宣戦布告
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んっ、頭が痛い…………。
目を開けて見たものの、まだ視界は定らまない。
確か扉の向こうにクリストファー皇太子殿下がいて…………そうだ、小瓶から変な匂いが…………。
「気が付いたかな?」
クリストファー皇太子殿下!? 私は起き上がろうしたが力が入らず、そのままどさりと倒れ込んだ。
「無理はいけないよ。まだ薬が効いてるから」
皇太子殿下が私を支えて長椅子に横たわらせてくれた。
「ここは…………」
「皇太子妃の部屋。もう長いこと使ってないから誰も来ないよ。大丈夫、危害を加えたりするつもりはないから。くくくっ。そんなに睨まないで欲しいな。不思議かい? 私がこんな事をしているのが」
人の心を読んだかのように先回りして喋る皇太子殿下に苛立ちを覚える。
もう少し意識がはっきりしてくれば、魔法が使えるのに…………。
「ネーデルラン皇国について、君はどれぐらい知っているかな。少しお勉強しようか」
私を見下ろしていた皇太子殿下は向かいのソファーに腰掛けると話し始めた。
強い頭痛がして再び混濁する意識の中で、私はその話に何とか耳を傾けた。
この国の主要産業は魔石の発掘なんだ。西に広がる泥炭層に沢山の魔石が埋まっていたんだよ。君たちの国では魔石は重要視されてないが、大陸の多くの国にとっては必要不可欠な資源だ。次々と発掘される魔石のお陰でネーデルラン皇国は巨万の富を得た。君たちも見て来ただろ? ピレウスの港町を。ファティマ国のウェルペンに比べて遥かに大きい。あの港町から沢山の魔石が輸出されていったんだ。
愚かな皇帝陛下は無尽蔵に湧いてくるお金に心を奪われて、魔石は枯渇するという簡単なことに目を塞いだ。だから他の産業を育てようなんて微塵も考えてなくてね。泥炭層を掘るだけ掘って、もうこれ以上は危険だというところまで来てしまったんだ。魔石は消耗品だったからね。掘り尽くしたら終わりなんだよ。
だけどね、その魔石が消耗品ではないかもしれないという情報が入ったんだ。凄いことだろ? この国が生き返る道があったと喜んだよ。それなのに君たちの国ときたら自分たちは魔石を必要としていないのに、その魔石の研究を始めた。ネーデルラン皇国の利権を横取りするだなんて許せる筈ないよね。
魔石の再利用に欠かせないのは魔素らしいんだ。魔素といえば、ネーデルラン皇国からすれば南に広がる森にある魔素溜りだ。後は消耗した魔石回収の仕組みさえ整えてしまえば、今まで同様に魔石で大陸を統べることも不可能じゃない。
ただね、君も知っているかな? 魔素溜りがあるのは森の中心部。そこまで行くには広大な森を切り開かないとならない上に、危険な魔物がうようよしているんだ。そんなものを倒しながら進んでいては間に合わないんだよ。必要なのはそれらを一気に焼き払う程の力だ。
アーサー殿下なら、その力がある。でも普通に頼んでも駄目だろうからね。君を利用させてもらうことにしたんだよ。君が私の手元にあると分かれば、彼なら祖国を裏切ることも辞さないだろう。何せあれだけ優秀なのに王太子にもしてくれない国なんだから。しかも君まで弟に取られてしまったろ? 全くファティマ国の考えることはよく分からないよね。ネーデルラン皇国でなら、アーサー殿下の望むものを用意してあげられる。きっと彼はこの条件に頷く筈だよ。くくくっ。
今頃ファティマ国は、ネーデルラン皇国からの宣戦布告に驚いてるんじゃないかな? 本当は君たちと一緒にアーサー殿下も来てくれると手っ取り早かったんだけどね。流石に弟に取られた姫君と一緒に旅するのは辛かったのかな。彼が自暴自棄になる前に早く救ってあげないとね。
「私も案外いい人なんだよ。そうそうお友達も皆無事だよ。だから君はもう少し寝ていた方がいいかな。起きていられると面倒だから。そのうちアーサー殿下も駆け付けてくれるよ」
長々と話していた皇太子殿下はソファーから立ち上がると、私の側に膝をついて取り出した小瓶の蓋をとった。皇太子殿下が私の鼻先に小瓶を近づけると強い匂いがして、私は完全に意識を手放した。
「お休み、マリアンヌ嬢」
パタパタパタ
「マリー。マリー。おいっ」
「うっ、ん…………」
「大丈夫か?」
私を呼ぶ声に目を開けようとするが、上手くいかない。
でもさっき聞こえたのは羽音。
そうかライがいるのか…………。
何だか安心してそのまま寝てしまいそうになる。
「おい、マリー。起きろ」
ライが煩い。何で寝かせておいてくれないのだろうか。
手で払おうとしても手が思うように動いてくれない。
ライは本当に…………ライ!?
