7-2
「アサ、今何て言ったんだ?」
「だ〜か〜ら〜、狼の神様で名前はオオグチマカミ様だってば」
「オオグチマカミ……」
その名を口の中で繰り返しながら、新が考え込む。新が知るマカミと言えば、八葉しか居ない。
(八葉がここに居るのか? それなら、このおかしな状況も理由を知っているかもしれないな……)
「どうかしたの? 新兄さん?」
「あ、いや何でもないよ。ところで、そのオオグチマカミ様には、会えたりするのかな?」
「会う? う〜んと、明日のお祭りで行く山の祠に居るよ!」
「そうか! それって俺も一緒に行って問題無いかな?」
「大丈夫だと思うよ。お父さん帰ったら一緒に聞いてあげるね!」
「ああ、ありがとうな、アサ」
新が笑顔でアサの頭をクシャクシャと撫でる。アサはそれを、くすぐったそうに目を細めて笑いながら黙って受けた。
「ふふ、それじゃ新兄さん。お父さんは遅いから、先にご飯にしようね」
「ああ、もうお腹ぺこぺこだよ」
八葉に会える。会えば、この訳の分からない状況もどうにか出来る。そう思うと、心の不安が軽くなった気がする新。その時、右手に再び優しい暖かさを感じたが、新は気付かなかった。
◆
翌日、朝早くから始まった祭りの準備も終わり、トカクを含めたダンナチの男達は、オオグチマカミの祠へ向かう山登りを開始した。その中には、昨夜帰宅したトカクから許可を貰った新も同行している。
男達は背にそれぞれマカミへの供物を背負い、慣れた様子で山道を登って行く。
山道とは言え、半ば獣道のような悪路を、新は男達に遅れないよう急いだ。
そんな新を見て、集団の先頭に居たトカクが新の元へやって来る。
「大丈夫ですか、新さん。背の荷物を少しこちらに渡しますか?」
「ありがとうございます。でも大丈夫です、トカクさん。一応、昔似たような山に住んでいた事もありますし、これくらい……」
「そうですか? でも辛ければ言ってください。私達はいつもの事なので慣れていますが、慣れない貴方には大変でしょう。それなのにこうして新さんが供物の一部を担ってくれて、随分と助かっているんですよ」
会釈しトカクが再び先頭へと、スピードを上げ戻っていく。その健脚ぶりに新はフウと溜息を漏らした。
「少し鈍ったかな……また鍛えないと……」
その後、しばらく歩き、新達は目当ての祠へと辿り着く。
木々を抜け開けた場所に、歪な石版が円形状に並び、その円心部には、いくつかの石を組み合わせたドーム状の祠が見えた。祠には入り口が見当たらず、その内部を知る事は出来ない。
男達は手慣れた様子で荷を下ろし、供物を供えていく。それが済むと、トカクが呪文とも祝詞とも判別つかない言葉を紡ぎ、男達は両手を独特の形に組み合わせ祈りだした。
新も周囲を真似して同様に祈りのポーズをとる。その体勢のまま、トカクの声に隠れる小さな声で呟く。
「八葉……オオグチマカミ……俺だ、新だ。耳の良いお前なら、この声も聴こえるはずだ。もし応えられるなら応えてくれ。頼む、八葉……」
組んだ右手が暖かい。しかし、八葉が応える気配は一向に感じなかった。
やがて短い儀式は終わり、男達は軽くなった荷と、帰ってからの酒宴に、軽い足取りで下山を始める。新はトカクのそばに寄り、周囲に聞こえないよう、そっと話しかける。
「トカクさん、ちょっと良いですか?」
「ああ、新さん。ありがとうございました。祭事は無事済み、後は集落に帰って宴を楽しむだけです」
「その祭事についてなんですが、あの祠にマカミ様が居るとアサに聞きました。会ったり会話する事は可能なんでしょうか?」
「祠に? ふふ、あはははは!」
トカクが驚いた顔をした後、突然大声で笑いだした。ひとしきり笑うと、涙を滲ませた目を指で擦り手を振る。
「いや、失礼。あの場所は確かにオオグチマカミ様をお祀りした場所ですが、祠にあるのは神である狼をかたどった木像のみ。会えると言えば会えますが、実際に会ったり、ましてや会話なんて……」
そこまで言い、トカクは口を噤む。よほど新が残念そうな顔をしていたのだろう。その肩を優しく叩く。
「……なんだか娘の言葉で、変に期待をさせてしまったようですね。申し訳ありません」
「いえ……ちなみに、あの祠では無かったとしても、今までマカミ様に会った事がある人は居ますか?」
尋ねる新に、トカクは首を振って応える。
「ダンナチでは、私の祖父の代以前から、オオグチマカミ様を祀っていますが、実際にとなると聞いた事はありません」
「そうですか……いえ、ありがとうございます」
これ以上、世話になっているトカクを心配させないように、新は精一杯の笑顔を浮かべた。
◆
「失礼します……」
控えめなノックと共に病室のドアが開き、荷物を持った律が入室する。ベッド脇のパイプ椅子に座った八葉が、左手を挙げて振る。
「おお、律か。暑かったろう」
「いえ、私は大丈夫です。あの……新さん、どうですか?」
荷物を棚に置くと、八葉の隣にパイプ椅子を広げ、新の顔を覗き見る律。横たわる新は身動き一つせず、静かに眠っているように見える。
「どう……か。うむ、変わりはないな」
「そうですか……あの、八葉さんは休まなくて大丈夫なんですか? ずっとそうして、新さんに付きっ切りじゃないですか」
律の視線が、新の右手を優しく握る八葉の手に止まる。律の知る限り、新の着替えのような事以外では、八葉はずっとそうしているはずだった。
「ふふん、元々私に食事や睡眠は必須では無い。だから、私なら大丈夫だよ、律。今は、ただこうして新の無事を祈りたいのだ」
新を見ながら微笑む八葉。だが、強がる言葉とは裏腹に、その顔には疲労の色が見えた。
それに気付いた律は、しかし何も言わず八葉の手に重ねるように、新の右手を握る。
「しょうがないですね。えへへ、それじゃあ私も……」
「うむ……お前を待つ者は私一人ではない。早く目を覚ませ、新」




