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死んだ世界で死にゆく男

作者: 虹色 七音

 精気(オド)というものがある。


 これはあらゆるものに通っており、人や獣やもの等、はては星や宇宙にも通っているらしい。

 それの存在を人類が知覚したのは地球の精気が尽きかける、そんな時だった。

 人間の環境破壊によって地球の竜脈(精気の流れる血管の様なもの)が乱れ、精気の生成にも異常をきたして地球は連鎖的に崩壊へと向かって行った。


 それが、ダイイング・アースと呼ばれた時期。


 その後、人類は星の外へと目を向けて旅立つ。

 しかしそんな中、取り残されるものたちがいた。当然である。宇宙船なんていう人工的なものに全人類を乗せることなど叶うはずもないのだから。

 それから数十年で、内在的な精気が少ないものたちは死滅し、才能を持ったものだけがかろうじて生き残った。


 そんな世界の、昔に日本と呼ばれた国で暮らす男の、物語。





     ☆





「八号、お茶を沸かしてくれないか?」

「……はい。了解しました」


 ベッドの上で横になる男の声に応えて、十八歳くらいの容姿の少女がお茶を沸かしにベッドから見える距離に在るキッチンに入る。

 その少女は戸棚から茶葉を取り出し、精気の流れによって発熱させた機械の上にヤカンを乗せてお湯を沸かし始めた。

 と、ふと気付いたようにその少女が言う。


「エリ様。茶葉が足りません。何かで代用しましょうか?」

「そうだね、そうしてくれると助かるよ」


 エリと呼ばれた、無精ひげを生やしたいいおっさんである男は柔らかな言い方で少女の言葉に返す。

 それを受けてその少女は少し考えるような仕草をわざとらしくして、分かり易く手を叩く。


「そうでした。確かインスタントコーヒーがございます」

「そうか。それじゃあ頼むよ」

「……そうですね」

「ん? どうかしたか?」

「どこに置いてあるかを忘れたのですが。あ、上の戸棚か」


 そう言ってその少女は背伸びをしながら手を伸ばし、二、三度ほど軽くジャンプする。少女の身長では上の戸棚にはとても届きそうになかった。


「エリ様。届きません」

「そうだね、さすがに見たら分かるよ」

「助けてください」

「う~ん、そうしてあげたいのは山々なんだけど……、動けないしなぁ。そっちの踏み台を使いなよ」


 その言葉に少女は少し怪訝そうな表情を浮かべ、すぐに応えた。


「いいえ。右手の調子が悪いのです。修理を希望します」

「……ああ、なるほど。直すから、工具を持ってこっちに来てくれるかな」

「はい」





 カチャ カチャ


 静かな金属音が部屋の中に漂って、溶けていく。

 そう、金属音。しかし今エリが扱っているのは、少女の腕である。

 しかし、金属音。

 それはその少女、“人工生命(ホムンクルス)八号・紗枝(サエ)シソーラス”が愛理(エリ)によって造られた人工物であることに起因する。


「エリ様。直りますか?」

「大丈夫じゃないかな? まあ、ホムンクルスである以上体内の竜脈が安定しないのは仕方ないんだから多少のメンテナンスは仕方がないよ」

「そうでしょうか」

「そうだろうね」


 愛理は少女の右手を修理しながら他愛もない話をする。

 そして、思う。


 ――あと何回こうしてあげられるだろうか。


 と。

 この世界の本来の姿、精気の無くなった姿は原初の混沌と呼ばれる様なもので、そこにはまとまりも何も、物理法則すらもない。

 神話においてはその原初の混沌の中より生まれた、体内に絶対の精気を持って自らの存在を確立させる力を持った蛇がいたようだが、人間はそうはいかない。精気の存在しない世界では体は蝕まれ、死滅していく。

