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第十話 “ヘル”


 その女の足音には氷が混じる。女の歩いて来た廊下は須らく凍てつき、溶ける気配は一切無い。

 冷徹怜悧な氷の瞳は廊下に転がる死人を一瞥する。同胞を悼むものではなく、ただ死体を検分するだけのそれだ。

「理由があるのなら聞こう」

「…へぇ、随分と寛大な」

「貴様にかける情けなど爪の先程も無い。貴様の弟子の処遇が決まるだけだ」

「はぁ。全く、何奴(どいつ)此奴(こいつ)も寄って集ってあれを虐めよって」

 わざとらしくテオドールは肩を竦めるがその次に発した声は冥府もかくやの低さだった。

「怒りが有るからに決まっているだろう。そうでなければこんな面倒誰がするか」

「…………」

 返答代わりにヘルガは手袋を外し『I』のルーンを露わにする。右手に氷の剣を生み出すと、間髪入れずに薄い桜色の唇が動いた。


「《Schließ Blíkjandabǫl. ((とざ)せよブリーキンダ・ベル。)

Trennt Fallanda Forad. (隔てよファランダ・フォラズ。)

Sie werden nicht nach Hause gehen, es sei denn, ich erlaube es Ihnen. Du wartest auf den Tod. (私の許しなくして出られると思うな。死にゆくものよ)》」


内象(Hel)煥発顕界(Loyalität)──『凍殛の遠隔地(Niflheimr)


「ち──」

 テオドールが割り入る隙も無く内象が顕界した。瞬きの間にテオドールの見ている景色は変貌し、辺り一面に氷野が広がる。内象の能力を確かめる間もなく、魔剣と氷剣がかち合った。

「はッ!!」

 ヘルガが強く踏み込み剣を振り抜く。常ならばその剣をいなし斬り込むのが道理だが、テオドールはそのチャンスを潰して瞬時に後退した。

「お前、『青血』だな」

「──……驚いた。こんな早くに見抜いたのは貴様が初めてだ」

 やけに輝く月の光がヘルガを照らす。特徴的な黒と青のツートンヘアは黒髪部分が銀へと変わり、青い氷の剣先に青色の「血」が滴り欠けた部分を氷が補う。

 『青い血(ブラウ・ブルト)』というものがある。それは身体の構造は普通の人間と何ら変わらないが、鮮やかな青色で、氷の魔力が極度に強い血だ。

 『青い血』を見分ける方法は二つ。一つは出血させること。もう一つは、肌に触れること。『青い血』の人間の体温はひと触れするだけで冷たいと感知するものだという。

「だが、彼の見立ては間違ってなかったようだ。貴様も分かっているだろう。己の弱みを」

 テオドールが立っていた地点には氷の杭が乱立している。ヘルガが床を踏みしめたその一瞬で生成したものだ。よく見れば微量の『青い血』が残っているのが見える。

 拭えば跡も残らない量だ。だがテオドールの瞳孔は開き、警戒の色を露わにしている。

(さて、どうしたものか。久方振りの天敵だ)

 この世界において完全無欠の全知全能は存在しない。最終的な優劣は決まっているものでも弱点や弱みは存在する。

 英雄アキレウスの踵、火の鳥を穿つ鉄の矢。神話の英雄に匹敵する戦績を持つテオドールは、『バジリスク』を食らったことでその性質を獲得した。それによって明確な弱点がテオドールに追加された。

 それは「冷気」。蛇は変温動物であるため極端な気温で休眠する。テオドールはその性質を獲得したが故に、寒冷条件では冬眠を行うようになったのだ。ただの冬ならば冬篭りをするだけで何ら問題は無いが、戦地では自殺と同義。既にテオドールの(まばた)きは普段の倍以上に増えている。

「貴様はここで眠ってもらう」

「眠ってたまるかよ。フレイミア!!」

 テオドールが女の名前を呼ぶと火球が爆ぜた。テオドールの胸から飛び出した火の玉はヘルガの剣の半分を瞬時に溶かし、弾き返った火の玉をテオドールはその口を蛇のように開き呑み込む。

