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忘れ形見に愛を込めて(終)

最終回です。

8月8日 日本国 東京都新宿区 とある病院


 世界中を騒がせた衆参同時選挙が終わって5日後、この日、1人の男が病院を訪ねていた。


「やはり使い慣れた利き手とは異なりますから、日常生活においてはかなり不便だと思います。ですが今後訓練を続けて行けば、日常生活を行うには不自由が無いくらい左手を使いこなせる様になります。“利き手交換”のリハビリ、一緒に頑張っていきましょうね」


 診察室の患者席に座るその男に対して、リハビリテーションを専門とする主治医の医師は、リハビリに励むように伝える。ふと男の右手を見てみると、まるで掌に大穴が空いたかの様な、凄まじい傷跡が付いていた。人差し指から薬指に至っては、第1関節から先が消えている。


「ありがとうございます」


 その男・・・開井手道就は主治医にお礼の言葉を告げると、一礼しながら診察室を後にした。彼は付き添いで一緒に来ていた妹と共に、待合室にて理学療法士に呼ばれるのを待ちながら、傷跡が残る右手を見つめる。

 操られたエルフの少女が放った熱線によって貫かれた開井手の右手は、筋肉の腱や神経が修復出来なかった為、今は満足に握ることも出来なくなっている。警察組織内で1、2を争うとまで言われた射撃の腕は、最早過去の話となっていた。



 その後、リハビリを終えて病院を出た開井手は腕時計を一瞥すると、隣に立っていた妹の菜久琉(なくる)の方を向いて、口を開いた。


「ちょっとこの後用事があるんだ、先に帰っていてくれないか?」


「それは構わないけど・・・兄さん、大丈夫? 右手が不自由なんだから、無茶はしないでね・・・」


 そう述べる彼女は、少し心配そうな表情を浮かべていた。利き手が使えないというハンディキャップは思いの外大きく、菜久琉は兄を1人で行動させることを不安に感じていたのである。


「何・・・すぐ戻ってくるさ。じゃっ!」


 開井手はそう言うと、妹に向かって手を振りながら、家路とは別方向へと歩いて行く。彼はある人物に会う為に、ある場所に向かった。


・・・


東京都千代田区 警察庁庁舎


 皇居・桜田門の正面にある警視庁のすぐ隣に立つ「警察庁」、全国の警察組織を束ねるその場所の一画に、1人の女性警察官の姿があった。


「・・・では、失礼します」


 警備局長から直々に呼ばれていた彼女・・・利能咲良は、一礼しながら局長室の扉を閉めた。彼女が此処を訪れていたのは、5人の不法出国者と彼らに接触した組織を追った特例国外捜査の結果と得た情報を報告する為であった。

 伝説の存在だと思われていた「ティルフィングの剣」が実在したこと、そしてその実態が伝承のものとは大きく違ったこと、それを狙い、邦人をたぶらかした組織が“2つ”存在したこと等々、利能は述べ3ヶ月半に渡る長大な旅の末に得た重要情報を全て伝えたのである。


(あの剣は他人の“魔力”を操る古代兵器・・・即ち、それを誰かが手に入れたところで、日本人がどうにかなる筈は無かった。・・・神藤さん)


 旅の仲間であったエスルーグの説明によると、あの剣の力は、体内に魔力を持たない日本人とイスラフェア人(古代イスラエル人の末裔)には効かないものだったという。結果論ではあるが、放っておいても何てことは無かったのである。しかし、あの剣の為に神藤は殉職してしまった。その事に、彼女はこの上無い悔しさを感じていたのである。


「・・・利能警部補」


「・・・?」


 俯きながら廊下を歩いていると、突然自分の名を呼ぶ声が聞こえて来た。ふと顔を上げると、そこには見慣れた男の顔があった。


「開井手巡査部長・・・」


 彼女の目の前に立っていたのは、かつて神藤と同様に長大な旅路を共にした開井手であった。利能は日本に帰って来てから初めて出くわした彼の顔に、懐かしさを感じる。


「・・・お久しぶり、と言っても1週間振りくらいですが、お元気そうで良かった」


「ええ、貴方も」


 利能はそう言うと、開井手の右手に視線をやる。他の人間に傷跡を見せないようにする為か、開井手はその手に黒い手袋をはめていた。


「・・・今日はどうして此処へ?」


 利能は警視庁の刑事である開井手に、警察庁を訪れていた理由を尋ねる。開井手は彼女の質問を受けた途端に神妙な表情を浮かべると、白い布に包まれた“あるもの”を懐から取り出し、彼女に手渡す。


