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第6話:没落令嬢と回る世界

 あたしはガッとグラスを掴み、中身を一気に空にした。

 甘い果実の香り、鼻から抜けていく芳醇な香り。そして――舌に残る苦味。


 ん? 苦味?

 パッと給仕の方を振り返ると、トレーにはもう一つのグラス。

 もしやと思い、あたしはそのグラスも奪い取り、ペロリと舐めてみる。


 味は同じだった。後を引く苦味を除いては。

 後に飲んだ方は、ただのジュースだ。皇太子はアルコール入りとそうでないもの、二種類を用意してくれていた。


 まさか、こっちのグラスがあたし用のもの? さっき飲んだのは酒入りの……レナルドに用意されたものだ。


 自覚した途端、全身に酔いが回る。

 あ……あたしはお酒飲んだことないのよっ……!



「話には聞いている者もあろうが、このように正式に発表することはなかったな。我が友人、レナルド・アズガルドは……」



 クルーゼ殿下の声が遠ざかる。

 ただでさえ立ちくらみしてしまうような内容の話なのに、酔いのせいで余計に目眩がする。

 あたしは手を顔に当て、なんとか火照った顔を鎮めようとした。けれども、空腹に一気飲みなんてものが悪かったのか、顔はどんどん熱くなり、世界がぐるんぐるんと回り始める。



「あたし……気分が優れないので……」



 そう言うのがやっと。

 あたしはふらふらとその場を離れる。



「エレ……」

「レナルド、さぁ、挨拶を」



 背後でレナルドの声がした。あたしは顔も見ず、手で制する。いや、ホントについてこないで……。

 ちょうどいいタイミングでクルーゼ殿下が、レナルドに話を振る。

 レナルドは「あ……かしこまりました、殿下」とすぐに招待客たちに向き直った。


 すっと下がったあたしに、クルーゼ殿下は何も言わなかった。多分、レナルドを取り囲む招待客たちへの対応でいっぱいだったんだと思う。それは、レナルドも同じだった。


 このタイミングを逃すなかれ、とあたしは迎賓の間を出た。本気で気分が悪い。……ただただ、早く帰りたい。



 よろめきながら、ホールへ戻ってきた。外へ出ると、例の守衛に遭遇する確率は高くなる。一悶着あった後だし、できれば顔を合わせたくなかった。

 自然、あたしは出口から遠ざかる。金の装飾が施された手すりを、いつもの三倍以上の力で鷲掴み、奥にある階段を上りきった。


 この程度、息切れするほどでもないのに、酔ったあたしにとっては重労働。ぜいぜいと肩で息をし、あたしは開いていた扉に吸い込まれるように入っていった。


 室内は暗かった。

 廊下の灯りが眩しくて、あたしは後ろ手に扉を閉めた。

 ふぅ、と一息つく。次第に目が慣れ、真っ暗だった室内の様子がぼんやりと浮かび上がってきた。

 窓から差し込む月の光が、じんわりと目に優しい。



「うぅっ……」



 あたしは戸口にしゃがみ込んだ。

 宮の入り口で一騒ぎした挙句、ジュースとお酒を取り間違えるなんていうベタベタなミス。風雅さのかけらもなく、醜態でしかない。


 あたしはうずくまりながら、部屋を見渡した。

 大きなテーブルに、床につきそうなほど長いテーブルクラス。赤いクラスの上には、銀食器や皿がずらり。

 どうも、ここは晩餐会の準備用に使われている部屋みたい。でも、給仕の影はなく、今は誰もいない。


 ここで少し休ませてもらってもいいよね。

 あたしはそう思って、「よっこらしょ」と立ち上がる。若いのにこんなことでどうするんだろう、あたし。


 ベランダの大きな窓、そこから見える月に誘われるよう。バルコニーから見る風景は、美しいに違いない。


 あたしはヒールを脱ぎ捨てた。柔らかな絨毯の感触が気持ちいい。

 窓に手を触れ、そっと押すと、それは簡単に開いた。宮の庭は、薔薇の花が満開で、艶やかな香りが二階まで漂ってきた。

 少し冷気を孕んだ風が、あたしのぼやけた頭を冷ましていく。視界がはっきりと、クリアになって、本来のあたしに還っていく。



 空には夜光虫。真ん丸な月。

 漆黒の夜がすべてを覆い隠そうとしているのを、妨げているみたいじゃない?



 ――だから、すぐに分かった。



「こんな満月の夜に忍び込むなんて。暗殺者アサシンとしてどうなのよ?」



 外を見ていたあたしは、バルコニーでくるりと向き直り、室内の闇に問いかけた。

 もぞり、とも、かさり、とも言わない。


 でも、感じるの。

 そこに、招かれざる客がいるってことが。



「狙いは誰? ……って、わざわざ聞くまでもないか」



 あたしはゆらりと部屋に戻る。

 中央にあるテーブルに、ひょいと腰かけ、足をぶらぶら。

 右手をじわじわと動かすと――銀のフォークの柄に触れた。



「いい加減……しらばっくれるのはやめたらどうなのっ!?」



 あたしは銀のフォークを部屋の角に投げつけた!



 ガキィンッ!



 空中でフォークは何かに弾かれた。

 落ちた先にはフォークと、短刀。



「ふぅん……やる気あるんじゃないの」



 あたしはひょいと机から降りた。同時に、部屋の角がゆらりと揺れる。


 一、二、三、四。

 四隅から現れた闇の化身は、あたしをじり、と取り囲む。

 黒づくめの暗殺者たち――おそらく、皇太子クルーゼ・ルマリエの命を狙う者。


 あんなバカ皇太子、知ったこっちゃないけど、あたしが見逃したせいで命を落とすってのも寝覚めが悪い。

 酔い覚ましに、一戦交えるのも悪くないわ。まぁ、ちっとも優雅ではないけれど。

 あと、一回言ってみたかったの、このセリフ。昔見た演劇みたいにね。



「この先に進みたければ……あたしの屍を越えていきなさい」

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