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旭日の西漸 第4部 ティルフィング・選挙篇  作者: 僕突全卯
第5章 クロスネルヤード帝国
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ゲスト・キャラクター

6月4日 クロスネルヤード帝国南部 ベギンテリア辺境伯領 ベギンテリア市 日本租界


 世界最大の帝国である「クロスネルヤード帝国」の南海岸に位置する「ベギンテリア」の港に、日本企業「商船三天」が運行するコンテナ貨客船の「シール・トランプ」が停泊している。ミケート・ティリスを出港後、21日間の航海を経て漸く最終目的地に着いたシール・トランプの荷台から、コンテナが次々と降ろされていた。

 船内では、乗客の1人である神藤が船から降りる準備をしていた。彼はボストンバッグを肩に担ぐと、21日間を過ごした部屋に別れを告げる。


 そして港へ下ろされているタラップの先には、既に船から降りていた利能とリリーの姿があった。


「おはようございます、神藤さん」

「おはようございます!」


「ああ、おはよう・・・」


 3人は朝の挨拶を交わす。旅を始めたばかりの頃と比べれば、利能が神藤に向ける態度は随分と軟化していた。エフェロイ共和国、そしてヨハン共和国での一件を経て、彼女が神藤に対して抱く感情は、侮蔑から敬意へと変わっていたのである。


「先輩・・・いや、開井手巡査部長は?」


 神藤は眠い目をこすりながら、きょろきょろと辺りを見渡す。開井手の姿が見えなかったからだ。


「ええ、まだ出て来ていないみたいですね」


 利能の方も開井手の姿をまだ見ていなかった。彼はまだ船を降りていない様である。


「珍しいね・・・寝坊かな?」


 普段は一足早く行動する開井手が、自分たちより遅いなんて珍しい。そんなことを思いながら、神藤と利能、そしてリリーの3人は彼が降りて来るのを待つ。


 しかし、20分ほど経過し、チェックアウトの時間を過ぎても尚、彼は降りてこなかった。神藤と利能がこれはいよいよおかしいと思い始めた時、タラップの上にシール・トランプの船員が息を切らしながら現れる。


「あの! 開井手道就様のお連れ様ですよね!?」


「ああ・・・そうだけど」


 神藤が答える。その船員は随分と焦っている様だった。何事かと怪訝な表情を浮かべる3人に対して、彼は要件を告げる。




「先輩が・・・熱を!?」


 神藤は驚愕の声を上げた。

 チェックアウトの時間を過ぎても一向に部屋から出て来ず、内線電話の連絡もつかないをことを不審に思った船員が、マスターキーを使って開井手の部屋を開けたところ、高熱を出してうめいている彼の姿を発見したというのだ。


 3人はすぐに船内に戻って、開井手の下に向かう。船員によって案内された医務室の扉を開けると、そこには、高熱に苦しむ開井手の姿があった。


「先輩・・・大丈夫かい!?」


「・・・あ、ああ。すまない、迷惑掛けちまって」


 神藤はすぐさま彼の下へ駆け寄った。息づかいは荒く、手足には紅い発疹が浮かび上がっている。


「先生、これは・・・?」


 利能は、シール・トランプの医療スタッフである堂島才市に、開井手の容態について尋ねる。


「血液検査の結果、何らかの感染症に掛かっている可能性が有ります。ですが、詳しいことはまだ・・・」


 堂島は船医の役目を帯びているとは言えども、医師免許を持っている訳では無い為に、詳しい診断に目星を付けることは出来なかった。そもそも、この船にある医療設備だけでは、開井手を襲っている病が何なのか、断定することなど到底出来ない。

 堂島は頭を抱える。直後、彼はある提案を示した。


「租界内に赤十字の医院が有った筈、そっちに行った方が確実です!」

 

「・・・成る程」


 堂島の助言に神藤は頷く。その後、彼は船員の助けを借りながら、開井手の身体を支えて彼を船から降ろし、日本租界内に設けられている「日本赤十字」の診療所へと向かう。その間、利能とリリーは邦人捜索に関する別行動を取ることとなった。