「ッ──」

 テオドールの中で(はげ)しく炎が燃える。衝突時に散らばってまとわりつく炎を振り払い、テオドールは口端から炎を流しつつ笑っていた。

 ヘルガが呆気にとられたのも当然のことだ。いくら冷気に抵抗しなければならないといって、炎を丸ごと呑み込む人間などまずもっていないだろう。

 だがどうしてか、使い魔(ファミリア)は一向に姿を現さない。テオドールは炎混じりの溜息を吐いた。

「……どうにも(おれ)の使い魔は興が乗らないらしい」

(『妾のせいにするな。貴様の剣が悪い』)

 テオドールの手には変わらず魔剣が握られている。仕方無し、とテオドールは首を振った。

「良かったな、己はそう炎が使えん」

「──愚弄するか!」

 氷の波涛と共にヘルガが突進する。鍔迫り適わず砕けた氷が切っ先鋭い槍となり、テオドールを串刺しにしようと襲いかかるがそれは避けられる。だが着地点には氷の剣山が待ち構えておりテオドールの踵を容赦なく引き裂いた。しかしその踵は燃え、氷が溶け炎が消えた時には傷は癒える。

 ならばとヘルガは猛追し蹴撃を繰り出す。テオドールはそれを躱したが、その胸元に青い雫が線を作った。

「ッグ!!」

「まだまだ……っ!ち、ぃっ!」

 テオドールの右胸に氷の乱杭が生えその体を蝕む。しかし再度接近したヘルガに追撃を喰らう道理はなく、下から斬り上げ距離を作るがどうにも違和感が勝る。

 攻勢に出ることに重さを感じる。青い血を目視しなければ氷の出現点を予測できない。戦闘嗅覚が鈍り、あと一手を落とされ続けている。

 剣を振れば振るほど、傷を作れば作るほど。骨を切らせて肉を断つ戦法はテオドールらしくないというのに、()()()()()()()()()()()()()()

「……流石、というべきだな。貴様は気付くのが随分と遅れていたようだが」

「……内象か」

「私が貴様の監視を任されたのはなにも『青血』だからというだけではない。貴様を確実に、何を以てしてでも封じるため。…そう、このようにな」

 ヘルガが放った氷の短剣をテオドールはすれすれで躱す。

 時が経てば経つほど身体の動きが鈍くなる。老いるように腕は上がらなくなり、足は重くなる。強化魔法を自身にかけることで無理矢理動かしているのが現状だが、それで消費する魔力も馬鹿にならない。現状、テオドールだけが過剰に消耗している。

 まともに喰らいもしないが、まともに攻撃もできやしない。暗にヘルガの瞳が「無様な」と憐れんでいた。

「全ての命は死にゆくものだ」

 テオドールが膝を突く。身体が重く、強化魔法を上回った「停滞」がテオドールを拘束する。

 その一瞬をヘルガが逃すはずが無く、確実にテオドールを封じるため密度の高い氷柱を生み出していく。

「私はまだ完全な『ヘル』ではない。故に内象でニヴルヘイムと変えても、その権能は十全には働かない。命を限りなく停止状態に近付けることが精一杯だ。……だが」

(…完全な『(ヘル)』ではない……?)

「この内象で死にゆくものは全て私の管理下にある。貴様を殺めてそれで終わりなどと私達は思っていない」

 テオドールを氷柱が覆っていく。急速に鼓動が衰え、呼吸もままならなくなる。

「故に冷殛にて鎖す。さらばだ“蛇目(バジリスク)”。旧き時代の魔法使いよ」

 その鼓動が、遂に停止した。



 ヘルガが直接触れてテオドールを凍らせなかったのは、彼の最期の反撃を警戒したからに他ならない。

 近距離での応酬に持ち込まれればヘルガの勝機は薄まる。「死ぬ気」の行動はどんな生き物であれ恐ろしく、テオドールを鎖さなければならない以上ヘルガが死ぬ訳にはいかない。完全にその心音が止まり、内象で彼の「死」を認識してようやくヘルガはテオドールに近付いた。

 凍らせただけで終わりではない。その心臓を破壊し、肉体の機能を終わらせる。何があってもテオドールの復活は阻止しなければいけない。

 テオドールに使い魔がいる以上そちらも警戒しなければならないが、ヘルガは使い魔も死んだと判断した。テオドールが劣勢に立たされても尚使い魔は姿を現さず、炎を呑み込んだ時のやり取りらしき言葉から使い魔はテオドールの中にいたと見ていい。潜んでいた魔法使いごと氷に鎖されては無事では無いだろう。

