プロローグ
既に人気の無い深夜のオフィス街、そのひしめき合うように建つビルからビルへ、二つの影が跳び、走り、交差する。
「がぁっ!」
一方の影が放った蹴撃によって、もう片方の影が大きく吹き飛ばされ、屋上に設えられた空調の室外機へとぶつかり倒れた。
その時、雲の切れ間から月が現れる。
月明かりに照らされ見えた、倒れた影の姿はまさに異形。太く逞しくねじくれ伸びた四肢と、頭部には大きな二本の角を有し、体には人間の服がボロ切れのように巻きついていた。
「……大鬼、ランクDってところか。これは今回も期待薄だなぁ……」
暗がりからぼやきながら現れた、オーガと呼ばれた異形を蹴り飛ばした影もまた、異形の男だった。
男は、その全身を青色の金属光沢を放つ装甲で包み込んでいる。こちらもやはり、すっぽりと頭部を覆う装甲には、頭頂部に獣の耳を思わせる二つの突起と、通常ならば目があるだろう位置に、横一文字に赤く光るスリットのみが見えた。
そんな、まるで子供向け番組から抜け出た特撮ヒーローのような姿の男は、倒れもがくオーガの胸を躊躇なく右足で踏みつける。
そのまま、尋常でない力で屋上に縫い止めると、上体を屈め、オーガの顔を覗き込み、ゆっくりと言い聞かせるように尋ねた。
「いいか? 一度だけ尋ねるから、よく考えて答えろよ。間口耕三という男の名前に覚えは無いか? この男だ」
どこから出したのか、男は一枚の紙を指で挟み、オーガの眼前に突きつける。
そこにはスーツ姿の壮年男性が一人、印刷されていた。
「……じ、じらんっ!」
圧迫された胸部が苦しいのか、絞り出すように答えたオーガに、男も頷いた。
「だろうな……待たせて悪かった。今、楽にしてやる。……チャージ!」
男の言葉に呼応して、オーガを踏み付けたまま、男の右足が青く輝きだす。
「まっ、待てっ!」
慌てるオーガを無視して輝きは尚強くなっていく。
「ハッ!」
輝きが最高潮となるのと同時に、男が短い気合いの声を発した。その瞬間、脚部の輝きが弾け、男の右脚がオーガの胸を易々と踏み貫く。
脚を引き抜くと、完全に動きを止めたオーガの体は、胸に大きく開いた穴から全身に向かって、瞬く間に灰のような物に変わり崩れる。
「……やれやれ、結局今回の収穫はこいつだけか。まあ、手応えなかったし、こんなもんだってわかってたけどなぁ……」
男は手を伸ばし、灰の山から何かを摘み上げる。それは小指の先ほどの黒い結晶だった。
男の全身を白い光が覆う。光が収まった時、そこに居たのは異形の戦士ではなく、どこにでも居そうな一人の青年だった。
「ははは、そうボヤくな、新。これもまた、新の大事な役目であろう」
男の背後から、今までどこに居たのか、腰まで伸びた白髪の小柄な少女が現れ、包帯で覆われた両腕を組みながら青年を見上げる。
巫女服のような衣装に身を包んだ少女は、自身が新と呼んだ青年に向かって、んあっと大きく口を開けた。
「わかってるよ。ほら……」
新は、摘んだ結晶を少女の口に慣れた手つきで放り込む。少女は、それをまるで飴玉でもかじるようにバリボリと噛み砕いた。
「美味いか?」
「いいや、相変わらずマズイな」
「そっか……さて、用は済んだし、そろそろ夜が明ける。帰るとするか、八葉」
「ふん、そうだな。とっとと帰って寝るとするか」
新と八葉、二人が去った屋上では、残された灰が吹き抜ける風に散っていった。