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「あ、あ……か、母さん!」
みるみる膨れ上がり異形へと姿を変える母親の姿に、巧がペタリと座り込む。その拍子に背から八葉が力無く滑り落ち、慌てて巧が抱き寄せた。
「父さんっ……」
「ガァァァァッ!!」
完全に異形へと変化した母親を満足気に見上げ、父親が部屋を出て行く。その背に向かってかけた巧の小さな呼び声は、異形の吠え声によって、呆気なく掻き消された。父親は、振り向く事なく部屋を出ると、ピシャリと襖を閉めた。
それが合図だったかのように、母親が変化した巨大な異形、巧がゲームで見知ったサラマンダーを思わせる、火を纏ったようなトカゲが大きく身震いをする。すると巨体から火柱が伸び、部屋の四方を瞬く間に紅蓮の炎が包んだ。
その瞬間、巧は理解する。目の前に居るのは母親ではなく化け物で、この炎は自分達を逃がさない為の檻だと。絶望感に打ちひしがれたまま、顔を上げると、サラマンダーがかぎ爪の生えた足を一歩前へと踏み出した。
「ひっ!」
巧が喉の奥から声にならない悲鳴を漏らした瞬間、ピシリと空気が凍ったようにサラマンダーの動きが止まる。
『ふふん、まさに土壇場、だな。小僧』
困惑する巧の前に、何の前触れもなく一匹の白い狼が現れた。驚くべき事に、白狼は口を開くと流暢に巧へと語りかける。
『この状況に驚いているのか? ふん、まあ無理もないか。良いだろう、少しわかりやすくしてやろう』
「えっ……」
タシッと白狼がその前足で畳を叩いた。すると巧の目の前でサラマンダーがどんどんと遠ざかっていく。燃えた襖が何枚にも増え、まるでゴムのようにサラマンダーと巧を境に居間が伸びていった。
サラマンダーはその異変に気付いているのかいないのか、再び身震いするとゆっくりと歩き出す。
『こんなものか……少々、小僧の認識を弄らせてもらったぞ』
白狼が振り返り、再び巧へと語りかける。
『実はな、あの異形……神魔というのだが、それが止まったり、この部屋が大きくなったというわけではない。妾が干渉して小僧の思考を一時的に著しく早めているだけよ。この長大な部屋はそれを視覚として、小僧にもわかりやすくしたものだ』
そこまで話すと、白狼は緩やかに首を振る。それはまるで、こんな事から説明しなければならないのかと、呆れているようにも巧には見えた。
『……とはいえ、それも無限に早く出来るわけではない。あの神魔が小僧へと到達する時が限界だ。……ここまでは理解したか?』
「あ、ああ……わかった」
八葉を強く抱き、巧が頷く。この悪夢のような現状の中で、唯一まともに会話出来る相手が、自在に人語を操る、訳の分からない狼だけ……そんな冗談みたいな事実でも……それでも、それに縋るしか、今の巧には道は無かった。
『ふむ、存外物分かりが良くて助かる。さて、小僧。妾はこれからお前に二つの道を示してやろう』
「二つの道?」
『ああ、言い換えるなら、小僧がこれからどうなるか、だな。一つは確実な死。このまま何もせず、その腕に抱いた娘共々、大人しくあの神魔に喰われる……そういう結末だ。何、痛みはそう長くは続かん。むしろ、長く苦しまない分、こちらの方がいっそ楽かもしれんな』
「そ、そんな事っ」
八葉を強く抱きしめ、巧が首を大きく振った。
『ならば、もう一つの道を選ぶと良い。その娘の体を差し出し、妾と契約するのだ。契約し、今後は妾と共に神魔を狩ってもらうぞ』
「八葉を……差し出せ? そんな馬鹿な条件、のめるわけないだろ!」
『良いか……二つに一つだ、小僧。その娘、お前達が封を破った虹魔木……あの木によって魂を殆ど奪われておる。生命の主体である魂を失った肉体は、どちらにせよ、そう長くはもたん。だが、妾の依り代として、妾と混ざり同化すれば、少なくとも、その娘の肉体と僅かに残った残滓の様な魂は助かるだろう。もっとも……これを信じるか、はたまた信じないかはお前次第だがな。どちらにせよ、決断は急げよ、小僧。考えていられる時間は、そう長くはないぞ』
そう言い終わると、白狼の姿が、まるで煙のように揺らめいて消えていく。巧は既に見えなくなりつつある白狼へ向かって慌てて叫ぶ。
「ま、待ってくれ! あんたは一体何者なんだ?」
『妾か? ふふん、妾こそ遥か幾千の昔より、この地の邪悪を尽く喰らい尽くし守護せし神、大口真神なりっ!』
カパリ……ありえない程に大きな口を開け、白狼が完全に消え去る。その顔はどこか笑っているようにも、泣いているようにも感じられた。




