聖女だった私
魔王との戦いはとても長く険しく激しかった。でもようやく終わりが見えてきた。
周囲の魔族達も騎士や僧侶によりまともに戦えなくなっている。
勇者が魔王と対峙していた。長い黒髪、仮面をつけて黒い衣装で身体のラインさえ覆い隠している魔王は、あちこちを切り裂かれて黒い血を流していた。
手にしていた魔剣が勇者の一振りで折れ、切っ先は耳障りな音をたてて玉座に突き刺さる。
それは魔王の終わりを告げる音のようだった。
圧倒的な魔力を有し、世界に災厄をもたらす魔王。
魔王が出現すると対抗するために勇者が選ばれる。そして僧侶、騎士、聖女と一緒に魔王討伐の旅に出る。
何度も繰り返された、世界の命運をかけた冒険だ。
勇者と騎士、僧侶は勇者の血筋の王国から選ばれ集められる。ただ聖女だけは、召喚という形で呼ばれる。
今回の魔王討伐隊の聖女として、私は召喚された。
いつもと同じ日を過ごすつもりで家を出て、高校に向かっていたのに気づいたら別の世界だったなんて冗談みたい。ゲームの世界のよう。現実逃避ぎみにそう思っていた。
ただ残念ながら夢でも今はやりのバーチャルリアリティゲームでもない、と納得しなければならなかった。選ばれた三人と一緒に、人々の期待と祈りに背中を押されて魔王討伐に旅立ったのは、もうかなり前のこと。
旅路は長くて途中には辛いことがたくさんあった。
私一人が世界のことをまるで知らないから、戸惑うことも多いしそのたびに落ち込む。
何度、目が覚めたら自分の世界であってと願ったことか。ただ魔王を討ち取ったら元の世界に帰してもらえると、それだけを支えにして生きてきた。
魔王の派遣する魔族との戦いで傷つき、絶望を味わう。結界を作り出して魔族の力を削ぎ、味方の力を増幅する。
私は与えられた役割を必死にこなす。そうでなければ死んでしまうから。
元の世界とは全く違うこの世界で死にたくない。だから戦って魔族を滅する。
そうやって苦しい旅を続け、ようやく魔王の城までたどりついた。
城の中にいる魔族は魔王の側近らしく、これまで倒してきた魔族より格段に強い。
皆がぼろぼろになりながらも、ようやく城の最奥にいる魔王と対峙した。
圧倒的な魔力と剣さばきに何度もう駄目だと思ったことか。見た目はそこまで大きくない、むしろ華奢な感じなのにこれまでの誰より強く禍々しい。
それでも周囲を護る魔族を一体ずつ倒し、ようやく魔王だけを相手にすることができた。
勇者は強かった。僧侶の回復の呪と私の結界に守られながらも、ほとんど捨て身で突進する。魔王に何度払われようともけして諦めない。
ただまっすぐに魔王を見つめ、剣を繰り出す。
――そして魔王に剣が届くようになり、衣装だけでなく身体にも傷をつけることに成功した。
次第に魔王は防戦一方になり、とうとう剣も折られてしまう。
魔力で放つ鋭い風もだんだん勢いを減らし、ついに玉座の前まで魔王は追い詰められる。
「これまでだ。魔王」
黒い血を流す腕をかばう魔王は、仮面をつけた顔を勇者に向ける。
そして私達を見回した。魔王の視線が私に移ったのを感じる。その視線は長く私に注がれる。
勇者は雄叫びを上げながら剣を振りかぶった。迷いなく振り下ろされた剣は魔王の仮面を砕き、肩から胸を切り裂く。
ぐらりとよろめく魔王が玉座にすがる。
勇者がとどめを刺そうとした瞬間、初めて魔王が口を開いた。
「――マ」
何を言ったのか聞き取れない。勇者によって魔王は討ち取られ、消えてしまった。
出立の際の賑わいより何倍も、私達は熱狂的に王宮に迎えられた。
世界の災厄が取り除かれたのだ。魔王がいなくなれば残っている魔族も弱体化し、脅威は格段に減る。もう魔族と魔王におびえなくてすむのだ。
「世界を救った勇者と仲間達に乾杯」
きらびやかな大広間で、私達はそれぞれの正装でたくさんの祝福を受ける。
私達は世界を救った英雄なのだと、何度言われたことだろう。勇者は魔王と対決して倒したことで、熱狂の中心にいる。
今も人々に囲まれていた。背の高い勇者は私に気づくとにこりと笑う。私も笑顔を返した。
仲間は私が元の世界に戻ることを知っている。別れは淋しいけれど、それぞれの世界で生きていくのが自然なのだからと納得している。
祝宴は長く続いてちょっと疲れたなと思う頃に、僧侶から手招きされる。
そっと僧侶に近づいて人目につかないように、大広間を抜け出す。
「宴の途中だが、帰還の儀を執り行おうと思う」
「……はい」
ああ、やっと帰れる。
家に帰って家族の顔を見て友達と連絡を取らなくちゃ。早く皆に会いたい。
