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第十四話 “ヴォーダン”


「……何だ?」

 雷光から眼を守るために閉じていたがその白さが光の白さではなくなったことにしばらく経ってから気付く。

 だがそれは続かず、霧のように白が晴れた。


 嵐の原野が広がっている。

 足元は雲で覆われ不思議な踏み心地だがしっかりと立てている。雨風が吹き付け遠くで雷が止むことなく鳴り続き、嵐の渦中に立っていると言って良いだろう。

『……ふむ、『不関』か。ならば貴公だけなのも致し方ない』

 テオドールの「内」に声が届く。

 聴覚を介するものではなく、例え聾であろうとその声は「響き」、また理解することができる。

 『神の声(スティンメ・ゴッテス)』。種族、言語、宗教などのあらゆる隔たりを超える存在が放つ声をそう呼ぶ。

「成ったか」

『そうとも、“蛇目(バジリスク)”。我が器は既に満ちた』

 ハイドリヒはその全身からおびただしいほどの魔力を放っていた。全てを斬り裂き、呑み込み吹き荒らす『嵐』の魔力。天空神の素質であり、覇を往く者の証。只人なら為す術なく膝を屈しただろう。

 ハイドリヒはとうとう、真の「ヴォーダン」と成った。人の身から神へと成る偉業を成し遂げた。

『これが私の最初の内象。最終決戦(ラグナロク)が行われた地。この地でスカンディナヴィアが果てたのならば、次代はこの地から始まらなければならない。故に私は終わりの地を私の(なか)に残した』

「……これは現実だな。魔力のみで創った張り籠なぞとは訳が違う。(しか)しお前、随分と殊勝なことだ。態々(わざわざ)(おれ)を確殺する為だけに連れて来るとは」

『当然だろう。貴公は他の有象無象を相手にしながら戦うべき相手などではない。かつて人間だったものとして、最も新しき神として、神代の手を離れた代の、最も旧い人間である貴公だけは我が手で斃さねばならない』

 ハイドリヒの手に握られた槍が嵐を纏う。剣のような穂を持つ槍は神を殺す力を持ち、その概念諸共を砕く尋常でない破壊の相を有している。

「なあアドルフよ。お前が己に訊いたように、己もお前に訊いて良いか」

『良かろう。何だ』

 常ならば、様々なことを問うのだろう。

 何故、何が、どう、等と。人は知りたがる。分かっていても愚かしく訊きたがるのだ。その声という形を成すまで認めたくないが故に。ハイドリヒもそれを分かっている。今の世界を見放したとはいえ、それを許さないほど狭量な器ではない。


「お前、不死か」


 だからテオドールのこの質問には言葉を失った。呆れてものも言えなかった。

 神を倒そうという気概を貶すつもりは毛頭ない。ただテオドールはその上で、()()()()()()()()()()()()()問うてきたからハイドリヒは自失すらしたのだ。