・・・


ベギンテリア市・日本租界 赤十字医院


 1年半ほど前に勃発した「クロスネルヤード戦役」の講和条約にて、日本は同国内の3都市に「租界」を建設する権利を獲得している。その3都市とは、兼ねてより日本との交流が深かった「ミケート・ティリス」、東南部の主要港である「ドラス・ティリス」、そしてこの南海岸の港街「ベギンテリア」である。

 辺境伯位「ヴァスキュラー家」が治める「ベギンテリア辺境伯領」の首都である此処は、南方諸国との主要な貿易拠点であり、ミケート騎士団領には劣るものの、クロスネルヤード国内で有数の経済力を誇る地方の1つだ。


 そのベギンテリア市の一区画には、先程述べた通り、日本政府によって設置された「日本租界」があり、ミケート・ティリスの租界と同じく、日本企業の支店や自衛隊の駐屯地、郵便局などが建設されている。

 それらと同様に、日本赤十字社によって診療所が設立されており、租界に滞在している日本人の健康管理、またベギンテリアにおける医療教育の促進を司っていた。


「どうぞこちらへ」


 問診票への記入と採血、検温を終えて、待合室で診察を待つ開井手に、看護師が診察室へ来る様に促した。彼は神藤の肩を借りながら、頼りない足取りで歩き出す。

 診察室の扉を開けると、白衣を身に纏った医師が待っていた。彼はこの診療所唯一の医師であり、所長を勤めている男である。


「どうも、医師の柴田友和と申します。今日はどうしましたか?」


 開井手と彼を連れて来た神藤に対して、柴田と名乗るその男はその容態を尋ねる。


「・・・実は昨晩の夜から激しい熱と頭痛が有りまして、それと発疹も」


 患者用の回転椅子に座った開井手は、頭をぼうっとさせながらも、シャツの袖とズボンの裾をめくって、手足に出ている紅い発疹を見せた。

 柴田は顔を近づけて発疹の様子を観察すると、看護師から渡された血液検査の結果と問診票を眺めながら、いくつかの質問を行う。


「熱は39.4℃、かなり高いですね。症状は昨晩からですか・・・同じ様な症状の人が周りに居たことがありますか?」


「・・・いいえ」


「頭痛と発疹と発熱以外に症状は? 例えば腹痛とか下痢とか」


「・・・身体のだるさや熱っぽさは、発疹が出る2日前くらいにはありましたけど」


「・・・成る程、では口を開けてください」


 幾つかの質問を終えた柴田は舌圧子とライトを手に取り、それらを開井手の口の中へそれらを伸ばす。彼の口腔内をざっと観察した柴田は、使用済みの舌圧子を消毒液の中へ放り込むと、今度は開井手の首筋や耳の後ろに指を触れた。


「喉の痛みは無いんですよね?」


「・・・はい」


 首のリンパ節の腫れを触診しながら、柴田は首を傾げる。


(うーん、リンパの腫れは余り感じないな。喉の痛みも無いみたいだし、インフルじゃあなさそうだ・・・麻疹か? でも咳や鼻水は無いし、コプリック斑も見えなかったからなあ・・・)


 柴田は開井手を襲っている病について、あらゆる候補を考えていた。彼は不安そうな表情を浮かべている開井手と神藤に対して、現時点の検査結果から推測出来ることを告げる。


「取り敢えず、血液検査の結果から感染症・・・それもウィルス性の疾患の可能性が高いですね」


「・・・え」


 柴田の宣告を聞いて、開井手は表情を強ばらせてしまう。

 この世界の病原体については解明が進められており、今まで発見されたそのほとんどが地球と類似していることが分かっているものの、未だ日本人が知らない未知なる感染症が存在する可能性は多いに有るからだ。もし、自分が今罹っている病が未知の感染症だったら・・・そんな事を考え出すと、恐怖心を抱かずにいられないのは仕方無いだろう。


