惹優の過去
6月26日・夜 アラバンヌ帝国 首都アドラスジペ
砂漠に広がる大都市の上空に、満点の星空と細い月が浮かぶ。夜中だというのに、街のあちこちから聞こえる賑やかな声は絶えず、街には色とりどりの灯りが灯っている。その異国情緒溢れる街の姿は、正にアラビアンナイトの体現とでも言うべき幻想的な風景を映し出していた。
彼らが今居るのは、そんな繁華街から離れた郊外にある小さな廃屋の一室である。不法出国を遂げた活動家を確保する為、警察庁の命により海外へ派遣された「神藤班」は、上からの命令によって目的を変え、「ティルフィングの剣」の実在を確かめる為に南へ旅立とうとしていた。
「崔川、茶〜!」
「茶〜!」
「ヘ〜い・・・」
神藤と開井手、年長者2人の粗雑な命令に従い、崔川が紙コップに入れた麦茶を持ってくる。6人分の紙コップが並ぶ折りたたみ式テーブルの上には、携帯ファックス機で日本本国から送られて来た、アラバンヌ帝国全土の衛星写真が置かれていた。
「図書館のじいさんの言うことには、俺たちが目指すべき遺跡の名は『アフィーラ・アラバンナ』と言うらしく、此処から真っ直ぐ南南西に進めば辿り着くらしい。だがこの500年、そこへ辿り着いた者は居ないとさ」
話を進める神藤はそう言うと、胸ポケットから取り出したボールペンを指示棒代わりにして、地図のある場所を指し示した。
「此処から南南西に向かった先にある遺跡はこれだけだ。恐らくこれが『アフィーラ・アラバンナ』だろう」
ボールペンの先には、密林の中に埋もれている赤茶けた石造りの古代遺跡があった。
「砂漠とサバンナ草原はともかく、その先の密林は高機動車だと厳しそうですね・・・」
崔川は目指す先までの道中の様子を見ながら、苦笑いを浮かべていた。
「辿り着けないって・・・それだけこの密林が厳しいって事か? 化け物が出るとか」
「いや・・・図書館のじいさんの様子はちょっと違う感じだった。行けば分かる、その目で見なければ信じないってさ」
開井手が抱いた疑問は、神藤が抱いたものと同一だった。だが、国立図書館に居た白髪の老人は、何故たどり着けないのかについては、その場で話してはくれなかったのである。
「・・・もしかして、伝承にあった結界ってやつじゃないですか?」
利能は桐岡が所持していた歴史書に書かれていた、ある記述について言及する。剣の所在については、歴史の中では以下の様に記されていた。
500年前、オルトー王との戦いに破れた当時のアラバンヌ皇帝であるハウルーン=アル・ラシキード帝は、西へと敗走した後、ティルフィングの剣による神罰を恐れ、それをある古代遺跡に封印してしまう。
国内の魔術師を総動員して守護の結界が張られたその遺跡は、人を寄せ付けないまま密林の奥にひっそりと立っている。
「まさか・・・! 500年も継続して稼働する魔法なんかあり得ません! それこそ国の1つ2つ犠牲にする程の魔力でも足りない程です」
魔法研究家を自称するエスルーグは、その立場から利能の予想を否定する。
「まあ・・・何があるのかは行ってみれば分かる事だ。出発は明日の夜明けだから、皆今夜は十分に睡眠をとってくれ」
神藤はそう言うと、折りたたみ椅子から立ち上がって会議の解散を告げる。彼の部下たちは短い眠りに就く為、外に建てられている天幕へ向かう。
「・・・リリー、少し良いかい? 2人で話がしたいんだ」
神藤は、部下たちに混じって部屋を出て行こうとしていたリリーに声を掛ける。
「・・・は、はい!」
2人きりで話をしたいと言われたリリーは、動揺を隠しきれない様子で返事をする。心なしか、頬が紅くなっている様に見えた。
その後、2人は廃屋の屋上へと向かった。真夏の様な気候だった昼間とは一転、少し肌寒いほどの風が吹いており、空を見れば降ってくる様な満点の星空が広がっていた。未だに煌々と灯りが灯る繁華街とは一転、静寂な雰囲気が流れる中、最初に口を開いたのは神藤だ。
「なあ・・・この旅が終わった後、君はどうするつもりだい?」
「・・・! そ、それは・・・」