『──限りはあるとも。だが、私の意思がある限り、私の命は終わらない』

「そうかい。それは良かった」

 蛇の息のような、呪う音が細く聞こえた。

「不死を崩すのは骨が折れるからな」

 深みの波動と嵐の雷光が衝突し、その激しさは神代に等しい空間に歪みを生んだ。

 仕掛けたのはテオドールだった。一切の躊躇い無く人体を細切れにする嵐の密集帯に突っ込みその剣槍と魔剣の肌を重ね合わせる。

 鍔迫り合い、火花が散る。両者の格は神と人でありながら拮抗し、そのまま地上で戦っていたならば未曾有の大災害になろう魔の波涛が巻き起こる。

『《砕け。壊せ。その立ち塞がるものを心ゆくまま終わらせろ》』

 ハイドリヒが呪句を唱えた。槍が輝きその力が励起する。

『──『果ての神を穿( グング)つ不外の槍(ニル )』』

 光輝が薙ぎ払われる。テオドールは咄嗟に魔剣を振り下ろし光輝を受ける。

 その時、一際高く啼いた音がした。

「────」

 『死剣の(ダインスレイヴ=エ)遺産ルプシャフト』が砕けた。数多の血を吸った謂れの、数多の死を呑んだ魔剣。その呪い子が潰えた。

 中ほどで砕けたその中からどろどろとその「血」が流れている。形を成さない「目」が血に濡れる様は泣いているようで、憐れな程に痛ましい。

 いくら神代に名を刻んだ死の剣(ダインスレイヴ)の「子」であろうと、神の武具の前には砕け散った。一度は耐えたが二度は耐えられなかった。

「──そうか」

 溢れる呪い血を拭いもせず、ましてや生理的な醜穢さを毛程も感じた様子もなくテオドールは素手でその血に溺れる刀身をさする。

「良い剣だった。こんな付き合いだったが良く馴染んでくれた」

『……一度とはいえ、よく耐えたものだ。しかし、貴公──あの剣で私を殺すつもりだったのか?』

「寝言を起きて言ってやろうか。そうだよ」

 死剣の遺産を看取ったテオドールは薄く笑っている。舐められていると憤るのではなく、その言葉を聞きたくて堪らなかったとでも言わんばかりに口端を上げる。

「こういうところは同じだぞ。己達は他人が不可能と見ることこそ通したくなる天邪鬼よ。己はやると言ったら必ずやるのさ。だからそう不安な顔をするな」

 ハイドリヒはその目を輝かせた。その言動全てが愛おしくて堪らない。もっと早くに出逢いたかったなどと妄言を吐く気も起こらず、ただただこの嵐の野(ヴィグリド)に招いたことを歓喜した。

『なあ朋よ、私は己をよく知っているが、こうまで己を掻き回されたことはない。貴公と最初に戦っている今こそが最上の喜びでありながら、貴公が最後の敵でないことがこの上無く悲しい。貴公、私の最初(はじめて)に、いや、最後に──嗚呼──!

その両方に!!なってはくれないか!!!』

 狂気と形容するべき一撃がテオドールに襲いかかる。手前(てめえ)巫山戯んなとテオドールは目を剥いた。

「無茶言うんじゃねえよ!!!」

 極光が散る。今まで以上の膂力にハイドリヒが思わず後退する。

「──己は人だよ。どう逆立ちしたって人の枠を超えられない」

 鈍い光が反射する。テオドールのその手には、真っ直ぐな刀身の、切っ先の無い大剣が握られていた。



 昔、昔。

 今日(こんにち)の〈魔力世界〉に存在する警察機関…世に言う【警邏隊】の前身があった。

 法というものがやっとよちよち歩きをし始めた時代のこと。そのような有様では世は無法に等しく、悪虐を「仕方の無いもの」と扱う他無かった。

 しかしその前身は至極単純な方法で民衆の祈りに応えた。殺すのだ。悪を、法を犯す者を殺す。世に見せしめ、次はお前がこうなると知らしめる。安堵が見えたのは僅かなもので、一拍の後に前身は非難を浴びた。(さきがけ)というのはそういうものだ。

 その魁を象徴するような男がいた。男は前身の中で最も長く、前身が新しいものになるまで…【警邏隊】となるまで身を置き、戦い続けた。

 男は七つ道具を持っていた。括り縄、串刺しの槍、火刑の十字架、断頭台、形を無くすための回転鋸、首切り役人の刀、首落としの大剣。いずれも闇深く、数多の怨嗟を引き受けたものばかり。しかしそれらは、持ち主の名で呼ばれることはついぞ無かった。


 何故ならば、それが振るわれるのは決まって無辜なるものを守る為であり。

 何故ならば、それは決まって悪虐すものを断つ為であるからして。

 故に、七つ道具は決まってその名の頭にこう付けて呼ばれるのだ。


 「処刑人(シャルフリヒター)」、と。



 テオドールが大剣を振り、爆風を払う。やはりその大剣に切っ先は無く、刃は潰れていないものの鈍い印象を受ける。

処刑人の剣(リッチシュヴェーアト)……いや、ただ『処刑人の大剣』と呼ぶのが相応しいか』

「嬉しいね、そこまで知って貰えているとはな。此奴(こいつ)も喜ぶだろうよ」

 雷撃がテオドールに襲いかかる。テオドールは槍を跳んで躱し槍頭を足で踏み抑え、振り抜かれる勢いのまま宙返りすると空を蹴ってハイドリヒの下へ飛び込んで行く。

 大剣を大きく振り上げ、その勢いのまま振り下ろした。受け止められ押し返されるが後退せず、テオドールはその勢いのまま大きく横に回転し体ごと大剣を振る。

『──ッ!?』

 戦い方が完全に変わっていた。それまでの動きは凡庸とはいえ「剣術」だったが、今のテオドールの動きはどう見ても「剣術」などではない。

 振り上げ、下ろす。力任せに叩き込み、その勢いに身を預け大剣を振る。その回転の勢いは衰えず、絶妙に読めない緩急を付け重い斬撃が絶え間なく襲い来る。

(これが“蛇目”……!貴公の本来の戦い方か!)

