、処刑人の大剣、罪人追いの魔眼に蛇の呪。世界を破滅に導く力をその身にいくつも宿しながら、しかしもっと大きな力を──『因果』を寄越せとテオドールは唸る。

 テオドールが知覚し、手繰ってみせるその『因果』には当然ながら「決まり」がある。その『因果』の系統にもよるが、テオドールが手繰る『因果』は全て同じ条件を満たした上で起きている。

 それは「テオドールが相手の攻撃に耐えること」。それが成立して初めて、それが成立さえすればどのような一撃であろうとテオドールは相応の因果を引き寄せ相手に叩きつける。逆にそれが成立させられなければテオドールはただ敗北し、肉体は当然欠片も残るまい。総て等しくあれという不文律は確かにテオドールに力を与えたが、当然の如く特別扱いなどしてくれようもなかった。

 今、この神の一撃には何があろうと耐えなければならない。決して薄くないその双肩にかかる重さがテオドールひとりで事が済んでいた時分と違いすぎる。テオドールは英雄ではない。その芯が震えそうだ。

(一人だけでも潰れそうな心地だというに……彼奴(あいつ)はこれを四人分も背負っているのか)

 恐ろしいと思う。慟哭がせり上がってくる。それでも堪え、覚悟を決める。

 死を以てしてでも勝利する、と心を決めたのはこれが初めてだった。


「──《因果を(Kausalit)此処に(ät,komm)》!!!」


 矮小なる人間に出来る手を全て打つ。全霊を振り絞り、両手で剣を握る。


『おおおおおおおおおおおッッッ!!!!!』

「はああああああああああッッッ!!!!!」


 光と闇が衝突し、真白な「無」が生み出される。音も、色も、熱も、感触も全てが絶空に断たれる。

 あらゆるものがその激突を感知した。戦場の兵士も、死にありつこうと這い寄る魔性も、戦いを見下ろしていた天上の神々もその一際を凝視した。

 白が金に染まっていく。世に歓喜と絶望の声が上がろうとする。だがその黄金に怒涛の如く黒が顎を開いた。

「目は見えているな」

『テオ……ドール……!!』

「声は聞こえているな。触覚は当然有るだろうな!!」

 ハイドリヒが目を見開く。信じられないという感情がどの感情よりも先行する。

「己は受けたぞアドルフよ!!次は……お前だ!!」

 テオドールが野に強く踏み込んだ。剣槍の先端をずらさず、ただ踏み込む。剣槍が刺さるのも構わず、ハイドリヒの一撃に相応しい『因果』を携えた大剣を振り上げる。


「──《瓦解を(Zusamme)起こせ(nbruch)》」


 灼腕がハイドリヒの首を掴み、一度殺()り損ねた心臓に力任せに大剣を突き立てる。

 ハイドリヒの心臓に大剣が届いたその瞬間、神代が割れた。



「──ッ…!空が……!!」

 空が真っ二つに割れる。その空から落ちてくる一つの塊をダライアスの目が捉えた。

「“蛇目(バジリスク)”と──ハイドリヒか!!」

 ダライアスはサングラスを外し遠見の魔法を使った。魔法陣が眼に浮かび、遥か上空の割れ目に見えるその塊に焦点を合わせる。

『── ……ダライアス』

「生きているか蛇目!!」

『……悪いな。殺し切れなんだ』

 その声には悲痛が滲んでいた。全くもってテオドールらしくない。だがそれが本心であることはダライアスに痛いほど伝わった。

「貴様がそんな声を出すな。全く似合わん」

 ダライアスは地上に跳び、長銃の銃口を空に向ける。

「お前はただ祈れ。……それだけでいい」

 まさか、と。こうして通信機で言葉を交わしたことすら信じられない気持ちだ。

 神との一騎打ちで生きているどころの騒ぎではない。神代を砕き、その支配領域を破壊し、そこから脱してきたのだ。ハイドリヒが未だ生きていようとどうしようもできないと思えるまでに追い詰めてきたとはにわかには信じ難い。

 だが、ここで詰めを誤ってはいけないことをダライアスは知っている。ハイドリヒは自我の化物だ。ここまで彼の内象(なかみ)を砕こうと、一度の瞬きで再起しかねない……いや、するだろう。この程度で諦めるような人物だったなら戦争など起きていない。

 テオドールは命を懸けた。どのような人間かを知るほど深い付き合いを築いたとはとても言えないが、生きるために戦ってきた人間が命を懸けたのだ。


「《その身を燃やされ、すり潰され、それでもなおその身を灼く者達よ。

私は知らない。貴方達の事を何も知らない。貴方達の怨嗟を引き受ける覚悟も無く、ただその力を放つ為だけに貴方達を利用する。

貴方達は何者だったのか?貴方達はどう生きていたのか?それを私は知らなければならない。けれど貴方達はそれを忘れてしまった。ひとつの呪いを抱えて、それ以外の全てを忘れてしまった》」


