銀翼の天使、そして、朝に。
白色のサイレンサ。
僕が目を覚ました時、聞こえたのは自分自身の呼吸をする音のみで、他に余計な音は存在しない。現実の中から自分だけがくり抜かれた様な、或いは自分以外の世界が氷結したような、そんな朝だった。
しばらくの間、じっと空に視線を向けながら、ベッドに横になった自分の身体をゆっくりと知覚していく。
頭に、手に、足に血が巡る。
生命として起動する。
眠っている間は、きっと、ほとんど死んでいるようなものに違いない。音もなく、意識もない。生命としての機能は僕とは無関係に自動で機能し続けているわけで、こうして目覚める毎に新しい僕が生まれるのだ。
足元の方向には大きな窓があり、光が部屋の中に入り込む。カーテンから滲んでいるともいえるかもしれない。何かを隔絶しようとしたそれは、光のせいでその不完全性を証明しているみたいだ。
光なんているのだろうか。
或いは、僕も?
身体全体の温度が上昇して動き出す準備は完了した。優しい重みを僕に与えていた毛布を隅に移動させて、僕は起き上がり、ベッドからそっと降りた。
窓に近づき、右方向にカーテンを引いた。。外は一面に雪が降り積もり、余計なものは何も見えない。
身支度をして、外へ出た。空気は張りつめたような冷たさであり、肌が少し痛い。
足跡一つ無い、穢れからは乖離していたはずの雪の上を、一歩一歩、確かめるようにして歩いた。本当に何もない。近くには誰もいない。荒くなった呼吸と、圧縮された足元の雪の音が、先ほどよりもっと乱暴に静寂を破る程度だ。
そのままずっと歩き続けた。
道なき道を感覚だけで進んでいく。雪原を越え、森の合間を進み、岩肌が隠された山を黙って、慎重に登っていく。そうして漸く、崖の近くの家に到着する。このまま真っ直ぐに歩いていけば崖の下へと落ちてしまう。
僕の右手には焦げ茶色の木造の家があって、今は雪に包まれている。扉の近くは幾らかましだったが、それでもやはり雪は厚く積り、扉を目一杯の力を込めて開け、中へと入る。
部屋の中はベッドが一つ。
吹き抜けの空間には、あまりにもちっぽけだ。
まるい天窓からは光が真っ直ぐにベッドへと届いている。
そこには一人の老人が眠っていて、僕が肩を弱い力でたたいても反応は無かった。
左耳で呼吸を確認しても、静寂があるだけ。
老人の顔を見て、僕は深く溜息をつく。
顔を上げて、僕は止まってしまった。
そこには白い肌、白い髪の毛、ブルーの瞳を持つ少年が立っていた。
少年には羽根がある。
美しい銀色の羽根。
「おじいさんは死んでしまったよ。」
少年はそう言った。
声は高く、まだ幼さを感じる。
「哀しいかい?」
分からない。
僕は答えずに、そのままじっと少年を見続ける。
「命にはね、終わりがある。それは始めから決まっていたことなんだ。」
少年は僕から視線を外し、老人へ寄り添う。老人の方に手を置き、その安らかな表情を見ながら呟いた。
「君もいつか死ぬ。」
僕は頷いた。
少年はその言葉を発した後、僕を一瞥すると、再び老人を見つめた。
「時間だ。」
そういうと少年は翼を大きく広げる。
天窓から差し込んだ光が反射して、目が眩んだ。
思わず僕は目を瞑る。
ゆっくりと目を開いた時には少年も、ベッドの老人の姿もなかった。
何もない。
誰もいない。
僕は天窓の方を見上げた。相変わらず差し込んだ光の中に一瞬、銀色に輝く一枚の羽根を見た気がした。
でも、そこには何もない。
僕は扉を静かに開けると、自分のつけた足跡を辿り、家に向かって歩いた。
存在するのは、僕。
それから、白い世界だけ。
音も、何もない。
陽の光がさっきよりも強く雪に反射しているように思えた。
了