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病颪《やまおろし》の吹く時  作者: 皇 凪沙
7/7

7.宵話

 ───おかしな奴が増えていたよ。

 須弥壇(しゅみだん)を見上げて、えんは言う。

 春の宵、堂内から漏れる微かな灯りにも負けてしまいそうな(おぼろ)な月が空高く上っている。 

 ああ、あれか───と、閻魔王が頷く。

「なかなかに面白い組み合わせであっただろう。」

 周りの連中は迷惑だろうに───そう言ってえんが顔を顰めて見せると、閻魔王は可笑(おか)しそうに笑った。

「寂しい処だ、騒々しいぐらいが丁度良かろう。」 

 どうだかねと首を捻って、えんは閻魔王を見上げる。

「そもそも、あれでいいのかい───」 

 問うと、閻魔王は、「何がだ───」と、えんに問い返した。

「やってる事は、生きてる頃と変わらないじゃあないか。」

 えんが言うと、倶生神(ぐしょうじん)が微かに笑った。

「志が違います───」

 そう言って、手元の鉄礼に目を落とす。

「偽薬を売っていたあの男は、本当に非道な事をしていたのです。生前のあの者ならば、配り歩くなどという得にならぬ事はせず、本当に薬を(どぶ)に捨てていたでしょう。」

 大勢を騙し、中には死なせた者もいる。本来ならば獄卒さえも通わぬ地獄の内で縋るものもなく、絶え間なく襲い来る死病に侵され苦しみ続けるはずだった───。

「ひとり打ち捨てられることを、ひどく怖れておりました───必死に考え、己の持つものの使い方に気がついたのでしょう。」

 効かない薬、自分を地獄へ堕とした詐術───

 ものは使いようだと、あの偽薬屋(ぎやくや)はそう言った。

「金の代わりにひとの気持ちを集めただけ、とそう言えばそれまでだがな。」

 素っ気なく言い捨てた閻魔王を、微笑みを浮かべた倶生神が見上げる。

「土台、地獄へ堕ちるだけの罪を犯した罪人です。他人の為に働く事が面白いと思えるようになったなら、充分な変わり様ではありませんか。」

 閻魔王が、ふんと笑った。

「まあ、よかろう───彼奴(あやつ)がいる故、あのおとこを彼処(あそこ)へ送ったのだしな。」

 そうか───と、春風に僅かに揺らめく灯りを見つめて、えんは呟く。

「あのおとこも、いずれ変わるんだろうか───。」

 そう言ったえんの脳裏には、偽薬屋の自信ありげな笑みが浮かんでいた。

 ぼんやりと眉根を寄せるえんに、倶生神が柔らかな笑みを向ける。

「変わりましょう───彼処(あそこ)で病を治そうとするなら、病ではなくひとを診る医者にならねばなりません。」

 けれど───と、えんは言う。

「此処では病は治らない、(ことわり)が違う───と、あのおとこはそう言ってたよ。」

 そう言うと、倶生神はふっと小さな笑いを洩らした。

「治らないわけではありません。あのおとこの言う通り───理が違うのです。」

 それに気がついているのなら、治す方策を探ろうとしないはずがない───倶生神はそう言った。

「あの者は病を治すのは、病を知る手立てと言っておりましたが、興味の大半がそこにあったのは確かです。治すことがあのおとこにとって病を(せい)するということなのでしょう。だからあの者は、この世で名医であり得たのです。」

 ひとの世の理では彼処(あそこ)の病を治す方策はない。

 彼処で病を治そうとするなら、地獄の理を知らねばならない───。

「あの者は、己の欲に忠実です。病を知り、征したいという我欲を満たす為に、自身の命を削る事さえ厭わぬ程に───。」

 くすり、と倶生神は怖ろしいような笑みを洩らす。

「病の直中にあって、己の欲に抗えよう筈がございません。必ずその理を、治す方策を知ろうとするでしょう。」 

 けど───と、えんは倶生神を見上げる。倶生神の顔には、元の通りの柔らかな笑みが浮かんでいた。

「彼処で病に罹るのは───」

 えんの言葉に、倶生神はええ、と応える。

「罪の(むくい)───彼等の病の(いん)はそれぞれの行い、(ごう)にございます。病を知るにはひとの心を、ひとの道を知らねばならない。あのおとこは、いずれ必ずそこに到る筈です。」

 ああそうか、と、えんは思う。

 おとこの傍らに置くのに、偽薬屋は丁度良い。ひとの気持ちを読むのに長けたあの男には、もうおとこが向かう道筋が見えているから───。

「ひとの道を知り、心を持ったその時こそ、あの者はひとになります。」

 少しだけ悲しげな顔で、倶生神は言う。

「向けられてきた思いを受ける器が備わった時、彼奴(あやつ)はどの様な思いがするのだろうな。」

 閻魔王の声が、静かに響いた。

 さあね───と、戸口に立って朧な月を見上げながら、えんは素っ気なく呟く。

「けど、その時は───本当の名医になるんだろうさ。」

 おとこへ向けられた、巷の声が思い出される。

 おとこのして来た事に心が備わるならば、あの声は真実になる───。

 それは何時の世の事になるのかと、えんはふっと笑った。

「───まあそれよりも、弟子の方が先に随分な名医になりそうだったよ。」

 宵闇の空を見上げたまま、えんは呟く。

 そうか───と応える声は朧で、背後はいつの間にか闇に沈んでいる。

 弟子がまともに育ったのが不思議だね───。

 そう、声には出さずに呟いて、えんは後手に堂の扉を締めた。

 柔らかな春の風が吹く。

 目を上げると若草が萌え始めた春の野の遥か向こうに、微かに町の灯りが見えた。耳を澄ませば、遠く町末を行く酔客の騒めく気配が感じられる。

 穏やかな気配を取り戻した町を遠くに感じながら、えんは微かに足元を照らす月あかりを頼りにいつもの小道を歩み出した。

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