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第3話:没落令嬢と青いドレス

「はぁ……」



 化粧台の前に座り、ため息ひとつ。

 ぼさぼさになってしまった金のシニヨンに触れ、鏡の中の自分を眺める。白磁のようになめらかだった肌は日に焼け、剣を振るうようになった手は傷だらけだ。

 

 豪邸住まいから一変、必要最低限の調度品しかないこの部屋での生活も慣れた。

 ちなみに、あたしの部屋は兵舎の女子棟二階。一応角部屋をあてがわれていたけど、さして広いわけでもない。唯一、この部屋で気に入っているところといえば、日当たりがいいことくらい。


 あたしは丸椅子から立ち上がり、後ろにあるクローゼットを開いた。軍服と、寝間着以外は服を持っていない。あたしはゆっくり屈み、色味のないクローゼットから小箱を取り出した。

 そのままペタンと床に座り込み、あたしは小箱の蓋を開ける。手の平より少し大きいくらいの、小さな小さな木の箱だ。

 ふわりと木の蓋の、乾いた匂い。中は少し湿っぽくて、忘れ去られた時が閉じ込められている気がした。



 入っているのは、過去の栄光。

 あたしが貴族であったときの、ささやかな名残。



 囚われた後、フォンダイル家にまつわるものはすべて没収された。

 屋敷は焼かれ、没収されたものも処分された。

 仕えていた使用人たちも、身柄を拘束された。フォンダイルに忠誠を誓う、古くからの忠臣がどうなったのかは――あたしには分からない。

 

 けれども、そんな不遇なあたしを気の毒に思ったのか、あたしは幽閉中、この小箱を手渡された。

 どうしても手放せない物だけ、この箱に入れるがいい。――ただし、箱に入りきる分だけだ、と。


 その時のあたしは、本当に何も持っていなかった。

 大切な物は大抵、屋敷ごと焼き払われてしまっていたから。



 だから、あたしは貴族だった頃の最後の思い出をここに詰めた。

 あの日、身につけていたペンダント。家族の肖像が入ったものだ。翡翠色のそれは、フォンダイル家がなくなった今も、変わらず静かな輝きをたたえている。


 俯きながら、それをぎゅっと握りしめた。心が折れそうな時、寂しくて仕方のない時、あたしは束の間、過去にすがる。すがってどうにかなるものでもないけど、すがらなければあたしじゃいられない。



わたくし・・・・は……」



 そう言いかけて、あたしはハッと口をつぐんだ。

 あの時のわたくしはどこにもいない。今いるあたしはエレイン・アースラ――それ以外にない。


 僅かな時間、あたしはそうしていた。気持ちが落ち着いてから、深く息を吸う。

 よしっ、と気合いを入れ、あたしはペンダントを小箱にしまい込んだ。



 ――コンコン。



 戸口で音がした。あたしは急いで小箱をしまい、感傷を振り切って返事をする。

 この部屋にやってくる人間は限られていた。親友のノラは男子棟住まいだし、他に友達はいないし。

 あたしは来訪者の目星をつけ、すぐに返事をした。



「どうぞ、ローラ」



 あたしの返事を聞いた来訪者――アズガルド家の使用人・ローラは扉を開けて、入ってきた。

 黒髪に純白のヘッドドレス、濃茶の瞳がくりくりとよく動く。いつもは粛々と礼をしてから入室するローラだったけど、今日は少し様子が違っていた。



「ねぇ、ローラ。……その手の中にあるものは何?」



 嫌な予感しかしない。

 さらさらと風にそよぐ薄い青。光沢のある生地、繊細なレースの施された手袋。白薔薇のブローチに、深緑の髪飾り。

 ローラはほくほくとした顔で、その手の中にある物を、あたしにずいと差し出した。



「我が主、レナルド・アズガルド様より仰せつかってまいりました。今宵の晩餐会は、こちらをお召しになって、ご出席なさるようにとのことです」

「……あたし、どうしてもこれ着なきゃダメ? 一応、これでも軍人だし、軍の礼装でいいんじゃないかな、って思ってたんだけど……」

「なりません! 正式な晩餐会ですのに……。それに、エレイン様はレナルド様のご婚約者として参加されることになっていると、ローラは伺っておりますよ」

「……」



 手強い。手強いぞ、ローラ。

 確かに、この上ないほど上等のドレス。着てみたい……と思う気持ちもなくは、ない。

 でも、それはあたしが貴族だった頃なら似合っただろうな、っていう話で。

 毎日の訓練で筋肉質になってしまったこの体じゃ、かえって貧相に見えるだけじゃないかしら。


 何より、婚約者という立場で出席するなんて聞いてない。あくまで、レナルドとあたしは仕事上の上司部下の関係! それ以上でもそれ以下でもないっ!

 それに、没落貴族って後ろ指を指されることは分かっていた。きらびやかな場で、美しいドレスを纏って――余計に惨めさが増すだけじゃないかしら?


 口を真一文字に引き結んだまま、首を縦に振ろうとしないあたしをのぞき込み、ローラは最後の手段に訴え始めた。



「エレイン様~、エレイン様がこれを着て下さらなければ、このローラがお叱りをうけてしまいますぅ~、エレイン様~」



 まん丸の瞳に、瞬く間に涙が溢れる。うるうるとした目で懇願されて――断れる人がいるなら鬼だ、鬼。

 あたしはふぅ、と息を吐き、お手上げだと言わんばかりに肩をすくめた。



「分かった、分かった、分かりましたっ! だからもう泣かないで」



 あたしはローラの手から、衣装一式を受け取り、急いでローラをなだめた。

 さわり心地もいい。見た目だけじゃなくて、本当に良い代物だ。

 貴族だった頃なら、きっと素直に喜んで着られた。今は少し、複雑な気分。

 

 あたしがドレスを受け取った途端、ローラは満面の笑顔を見せた。この笑顔にも、あたしは弱いんだ。

 無垢な笑顔。眩しい笑顔。ちょっとささくれだったあたしの心に、少しだけ癒やしを与えてくれる。


 

「ローラ、嬉しゅうございます! きっとエレイン様にお似合いですよ!」



 お似合い……だといいけど。

 あたしは鏡に向かって、ドレスを合わせてみせる。

 うん、まぁ、そんなに悪くないかな。


 やらなきゃいけないなら仕方ない。ただし、こんな茶番は今晩だけ。

 そう――今晩だけ、昔の優雅なエレインに戻ってみよう。そう思った。

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