 高い才能を持ったエリとて、けして例外とはなりえないのだ。


「……エリ様。一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」

「かまわないよ」


 ふと、口を開いた少女の言葉にエリは軽い言葉で返す。


「私の名前は何ですか?」

「…………」

「私の名前は、何ですか?」

「…………八号だ」

「私の、名前は、何ですか?」

「…………“人工生命(ホムンクルス)八号”だ!」

「私の、名前……


 エリが少女の右手をぽんと叩く。


「終了だ。コーヒーを淹れてくれるか?」

「…………はい」


 少女は少しだけ苦々しそうな顔を見せたが、指示に従う。

 しかし、お湯を沸かしながら少女はまたも口を開いた。しかし今度は質問ではなく、一つの単語を呟いた。

 まるで何かを宣言するように。


「紗枝シソーラス」


 エリは、何も言わない。

 否定もしなければ、肯定もしない。少なくとも、止めはしなかった。

 もしくは、止めたくなかったのだろうか。本人すら、分かりはしなかった。


「エリ様が作り始めたホムンクルスは初め、四体だった。標準的な人間を基準とした“アダムシリーズ”の四体は、全て失敗に終わった」

「そうだな」


 コト コト

 ヤカンが、揺れていた。


「エリ様はその後、三体のホムンクルスを作った。様々なタイプで造り、三体の失敗作を創り出した」

「ああ、間違ってない」


 コト コト

 ヤカンは、揺れていた。


「エリ様は、最後に失敗する前提でホムンクルスを作った」

「…………」

「モデルは、十八歳にして死んだ紗枝さん。愛理様が愛した人」

「……ああ、そうだな」


 コト コト

 ヤカンも、揺れていた。


「エリ様は、紗枝代替物(シソーラス)を作った。それは、成功してしまった」

「ああ……、失敗すると、思っていたのに……」


 コト コトト ピ ピィィィ

 ヤカンと、揺れていた。


 心が。


「エリ様。コーヒー、出来ました」

「うん、ありがとう」


 振り返ったその少女の顔は、心なしか仮面をかぶっているように、エリには見えた。

 少女はベッドの横のテーブルに二つのカップを置く。


「エリ様はブラックですよね」

「ああ」


 そう言って、その少女は片方のカップに砂糖を入れて、エリの前に二つのカップを並べる。


「こっちは、愛理様の好きなもの(ブラック)。こっちが、似た様なもの(砂糖入り)

