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旭日の西漸 第4部 ティルフィング・選挙篇  作者: 僕突全卯
第5章 クロスネルヤード帝国
32/57

ベギンテリアで狗と会う

6月6日 クロスネルヤード帝国南部・ベギンテリア市 沖合


 ベギンテリア辺境伯領の首都であるベギンテリアの港には、セーベ市ほどでは無いものの、それなりの数の貿易船が出入りしている。その中に、ヨハン共和国の国旗を掲げた帆船の姿が見えた。

 甲板の上では船乗りや乗客たちが、間近に迫っているベギンテリアの陸地を眺めている。その中に、本来ならば此処に居る筈のない日本人の男女の姿があった。


「やっと、此処まで来たか・・・長かったな、重野」


 日本人の男は、自身の隣に立つ女性に話しかける。重野と呼ばれたその日本人女性は、感慨深い様な表情を浮かべていた。


「ええ、本当に・・・」


 重野凛花は日本人の男、すなわち桐岡竜司の身体にもたれかかりながら、哀愁を感じさせる台詞を発する。彼女と桐岡の脳裏には、ヨハン共和国で離別することとなった3人の仲間の顔が過ぎっていた。


「過ぎ去りし者達を惜しむ余裕は無い筈ですよ・・・」


 様々な思いを抱えてベギンテリアの港を眺めている彼らに、釘を刺す様な言葉が聞こえてくる。2人が声のした方を見ると、そこにはフードを被っているテラルス人の姿があった。


「分かっている! それよりも本当なんだろうな、例の剣の話は?」


 感傷に浸っていたところを不意に邪魔された桐岡は、不機嫌な表情を浮かべながら、ぶっきらぼうに言い放つ。


「勿論でございますとも。あの剣さえ手に入れられれば、ニホンでの勝利は貴方方のものですよ」


 フードを被った男は不敵な笑みで答える。その表情を、桐岡と重野は複雑な感情を以て見つめていた。

 そしてこの男こそ、桐岡がリーダーを勤める左派系学生政治団体「テラルスに平和を求める学生連合」に接触し、彼ら5人を此処まで先導した張本人であり、彼らの道中をサポートしてきた魔術師なのである。

 彼は自身の素性を、ハッサムド=アハリという名のアラバンヌ人だと名乗っている。だがそれは偽りの素性であり、桐岡たちは彼の正体を全く知らないのだ。


「いやー・・・ハッサムドさん、本当にありがとうございます!」


 魔術師の偽名を呼ぶ声が聞こえてくる。声の主は船乗りの男だった。彼は手揉みをしながらハッサムドの下に近づく。


「貴方が“風使い”となってくれたお陰で、大分早くにベギンテリアへ着くことが出来ました。あとしばらくでございますので・・・どうか今一度お力をお借り出来ますか?」


 船乗りの男はハッサムドに、風を起こす様に頼み込む。他の船員や乗客たちも期待の目で彼を見つめていた。


「魔力もほぼ完璧に回復した、お安い御用だ」


 彼はそう言うと、空に向かって杖を振り上げる。


(風よ、我が力を以てこの船を押せ!)


 ハッサムドは杖を天に掲げながら、心の中で呪文を念じる。すると、何処からか強い風が吹き始め、彼らが乗っている船を押し始めた。彼の体内を巡る魔力が、風へと変換されたのだ。マストに掛かる帆は全て、風を受けてパンパンに膨らんでいる。

 魔法の力を借りて、通常時の2倍以上の船速を得た船は、程なくして目的地であるベギンテリア港に辿り着くのだった。


・・・


ベギンテリア港 埠頭


 船の甲板から桟橋へと架けられた板の上を進み、桐岡と重野、そしてハッサムドの3人は遂にベギンテリアへの上陸を果たす。半年以上に渡る旅の末に到達した港街の姿を見て、桐岡は心の奥底から込み上げて来るものを感じていた。


「此処まで来れば残りはあと少し・・・私が“空路”でアラバンヌまでご案内致します」


 ハッサムドはそう言うと、背中に担いでいる“あるもの”を指し示す。それは彼がかねてより持参していたとある交通手段だった。


「大丈夫なんだろうな、それは?」


 桐岡はハッサムドが提示した新たな移動手段に不安を漏らす。重野の方も眉を顰めていた。


「しかし、陸の上を悠長に歩いていては、何ヶ月かかるかも分かりませんぞ。一刻も早く、ニホンへ戻らねばならないのでしょう?」


「・・・分かった、頼むぞ」


 ハッサムドの指摘に反論を封じられた桐岡は、渋々と言った様子で彼の言葉に納得する。だが、その顔色は未だ恐怖と不安を隠し切れていなかった。


 この「ベギンテリア」からアラバンヌ帝国の首都である「アドラスジぺ」までは、陸路を行くのが最も無難なルートである。とは言っても、馬車を乗り継ぎながら進んだとしても、普通ならば出発から到着まで半年は見積もらなければならない。