神藤の問いかけに答えようとするも、リリーは言葉がつかえる。今まで目を背けていた、旅を終えた後の事について言及され、彼女は心臓の鼓動が高まっていくのを感じていた。
そもそも、リリーが神藤たちの旅に同行することになった切っ掛けは、後先の事を何も考えないまま、彼を追ってヨハン共和国に向かう日本の貿易船に密航したことにある。本来ならば、エルムスタシア帝国海軍に引き渡す予定であったところ、リリーの能力を知った神藤が彼女を旅に誘い、言わば“捜査協力者”という名目の下、此処までの“捜査”に同行することとなった。
神藤の目的は、“カメラやサーモグラフィーをも欺く光学迷彩”という彼女の力を、日本政府、あわよくば公安に引き込むことにあった。その事を先方に報告したところ、“返答は後日、それまでその少女は手放すな”という返答があり、神藤はそれを遵守していた。
そして数日前、ついにリリーの処遇について警察庁警備局長の江崎警視監から連絡があったのだ。彼から告げられた言葉は以下の通りである。
『例のエルフの少女についてだが・・・今日、“ゼロ”から正式な返答があった。本人に故郷を捨てる意思が有れば、こちらの教育を施した後、協力者名簿に名を加えたいそうだ。
理想としては、監視対象となっている組織の根拠地に侵入し、重要人物や証拠物品の存在確認を家宅捜索に先んじて行う“不可視の先兵”、要は忍者の様な役回りで使いたいと考えている』
公安の協力者工作を司り、そしてこの世界に来てからは、海外における協力者・特殊技能保持者の獲得に躍起になっている警備企画課の「ゼロ」は、リリアーヌが異国人であることを考慮しても、彼女の能力が得難い極めて有用なものだと判断した様だ。
「もし君が良かったら、俺たちの国に来て・・・俺たちと一緒に“仕事”をやらないか?」
「・・・! それは、どういう・・・」
神藤は遂に本題に踏み込む。俺と日本へ来てくれ、少なからず慕わしく感じている想い人にそう告げられたリリーは、堪らず目を見開いて驚いた。
「言った通りだ・・・俺たちの国に来て、俺たちと一緒に俺たちの仕事をして欲しい」
「!!」
リリーは更に顔を赤らめていく。同時に、気持ちが舞い上がって行くのを感じていた。すぐにでも“うん”と言いたいのは山々だったが、その前に、彼女にはある不安要素があった。
昂ぶる気持ちを一端押さえ込んだリリーは、落ち着いた声で口を開く。
「あの・・・ジャクユーさんたちのお仕事って・・・?」
「・・・」
リリーの問いかけに対して、神藤は一瞬だけ目を反らす。一緒に仕事をしようと言われた以上、リリーが彼らの仕事に疑問を持つのは当然の帰結だった。
神藤たちは異世界側の同行者であるリリーとエスルーグに、自分たちの素性について以下の様に伝えていた。“国外へ失踪した日本人を探している役人”であると。それは大きく違わないが、彼らの実際の素性を示すにはほど遠い表現である。
リリーやエスルーグの方も、神藤たちが時折見せる腕っ節の強さや銃の腕前を見て、彼らが只のお役人では無いことは薄々感づいている様だが、触れてはいけないと思っているのか、彼らがそれについて言及することは無かった。
「・・・分かりやすい言葉で言うなら“警吏”だね。俺は本来指示をする側だからそうでも無いけど、ちょっと危険な仕事かな」
「・・・警吏」
神藤は初めて自分たちの正体を明かす。しかし実際にはそれでさえ、一般に想像し得る実態とはほど遠いものである。
「まあ、それはどうでも良いよ。俺は君の答えが聞きたいんだ、この旅が終わったら一緒に来てくれるかい?」
「・・・」
神藤の誘う言葉に対して、迷っている様子のリリーは何も答えることが出来なかった。そんな彼女の心情を察したのか、神藤はリリーの頭を撫でると、優しい声色で話しかける。
「すぐには・・・答えられないよな、悪かった。1つ言っておくけれど、別に断ったって俺は気にしないし、それで悲しむことは無いよ。君は大事な仲間なのだから」
「・・・!」
「だから、今日はもうお休み。明日は早いぞ」
「は、はい!」