「・・・では聴診を取ります。シャツを上にめくってください」


 柴田はチェストピースを擦りながら、開井手に胸部を出す様に促す。彼は言われるがまま、シャツをめくって上半身をさらけ出した。

 その時・・・


「・・・あ」


「?」


 何かを見つけたのか、柴田は少し間の抜けた声を上げる。直後、彼は開井手の脇の下辺りを指差した。


「開井手さん・・・此処、虫に咬まれたでしょう? “マダニ”ですよ、これ」


 開井手と神藤は柴田が指を指した先へ視線を向ける。彼の人差し指の先には、一際紅い腫れに黒いカサブタが乗った“虫さされ”の跡があった。


「え、ええ。以前滞在していた国で刺されて・・・」


 開井手は虫さされが出来た時の事を思い返す。それはヨハン共和国に滞在中、利能が連れ去られた競売船に乗り込む直前、神藤やリリー、そしてセーベ市の警吏であるバッティスタと共に、地面の上にしゃがみ込みながら身を隠していた時の出来事だった。

 待機中に脇の下に違和感を覚え、そこに小さな虫が噛み付いている事に気付いた彼は、それを自分で取り除いたのだが、その後も痒み以外に特に症状が無かった為、ただの虫刺されだと思って放置していたのである。


「原因は恐らくこれです。マダニは“リケッチア”という細菌を運ぶことが有りましてね、我が国では“日本紅斑熱”という病が有名なんですが・・・恐らくはそういった紅斑熱の類でしょう」


「リケッチア・・・ですか?」


 聞き慣れない病名に、開井手は首を傾げる。だが、何はともあれ病気の正体に目星が付いたことに、一先ず安堵するのだった。


 「リケッチア」とは細菌の一種であり、主にマダニやシラミ、ノミによって媒介され、それらに刺されることによって人に感染すると言われている。リケッチアにはいくつかの種類が有り、その中のどれに感染するかによって発症する病気は異なってくるが、日本では主に「ツツガムシ病」と「日本紅斑熱」の2つがリケッチア感染症として有名だ。

 開井手が感染しているのは、その中でも日本紅斑熱を起こすリケッチアに類似したものだと、柴田は推測したのである。


「取り敢えずテトラサイクリンを点滴静注して・・・そのまま数日間は入院という形で様子見ですね。リケッチアなら抗菌薬が良く効くので、症状自体はすぐに落ち着くとは思います。熱が下がれば、後は内服で良いでしょう。

ですが、点滴を続けて7日以上経っても症状が軽くならない場合は、別の原因が考えられるので、その時は治療法を変えましょう」


 柴田は今後の治療方針を説明する。


「・・・に、入院ですか!?」


 医師からの宣告に、開井手は焦りの表情を浮かべていた。

 日本国外へ不法出国を遂げた5人の邦人の内、ヨハン共和国で確保した3人を除く桐岡竜司と重野凜花については、現在、貿易帆船に乗ってこの街へ向かっているものと見られており、恐らくは1〜2日後に此処へ辿り着くと考えられている。

 故に、船の到着まで桟橋で待ち伏せを続け、港に着いた桐岡と重野を確保、この街にある日本公使館に引き渡す、というのが今後の予定だった。逃走される可能性などを考慮すれば、此処で開井手が抜けてしまうのは、かなりの痛手になるだろう。


「・・・此処で無理して何か有ったら元も子も無い。心配は要らないから、先輩は病気を治してくれ」


 神藤は焦る開井手に対して、治療に専念する様に促す。


「神藤、だけど・・・!」


「どの道・・・身体がその状態じゃあ役には立たない。利能も居る。だから大人しくしてくれ」


 反論しようとする部下の言葉を、神藤は少しきつい言い方で封じ込める。


「・・・分かった、頼んだぞ」


 神藤の心情を察した開井手は、それ以上何も言わずに口を紡ぐ。とは言っても、重要な局面で病に罹ってしまった事に、悔しさを感じずには居られなかった。

 斯くして、開井手は一時的な戦線離脱を余儀なくされ、ベギンテリア赤十字診療所にしばしの間入院する事となったのである。


・・・


ベギンテリア市・日本租界 宿泊所


 租界の行政を行う「租界局」によって設けられた、日本人滞在者向けの宿泊所のロビーに、神藤と利能、リリーの姿がある。彼らは入院することとなった開井手を抜いて、今後の予定を話し合っていた。


