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神藤惹優颯爽登場

4月12日 東京都墨田区 とある3階建てアパート


ピピピピッ!  ピピピピッ! ピ・・・


 2DKの間取りのアパート、その一室で布団の中に潜っていた男が鳴り響く目覚まし時計に手を伸ばす。その後、布団から起き上がった男は、背伸びをし、寝癖が付いた頭を掻きながら立ち上がり、トイレに向かって行く。顔を洗って眠気を払うと、台所に立って朝食の準備に取りかかる。


「・・・」


 男はダイニングに置かれたテーブルにつき、自分が並べた朝食を食べ進める。彼の左手には警察庁警備局の局長である江崎から渡された2枚の資料が握られていた。


(ウ〜ン・・・ひらいで、開井手。こんな苗字、そうそう無いやなぁ)


 彼が眺めていたもの、それはある警視庁職員について書かれた資料である。失踪した5名の邦人を探す為、彼と共に海外へ派遣されることが決まった2人の公安刑事に関するデータが書かれていた。

 朝食を食べ終えた彼は、壁に掛けてあったオーダーメイドのスーツに手を伸ばす。淡い青色のシャツに腕を通し、スラックスに脚を通した後に、灰色の上着を羽織る。鏡の前に立ち、ネクタイを締めながらおかしなところが無いか確認する。

 着替え終えると、彼はダイニングに置いてある仏壇の前に正座する。2本の蝋燭に火を付けて線香を灯し、お鈴を鳴らしてから数珠を手に取る。目をつぶり、手を合わせる彼の目の前に置かれていた写真は、5年前に亡くなった彼の祖母のものだった。


「・・・じゃあ、ばあちゃん。行って来ます!」


 焼香を終えた彼は立ち上がり、脇に置いていた鞄を手に取ると、革靴を履き、玄関から出て行った。家の表札には「神藤」と書かれている。灰色スーツに身を包み、3階建て築21年アパートの一室から出て行く青年は、階段を駆け下り、打ち水をしている近所のおばさんに挨拶をしながら、駐車場に停めてあるフィアット・500Xに乗り込み、勤務先へと向かった。


「神藤さん、今日も元気ねぇ〜」

「でも何時も大変そうよ、あの人。家に帰らない時もざらだし・・・」

「そう言えばあの人、何の仕事をしているのかしら?」


 神藤の車を見送るアパートの住民が話をしている。彼を知る近所の住民は彼について、中小企業の管理職や区役所の役員、またはそれなりの企業の職員なのではないか、と考えていた。しかしそれはどれも違う。彼、「神藤惹優」の正体は警察庁に勤める「警察官僚」、即ち国家公務員総合職試験をパスした“キャリア組”なのだ。国家公務員総合職試験とは、所謂「官僚」になるために必要な試験である。

 彼が運転するフィアットは、警察庁の駐車場へと入って行く。そこは全国の警察組織を統括する場所、警察と言う名の巨大なピラミッドの頂点に存在する場所だった。


〜〜〜〜〜


4月12日 東京都千代田区 警視庁公安部


 警察庁のすぐ隣に「警視庁」と呼ばれる建物がある。彼らは日本の首都たる東京都を管轄する警察組織だ。そして警視庁は9つの内部組織によって構成されており、その内の1つに「公安部」と呼ばれる部署がある。更にその中の区分の1つである外事第二課・第5係が位置する部屋、その一角に、イヤホンジャックでラジオを聴く男の姿があった。


「・・・選挙って、まだ4ヶ月以上先の話じゃないか。そんな事を今言われてもねぇ〜」


 その男は、ラジオが伝える報道内容に愚痴をこぼす。彼の名は開井手道就(ひらいで みちたか)。外事第二課に属する巡査部長である。千葉大学卒業後に警察学校を経て警視庁に入庁した開井手は、元々、組織犯罪対策部・組織犯罪対策第五課に属する刑事だったが、警視庁内でも1、2を争う拳銃の腕と現場での能力の高さを買われ、公安部・外事第二課に異動となった過去を持つ。

 ラジオに夢中になっている彼の肩を、若い刑事がぽんっと叩いた。彼は振り返った開井手にある知らせを伝える。


「開井手さん、お呼びが掛かってますよ」


「誰から?」


 先輩の問いかけに、若い刑事は視線を左右にしながら答えた。


「それが・・・公安部長からなんです」


「はぁ!?」


 自分を呼び出した人物が何者なのか知った開井手は、急いで立ち上がり、椅子に掛けていたスーツの上着を手に取ると、第5係のオフィスから駆け出して行く。


「・・・?」


 第5係に属する刑事たちは、一目散に部屋から出て行く同僚の後ろ姿を見て首を傾げていた。




 後輩からの知らせを受け、公安部長である西原次郎警視監の部屋の前で立ちすくんでいた開井手は、息を整えて上着の襟を正し、手汗を拭うと、扉を2回ノックする。すると、扉の向こうから“入りなさい”と言う声が聞こえてきた。彼は意を決して扉を開ける。