 とはいえ使い魔は炎の妖精、万に一つが無いようヘルガはいっそう内象の冷気を強める。

 ──だが、その認識こそが誤りだった。

「!!!???」

 テオドールの心臓に後三歩で触れるという距離で氷柱が爆ぜる。「溶けた」のではなく「爆発した」のだ。氷の欠片が溶ける前に吹き飛び空中で揮発し、水蒸気も籠らない「乾き」の炎が燃え上がる。

 そうこうしている間に氷漬けになったテオドールの体が黒焦げになり、氷柱から解放されたは良いが地面に崩れ落ちる。ヘルガは炎の中に女の姿を視た。

「──貴様、は……!」

『──……小娘。まさかお前、妾を「妖精」とでも思っていたか』

 炎の欠片が寄り集まり、手のひら程の大きさの人型となる。炎の髪が燃え盛るその人型は、紛れもなくテオドールが「フレイミア」と呼んでいた使い魔だ。

「精霊が使い魔になることがあるなんて…」

『知見はあるようだな。まあ、そうでなくば神の資格を得た男の副官なぞ務まるまい』

 ヘルガは愕然と呟いた。精霊は妖精は勿論、人間よりも数段格上の存在。その力を借り受ける人間はいるものの、魔法使いが使い魔にする存在ではない。

 だがヘルガはその疑念をすぐに封じ込んだ。問題なのはテオドールの使い魔であった精霊と対峙している現状の方だ。

「…仇討ちでもするつもりか。炎の精霊にしては随分と義理堅い──」

『仇討ちというのはそれが死んでからするものであろう。妾と戦いたいなら、まず()()をちゃんと殺せ』

「──な」

 ヘルガの視線が視界の外で動くものを辛うじて捉えたその時、彼女のこめかみを図らずしも炎を纏った拳が殴打した。

「ッ!!どういう、ことだッ……!!」

「おいフレイミア!己の剣何処まで飛ばしたァ!」

『妾が知るか!そこらに転がっておろう!』

 間違いなく氷に鎖し、そしてつい先程使い魔の炎で黒焦げになり、どちらにしろ生きてはいないはずの男が健常に動いている。炎の幻覚でも何でもなく、完全な不意打ちとはいえヘルガに血を流させたことがその証明だ。

 テオドールは「よっこいせ」などと言いながら離れた場所に落ちていた魔剣を拾った。そのついでにぼろぼろになった服を魔法で修復し、ざんばらに解けた髪を編み直す。テオドールの状態が全て元に戻ったのと同じタイミングで、黒焦げになったテオドールの『抜け殻』が崩れていた。

「何だ。知らぬ筈が無いだろう」

 にい、とテオドールは蛇のように笑う。

「蛇は死と再生の象徴。そうだろう?」

「ッ──!…ならば、もう一度鎖すまで」

 到底理解の及ぶものではないがヘルガの目から光は消えていない。その意気や佳しと彼は笑うが、復活したとはいえテオドールが劣勢な事には依然変わりない。内象は今も顕界され続けており、時間をかければ結果は同じだ。

 ヘルガの内象は「停滞」だ。時間はかかるが生きるもの全ての「生」を停滞させ、やがて死に至る。彼女の口振りからこの内象は対象が死んでから本領を発揮するものと見受けられるが、テオドールが『脱皮』によって復活した後はその「停滞」がリセットされていることから『死から復活すれば停滞は解除される』と分かった。

 恐らく他者からの蘇生を受け付けさせないのがこの内象の本領なのだろう。そうでなくても相性が悪い相手と戦っている以上、自身での復活を阻害する内象でなかったことがテオドールにとって幸運だっただけに過ぎない。

(……左眼を、閉じている?)

 鎖される前は罪人のように糸が上下の目蓋を縫い合わせていたが、脱皮し復活したテオドールの目蓋にはそれが無い。左眼に「G」のルーンが刻まれていることはヘルガも把握しているがその能力はハイドリヒも知らないのが現状だ。

 一度その眼をハイドリヒが見ている以上視線で呪い殺す力は無い。だが敢えて閉じているということは、意図的に力を抑えないといけないものだと推測する。

 開かせる前に決着を──そう思っていたのと同時に、テオドールの目蓋が薄らと開く。

「ッ」

 だが、その時。

「──」

 がちゃん、と。硝子の瓶が割れる音がした。


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