うきうきと、足取り軽く僧侶の後に続く。
召喚されたのは神殿だったけれど、帰還は王宮からと言われる。王宮の地下におり、さらにその下へ続く階段へと足を運ぶ。
「ずいぶん下なんですね」
「秘密裏に帰還しなくては、世界を救った聖女がいなくなると騒ぎになるだろう?」
そうかもしれない、と王宮に戻る街道沿いの騒ぎを思い出す。
勇者一行から何かもらえれば箔が付くし、宝物になるとばかりに使っていた道具や衣装、装飾品。果ては髪の毛とか爪まで欲しがられた。
まるで、女神のようにあがめられていたから確かにいなくなると大変かも。
何階も下へと降りて、とうとう王宮の最深部についた。
暗くて何も見えない。火球を出してあたりを見回す。
「ここ……?」
「ほら、中央に穴があるだろう。そこが異なる世界、君のもといた世界に繋がっている」
僧侶は私から火球を受け取り、掌で揺らめかせる。
私と僧侶の影が伸び、壁で揺れる。
私は穴まで急ぐ。とても深い穴だ。中はよく見えない。火球で中を確かめようとして、突然背中を押される。
「え? あっ」
何が起こったのかわからないまま、私は穴に落ちた。深い穴はそれでも底がある。したたかに身体を打ち付けて、私は呻いた。
「何を、するんですか」
「首は折らなかったか。さすがに聖女だ」
「……え?」
信じられない言葉を聞いたような気がして、私は必死に上を向く。
とても手が届きそうにない穴の縁から、僧侶が見下ろしていた。とても冷たい表情で。
「魔王が現れた際に討伐のために聖女を召喚する。だが、帰還のすべはないんだ」
「嘘、でしょう? 今までの聖女も役目を終えたら戻ったって」
「ああ、役目を終えたからもう用済みとして、皆処分された。この穴の中へと落とされて」
ぞく、と背筋が震える。用済み? 処分?
まさか。
今まで一つの目的のために力を合わせてきたのに、仲間なのに。
「どう、して?」
「国には勇者の血筋があればいい。異世界からの聖女なんてどんな厄介な力を持っているかわかったものではない。考え方もそぐわないかもしれない。第一思い通りの世界に人を送れるのなら、真っ先に魔王をこの世界から消している」
全部、嘘だったの?
魔王を倒したら帰れる、それまで頑張ろうって励まし合ったのは、全部嘘だったの?
「みんな、知っていたの?」
「勇者は知らない。あいつは正義感の塊だから。私と騎士は知っていた。それぞれの長の地位を提示されて沈黙を守っていた」
残酷な言葉がよどみなく紡がれて、降り積もる。
私は何も知らずに命をかけて、この世界を救ったのか。
頭上に格子状の蓋がはまる。とても不吉な金属音は、私の運命を暗示している。
「さよなら、聖女」
「待って、行かないで、私を助けて」
「無理だ。勇者くらいは淋しがってくれるだろう」
頭上も暗くなり、光と音が消えた。
私は震える手でどうにか火球を作り出した。穴は狭く壁にはかきむしったような爪痕が見て取れる。
底に人の骨があるんじゃないかと怯えたけれど、それはなかった。
ずるずると壁に背中を預けて座り込む。私の命はこの穴で尽きるのか。
誰にも知られず、誰にも真実を告げられないまま。
「どうして?」
何度繰り返しても、誰も何もこたえてはくれない。
あれから何日経ったのか。
壁の一部から水分がしみ出ていたから、口をつけてすする。土とかびのにおいがまとわりつく。
おなかは空きすぎて、なんだかものが考えられない。座っているのもつらくて穴の底に横になっている。最初の頃には排泄できていたものも、もう出ない。
もう、だめかもしれない。
魔王の城でも感じたことが、それ以上の重みをもって私に迫る。
ここで死ぬのか。
諦めかけたその時、蝋燭が最後だけ炎を大きくするように、私の中の思いを膨らませる。
「なぜ私が、こんな目にあわなければいけないの?」
勝手に召喚して世界の命運とやらを押しつける。怪我も命の危機にも何度もさらされる。
あげく用済みだからと、死への穴に捨てられた。
悲しみや絶望の他にも、わき上がる思い。怒りや恨み。
「――許さない。勇者一行を、この国を、この世界を、呪ってやる」
誰かを、何かをこんなに憎んだことは、なかった。
空気さえ動かない穴の中で、何かの気配がする。
意識がもうろうとしかけていた私には、それが何かとか現実なのかなんて判断できない。
ただひどく優しい手つきで抱き起こされる。
「新たなる魔王様。あなた様の怨嗟と呪詛に、震えがくるほどに興奮しております」
誰? 何を言っているの?
