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第九話 食人鬼と不関者


 その男の話をするなら、まずジーヴァニッヒ伯爵領について語らなければならない。

 ドイツ北西部、ジーヴァニッヒ辺境伯が統治していたジーヴァニッヒは、辺境伯が手に入れたある魔道具によって地獄と化していた。

 『沈まぬ太陽(ナハト・ゾンネ)』。ある男の妄執が死してなお残り続けた産物は辺境伯に比類なき力をもたらしたという。結果ジーヴァニッヒは陽の沈まぬ異境と化し、地獄が顕界した。

富む者は生き長らえた。水も食料も十分に確保できる力があった。貧する者は死にゆくばかりだ。井戸が枯れ、作物が育たなくては食べていけない。何より、太陽が照り続ける世界で生きることができるのはほんのひと握りだった。

 食料の奪い合いなど茶飯事。残飯は馳走、腐ったものでもあるだけで大分マシ。人々は飢え、(かつ)え、渇き、(たお)れた。下水に集り水を得ても今度は病で死んでいく。貴族に媚びへつらっても貰える水や食料はほんの僅か、ボヤボヤしているとたちまち奪われる。

 飢餓では中々死なないのが厄介だった。魔道具のせいか、渇きでもまず死なないと住民は薄々気付いていたがどうしようもなかった。

 辺境伯の目的も望みも今では全て闇の中。辛うじて生き残った者は皆、『地獄』としか口を開かなかった。


 その男は、元は何の特徴もない少年だった。無性に戦いを求めている以外は凡庸な子供だった。

 彼を変えたのは照り続ける太陽。腐って蛆の湧いたものでも食べられるだけ十分すぎるように変わった世界。

 彼もまた、渇き、飢えていた。水を求め彷徨い争う落ちぶれた大人達を()めつける日々を過ごしていた。

(…施しなど誰が受けるか)

 反吐が出る。虫唾が走る。媚びへつらって生きるしかないなら死んだ方がマシだ。

 だが生理的な欲求に抗いきれる程少年は歳を重ねていなかった。動くものなら何であれ捕まえ貪った。食うか死ぬかの二者択一が続けば、その「対象」が増えるのは必至だった。

「……うめぇ」

 久方振りの肉。

 少年の生まれて初めての殺人は、真に「生きるため」だった。


──────────


 ヴェアハルトの纏う空気が変わる。出処の知れぬ渇きが苛む。


「──《Nur Blut soll immer wieder mit Blut abgewaschen werden. (血は血のみを以てして洗い流される。)》」


 その一節が唱えられた瞬間から、この一帯はヴェアハルトのものになった。

 ヴェアハルトから「何か」が流れ出し、辺り一面に染み込んでいく。掴みようがなく干渉しようのない「何か」が、現実という『理』を圧し、塗り潰していく。


「《Aber ich lecke das Blut und schlucke es. (だが私はその血を啜り、飲み下そう。)》」


 異変は既に現れていた。兵士の屍が独りでに起き上がり、ゆらゆらと振り子のように腕を振り頭をぐらつかせながらも立ち上がる。

 一人や二人ではない。ヴェアハルトの詠唱と共にその数は増していく。


「《Die Menschen leben nicht allein mit Brot, Aber ich habe nur Blut und Fleisch. (人はパンのみで生きるのではないが、私には血肉しかない。)

Wein ist Blut, Brot ist Fleisch. (ぶどう酒は血、パンは肉。) 》」


「ひっ……」

 引き攣った声が聞こえた。崩れたアパルトメントの住人が瓦礫から這い出したは良いが、安堵する暇も無かった。住人は喉を掻き毟り、ぐるりと白目を剥く。


「《 Nichts verändert sich. (何も変わらない。)

Da ist nichts falsch. (何も間違っていない。)》」


 喉が渇き、脳が空腹を訴える。

 一つの生理が、ダライアスの理性を解する事無く産声をあげた。


 ほら、食べ物ならそこらにいるじゃないか。


「《Es gibt keinen Unterschied im Leben. (生きることに違いはない。)》」


内象(Unbewu)顕界(ßtsein)──『(Anthr)(opoph)(agyer)


