1-5
「兄さんっ!」
虚木超常現象研究所へ明を連れ帰ると、楓が駆け寄り涙目で抱きついた。
「心配かけたな、楓。俺が助かったのも、お前が虚木さん達に依頼してくれたおかげだ、ありがとう」
「ううん、兄さんが無事で良かった……」
「お帰りなさい、新さん、八葉さん。問題ありませんでしたか?」
抱きしめあう兄妹を横目に、エプロン姿の律がそっと尋ねる。
「ああ、何とか間に合ったぞ。それより律よ、今から昼食にせんか? 私はだいぶ空腹だぞ?」
「あ〜、そういや起きてから何も食べてなかったなぁ……頼めるか、律」
新の言葉に、律は満面の笑みで両手をポンと打つ。
「そうだろうと思って、下準備は済ませてあります! さあ、明さんと楓さんも是非食べていってくださいね!」
新と八葉、そして明と楓でちゃぶ台を囲んで座る。
しばらく待つと、律が台所から運び込んできた皿をそれぞれの前に置いた。
「お待たせしましたっ! どうぞ召し上がってください」
「お、今日は素麺か! やっぱり暑い時はこれだよなぁ」
新が目の前の素麺に笑顔を見せる。生姜の他にも、叩いた梅肉や刻んだ大葉が、ここ最近の暑さで落ちていた食欲を蘇らせた。
一方、八葉は浮かない顔だ。
「むぅ〜、素麺か。嫌いではないのだが……」
「わかってますよ、八葉さん。八葉さんには特別に、ソーセージ付きです! あ、でもソーセージだけじゃなく素麺も食べるんですよ?」
ジュウジュウと油弾けるソーセージが盛られた皿を八葉の前に置き、律が可愛らしくウィンクする。それを見た八葉の顔がパアッと明るくなった。
「おおっ、律よ! わかっているではないか!」
「良かったな、八葉。さあ、明さんも楓ちゃんも、食べて食べて」
「あ、はい。……いただきます」
遠慮がちに食べ始めた二人を見て、新もまた箸で素麺をすくいあげる。その様子を律はニコニコと微笑みながら眺めた。
「どうですか、明さん、楓さん」
「ん……美味しいです、律さん!」
「ああ、素麺そのものもそうだけれど、何よりツユが……うん、とても良い風味ですね」
スンッと明が自身の素麺ツユの匂いを嗅ぐ。今まで食べてきた、市販の濃縮ツユでは感じたことの無い香りが、鼻腔の奥に広がった。
「はい! おツユはちゃんとお出汁から、素材にこだわって作っていますから! あ、薬味もどうぞお試しください。私のオススメは、この梅肉ですよ」
律が嬉しそうに笑う。そんな律を見て、明も感心したように大きく頷いた。
「いや、実際大したものですよ。まだ若いのに、ただの素麺をこれだけ美味しく出来るんですから。これは、楓も見習わないとな」
「に、兄さん! ……でも、本当に凄いです。律さんはいいお嫁さんになれますね!」
楓の言葉に、律の顔が一気に赤くなる。その熱を確かめるように、律は自分の頬を両手でそっと挟むと、潤んだ瞳で新を見つめた。
「え、お嫁さんだなんて、そんな……でも、新さんが貰ってくれるなら、私は……えへへ」
「無理だな」
「ああ、無理だ」
律の熱視線を躱すように顔を背け、新がバッサリと斬り捨てる。美味そうにソーセージを噛み切りながら、八葉もそれに同意した。
「そんな……八葉さんまで酷いですよ!」
「ふふん、そう嘆くな、律。よくよく考えてみよ。お前がなれるのはお嫁さんではない、新のお婿さんだ」
「あ、そう言われてみればそうでした!」
八葉と律が笑いあい頷きあう。それを見ながら新の頬がピクピクと引きつった。
「えっと……つまり、律さんは……男の子?」
楓が信じられないといった顔で律を見つめる。
「はい……ふふ、そう改めて尋ねられると、なんだか少し恥ずかしいですね」
頬を染めはにかみながら、クネリとしなを作り答える律。それを見た明と楓は言葉を失った。
「あ〜……ところで今回の依頼についてなんだけれど……」
箸を置き、微妙な空気を断ち切るように新が口を開く。
「あ、はい。虚木さん、兄さんを助けてくれて、本当にありがとうございました」
「正直……俺はもう、あの悪魔に内側から喰われて終わりだと思っていました。あっ、そういえば、虚木さん達にお支払いする報酬についてなんですが……」
「いや、今回は金銭での報酬は求めていないんだ、明さん」
頭を下げる二人に、新がヒラヒラと手を振って、その言葉を遮る。
「と、言っても別に無償というわけじゃない。二人には、これからする俺の質問に、全て素直に答えて欲しい」
「質問……ですか?」
明の言葉に新が頷いて肯定する。
「そうだ、明さん。二人とも間口耕三という男に心当たりはないかな? この男なんだ」
新が取り出した紙に印刷されたのは、一人のスーツ姿の男。明と楓はそれを受け取り眺めた後、新に手渡し返した。
「すみません。私には覚えが……」
「俺もです、虚木さん。この男は一体誰なんですか?」
「こいつは、俺がずっと行方を探している奴で……おそらく明さんに巣食ったような怪異、神魔達と裏で深く繋がっている男だ」