質問したいのに声は出ない。抱き上げられたのまでは覚えている。
気づいたのはふかふかのベッドの中。豪華な天蓋に見覚えはない。
わけがわからないまま頭を横向けると、ひざまずく黒い影がいる。
「あ、の」
「お目覚めになられましたか。我ら魔族一同、新たなる魔王様を心より歓迎いたします」
「まおう? 私が? 私は聖女です」
顔をあげたのはきれいな顔だちの男性だった。ただねじれた角が生えている。
魔族だと、心臓がわしづかみにされた。魔族の前に無防備でいて無事ですむはずがない。引き裂かれ、血をすすられ、肉と骨を食らわれる。
戦うか、逃げるか。ただこの魔族の魔力は相当なもので、どちらも難しそうだった。
なんとかベッドの上で身体を起こす。魔族の男性はまた頭を下げた。
「あなた様は聖女にあらず。人に利用され捨てられたことで生じた負の感情が、魔力を呼び覚ましました。今のあなた様は魔王、それも歴代最高といってもいい魔力を有しております」
「そんな……」
呆然とする私にも、この空間が魔力に満ちていることはわかった。通常なら耐えられないくらいに凝った魔力だ。
その中にいて平気どころか、気持ちいいとさえ感じている。
では、私は……。
「ほんとうに、魔王になった、の?」
「はい。歴代の聖女は用済みになれば穴に放り込まれます。その中で恨みや怒りの強い方が魔力を有し、魔王になります」
すぐに魔王になるか、死後の念が凝り固まって長い時をかけて魔王になるかはその時々に応じるらしい。
私は倒した魔王を思い出す。華奢で、長い黒髪の……。
あれが、前の聖女だった?
そういえば、魔王は最後になんて言った?
必死に思いだそうとする。仮面が砕かれ、素顔があらわになって。
「ママって言った?」
最期に口をついて出た単語。この世界では使われていないあの言葉。
なら、あの魔王も召喚されて処分された私と同じ、聖女だった人。私の、本当の仲間だったのか。
そこまで理解して、私はシーツを握りしめる。身体が震える。
何かが身体中に満ちてくる。
「そう、そういうことだったの」
「はい。我らは魔王様を戴き、お心に沿うように働きます。あなた様の魔力は素晴らしい、私の力もみなぎります」
魔族の男性は私の側近だと名乗る。
ああそうか。
私がこの世界を壊したら、今までの慣習は打ち破られる。
もしかしたら何かが変わるかもしれない。私の魔力で、元の世界に戻れるかもしれない。
なら、壊そう。
持てる力すべてを使って、この世界の理を壊してやろう。
私はベッドからおりる。足はふらつかないし、力がみなぎっているのを感じる。
「お風呂に入りたい。この、においを落としたい」
「心得ております」
案内された浴室は広く、薄暗い。
中央に浴槽があり、かぐわしいにおいを放つ液体が満たされている。足を差し入れて興奮する。赤く、身体にまとわりつくそれに身を浸す。むせかえる香りを胸一杯に吸い込んだ。
ふと浴槽の中に何かあるのに気づく。
手探りで掴んで持ち上げる。苦悶と驚愕をはりつかせていたのは、僧侶の、首。
なおも探ると、あちこちをそぎ落とされた騎士の首もみつかる。
何の感慨もなく、首を見つめる。外に放り投げたら、奪いあう気配の後にぼりぼりと咀嚼する音が響いた。
ゆったりと伸ばした足先に、また何かが触れる。
そっと両手にかかげて持ち上げる。
意外なほどに穏やかな表情を、していた。
「勇者……」
勇者だけは知らなかったと僧侶は言っていた。
でも今の私には判断できる。勇者が生きていれば私の邪魔になると。あの国に新たな勇者の血筋を生じさせてはいけないと。
私は勇者の首を捧げ持ち、何も映さず発しない目と唇に口づける。
こめかみを両手で挟んで魔力を込めると、呆気ないほど簡単に潰れてしまった。
入浴を終え、用意してあった黒い衣装を身につける。
仮面は、しない。私には、いらない。
剣の跡などどこにもない玉座に腰を下ろし、頭をたれるあまたの魔族を見回して、笑みを浮かべる。
そうして、最凶にして最悪の魔王が誕生する。