 だが、ハッサムドが持参した交通手段を用いれば、それを3〜4週間ほどに短縮出来るのだ。


「良し・・・取り敢えず、この街で宿を取ろう。明日に備えて英気を養おう」


「・・・ええ」


 桐岡の提案に、彼の腕を組み続けている重野も頷いた。

 その後、彼ら3人は船が接岸している埠頭の桟橋から、大陸有数の貿易港を行き交う人混みの中を縫って、市街地に向かって進む。




 しかしその時、桐岡は不意に右の手首を掴まれた感覚を覚えた。振り向いて見たところ、薄汚いマントに身を包んだ人物が彼の腕を掴んでいる。


「何だ、おま・・・え・・・は!」


 桐岡は、突如として自分の腕を掴んで来た乞食の様な男に、怒鳴り声を浴びせようとした。だが、マントの隙間から姿を覗かせた見覚えのある服飾、そしてフードの中に有る見慣れた顔貌から、彼はその男の正体を悟った。


「よう・・・漸く会えたな桐岡竜司、重野凜花! 公使館までご同行願おうか!」


「!!」


 男はマントの内側に着るスーツの懐から、警察手帳と逮捕状を取り出した。罪状は「入国管理法」及び「旅券法」違反である。

 大いに心当たりが有る罪状を提示された事、そしてこの地まで警察が追いかけて来ていた事に、桐岡と重野は大きく動揺していた。


「まさか、こんな所に! ・・・放せ!」


 桐岡は自分の手首を掴んでいる男の手を振り解こうと、右腕を大きく振り回す。しかし、屈強な警察官の握力は、彼が離れることを許さない。

 ふと重野の方へ視線をやれば、彼女もいつの間にか現れた女性の私服警察官によって身柄を抑えられていた。


「残念だったわね・・・でも、此処で終わりよ」


「・・・っ!」


 重野の両手首を後ろ手にして掴み上げている女刑事は、彼ら2人に旅の終焉を宣告する。その言葉が、2人の心を絶望で包もうとしていた。


「・・・!?」


 その時、突如として桐岡と神藤の間を弾丸の様な突風が駆け抜けた。風に煽られた神藤は堪らず手を放してしまう。


「うわ、何だ!?」


 あたかも自分を狙った様に吹いた突風に、神藤は狼狽する。彼は再度桐岡の身柄を捕らえようとするも、突風はまるで生き物の様に神藤に纏わり付き、彼が桐岡に近づくのを許さない。


(・・・この風は!)


 不自然な風の正体を知った桐岡は周りを見渡す。すると、いつの間にか居なくなっていたハッサムドが、近くにあった建物の屋上に立っているのが見えた。


「これは緊急事態だ、すぐにこの地を発たなければ!」


 ハッサムドはそう言うと、背中に担いでいた“あるもの”を取り出した。それは異国風の刺繍が彩られた長方形の“絨毯”だった。ハッサムドから魔力を供給されているそれは、屋上の床の上に付くことなく、宙に浮き続けている。彼が述べていた移動手段の正体とは“魔法の絨毯”だったのだ。

 彼はその絨毯に飛び乗ると、建物の屋上から一気に降下して、桐岡の目の前に降り立つ。彼は迷うことなく、ハッサムドが操るその絨毯に飛び乗った。


「・・・くそっ、待て!」


 神藤は桐岡の後を追いかけようとするが、ハッサムドが起こしている風に押し戻され、絨毯まで近づくことが出来ない。利能も同じく風に襲われており、重野が逃げない様に彼女の身柄を抑えるので手一杯だった。


(この状態じゃあ、標準が合わない・・・!)


