聖水と枢機卿
遅くなりました。読んでいただき、ありがとうございます。
ロートシルト公爵ランスロットは、屋敷の執務室で、言いようもない怒りに囚われていた。
ドンッ
強く握ったこぶしを思いっきり机に振り下ろす。
そんな行為で過去が変わる訳ではない。そんなことは、頭では分かっている。それでも、気持ちは収まらない。
畏まったままの家令に申し付ける。
「枢機卿からの連絡はまだか! いや、こちらから訪ねる。直ぐに支度をしろ」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げて退出する家令の後ろ姿に、悪態をつく。
くそっ。
可愛い娘コレットは死んでしまった。なぜだ。なぜだ。なぜだ。
ただ、娘の願いを叶えてやっただけだというのに。
コレットは人見知りの激しい子供だった。そんな娘が唯一受け入れたのが、ラインハルト殿下だった。殿下と共にあったなら、娘も楽しい時が過ごせるのではないか。
そうだ、これ以上、娘に辛そうな顔はさせたくない。
ラインハルトと結ばせねば……。私は、そう、決意したのだ。
我が国の王族との婚約には、少なからず教会が絡んでいることは前々からわかっていた。ただ、第二王子との婚約など、公爵家の力を以てすれば、些細な事だと思っていた。
しかし、懇意にしていた枢機卿に話を持ちかけてみたが、相手にされなかった。
たかが第二王子の婚約に、何故それほど渋る。
焦った私は、何度も教会に寄進をし、足繁く通った。
そんな努力の甲斐あって、私は、娘と殿下が一緒にいる方法を聞き出すことに成功したのだ。
「閣下、こちらが、ご依頼の聖水になります。くれぐれもご内密に」
「これを飲んでも問題はないのだな」
「えぇ。もちろんでございます。私も立ち会いの時に飲んでおりますれば」
「そうか」
これで可愛いコレットのお願いを叶えてやれる。
「さぁ、コレット。これを飲みなさい。枢機卿から頂いた聖水だよ」
「これで妖精が見えるようになるのですね」
「あぁ、そうだよ。大丈夫。何も心配することはない」
そろそろ、お茶会が終わった頃か……。
無事にコレットの願いは叶えられたのだろうか。
気が付けば、何度も娘の帰りを確認していた。
お帰りの際は、先ぶれもございます、とやんわり言われても、気になって仕方がなかった。
窓の外から馬車の音が聞こえる。
あぁ、きっと、コレットだ。帰ってきた。大丈夫、きっと何もかも上手くいく。
執務室の扉が開かれる。
頬を上気させ、満面の笑みで走ってきたコレットを抱きしめた。
「お父様、私、本当に見えました! 妖精があまりに可愛らしくて、つい突っついてしまって。それに王妃様もとてもお優しい方で」
余程嬉しかったのだろう、コレットの言葉が止まらない。
あぁ、本当に、本当に良かった。
枢機卿には感謝しかない。
『ラインハルト様は本当にお優しくて』
『ラインハルト様から素敵なプレゼントを頂いたのです』
『ラインハルト様の正式な婚約者になれました』
『お父様、私本当に幸せです』
『私は、ラインハルト様に本当に相応しいのでしょうか』
『私は、いつまで聖水を飲まなければならないのでしょう』
『私は……』
『お父様、私は、偽者なんですか?』
幸せいっぱいだったはずのコレットが変わったのは、いつからだったろう。
ご成婚が近くなった頃か……。
結婚式が近づくにつれて、娘から笑顔がなくなっていった。ウェディングドレスの採寸も済ませているのに。コレットは何に脅える必要があったというのだ。妖精だって見えたじゃないか。
娘は偽者なんかじゃない!
ドンッ
再び机にこぶしを振り下ろした時、家令が呼びにきた。
「閣下、馬車のご用意が出来ております」
「……わかった。直ぐ行く」
教会までの道のりはさほどではない。周りの景色を気にする間もなく、教会の正面に止まった。しかし、直ぐに動き出す。どうやら裏口に回っているようだ。
「お悔やみ申し上げます。閣下」
「挨拶はいい」
「ここではなんですので、先ずは奥へ」
案内されたのは小さな洗礼室だった。簡素な作りの祭壇と、いくつか置かれた丸椅子だけの部屋である。
「枢機卿。なぜ娘は死んだ」
「いきなりでございますか。まぁ、おかけ下さい」
でっぷりした腹の枢機卿に、木製の丸椅子を勧められて、とりあえず腰掛けた。
「閣下のご息女が、なぜ亡くなられたかと問われてもねぇ。教会は、医者ではございませんので、その死因まではわかりかねます」
「……なんだと」
「前から申し上げている通り、あの聖水は毒でもなんでもありません。ただの、聖水なのです」
「だが、しかし!」
「それより、閣下。あなたに申し上げなければならないことがございます」
「……なんだ」
「このような時期に教会を訪れるなど、あまり得策ではありませんな」
「……」
「お考えにもなってみてください。冷たいことを言うようですが、所詮、ご息女は偽者なのです」
「偽者……」
「しかし、その事実を知るものは限られております。ここで、もし仮に本物が見つかれば、周囲はどう思われるでしょうな」
「私はどうすれば……」
「本物を、始末なさい。本物さえいなければ、偽者だとは気づかれますまい」
初投稿の第一話で感想をお寄せいただくという、とても素敵なスタートが切れて、何とか続けております。ブックマーク・評価をくださった皆様始め、読んでくださっている、すべての方々に感謝です。これからも応援よろしくお願いします。
誤字脱字ご報告ありがとうございます!