 長銃に装填した弾丸から呪詛が漏れる。おぞましい闇の呪いがダライアスの傷に障る。しかしそんなものは詠唱を止める理由にならない。


「《ああ、私は同情もできない。そしてそれは貴方達には不要なものだろう。ただ一時の晴れのため、貴方達はここに残り続けた。

呪詛は力となり、罪となる。ひとつを窮め、何もかもを超えてゆけ。果たすまで還ることは誰が赦せど他ならぬ貴方達が赦さないだろう》──!!」


 呪詛はある男の名前を叫んでいる。彼らにとって最も度し難く、恨めしく、生かしてはおけず魂すら還らせることも許せない男の名を叫び続ける。

 頭が割れそうな程に痛む。だがそれでもダライアスは銃を下ろさない。あのテオドールが命を懸けたのに自分が命を懸けないなど、自分自身が誰よりも許すはずがない。

(やってやろう。貴様の後に従じてやろう!!)


「《火薬は灰、弾頭は遺骨。果たされよ》──『神秘を鏖殺する惨鉄アンリミテッド・グレイブ』!!!!!」


 ダライアスは絶叫し引鉄を引いた。瞬間、射手の魂も意識も呑み込む呪詛が銃口から放たれる。

他者がどうなろうと構うものか。恨めしい、怨めしい、お前も死ねと呪詛が頭に流れ込んでくる。

『アァアアアアアアアアアドォォオオオルゥゥゥフゥゥウウウウ!!!!!!!!!!!』

 遺灰から作られた火薬が爆ぜ、遺骨から作られた弾丸が真っ直ぐにハイドリヒに狙いを定めて飛んでいく。

 第三神国に殺された人間の怨みを、呪いを全て抱えたのがこの弾だ。当然射手も只では済まない。だがそれで良い。そうでなければ。

 弾丸は空に未だに満ちる神気をも容易く超えた。テオドールは背後から迫る尋常でない殺気に口端を上げる。

『……何が、ある?』

「あ……?…………そうか。お前にはもう、聞こえないのか」

 神というのはそういうものか。自分を誰よりも信じているからこそ、自分への悪意には酷く鈍い。怨まれるなど爪の甘皮程にも思っていない。

「これこそ『因果』だよアドルフ。……お前はこれまでしてきたことを受け止めなきゃあいけない」

『……』

「受ければ分かる。今回ばかりはお前の負けだ」

『ダライアス……グレイズか』

 ハイドリヒの目から覇が消える。

 その瞬間、テオドールをすり抜け弾丸がハイドリヒを穿った。

『ッ……!!!ア゛、ア゛あ゛ア゛ッッ!!!』

 テオドールが目を丸くしたその直後、ハイドリヒの右半分が一気に黒変した。呪いに内側から食い破られ、魂に腐った牙を突き立てられ辛うじて保っていた神体が朽ちていく。

「……やっぱり人は神になんざなるものじゃあねえんだよ。大事なものを落とすなんて、そんな可愛いものじゃあ無くなってしまう」

『……私はそうとは思わない。神に成り、新たなる神代を作ることこそ最善と得たのだ。同情は要らない。例え、この怨嗟の声が私を穿つまで私に聞こえていなかったとしても。

それより、貴公。かねてより貴公に訊きたかったことがある』

「あ?」

 黒変する速さが遅くなる。テオドールは身構えたが、ハイドリヒの目には殺気も戦意も宿らない。

『…貴公は、神に成ろうとは思わなかったのか?』

「……ハッ!!お前もそれを聞くか」

 何だ、そんな事かとテオドールは笑う。若者はそんなに気になるのか?人間だというのに長命種のように見られているのかと自嘲する。


「そんなものに成ってしまおうなら────


殴れなくなってしまうじゃあねえか、神をよ」


 テオドールは笑っていた。ハイドリヒは呆気にとられたが、初めてその若い見目相応に破顔した。

『なるほど。やはり貴公は、私が思っていた以上に──どうしようもない男だ』

 ハイドリヒは剣槍を握る手に力を込める。テオドールの言葉を待たず、ハイドリヒはテオドールから剣槍を抜くと同時に突き放した。テオドールの体が放り出され、空にはハイドリヒだけが留まる。

『朋よ、貴公らの勝利だ!!これにて幕引きとしよう!!』

 黒変していない左腕で剣槍を持ち、朽ちた右腕で剣槍を固定する。

「アドルフ……お前、その死に方を選ぶのか」

『無論。私は私のまま、死のう。意志ある限り、成し遂げられないことなど無いのだから。──さらばだ、テオドール!』

 ハイドリヒが腕に力を込める。首に当てた剣槍で、ハイドリヒは自身の首を刎ねた。


 朝陽が登る寸前の、薄明の空に黄金を纏う男が浮かんでいた。怨嗟に食い潰されるよりも早く、その身は黄金の太陽となる。

 その太陽が空に在ったのはほんの数秒のことだったが──その輝きを最後に、黄昏ではなく薄明に、第三神国は終わりを迎えた。


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