 有り体な地獄が顕界する。

 人が人に食いつき、肉を引き千切り、咀嚼している。

 追い詰められたが故の生存倫理。アントロポファジー。治療を放棄した精神疾患がヴェアハルトの是だった。

 いつの間にか足元は血のスープに濡れ、ヴェアハルトの内象が完全に顕界している。成程、これまでの全ての感覚に整合性がとれた。

 前提として、“ジーヴァニッヒの食人鬼”と称されたこの男は現在に至るまで一度も植物由来の食物を摂ったことがないと確認されている。図らずしも行っていた「肉食」という縛りは古くから存在する「食べることで力を取り込む」という概念と結び付いた。“テュール”のルーンは戦い全般の力なのだろうが、テュール神に突出した属性の逸話は無い。猛威を振るった『爪』と『衝撃』の力はヴェアハルトがその持ち主を食らって得た力だろう。

 「人が人を食べることが当たり前」。己の認識に一切の疑いが無く、当然であるが故にヴェアハルトの内象は常時発動型だ。平常の食物など受けつけないが故にヴェアハルトは常に(かつ)え、周囲にまで「渇き」という形で影響を及ぼした。詠唱をしなくても人一人程度なら容易く共食いさせ、取り込むことができるだろう。だがそれをしないのは雑魚を食っても足しにすらならないからでしかない。

 いつの間にかヴェアハルトの外傷は完全に癒えていた。対してダライアスの血は止まる気配が無い。それでも生きているのが不思議な程だが、ヴェアハルトの内象に取り込まれていないだけに過ぎない。何もしなくても死ねばその血肉は全てヴェアハルトの胃に収まるのだろう。狩人がむざむざ獲物が快復する時間を与えないのと同じで、ヴェアハルトの内象もダライアスが傷を癒すことができるようなものではない。

「まだ立ってる力があんのか……。その余力も置いてってもらおう」

「……は。お前の()()がどこまで強制するかは知らんが…俺はこの程度では、死ねん」

「!!」

 延焼弾がヴェアハルトの前面に撃ち込まれ、次いで凍結弾が同じく雨のように降り注ぐ。ダライアスは温度の急変による壊死を狙ったが、ヴェアハルトの身体はそれをしてもなお再生する。

 血の混じった魔力弾を生成する一瞬にヴェアハルトの拳が胴に叩き込まれた。切り裂く衝撃を纏った一撃は胴を貫通せん威力だが、手応えのなさにヴェアハルトは眉を顰め再び打ち込む。だが相当なダメージを受けているにも関わらず防戦するダライアスに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に本質的な異変を感じたヴェアハルトは距離をとった。

「……どうした。何かあったか」

「…しらばっくれてんじゃねえ。お前、何をした」

 ヴェアハルトは離れ際に銃弾を撃ち込まれずたずたになった拳を再生するが、その速度は遅い。気づけば屍鬼(グール)となって生き返ったように見えた兵士や民間人は一人残らず息絶え、食い残しが散見している。

 自身の内象下にある人間なら無差別にヴェアハルトはその力を取り込める。全てを一度に取り込める訳では無いが、どんな強者でも確実にその力を喰らうのがヴェアハルトの内象だ。

