第1話:没落令嬢とパンケーキ
「……っていう嫌な夢を見たのよ」
「あんた、それ一体何度目よ?」
あたし――エレイン・アースラはふわふわのパンケーキを睨みつけながら言った。
バターの溶け具合がイマイチだ。もう少しとろりと溶けて、生地に染み込むくらいがちょうどいい。
行きつけのカフェで、あたしは軍の同僚であるノラ・カトリアと休日のお茶会を開いていた。ちなみにこれは月一開催だ。
レースや花のモチーフがふんだんにあしらわれた店内、王都エル=カロラで人気の店の一つだ。
愛らしい衣服を纏った女性客がメインの店内で――あたしとノラは異様に人目を引いていた。
あたし達は厳しい、帝国軍軍服姿なのだ。しかも、柔らかなパステルカラーをぶち壊すような濃青色。
とは言え、休日仕様に、あたしの頭の金のシニヨンは、訓練時よりも緩めだ。訓練の時はもっときつく縛ってあって、後れ毛一つ落ちていない。
一方のノラは黒のベリーショート。刈り上げているのは髪を切りに行くのが面倒であるから、らしい。
加えて、乙女全開の背景の中、上背もあり筋骨隆々な男であるノラの姿は嫌でも目立った。
「あ、やだ、やっぱり美味しい。ねぇ、エレイン、あんたも食べなさいよ」
人のお悩み相談を余所に、パンケーキにドバドバと蜂蜜をかけ、フォークを入れるノラ。蜂蜜の量が多すぎる! というツッコミを入れる余力もなかった。
一見気の合いそうにないあたし達の共通の好物は、パンケーキだった。
ごつい男所帯の帝国軍内でパンケーキ好きというのは滅多にいない。大抵、肉や酒の話で盛り上がる中、無類のパンケーキ好きなノラとスイーツ談義に花が咲いたことから、孤独なあたしにとって、ノラは無二の友人となった。
「で、いつまで昔の夢を見なきゃいけないんだろうって」
「そりゃ、あんた。過去に囚われている間はそうでしょ」
「そうだけどさぁ……」
フレーバーティーを口にしながら、ノラはバサリと言い切った。身も蓋も無い。あたしはいじけて唇を尖らせた。
乙女心が分かってない……とも言えない。ノラはそんじょそこらの乙女よりも、よっぽど乙女なのだから。
あたしはため息をつき、そっと窓の外へ目を向けた。
あたしには過去があった。
それも、没落令嬢であるという、覆せない過去だ。
囚われの身になることを拒み、死を選んだ兄の代わりに、あたしはフォンダイル家最後の一人として身柄を拘束された。
三年前――あたしが十五の時のことである。
あたし自身が政権抗争に関与していなかったこと、まだ十五という年齢であったことから、あたしは死罪を免れた。
だけど、争いに敗れた一族の出身であるということは、動かしようのない事実だった。
故に――あたしは家名を剥奪され、帝国軍に従軍することを命じられた。アースラ姓は、母方の実家の名。
銀食器より重いものを持ったことのなかったあたしにとって、軍での訓練は想像を絶するものだった。走り込み一つでも、圧倒的体力不足から、最後尾をついて行くのがやっと。
それでも、あたしがここまでやって来られたのは理由があった。
「ひ、ひつこいのが、わるひんだって。ひゅうひゃくしん、ふくひゅうひん」
「口の中のものがなくなってから言ってくれない、ノラ」
「んぐ……。だから、しつこいのが悪いんだって。執着心、復讐心」
最後にノラはとどめと言わんばかりに、ピシリと人差し指を突きつけた。節くれだった指だが、その動きは洗練された女性的なものだ。
「だって、没落した挙句に、婚約者まで勝手に決められたからって。しかも、そいつに復讐してやりたいって。もう執着心の塊っ」
「わぁぁぁぁ、ノラ、やめてぇぇぇ! もうそれ以上聞きたくないっ!」
あたしは両耳を押さえ、机に突っ伏した。
婚約者がいるだなんて、死んでも認めたくない!