リリーは裏返った声で返事をする。その直後、彼女は真っ赤になった頬を見られまいと両手で顔を隠し、下の階へと続く階段を駆け下りて行った。
(何時の間に情が移っていたのかなぁ・・・)
少女の後ろ姿を見送った神藤は、再び星空を見上げなから、リリーに対する深い情が心の中に生じていたことを自覚していた。始めは“潜入するのに便利な存在”、“公安の駒に欲しい人材”としか考えていなかった彼女を、旅を続ける内に“大切で愛おしい仲間”だと感じるようになってしまっていたのである。
それどころか、組織の利益の為とは言え、公安に取り込むことで彼女を危険な目に遭わせたくないと思うまでなっており、心の何処かでこの話を断って欲しいと考えていた。
「・・・全く、あんな小娘を2人きりでたらし込もうとは、何時からそんな趣味になったんだ?」
「・・・!」
背後から突然、男の声が聞こえて来る。神藤が後ろを振り返ったところ、そこには既に寝床へ就いた筈の開井手巡査部長の姿があった。
「のぞき見とは悪趣味ッスね〜、先輩」
今までの会話や動作を全て見られていた事を知り、神藤は苦笑いを浮かべる。
「まあ良いじゃないか、それより随分センチメンタルになっている様に見えるぞ、お前らしくもない」
開井手はそう言うと、ポケットにしまっていた紙煙草を口に咥え、ターボライターで火を点す。
「いや・・・ちょっと昔の事を思い出して」
「・・・昔?」
首を傾げる開井手に、神藤は10年以上前、まだ日本国が転移する前の思い出について語り始めた。
「今は・・・公安警察官になった以上、許される事では無いだろうが、高校2年の頃に中国人留学生の女の子と付き合ってたことがあるんだ」
神藤は青き春を過ごしていた時代を思い返す。その中国人留学生の名は“陳子涵”と言った。2人は別々の高校に通っていたが、神藤の学校で行われた留学生との交流会にて知り合い、それを切っ掛けにして交際が始まったのである。
「お前が高校2年というと、2017年か・・・俺が松早高校を卒業した後の話だな」
神藤と開井手は15年前、東京都内の同じ高校に通っていた。神藤が1年生だった頃、開井手は3年生であった為、神藤が進級すると同時に開井手は卒業していたのである。
その後、開井手は千葉大学に進学した後に警視庁の警察学校へと入校し、2年遅れて卒業した神藤は、首都大学東京へ進学した後に国家公務員総合職試験に合格し、非東大卒枠の警察官僚としてのキャリアをスタートさせることになる。
「俺も若くてね、彼女が中国へ帰る日が近くなった時、日本で暮らしてくれないかと頼んだ。さっきみたいな感じでね。当然ながら、家族が居るから駄目って言われたよ。その時、彼女の実家がある北京の住所を渡されて、何時か会いに来てと言われたんだ。
だがそれから半年後、“尖閣諸島沖日中衝突”が起きて・・・“中国内戦”から“東亜戦争”が始まって、日本と中国は往来が全く出来なくなった」
2019年1月、尖閣諸島へ上陸した中国国籍の武装漁船に対し、海上保安庁は持ちうる全ての武力を行使して、彼らを尖閣諸島から排除した。
その後、人民解放軍海軍がこの報復として南西諸島に進軍を開始し、海上自衛隊と人民解放軍海軍の戦闘までに発展することとなった。在日米軍の参戦によって事態は終息したが、石垣島に艦対地ミサイル攻撃を受け、民間人の犠牲者を出すなどしたこの「事変」以降、日本と中国は国交を断絶したのである。
当然ながら神藤はそれ以降、子涵と連絡が取れなくなってしまったのだ。
「日本経済は大きな打撃を受けたが、その間にあらゆる産物の国内自給率は上がって・・・その意味では中国との交易断絶は、日本に様々な革新をもたらした意義のある事件だったと言える」
それまで最大の貿易相手国であった中国に頼らない国作りを強いられた当時の日本政府は、食糧自給率の向上と国内産業の充実に国を挙げて取り組んだ。それが結果として、後に起こる転移という史上最大の国難に耐える土壌になったと言えるだろう。
「で・・・その後は?」