「・・・これは?」


「神藤警視・・・いえ、神藤“警視長”の忘れ形見です」


「・・・!?」


 開井手が告げた言葉を聞いて、利能は目を見開く。手渡された包みを解くと、中から1丁の回転式拳銃が現れた。見覚えのあるそのフォルムを見て、利能は再度驚く。


「あいつの愛用していたリボルバー拳銃『コルト・ローマンMkⅢ4インチモデル』です。当然ですが弾は入っていません。本来は警察庁から貸与される品ですが、訳あって私個人が預かってきました。トライアルのサンプルとして数丁だけ購入された内の1丁・・・」


 神藤の忘れ形見とは、彼が愛用していた拳銃のことだった。かつて国際テロリズム緊急展開班の一員として、何度か危険な目に遭った経験のある彼にとって、外事警察に配属された頃から共に居たそれは、お守りの様なものだったのだろう。


「これは貴方が使ってくれませんか? 捜査の中で紛失してしまったシグの代わりに・・・勿論貴方が良ければの話ですが。私はもう拳銃を扱うことは出来ませんから」


 開井手が此処へ来た理由、それは神藤の相棒を利能へ託す為だったのだ。


「・・・」


 利能は無言のまま、その古びた拳銃を見つめていた。直後、彼女はその両目から、はらはらと涙を落とす。初めのうちは軽蔑の感情を抱いていたものの、後に3度も自身の命を救ってくれた最愛の上司・・・今は亡き神藤の面影を、利能は彼が残してくれた忘れ形見の向こう側に感じていたのである。


「・・・“重い”・・・です」


 利能は泣き顔を伏せながらそう言うと、床の上にしゃがみこんで静かな泣き声を上げる。彼女の心情を察した開井手は、コルト・ローマンを抱きかかえながら俯く彼女に敬礼をすると、何も言わずにその場から立ち去って行った。



 数分後、警察庁の建物から出て来たところで、彼の携帯電話が鳴り響く。懐から取り出して発信者の名前を確認した後、通話ボタンを押して耳に当てる。


『どうだ? 彼女は受け取ってくれたかい?』


 電話の向こう側に聞こえる声の主は、警察庁警備局長である江崎祐恒警視監のものだった。


「はい・・・無事に受け取ってくれました。ありがとうございます、私のわがままを聞いて頂いて」


 開井手は電話の向こう側に居る、雲の上の存在とも言うべき江崎に対して深く頭を下げた。


『いや・・・良いんだ。私の判断の遅れの所為で、君たちには随分と無茶をさせた。これくらい構わない。いずれ免職される私の、最初で最後の置き土産だと思ってくれ。ではまた・・・』


 江崎は別れを告げると通話を切る。開井手は電話の向こうから聞こえる音が不通音に変わった後も、しばしの間、頭を下げ続けていた。


 特例捜査を終えて日本へ帰国した後、神藤の形見である「コルト・ローマン」を利能に使って欲しいと考えた開井手は、彼が警察病院に入院していた時に、彼らの下へ見舞いに来た江崎警視監にその事を伝えていた。

 江崎はその願いを2つ返事でOKし、今回の一件に続く流れとなったのである。


「ハァ〜」


 警視監との通話を終えた開井手は、空に向かって深いため息をついた。その後、世界を股に掛ける冒険を終えて帰国した開井手と利能は、それまでの非日常が嘘であったかの様に、日本における日常の暮らしへと戻って行ったのである。

 しかし、彼らの心に刻まれたとある警察官僚の生き様は消えることなく、神藤惹優という人間は、彼に関わった人々の記憶の中に生き続ける。彼が捜査の中で得た“世界に関する重要情報”は、その後の日本政府を大きく動かすことになっていくのだった。

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