「何度だって言ってやるわよ。私だったら、絶対楽しむのに。なんたって、お相手はあのレナルド隊長なのよ?」
「あたし、あいつのこと嫌いだもの」
「きぃっ! よくもその口で言えたもんねっ! しかも、あいつ呼ばわりっ!」
ノラは憎々しげにあたしを睨み、下唇を思い切り噛んだ。出血しそうな勢い……大丈夫かしら。
そう……あたしは軍に配属されたと同時に、もう一つ、別の命を受けた。
それは、フォンダイル家を滅ぼした名将、レナルド・アズガルドの婚約者となり、二人の力で皇太子となった第五皇子の剣となり、盾となれ、というものだ。
もちろん、あたしは抗議した。
それ以上に、武芸に秀でたアズガルド家の婚約者として、逆賊の娘を迎えることを、他の貴族たちが猛反対した。アズガルド家に相応しい家名を持つ令嬢を迎えるべきだ、って。
けれど、若き皇太子は我を押し通した。
レナルド・アズガルドに真に相応しい娘は他にないと、他の意見など聞く耳を持たなかった。
そもそも、第五皇子が皇太子争いに名を連ねたのも、その賢明さゆえ。
反対していた貴族たちも、皇太子に考えあってのことなのだと、やがて騒動は沈静化し……現在に至る。
小娘一人が異論を唱えたところで、誰も聞き入れはしなかったし、あたしみたいな反乱因子予備軍に発言権なんてものがそもそもない。
生かされていることだけが救いだった。
決して受け入れたわけではないが、了承することでその場を落ち着けるより選択肢はなかった。
「レナルド隊長も、硬派なお方だもんねぇ……。婚約者ができたからって、あんたにベタベタするわけないし」
「むしろ、訓練のときは、あたしにばっかりスパルタなんじゃないかって思う」
「そんなことないわよ〜」
「嘘。この前だって、あたしだけ模擬戦闘の相手がいなかったからって、あいつとやり合うことになったし。あいつの豪剣、見た!? あたしの首を取るつもりよ、息の根を止めるつもりよ、きっと!」
「そりゃ、あんたがぼっちなのが悪いんじゃ……」
「そんなことない、あたしにはノラがいる。……まぁ、隊が違うから仕方ないけど」
ボソリと呟き、つんつんとパンケーキをつつく。ジワリとしみたバターから漂う芳醇な香り。今だ、まさに今食べ頃だ。
「あんたが敬遠されるのも分かるけど? 剣の腕は文句なしだし。ぶちのめされるの分かってるから、敢えて誰もあんたと組みたがらないのよ」
確かに、あたしの剣の上達は目覚しかった。自分で言うのも変だけど。
生来、誇りを傷つけられるということが何よりも許せなかった。
だから、死に物狂いで練習した。何種類もの剣を扱い、自分に合ったものを探したし、誰よりも朝早く起きて、修練場で鍛錬を積んだ。
その成果が出始めたのは最近のことだ。それまで、模擬戦闘であたしを打ちのめすことを楽しみにしていた、意地の悪い先輩に、ようやく一矢報いることができたのだ。
それからようやく、模擬戦闘でも勝ち星が増えてきたところ。
熱々のパンケーキを頬張りながら、あたしは頭を振った。
せっかくの休日、お気に入りの店で、大好物を食べているというのに、こんなことではいけない。そう、もっと軽やかに、ポジティブに……と作り笑顔で面を上げた矢先、ノラの渋い横顔が飛び込んだ。
「ノラ、顔が変」
「そりゃ、あんた。あれを見れば誰だってこんな顔になるわ」
ノラが窓の外を指差す。
軍本部のある、東の空に高く立ち上る紫煙――緊急招集の合図だった。