「連絡が取れなくなった後、彼女との思い出は遠い記憶になっていったよ。でも、反乱軍が滅びて東亜戦争が終わった2024年、どうしても彼女の事が気になった俺は、あるコネを使って北京に行ったんだ。民間人の往来は当然禁止されていたからね。
だが・・・貰ったメモに書かれていた住所は更地になっていた。その後も結構探したんだけどねェ・・・彼女と彼女の家族の行方はとうとう分からなかった」
「・・・成る程、そんな事がねェ」
知らない後輩の過去を知った開井手は、しみじみとした様子で煙草の煙を空へ吹き出した。
その後程なくして、2人も眠りに就く。翌朝、神藤一行は最終目的地である古代遺跡へ向け、日の出と共に南へと旅立つのだった。
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同日 東方世界・ウィレニア大陸南端 トミノ王国 首都ペイズ
世界の東側にある「ウィレニア大陸」の南端、この国「トミノ王国」は、長きに渡って列強アルティーア帝国の属国として抑圧的な支配を甘んじて受け入れていたが、5年前の「日本=アルティーア戦争」の影響で独立を果たしており、それ以降は日本と国交を持ち、自国が産出出来る資源である“ウラン鉱石”を日本へ輸出している。
そして今、首都ペイズの港に1隻のクルーズ客船と、その護衛として随伴している多目的護衛艦「くすのき」が停泊していた。政府の役人たちで構成された選挙視察団が、タラップを越えて客船に乗り込んでいる。
「王太子殿下・・・足下にお気を付けて」
「ああ、分かっている」
国王ヴァシュサルタ1世の長男であるシャトゥアラ=ミッタンニーは、タラップと船の間にあるわずかな隙間を越えて客船「駿河」に乗り込む。彼に続いて、視察団のメンバーも次々と乗り込んで行った。
彼らの乗船を確認した艦橋は、船をゆっくりと発進させていく。スクリューが回り、港から離れていく異国の客船を、首都市民たちは歓声を以て見送っていた。
・・・
客船「駿河」 船内
外務省の役人による挨拶を受けたトミノ王国選挙視察団は、乗務員よって各員の個室へと1人1人案内されていた。視察団の1人である内政局員のパルヴァナ=サラミックは、個室に荷物を置いた後、夕食までの時間を潰そうと、乗務員に案内されながら船内にある図書館に向かっていた。
(・・・これがニホンの客船かぁ、本当に凄いな・・・!)
22歳の若き役人であるパルヴァナは、辺りをきょろきょろしながら船の中を歩いていた。まるで海の上に浮かぶ巨大な城とでも言うべきその姿は、彼にとって何もかもが衝撃の光景だった。
程なくして、パルヴァナは図書館へと辿り着く。彼を案内した乗務員は、本棚を指し示しながら説明をする。
「こちらが図書館になっております。ウィレニア大陸語に翻訳された本も置いてありますので、そちらをどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「はい、ではごゆっくり・・・」
乗務員は一礼すると、その場から立ち去って行く。その後ろ姿を見送ったパルヴァナは、すぐに視線を部屋の中へと移した。まんべんなく本棚が置かれているその部屋は、彼が知る図書館と同等かそれを凌ぐ規模を持っていた。
(・・・うーん、やはりニホン語は分からないなぁ)
パルヴァナは棚に並べられている本の背表紙を眺めながら、ゆっくりと歩く。だが、日本語を読むことが出来ない彼がそれらを読める筈は無く、乗務員に薦められた翻訳本の置かれているエリアへと脚を進めた。
そこには“日本国の観光名所”や“日本語読解”、“日本国の政治体系”、“日本国の歴史”といった、異世界の住民向けに日本を紹介する様な書籍が並んでいた。パルヴァナはその中の1つである「日本国の歩き方(初級篇)」という題の本を手に取ると、テーブルと椅子が並ぶ読書スペースへ向かう。
「・・・!」
パルヴァナが座ろうとしていたテーブルには、1人の先客が居た。この上無い気品を感じる佇まいをした、10代後半ほどに見える女性が、彼が持っているのと同じ本を熱心に読んでいたのである。
「・・・あら」