 だがこれはどうだ。「きっかりダライアスの分だけ」、取り込んでいる兆しが見当たらない。

 ダライアスも内象を発動させているのか?そうにしてはこちらに何の変化も見当たらない。自己強化型ならここまでみずぼらしい姿にはなっていない筈。

 『何も起きていない』。それはただ「効かない」以上の異変だった。

「存外、気付くのが遅かったな」

「──!!」

 ダライアスの傷が癒える。血が止まる程度ではなく、裂傷の全てが内部から綻びなく癒合する。

「……てめぇ、何を持っている。そもそも何でだ。俺の内象に居る以上、てめぇも食いたかったんじゃねぇのか!!」

「ああ、確かに渇いた」

「何故そうも平然としてられる……?食うことは人間の本能だ!生理だ!!それに耐えきるなんざ…!!」

「その通りだろう。お前の内象が効かなかった原因は俺にある」

 ダライアスは葉巻に火をつける。麻薬に近い匂いを燻らすそれはヴェアハルトもよく知るものだ。

「『不関(ノット・ビー・インボルブド)』。他者の内象を一切受けないが、自分の内象を顕すこともできない。そういう『体質』だ」

「はぁ!?」

「お前の内象は常時発動型だが、普段から垂れ流している分にはまだこの世界の『理』に則った影響を周りに与える。だがお前が内象を顕界させ『理』を塗り潰したその時から、その力の由来が『内象』由来になった。そうなると俺はその内象を受け付けん。…どうやら遭遇したのは初めてのようだな」

「……随分悠長な奴だ。自分が死なないとでも思ってんのか」

「言っただろう、俺はこの程度では死ねんと。他者の魔力や力を取り込み続けるお前とやり合うのは魔力の無駄遣いにしかならんから待っていた。お前を今までと同じようなやり方で倒せるとは思わんからな」

 紫煙を胸いっぱいに吸い込んで大きく吐き出す。そして、ダライアスは左腕に触れる。

「……《繋げ》」

 ダライアスの言霊の対象は自身の左腕だった。腕の形を取り戻した左腕だが、ぐしゃ、と再び肉を押し潰す音がする。

 ダライアスが痛みに呻く。左肘から灰色の線が伸び、長銃にその線が続く。血管のようなそれは、血を通さない血管だ。普段は血管と融合して働くそれをダライアスは意図的に分離させ、長銃と繋ぐ。

 灰色の血管は『魔力血管』という。色は人それぞれだが、視認する機会は滅多に無い。その灰色は紛うことなき『狼血(グレイ)』の色だ。

 葉巻の正体は痛み止めだ。だがそれでも尚痛みを伴うことからも分かるように、ダライアスの行動は常人のものではない。そもそも、そうまでして自身の魔力血管と無機物を繋げるなど、魔術師でも狂気の沙汰だ。

「なんだよ……出し惜しみしてんなよ」

「好き好んですることでもない」

「嫌そうだな。俺からしてみれば最ッ高だ。あんた、あの蛇よりブッ飛んでるじゃねえか!!堪らねぇ!!」

「それはどうも」

「それじゃあ」


「「──死ね!!!」」


 弾撃と拳撃が衝突する。

 場を圧するのは依然変わらずヴェアハルトの内象だが、内象の影響を受け付けないダライアスには精々喉が渇く程度の阻害でしかなかった。

 長銃と腕と魔力血管を繋げたダライアスの銃撃はその苦痛に見合うものだった。長銃と魔力血管が直に繋がったことで魔力の装填スピードが無いに等しい速さとなり、一分(いちぶ)の隙もない銃撃がヴェアハルトの身体に一切の容赦なく穴を開けていく。

 魔力の弾であればヴェアハルトが取り込める範疇だが、それはできないでいた。余りに強い『敵意』が、「不関」という体質だけに留まらない『拒絶』が、そして敵対するもの全てを排除する最強の『攻撃性』がヴェアハルトを苛み内側から破壊する。

 研ぎ澄まされた鉄の刃。狂人も同然の性質を有していながらその一切に振り回される事無く任務を遂行する、大妖王国(グレートブリテン)が有する最高の『銀の弾丸(シルバーブレット)』。

 愉しい、愉しいと気分が高揚する。だがその一方で、「彼の部下」としての意識が為す術なく鮮明にこの結末を提示する。

(ああ、これは駄目だ)

 この男相手に俺は使えない。勝敗は決した。

(もし、あんたが『(テュール)』を使ってくれるというなら)

「──形を亡くすまで、使い潰してくれ」

 それが銃弾に喉が裂ける直前の、さいごの言葉だった。


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