「…………ライ?」
「起きたか?」
「どうして、ここに?」
ライは実体化すると私の頭を持ち上げて膝枕をしてくれた。
「少しは楽か? 薬、結構使われたな」
「う、うん…………皆は?」
「『紫苑の宮』とかいう所にいる。近衛もフレデリックもいるから大丈夫だ」
「よかった」
「マリーが動けるようなら『紫苑の宮』で合流しようということになっている。マリーの魔力なら、ここから脱出することぐらい簡単だろ?」
「…………まぁ、多分」
「ただし派手にやるなよ? ソフィー嬢の誕生日会の時みたいなやつは止めてくれ」
「分かってるわよ」
私が上半身をゆっくりと起こすと、ライが背中を支えくれた。大丈夫、何とか動けるようになっているし、意識もはっきりしている。
「ライ、一つ確認なんだけど『紫苑の宮』の中ってネーデルラン皇国の人たちはいる?」
「いや。ファティマ国の人間で立てこもっている状態だ。『紫苑の宮』の周りにはネーデルラン皇国の見張りがいるが、手薄な部分を狙えば何とかなるだろう」
私は『紫苑の宮』の豪華な広間を思い浮かべる。置かれた調度品の数々、天井から下がる大きなシャンデリア、敷き詰められた紫色の絨毯。大丈夫、これならいける。
「マリー?」
「ライ、妖精に戻って私の肩に座ってて」
「おっ、おう。何する気だ?」
「直接『紫苑の宮』に移動することにした。目標は豪華な広間」
「はっ? 移動って」
「派手なのは困るんでしょ?」
ライは今一つ納得していないような顔をしながらも妖精の姿になり、私の肩の上に座った。
「いいぞ」
「行くよ!」
『紫苑の宮』の広間を先ほどのように細部まで思い浮かべる。そして皇太子妃の部屋から『紫苑の宮』の広間へと空間を繋げるよう想像した。段々と広間の映像が大きくなっていく、私たちはその映像の中に飛び込んだ。
ドシンッ。
「痛っ…………」
尻もちをついて床に座り込んだ。辺りを見回すと、昼間通った『紫苑の宮』の広間らしい。
「成功した?」
「あぁ、確かに『紫苑の宮』の広間らしいな…………マリー、何やったんだ?」
「うーん、ライと一緒のことじゃないかな」
「は?」
「ライだって、ひょいと消えてひょいと現れるでしょ?」
「まぁ、それはそうだけど…………マリーって妖精以上に妖精っぽいな」
「ん? 何か言った? それで皆はどの辺りにいるの?」
「こっちだ。別棟のエントランスに集まってる」
ライは妖精の姿のまま私の前方を羽ばたいていく。
広間を出で回廊のある場所まで出ると侍女頭が別棟があると言っていた方に向かう。その先には中庭があり奥に建物があった。
建物の入口にはファティマ国の近衛騎士が立ち、周囲の警戒に当たっている。
ライが実体化して近衛騎士に合図した。
「王太子殿下、ご無事で!」
「問題ない。マリアンヌ嬢も無事連れ出した。変わったことはなかったか?」
「はっ、今のところ動きは何もありません」
「何かあったら直ぐ報告してくれ」
ライに続いて別棟の建物の中に入る。
エントランスに集まっていた皆が一斉に振り返った。
「マリー!」
ソフィーが駆け寄ってきて、いきなり抱き着いた。
「マリー、マリー。もう心配したのですよ」
「ソフィー。ありがと」