その女性はパルヴァナの存在に気付くと彼に向かって会釈し、ぼうっと突っ立っている彼に、同じテーブルに座る様に促した。パルヴァナはおどおどとした様子で、女性から見てはす向かいの位置に当たる椅子に座る。
「・・・貴方、先程乗船してきたトミノ王国の方ですね」
「は、はい!」
見目麗しい女性に声を掛けられ、パルヴァナは声を裏返してしまう。
「フフッ、そんなに緊張なさらなくても。私の名はエルジェベート、貴方方と同じくニホン国へ派遣された使節の1人です。貴方方より前に乗船しました」
「わ、私はトミノ王国内政局員のパルヴァナ=サラミックと申します!」
2人は自己紹介を交わす。パルヴァナは相変わらず緊張が解けない様子だ。
「貴方はニホン国へ行くのは初めて・・・?」
「は、はい! 私以外の視察団の方々は、以前に彼の国で行われた宮中晩餐会へ出席する国王陛下に付き従い、一度行った事があるそうですが・・・」
世界各国の首脳が日本へ集まったイベントは今回が初めてでは無い。2026年に天皇陛下の甥にあたる親王殿下が御成年を迎えられた際、その成人を祝うという名目で大規模な宮中晩餐会が催された事があるのだ。
「そう、私もニホンへ行くのは初めてなんです。普通選挙という彼の国の制度を視察することは勿論ですが、彼の国をこの目で見るのも、凄く楽しみなんですよ」
「わ、私もです! 内政局の先輩の話を聞いて・・・視察団のメンバーに選ばれた時は、本当に嬉しかったんですよ」
少年の様な目で日本への憧れを語るパルヴァナの姿を見て、エルジェベートはくすくすと微笑む。この船で初めて出会った2人の会話は、その後も日本という共通の話題で弾んでいった。
「そう言えば、貴方は何処の国のご出身なんですか?」
数十分後、パルヴァナは思い出したかの様に、エルジェベートの出身国を尋ねる。
「あら、まだ言ってませんでしたか? 私はエルム・・・」
彼女がそこまで言いかけた時、突如として図書館内に響き渡る様な透き通った声が聞こえて来た。
「皇妹陛下! 此処にいらっしゃいましたか!」
「!?」
パルヴァナが声のした方へ視線を向けると、そこには背中に白鳥の羽根を持つ“人面鳥族”の男が立っていた。突然現れたその男は、エルジェベートの方へ近づき、彼女の足下に跪く。
「この船の乗組員より夕食の用意が出来たとの連絡がありました。メインダイニングへ来て欲しいとのことです。また、エルムスタシア本国の皇兄陛下より、音信が入っております」
「兄上から・・・? 分かりました、すぐに行きます」
臣下から報告を聞いたエルジェベートは椅子から立ち上がると、パルヴァナの方を向いて申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「もっとお話したかったのですが、何やら本国より連絡があった様なので、お先に失礼します。また夕食の時にお会いしましょう」
「え、あ、は・・・はい」
パルヴァナは少々間の抜けた顔をしながらこくりと頷く。その後、人面鳥族の男を引き連れ、図書館から出て行く彼女の後ろ姿を、パルヴァナは呆然とした表情で眺めていた。
(エルムスタシアの皇帝の妹って・・・あ、あの方は・・・ツェペーシュ家の“吸血鬼族”!?)
この時初めて、彼はエルジェベートの正体を悟る。彼女は“亜人の楽園”アナン大陸の大陸国家「エルムスタシア帝国」を統治する「ツェペーシュ家」の人物であり、2人居ると言われる彼の国の“皇帝”の片割れだったのだ。
(・・・嘘ぉ)
全身の血の気が引いたパルヴァナは、鳥肌が立つのを感じていた。知らなかったとは言え、異国の皇族と慣れ慣れしく会話をしてしまった事、そして何より、テラルス世界で最も高位に位置し、同時に“現世の悪魔”として恐れられる存在に出会ってしまった事実を、彼は後悔や羞恥心、畏怖が混じった複雑な感情で実感していたのである。
未知なる国への好奇心、そして頭を抱える青年を乗せて、客船「駿河」は北東へと進み続ける。船の目的地は日本本土最南端の開港場である「鹿児島港」だ。