 神藤は懐のコルト・ローマンに右手を伸ばすも、猛烈な強風に晒されている今の状態では、弾が何処へ飛んで行くか保障は出来ない為に撃つ事は出来なかった。

 そして絨毯に乗って空へ飛び立とうとしている桐岡は、まさに手も足も出ない状態になっている刑事たちを、心底勝ち誇った顔で見下ろしていた。


「俺たちは・・・日本の未来の為に行動している! お前たちの様な政府の狗に構っている時間は無いのだ!」


 余裕ある口上を述べる桐岡の態度を目の当たりにして、利能は悔しそうな表情で下唇を噛む。突如として現れた魔法の絨毯に、市民たちの注目が集まっていた。

 その後、ハッサムドと桐岡を乗せた絨毯は、彼らの好奇と困惑に満ちた視線を尻目に、西の空へと飛び上がって行く。神藤と利能の自由を奪っていた風が消える頃には、既に彼らの姿は無かった。


 神藤は風と絨毯が消え去り、真っ新になった空を見上げて、大きくため息を付いた。彼は懐から取り出した紙煙草を咥えると、同じくポケットの中に仕舞っていたライターで火を付ける。


「“空飛ぶ絨毯”か・・・成る程。日本の交通手段が使えない奴らが移動時間を短縮出来ていた訳は、やはり魔術師の存在だった様だな」


 神藤は呼出煙を吹き出しながら、桐岡たちが消えて行った先を見つめていた。直後、彼は利能に取り押さえられている重野の方へ近づく。


「男の方は先に行ってしまった様だな、君は一足先に日本へ帰って彼の帰りを待つと良い。さあ・・・公使館にお連れしようか」


「・・・くっ!」


 嫌みが混じった神藤の台詞に、重野は堪らず顔を歪める。

 その後、彼女はこの街にある日本国公使館へと連れて行かれ、日本への送還を待つこととなった。


・・・


数時間後 ベギンテリア港 貿易帆船 船内


 重野は捕らえたものの、5人のリーダー格だと目されていた桐岡を取り逃がしてしまった神藤と利能は、重野の身柄を公使館に送り届けた後、彼ら2人が乗船していた船の船長に頼み、その船内を捜索していた。

 そして今、彼らは桐岡と重野が使用していた船室を物色している。ほとんど蛻の殻となっている部屋の中で、神藤はローテーブルの上に“一冊の本”が置きっぱなしになっているのを見つけていた。


「・・・ん?」


 神藤は重厚感溢れるその本を手に取ると、付箋が貼ってある頁が有る事に気付く。その頁を開くと、橙色の蛍光ペンでラインが引かれた部分があった。その様子を見ていた利能も、神藤の後ろから本の中身を覗き込む。


「読めないな・・・」


 その本はジュペリア大陸で使われている文字で書かれていた。この世界の文字を読めない神藤や利能では、当然ながらその本の内容を知る事は出来ない。


「公使館にライン部分の翻訳を依頼してはどうでしょうか?」


 利能は公使館の協力を扇ぐ事を提案する。異世界の地で業務を行う在外公館職員であれば、ジュペリア大陸で使われている文字や文法を習得しているだろう。神藤も彼女の提案に異を唱える事は無かった。

 その後、彼ら2人は新たな証拠品を携えて、ベギンテリア市街の中にある日本国公使館へと向かう。


・・・


ベギンテリア市街 日本国公使館


 世界最大の国であるクロスネルヤード帝国の国内には、日本国によって設置された在外公館がいくつか有る。その内訳は、帝都リチアンドブルクにある大使館、次に貿易の要衝であるミケート・ティリス市に建てられた領事館、そして、この街とジットルト市に設置された公使館の合計4つだ。


 「ベギンテリア辺境伯領」や「ジットルト辺境伯領」と言った帝国の南方に位置する地方と日本国との関係は、日本国とクロスネルヤード帝国との間で正式な国交が樹立されるよりも以前から続いている。

 切っ掛けは同地域で発生した“ペスト”を終息させる為、日本国が医療団を送り込んだ事にある。この地とジットルト市にある公使館はその時に作られたものであり、故にこれら2つの公使館は帝都リチアンドブルクにある大使館よりも前から存在しているのである。


 そして神藤と利能が今居るのは、その公使館の1階にある応接間だ。そわそわとしながらソファに座って待つ彼らの下に、この館の主である公使の青松田之祐が現れる。


「どうも・・・毎度ご苦労様です」


 幾度と無く公使館に脚を運んでいた神藤と利能に、青松は労いの言葉を掛ける。


「いえ・・・何度も申し訳ありません」


 そう言いながら神藤は会釈する。利能も彼に続いて頭を下げた。

 その後、部屋に入った青松は、彼ら2人と向かい合う形になる様に、神藤と利能が座っているソファとはテーブルを挟んで反対側に置いてあるもう一方のソファへと腰掛ける。

 応接間に入って来たのは彼だけでは無く、現地民と思われる女性の姿もあった。青松は2人に対して、その女性の素性を説明する。


「こちらはベギンテリアの魔術師であるアーデルスト=チールネルゼンさん、元々は船の風使いをしていらっしゃいましたが、今は当館で、主に“信念貝”を用いた現地機関との連絡を担当して頂いています」