「……」

オリジナル(ブラック)消えてしまえば(飲まれれば)、エリ様は代替物(砂糖入り)を飲みたいと思えるようになりますか?」

「……そう、だな…………」


 そしてエリは少し迷って、ブラックコーヒーを飲んだ。

 それを見て、少女は砂糖の入ったコーヒーを飲んだ。


 少女は、もっと砂糖の少ないコーヒーの方が好きだった。

 コーヒーの中から砂糖を抜いてしまえればとすら思った。


 本当は、元々同じものであった訳ですらないのに。そんな事を考えてしまった。





     ☆





「死に際に立つと、人の気持ちが変わるっていうのは本当なんだね」

「そんなの、分かりませんよ。死んだことないんですから」


 少女の声は、泣きそうにかすれていた。

 元々、少女の体の器官はほとんどが人間と大差がない。

 大きく違うのは、右腕、骨、脳、そして精気生成器官でもある心臓、それ以外は多少精気によって手が加えられてはいるが、人間と同じような器官になっている。


「そんなに、泣かないでくれよ。今となっては、涙をぬぐってやるのにも命をかけなきゃいけないんだから」

「私は人工物ですよ? 泣きませんよ」


 そう言った少女は確かに生まれてこの方、涙を流したことはなかった。

 しかしそれは、けして人工物であったからではない。知らなかったのだ、泣くという手段を。そういった感情表現の仕方を。


「僕は、遺したいものがあるんだ。聴いてくれるかい?」

「そんな、――


 少女は声を殺すように、涙を抑える。

 それでもその声は、エリに届いた。あるいは、届いてしまったと言うべきだろうか。


「――そんな、遺言らしい事を言わないでくださいよ。まるで、死んでしまうみたいじゃありませんか」


 エリは、その言葉に何も返せなかった。

 いや、正確には、言葉をかけずに頭でもなでてやりたい、そういう気分だった。地球(ほし)の崩壊はそんな事すら許してくれないように、エリの体を蝕んでいた。

 しばらくの沈黙が流れる。


 不安の様な、安らぎの様な、沈黙は空気に溶けた。


「僕がこの世界に遺したいものは、二つある」

「エリ様。そんな事を言わないでください。お願いですから。……お願いだから、死なないで、愛理」

「ごめんな」

「……やめてください」

「悪いとは思っても、どうしようもないんだよ」

「……やめて、ください」

「僕は、死ぬんだ」


 少女の喉に、何かがつまった。そこはあるいは、心だったのかもしれないが。


「あ、ぁあぁ、……ぁあ、あ゛ぁあぁ゛ぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁああぁああああ!! ……ぁあ、うぐっ。っひゅ、はぁ、ぁあ。ぁ、ぁぐぅ」


 少女の瞳から大粒の真珠のように、涙がこぼれる。

 エリには、その頬を流れる涙をぬぐってあげられない事が何よりももどかしかった。

 可笑しくなってしまうほどに近くにいるのに、触れてしまいそうな距離にいるのに、もう二度と埋まらないような気すらしてしまうような距離。


「……ぁあ、私ぃ、代替物にも成れてないんですよ。まだ、まだ私はエリ様の何にも成れていないんです! 私はエリ様の何かになる為に生れてきたのに、私がエリ様の為に生きたいと思えていたのに! 私だって、間違って生まれてきてしまった命だって何かの意味があるんだって信じたくて、でもそれでも、紗枝さんの代わりになる事すら出来なくて。生んでくれなんて頼んでないけど、生んでくれて嬉しかったって! そう言えるような、そんな気持ちでいっぱいだったのに! そう、言うだけの価値を、まだ私はエリ様に見せてないのに……、私を見る前に、死なないでくださいよ。――」


 ポロ ポロ と涙をこぼしながら、覗き込むようにしてエリと目を合わせて、少女は言葉を紡ぐ。

 大切な宝物を、風化して逝ってしまう大事なものを、護るように。


「――もっと生きてよ。愛理ぃ」


 ごめんね。と、そう言いかけて、やめる。

 その代わりに、かけてやりたい言葉があった。伝えてあげたい、思いがあった。


「僕が遺すのは、君という存在。そして、君の名前だ」

「……、名前?」

「ああ、そうさ。三ヶ月ほど早いけど、誕生日プレゼントだ。僕の机の中に機体番号を記したものがある。右腕の皮膚に今付けているのと取り換えてくれ。やり方は、書いてある」


 エリは、本当にもうわずかしか生きられない。

 それでも、今一度生きるという事の意味を考えてみるとするのであれば、それは心臓が動いているという意味では無いと、そうエリには思えた。

 心が、動かなくちゃ。

 そしたら、体が動いた。


「君の名前は、ヴィヴル(vivre)


 エリは半身を起こして、少女と向き合う。そして、右手でそっと瞳の下あたりを拭ってやる。

 力の無いその体は上手く立たず、少女の方に倒れ込むようにしてエリは言う。


「君は、生きる(ヴィヴル)だ」


 ぐらりと倒れ込んだ愛理の唇が、一瞬、ヴィヴルの唇と重なった。





 そしてエリは、絶命した。





     ☆





「ねぇ、ねぇ長老のおねえちゃん! ヒーローのお話教えて!」


 村の子供の一人が、生き神とも呼ばれる数百年間生き続ける、ほとんどが死の土地へと変わった星に村を作った少女に話しかける。

 その少女は、快く言葉を返す。


「ヒーローのお話って、エリ様のお話?」

「そう! エリ様のお話聞かせて!」

「う~ん。ごめんね、今日は時間が無いの。エリ様のお話はまた今度ね」


 そういうと、その子は途端に残念そうな顔になる。

 可愛いなぁ、なんて思いながら少女はその子の頭をなでてやり、話す。


「それじゃあ、エリ様の事、一つだけ教えてあげるね」

「うん♪」


 またからりと元気になったその子に、少女は言う。


「エリ様はね――」


 願いを。

 または、夢幻の様な、確かな現実を。


「――私に“生きて”って、言ってくれた人」

愛理って、女っぽい名前ですよねぇ。

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