ソフィーは私の頬に手を添えると「あぁ、本当に良かった」と小さく呟いた。
「コホン。それでだな。先ほど、ここにいる皆には話をしたが、ネーデルラン皇国がファティマ国に宣戦布告した。マリアンヌ嬢も揃ったことだし、状況の確認をしておきたい」
ライがエントランスの皆の顔を見回すと、指示を出した。
「フレデリックとコンラート、先ずはお前たちからこれまでの経過を報告してくれ」
二人の報告は次のようなものだった。
学園の生徒はピレウス港から馬車で『紫苑の宮』に連れていかれ、到着後、男性陣は別棟に案内された。別棟に入るとファティマ国の警護の方もこちらに案内すると言われ、そのまま待つことになった。
一方、警護の者たちはピレウス港から馬車に乗せられたが、学園の生徒たちの馬車と別なルートで『紫苑の宮』に連れていかれ、到着後は別棟に案内されて、先に到着していたコンラートとランスロットと共に閉じこめられた。
その後別棟を脱出し、周囲のネーデルラン皇国の衛兵、侍女を制圧。大広間付近の部屋で監視されていたソフィー嬢を救出し保護。
「今のところ『紫苑の宮』内部にはネーデルラン皇国の者は潜んでおりません」
「フレデリック、コンラート、ありがとう。フレデリックたち護衛の馬車が違うルートを走ったのは一緒に到着するのを避けるためといったところか。次に、ソフィー嬢はお話し出来るだろうか? ご気分が優れないならば無理にとは」
「大丈夫ですわ。お気遣い感謝致します」
ソフィー嬢の説明によると『紫苑の宮』に到着後男性陣と別行動になり案内された部屋でマリーと別れた。部屋の中には侍女がおり、許可が下りるまでは部屋にいるよう言われたとのことだった。
「監視されていた部屋にコンラート様がいらして助けて頂き、こちらの別棟に参りましたわ」
「ソフィー嬢、ありがとう。さて、マリアンヌ嬢はいかがかな?」
「はい、お話し致します」
私はソフィーと別れた後、クリストファー皇太子殿下に会ったこと、そして彼から聞いた話を説明した。
ネーデルラン皇国では泥炭層の魔石が枯渇しているため、魔石の再利用に着目していた。その再利用に欠かせない魔素を手に入れるため、森に手を出そうとしており、後は使用済みの魔石を回収する仕組みを整えれば再び大陸を統べる力を手に入れられると考えていた。そこで森を一気に焼き尽くすために、アーサー殿下の力を利用するべく今回の計画は立てられたと。
「マリアンヌ嬢、ありがとう。さてネーデルラン皇国での状況は全て出揃ったというところか」
近衛騎士とフレデリック様が頷く。
「当初からファティマ国に戦争を仕掛ける気だったということで間違いないようだな。だが実際のところ、船で攻めてくるのは効率が良くない。北の森は自然の要塞だしな…………だからこそ北の森を焼き尽くす兄上の力か。魔素だけでなく、ファティマ国も一気に狙えるという訳か。これは不味いな」
「あの、アーサー殿下はファティマ国にいらっしゃるのですか?」
ライが眉を顰めて、苦しそうに言った。
「兄上の行方は分かっていない」
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