 青松と共に現れたその女性は、公使館が雇っている現地住民だった。青松の紹介に与った彼女は、神藤と利能に向かって会釈をする。

 各国の在外公館ではこの様に、この世界で最もメジャーな通信手段である信念貝を用いることで、現地機関との連絡を円滑にする為、現地住民を雇っている所があった。


「彼女の助力も有って、あの本の内容が何なのかはすぐに分かりました。後はアーデルストさんに説明して頂きます」


 青松はそう言うと、語り手の役目をアーデルストに譲る。彼女は言葉を選びながら第一声を放った。


「ニホン国公使館付き魔術師のアーデルストと申します。では早速、貴方方が持参されたあの本について説明させて頂きますね・・・」


 新たなる手掛かりがアーデルストの口から語られ始める。神藤と利能は彼女の言葉に注意深く耳を傾けていた。


 その後、彼女が述べた事は以下の通りである。

 まず第一に、あの本は“歴史書”であり、500年前にジュペリア大陸で繰り広げられた「アラバンヌ帝国」と「クロスネル王国」の覇権争いについて描かれた本だという。太古に存在した伝説の帝国、ジュペリア大陸南西部の奥地から北上してきたアラバンヌ人、大陸の東側から勢力を伸ばして彼らと争ったクロスネル人、そして「神聖ロバンス教皇国」の建国・・・500年前に起こった歴史的出来事が時系列で綴られている本であり、ジュペリア大陸ではそれなりに出回っている書籍である様だ。


 さらには橙色の蛍光ペンで線が引いてあった箇所についても、彼女の口から語られる。


「・・・『ラシキードの下に現れし者、1本の剣を彼の皇帝に差し出し、この様に述べた。“我らは『イフ』。世界を統一し、平和をもたらそうとする貴殿の理想に同調する者成り。貴殿の世界の安寧を目指すとする志が真ならば、この『ティルフィングの剣』を持つべし。正しき志を持つ者にのみ、この剣は勝利を与ふ”と』。・・・これがあのペンで線が引かれていた部分の文章です」


「・・・?」


 アーデルストが述べたのは、アラバンヌ帝国とクロスネル王国の争いを描いた章の一場面に描かれた文章だった。


 かつてジュペリア大陸に栄えた太古の国「ウィローディア帝国」を滅ぼしたアラバンヌ人は、アラバンヌ帝国を建国した後、ウィローディア帝国の旧領土であるロバンスの街を攻撃していた。ロバンスの住民たちは、当時のロバンス教皇イオハーネス12世と共に教皇庁の教会に籠もって、神に救いを求め続けていた。

 その時、大陸の東側で勢力を強めていたクロスネル人が、竜騎を率いて現れ、ロバンスを包囲していたアラバンヌ帝国軍を蹴散らしてしまう。


 この一件以降、イオハーネス12世による戴冠を受けて、正式にウィローディア帝国の後継者、並びにロバンス教皇の守護者となったクロスネルの王は、アラバンヌ帝国と戦い続ける事となった。

 当時はまだまだ一般的では無かった竜騎の力を持つクロスネル王国は、その後瞬く間にアラバンヌ帝国を追い立てて行く。

 一方で、当時のアラバンヌ帝国皇帝であるハウルーン=アル・ラシキードは、新たな敵の登場に悩む事となった。上記の文章は、そんな彼の下に謎の集団が現れて、とある剣を彼に渡すという場面に出てくる一文なのだ。


「正しき心を持つ者に勝利をもたらす剣・・・? ま、まさか・・・!?」


 最初は的を射ない顔をしていた利能だが、アーデルストの話と今までの状況証拠から、彼女はとある推測に辿り着いていた。


「こんな御伽話を真に受けたメルヘン野郎の為に、他の4人や俺たち警察が振り回されたっつうこと? そんな馬鹿な・・・!」


 利能に続いて、神藤も同じ推測に至る。真実を悟った彼は、途端に疲れがどっと出た様な感覚に陥っていた。


「だが・・・恐らくは桐岡の目的はそれである可能性が高い気がする」


 精神的・肉体的疲労の為にソファの上に寝転がりそうになる身体を何とか支えながら、神藤は自身が立てた推論について述べる。


「・・・“ティルフィングの剣”!」


 利能の声が応接間に響き渡る。直後、彼女はこれまでに無い程の大きなため息をついた。


 この時、日本国外へ不法出国を遂げた5名の日本人活動家の目的が、遂に明かされる事となったのである。

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