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「おおぐちのまかみ……」
ポツリと白狼の名を呟くが答えは無い。どうやら巧が決断するまで、あの白狼、真神は静観を決め込むようだ。
見ればサラマンダーは、もうすぐそこまで迫っている。巨体の重量に、ミシリと畳が悲鳴を上げた。
巧は慌てて周囲に目を向けるが、焔に覆われた部屋には、逃げられそうな場所など何処にも見当たらない。
目線を落とすと、腕の中では眠ったように瞳を閉じている八葉がいる。しかし、赤い炎に照らされたその顔色は、さっきよりも悪くなっているように感じられた。
「八葉! 八葉っ!」
慌てて八葉を揺さぶり叫ぶ。それでも八葉が目を開ける事は無い。あの白狼が言うように、確実に死へと向かっているようだった。
やがて、サラマンダーが巧のすぐそばまで迫る。その時を待っていたかのように、真神の声が響いた。
『さあ、答えろ、小僧……今が選択の時だ』
「それは……」
『ふん、これだけ時間を与えて決断出来んか……それもまた良いだろう。ならば、お前はここでおしまいだ。その娘共々な』
真神の言葉に、巧は目を見開く。八葉を抱いたまま、片手で何度も何度も畳を叩いた。
「くっ……ちくしょう……ちくしょうっ! ちくしょうっ! わかった! 真神、俺はあんたと契約するっ!!」
『良いだろう。ならば、その娘の体、今より妾の物だっ!』
再び巧の目の前に、サラマンダーと巧達の間に割り込むように、真神の白い姿が現れる。
真神は、その口を目一杯開けると、巧の抱いた八葉の両腕を、素早く噛み切った。不思議な事に、噛み切られた傷跡は、出血一つ無くつるりとしていて、まるで産まれた時からそうだったかのようだ。
「な、何をするっ!」
『騒ぐな、これは必要な事だ。娘の腕を贄として、古き約定により今、この娘と妾は霊的に結ばれたのだ』
真神の言葉に巧はハッとする。それはまさに、昼間哲也から聞いた昔話そのものだった。
「……手無女……」
真神が頷き、その体が細く細く伸びると、八葉の額へとスルスルと滑り込むように入っていった。途端に八葉の黒髪が、あの白狼を思わせる艶やかな白髪へと変色する。完全に変化すると、八葉はパチリと目を開けた。
「八葉! いや、真神なのか?」
「ふふん、どちらでもあるし、どちらでも無いな、小僧」
腕の無い両肘から白狼の頭を生やし、頭頂部に狼の耳を生やし、八葉が笑う。
「真神であった者と、この体に残った娘の魂……その残った量は決して多くはなかったが、その二つが混ざり合った今、私は私として、今新たに産まれたに等しい」
「それって結局、八葉って事なのか?」
「好きなように呼べばいい。それより、そろそろ時間切れだ。行くぞっ!」
既に目の前まで来たサラマンダーへ、八葉が白狼の両腕を振るう。振る勢いのままに、腕を構成する白狼の首が伸び、サラマンダーを打ち据えた。
巧には、サラマンダーの巨体に今の一撃で、それほど効果があったようには思えない。それでも突然受けた攻撃に、サラマンダーは大きくたじろいだ。
「うおっ!」
巧が驚きの声をあげる。引き伸ばされていた部屋が、一瞬で元の居間へと戻ったのだ。
「お前まで驚いている場合か、阿呆。ここから反撃の時間だ。行くぞ、憑依合身っ!」
八葉が巧の腕に白狼を触れさせ叫ぶ。八葉の体から白い光が溢れ、巧を包み込んだ。
「うっ……」
その眩しさに、巧が目を閉じ、再び開けると八葉の姿は何処にも見当たらない。思わずキョロキョロとする巧の頭の中で、八葉の声が響いた。
『私は今、小僧の体と同化している。自分の手を見てみろ』
言われた通りに、巧は自分の手のひらを見る。まるで湯気のように白い光が腕全体を覆っていた。
『その光が、私と同化している証だ。その状態なら、奴とも戦えよう』
「戦うって……一体、どうやって?」
『今の小僧なら、殴る蹴るといったところだ。ほら、来るぞ。まずは試しにやってみよ』
警戒するようにこちらを伺っていたサラマンダーが、その前足を振り上げ、巧へと振り下ろしてきた。しかし、今の巧の目には、それほど速い動きには見えない。体をそらし躱すと、その柱のような脚を殴ってみた。
「ガァァッ!」
それだけでサラマンダーの脚を守る甲殻は簡単に砕ける。所々で炎を吹き出す、その赤熱化したような体に触れても、特に熱さは感じられなかった。
『ふふん、どうだ。これが私とお前が合わさった力だ。このまま、押し切るぞ』
今の一撃に満足気な八葉。しかし、巧の頭を占めていたのは別の事だった。
「……なあ、どうにかして、あの中の母さんを助ける事は出来ないのか?」
『……出来ないな。相手が普通に生まれた神魔なら、完全に喰われる前に依り代となった人間を救い出す事も、お前の成長次第では出来るだろう。しかし、虹魔木の力で急激に覚醒したアレはダメだ。私の力を持ってしても、もう引き離す事は出来ない』
巧の淡い希望を打ち砕くように、八葉の声が響く。
その言葉は、まるで死刑宣告のように、巧の頭を激しく叩いた。