「し、失礼します!」


「ああ、開井手くん。良く来た。もっと近づきなさい」


 扉の向こうから現れた開井手巡査部長に、西原警視監は微笑みかけた。開井手はがちがちに緊張したまま、西原の方に向かって歩みを進める。その時、扉の向こうからもう1人の人物が現れた。


「申し訳ありません、遅くなりました」


 開井手は少し驚きながら振り返る。そこに居たのは1人の女刑事だった。


「おお、利能くん、来たか。良し・・・これで役者が揃ったな」


 開井手の直後に部屋に入って来たその人物を見て、西原警視監は満足そうにつぶやいた。開井手と並んで公安部長に呼ばれていた彼女の名は利能咲良(りよし さくら)、公安第一課に属する警部補である。

 彼女は慶應義塾大学を卒業後、国家公務員一般職試験をパスして警察庁に入庁した、所謂「準キャリア組」と呼ばれる警察官である。警察官になって3年目である彼女が現在出向という形で所属している公安第一課は、極左暴力集団を捜査対象とする部署だ。

 2人は横に並んで、公安部長である西原の机の前に立つ。西原は2人の公安警察官に対して、呼び出した理由の説明を始める。


「君らを呼んだのは他でもない。単刀直入に言おう。君ら2人には、ある特別捜査に就いて貰いたい」


「!?」


 開井手と利能は西原が発した言葉を聞いて目を丸くする。その後、西原はきょとんとしている2人に資料を手渡した。


「半年以上前、20代の男女5名がウィレニア大陸で行方不明になった。今ちょうどニュースになっているから知っているね。2人にはその5名を探し出して貰いたい」


 西原警視監が述べた特別捜査、それは「海外での邦人捜し」だった。想像を大きく外れたその内容に、2人は思わず首を傾げた。


「海外で失踪した邦人の捜索なんてものは、外務省か現地の警察機関の仕事でしょう。何故公安が・・・?」


 利能は少し怪訝な顔をしながら、海外での人捜しを日本の警察がやらなければならない理由を尋ねる。


「・・・取り敢えずおしまいまで聞け」


 西原が発する声のトーンが低くなる。開井手と利能は思わず身をすくませた。その後、彼は事件の詳細について説明を始める。


「ゴホッ・・・失踪者の共通点は左派系の学生政治団体に属していることだ。その後も高頻度で反戦・反原発デモ活動に参加している形跡がある。更にはだ・・・これは失踪者の1人である桐岡竜司の自宅から発見されたものなのだが・・・」


 西原はそう言いながら、1枚の写真を机の上に置いた。


「・・・これは?」


 利能が疑問を呈する。その写真は1枚の紙を写したものだった。


「書き置きか何かだ。見ろ、ここに何らかの紋章が描かれている。・・・少なくとも警察庁のデータベースには無い。さらに文章はジュペリア大陸の文字で書かれている。内容は“ノスペディで落ち合おう”だ」


 西原が答える。それに写っていたのは、失踪者の家から見つかった“紋章付きの便箋”だった。そこに書かれていたのは日本語ではなく、ジュペリア大陸共通文字で書かれたメッセージだったのだ。その他にも、西原が2人に手渡した資料には、失踪した5名の邦人が何らかの組織に接触する為に海外へ脱出したという可能性を示す数多の状況証拠が示されていた。


「成る程・・・この世界(・・・・)の海外組織が、我が国の市民団体に接触した可能性が有る訳ですか・・・。確かに国内の市民団体に、再び妙なバックアップが付いてしまうなんて言うのは勘弁願いたいですねぇ」


 開井手が述べる。東亜戦争の勃発前、日本国内の市民団体が沖縄の米軍基地や各県の原発など、日本各地の至る所をあれほど精力的に飛び回って活動出来たのは、資金源となる組織が付いていたからだとも言われている。

 事実、中国経済が失速して同国内が内戦に突入し、更には共産党が北京から追われる羽目になった時は、それを証明するかの様に日本国内における市民団体の活動は沈静化した。故に、この世界で再び彼らをバックアップしよう等という組織が現れては堪ったものでは無い。


「しかもノスペディとはアルティーア帝国の都市の名。もしや彼の国の政府が・・・?」


 利能が推測を立てる。彼女が危惧していたのは、アルティーア帝国政府が失った領土と利権を取り戻す為に日本国内の市民団体に接触したのかも知れないということだ。もしそうなら、屋和半島の独立運動でも起こさせるつもりなのだろうか。


「まだ詳しくは分からない。だが、この世界で初めて、海外勢力が国内の政治思想団体に接触したんだ。この一件に関しては“理事官”も大きく関心を寄せている。この世界では、国外に警察(我々)と同等の治安機関は存在せず、故に外部機関との協力は期待出来ない。その為に警察庁より下された、異例中の異例の国外捜査だ」