 ハイドリヒの胸が高鳴る。神と成っても心臓が高鳴るということを実感し、尚のこと喜びが勝る。

「よく笑う奴だ」

『嬉しいよ。実感を与えてくれる相手を愛さない筈が無いだろう!』

「愛す、ねえ!余裕が有って羨ましい!」

 互いの刃が首筋に触れた数は早々に分からなくなった。互いに致命を避け、急所を狙い、終わりのない殺意を向け合い互いが相手を呑み込もうと光輝と暗黒が渦巻いている。

 ハイドリヒが自身とテオドールの間に雷を落とし、強引に隙を作った。その一瞬に嵐の野の空が黄金に輝き剣のような形を成す。

「……本当に、羨ましいことだ」

 ハイドリヒが持つ剣槍と同じもの、それが幾千幾万と空を埋め尽くした。その穂先がテオドールに向かって降り注ぎ容赦なく貫いていく。ある部分は蛇の鱗で防ぎ、ある部分は敢えて当たることで急所を避け、致命傷を一つも作らずテオドールは空に浮かぶハイドリヒに向かい駆けた。

『──来るか』

 それでこそとハイドリヒが剣槍を握り直す。そうしている間にも雷の槍は降り注ぎテオドールの血が野を濡らす。

「シャアアアアッッ!!!!!」

 テオドールの喉から蛇声が放たれ穂先からみるみるうちに石と化した。それら全てを砕きテオドールはハイドリヒに肉薄する。

 バジリスクの呪いは神の身にも届いた。ハイドリヒの動きが鈍り、足が竦む。最大の好機を逃すわけにはいかない。テオドールはその心臓目掛けて剣を突き立てた。

「…………!」

『おおおおおおおおッ!!』

 だがその先は布に触れただけだった。ハイドリヒの硬直が解け、その剣槍が振るわれる。剣槍はテオドールの胴を切り裂き、大剣はハイドリヒの服を裂いただけに終わった。

「がっ……!!ッぐ、ッ、あ、ハァッ……!」

 テオドールの体が軽々と叩き付けられる。すぐさま転進し追撃こそ避けたものの、神威を纏う傷口からはとめどめなく血が流れ続ける。

 頭がふらつく。目の前が霞む。ここで死んだら今度こそ終わりだ。ヘルガと戦った時に使った『脱皮』は向こう半年以上は使えない。

「………………」

 ここまで楽に来たように見えてもそれは見かけだけの話。神智二十四兵の半数以上を殺し、ハイドリヒの右腕を一度復活してようやく下し、それから祭祀場で神七柱と戦って今ハイドリヒと戦っているのだ。当然に消耗している。

 糞が。テオドールはどす黒い怒りを抱えた。何もかもが許せない。自分自身が何よりも許せない。どうしてこうなったか、その大元をを考えた時、テオドールは迷うことなく自分のせいだと考えた。

 確かに己の弟子を──崇を第三神国に引き渡したのは【学院】の連中だ。だがそうなる前に、崇は助けを求めることが出来た筈だ。それが出来なかったのは何故だ?学院が邪魔立てしたのか?いいや、違う。学院はどのみち崇を第三神国に渡した時点で己が(いか)るのは知っていた。火に油を注ぐ程に阿呆では無い。ならば一体誰が?

 崇自身だ。崇が、誰にも助けを求めなかった。信頼する教え手にも、友にも、師である己にも、実の父にすら、誰にも助けを求めなかった。何故か?…一つだけ心当たりがある。


 崇に最も助けが必要な時、己は崇から逃げたからだ。


 崇を弟子として迎えたにも関わらず、己は崇の純真を恐れた。崇の信頼を疑い、怯えているだけではないかと尤もらしい想像をして、頼まれ事を種に一時離れた。

 無垢な心に耐えられなかった。無上の信頼が苦しかった。あの時の崇が一番助けて欲しかったろうに、己は分かって助ける事を放棄した。後から謝ろうが向き合おうが、事実としてそれは残った。

 崇が徴兵されたのは己の因果だ。最も助けが必要な時に助けなかったから、必ず助けなければならない時に助けられない。

 分かっているよ。だから腹が立つ。消える事の無い怒りが己を焼いている。

(『私を、守らないで』)

 ああ言わせたのは己の咎だ。

 その絶望だけは否定してやらねばならない。あれは人を殺すために生まれたのでも、死ななければならない存在でもない。

 嗚呼そうだ、その為ならば。

「神を堕とす程度、訳も無い」


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