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「なるほど、楓さんですね。それでお兄さんがどうされたんですか?」
律がメイド服から取り出した手帳にメモを取りながら尋ねる。
「はい、私の兄……明兄さんは、私の五つ上で家族想いの優しい兄さんでした。けれど、何故か最近自室に籠るようになって……昨夜とうとう家を飛び出して居なくなってしまったんです」
そこまで話し俯く楓。その様子を見ながら、新はためらいがちに手を挙げた。
「あ〜、ちょっといいかい? 楓ちゃんには悪いけれど、それは警察や探偵さんなんかの領分な話じゃないのかな? ましてやお兄さんは成人前後の男だろう? 一晩くらい……」
新の言葉に楓もまた俯いたまま頷く。
「はい、両親もそう言っていました。もう少し様子を見て、警察へ捜索願いを出すか考えようって。……でも、私見たんですっ!」
顔を上げた楓の目は、真っ直ぐに新を見つめた。新もまた、その視線を正面から受け止める。
「見た? 一体何を見たのかな?」
「昨夜……私が、家を飛び出した兄さんを追って外に出ると、すぐに道端に立っている兄さんを見つけました。声をかけようと近づくと、突然兄さんの……兄さんの背中から鳥のような翼が飛び出して、そのまま飛んで行ってしまったんです。信じて……もらえないかもしれません。両親も信じてはくれませんでした。この目で見た私自身、未だに信じられません。ですが、本当に見たんですっ!」
「……八葉」
新が横に座る八葉を見る。八葉もまた新を見て頷いた。そこには、先程までの緩い空気は微塵も無い。
「ああ、おそらくそうだろうな。楓よ、今なにか兄の私物や写真を持ってはいないか?」
「あ、はい! 兄さんの写真を持ってきました」
楓は一枚の写真を取り出し、こちらへと差し出す。楓と、おそらく兄である明だろう、一人の男性が仲よさそうに、笑いあって写っていた。
「ふむ……」
八葉がその写真に、包帯で覆われた右手を置く。一瞬、置いたその手が包帯の中で、バタバタと暴れるように本来ありえない向きに動いた。
「……なるほど」
「あの……兄さんは一体どうしたんでしょうか?」
恐る恐る八葉に楓が尋ねる。手の異常な動きには気付いていないようだ。しかし、八葉は質問に答えない。
「八葉、やっぱりか……」
「……ああ、残念ながら当たり、だな。だが、本格的に覚醒したのが昨夜なら……まだ間に合うやもしれんぞ」
八葉の言葉に頷くと、新が楓に向き直る。
「いいかい、楓ちゃん。信じられないかもしれないけれど、よく聞くんだ。どうやら、君のお兄さんは今、ある怪異に取り憑かれ、非常に危険な状態になっているようだ」
「怪異……?」
おうむ返しに尋ねる楓に、八葉も頷き肯定する。
「うむ、人間に憑依し、その者の精神と肉体を喰らい、やがてはその者に成り代る怪異、神魔だ。楓が見たと言う翼は、そいつが表面化した一端に過ぎん」
「そんな! ……そんなものが兄さんに?」
「そうなんだ。だけど安心してくれ。俺達が必ず、君のお兄さんを救いだす。だから、それまではここで律と待っていてくれないか?」
「ここで……ですか?」
「そうだ。日没までには、必ずお兄さんを連れ帰る」
「……わかりました。どうか、兄さんを……明兄さんを助けてください!」
頭を下げた楓の言葉に三人は大きく頷く。
「よし。この依頼、確かに俺達、虚木超常現象研究所が承った。律、後は任せる。行くぞっ、八葉!」
「はい! 二人とも気をつけてください!」
「うむっ!」
新は立ち上がると、八葉と共に家を出る。
「新、こっちだ!」
包帯に覆われた右腕を、まるで空間を探るように、前に伸ばしたまま八葉が走り出す。新も短く「応っ」と応えると、そんな八葉に続く。
八葉の誘導で市内を走り抜け、辿り着いたのは町外れの廃ビルだった。
「ここ……か」
「ああ、『臭い』はこの中が一番強いな……間に合えばいいが」
「間に合うさ……いや、俺とお前で間に合わせてみせる」
そう言うと、躊躇なく二人は廃ビル内へと進んだ。
しばらく誰も立ち入ってはいないのだろう。廃ビルの中には、埃っぽい空気が充満し、外の世界と隔絶されたような雰囲気のあるここではまるで、外の暑さすら遮られたようだ。
「下だ、新」
八葉が下へと降る階段を指差す。
「地下か……よしっ!」
新は、ポケットから小型のライトを取りだし点灯すると、八葉が指し示した地下を目指す。やがてライトの光は、階段を降り切った所にある、一つの扉を照らし出した。
新が八葉と目線を交わし頷きあう。そっと押すと、多少軋んだ音を立てながらも、扉は抵抗なくゆっくりと開いていく。内部の篭った空気がブワリと舞った。
「だ、誰だっ!?」
その時、闇の中から慌てたような男の声が響き渡る。新は臆する事なく、その声のする方へと、ライトの明かりを向けた。