 西原はそう言うと、椅子から立ち上がって目を見開く。


「警備局からの指令を伝える! “今回行方不明になった5名の身柄の保護、及び彼らに接触した勢力の正体、さらにその目的を究明せよ”、以上だ!」


「はっ!」


 公安部長からの命令を受けた2人は、敬礼を以てそれを拝聴した。気を引き締める彼らに、西原は補足事項を伝える。


「ああ、それと・・・今回の捜査の指揮官として、警察庁から警視が1人派遣されることになっている。本日の夕方5時、本庁前で待ち合わせる様に。それと事件の性質上、防衛省情報本部も絡むことになっているが、基本的にこの任務は公安(我々)が主体となって行うことになっている。が、情報本部もいざとなれば、国外に派遣されている自衛隊に協力を取り付けてくれるとは思う。その場合は海外に駐屯している自衛隊を頼ると良い」


「・・・」


 開井手と利能は深く頷いた。


「疑問は・・・もう無いな、では下がれ。警察庁への手土産に“日本”を救うのだ!」


「はっ!」


 公安部長の激励を受けた2人は、再び気を引き締める。その後、彼らは公安部長の部屋から退出して行った。




 特別捜査の命令を受けた2人は、それぞれのオフィスへと戻って行く。自身の左隣を早足で歩く利能に、開井手は挨拶の意を込めて口を開いた。


「大変な命令を受けてしまいましたね、宜しくお願いしますよ。利能警部補」


 開井手は、8歳年下で警察官としての経験年数も圧倒的に下である利能に対して敬語で話しかける。警察官になって3年目である彼女の方が、階級上は1つ上であるからだ。

 それもその筈である。利能の様な“準キャリア組”は最初から“巡査部長”の地位が与えられ、さらに3年目で自動的に警部補へ昇進するからだ。さらに準キャリア組は採用から10年ほどで“警視”に昇級出来る。開井手の様なノンキャリアが“巡査”から始まり、昇任試験を重ねて定年間際にやっと警視の1つ下である“警部”になれることを考えれば、準キャリアとノンキャリアの出世スピードに、どれほどの差があるのか実感出来るだろう。


「ええ、こちらこそ」


 利能は素っ気なく答える。彼女はその視線を開井手に向けることは無かった。


(は〜、気むずかしそうな人)


 エリート然とした雰囲気を全面的に押し出す利能の様子を見て、開井手は思わず苦笑いを浮かべる。その後、2人はそれぞれの部署へと戻り、此度の捜査の指揮を執るという“警視”が現れる夕方5時まで待つこととなった。


〜〜〜〜〜


警視庁 正面


 早めに仕事を上がった開井手は、警視庁の正面玄関の前で煙草を吸っていた。その後、彼に遅れて庁舎の中から利能が現れる。特別任務を共にする上司の登場を確認した開井手は、急いで煙草の火を消した。


「指揮官の方は、いらっしゃって無い様ですね」


「はい」


 辺りを見渡す利能の問いかけに、今度は開井手が素っ気なく答える。状況を把握した利能は開井手の隣で待ち人の登場を待つことにした。互いに横並びで立つ2人の間に、言葉が交わされることは無い。

 その後しばらくして、2人の下へ1人の男が近づいて来る。恐らくは公安部長が言っていた男だろう、そう思った2人は気を引き締め直して、近づいて来るその男の方を向いた。


「外事第二課の開井手道就巡査部長、そして公安第一課の利能咲良警部補ですね?」


 男は2人の目の前で立ち止まり、彼らに名前を尋ねた。利能と開井手が“はい、そうです”と答えると、男は微笑みながら自身の名を述べる。


「警察庁警備局国際テロリズム対策課所属の神藤惹優(じんどう じゃくゆう)です。警察庁から今回の捜査指揮の為に派遣されました、宜しく・・・」


 「海外失踪邦人捜索」の指揮官として姿を現した彼、神藤惹優は、大学卒業後に国家公務員総合職試験をパスした“キャリア組”だ。そして今年で31歳になる彼の階級は“警視”である。警視以上の肩書きを持つ者は日本全国の警察官の3%未満しか居ない。


「こ・・・こちらこそ、宜しくお願いします」


 利能はキャリアの肩書きを持つ者の登場に何処か緊張した様子で頭を下げる。彼女に続く様に開井手も神藤に対して頭を下げた。顔合わせを終えた神藤は、警察庁の後輩である利能と握手を交わす。その後、彼は開井手に対しても握手の為の右手を差し出した。開井手が彼の右手を握り返そうとした時、神藤は開井手に向かってつぶやく。


「どうも、お久しぶりですね。・・・開井手・・・“先輩”」


「!?」


 開井手は、神藤が述べた「先輩」という単語に驚く。それと同時に、彼の名前を聞いた時から心の中に生じていた“ある疑念”が真実である事を確信する。


「やはり・・・あんた、『都立松早高校』の・・・」


 開井手の言葉に、神藤は苦笑いを浮かべながら頷いた。開井手は再び驚愕する。それもその筈である。33歳の開井手と、今年で31歳になる神藤。巡査部長と警視、警察官としての階級にはかなりの差が開く彼ら2人は、同じ高校のバスケ部で3年生と1年生として出会った、先輩と後輩同士だったのだ。


「・・・?」


 偶然の再会を果たし、互いに微妙な雰囲気になる2人の様子を見て、利能は首を傾げていた。

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