「港の“管理局”に尋ねたところ、桐岡たちが乗っている船はまだ来ていませんでした。・・・追い抜けたみたいですね」


 神藤と開井手が赤十字の診療所を訪ねていた時、利能はリリーをこの宿泊所に残し、ベギンテリア港に出入りする貿易船の管理・記録を行う「貿易管理局」を訪問していた。彼女は“日本政府関係者”の肩書きを使って、此処1週間の入港記録を照会し、その結果、残りの失踪者である桐岡竜司と重野凜花が乗っている船は、まだ此処へは着いていない事が明らかになっていた。


「・・・だが、魔術師の力を借りた奴らの移動スピードを考慮すれば、あと1〜2日で来る筈だ。その間、俺たちは港で待ち伏せし、船を降りてきた2人を確保する。そして日本国公使館に引き渡して、邦人捜しは終了だが・・・」


 神藤は今後の大まかな流れを述べる。


「・・・それについては貿易管理局へ行った後に、在ベギンテリア日本国公使の青松田之祐氏に話を通してあります」


 桐岡竜司と重野凜花が乗っている船が、まだこの街へ来ていない事を確認した利能は、その脚で日本租界の外にある「在ベギンテリア日本国公使館」に向かい、日本国公使である外務省の青松田之祐と接触していた。

 そこで彼女は、不法出国者の一件について青松に説明し、ヨハン共和国の時と同様に彼らの協力を取り付けていたのである。その結果、桐岡と重野については確保に成功した後に、この街に駐留している海上自衛隊によって、日本本国に送還される手筈になっている。


「良し・・・後は待つだけだ。先輩が居ないのは痛手だが、この街で鬼ごっこを終わらせよう」


 神藤はまだ見ぬ2人の失踪者と、任務の行く末に思いを馳せる。利能の方も、得も言われぬ緊張感を湛えた表情を浮かべていた。

 その時、話に入り辛そうにしていたリリーが、恐る恐ると言った様子で神藤に問いかける。


「あの・・・ジャクユーさんたちは“人探し”をしているんですよね」


「・・・あ、ああ」


 神藤はこくりと頷いた。因みに、リリーに対しては神藤たちの事情について大まかに伝えており、彼女が今知っているのは、彼らが“日本国外へ失踪した日本人を探している役人”という事である。

 公安の人間だという事は当然ながら伝えていないが、彼女自身、神藤たちが醸し出している様子から、彼らが只者ではないだろう事は察していた。だが、その事について彼女が何かを言及することは今まで無かった。


「人探しが終わったら、ジャクユーさんたちはニホンへ帰るんですか?」


「・・・いや」


 神藤はリリーが呈した疑問を静かに否定する。彼は言葉を続ける。


「・・・彼らを日本の外へ連れ出した犯人を、問い糾さなければならない。それにどれだけかかるか分からないが、だからまだ俺たちは日本へ帰れない」


 警備局から受けた指令は「失踪した邦人5名を保護し、彼らと接触した組織の概要と目的を明らかにすること」である。前者の方は6割方達成済みだが、後者の方はまだ目星すら掴めていないのが実情だった。


「だが・・・その後、これはもっと早く伝えるべきだったが、俺は君に重大な選択を迫る事になると思う」


「・・・どういう事ですか?」


 リリーはきょとんとした顔で首を傾げる。


「いや・・・まだ知らなくて良い、この事はな」


「・・・!?」


 神藤は鋭さを感じさせる表情で、首を左右に振る。何時もとは明らかに違う、闇の深い雰囲気を漂わせる想い人の姿を見て、リリーは底知れない不安を感じていた。


(もしかして、彼女は理事官(・・・)のお眼鏡に叶ったのかしら?)


 2人の会話を聞いていた利能は、複雑な感情を抱いていた。

 神藤が部外者であるリリーを一行に加えた理由は、転移後の公安警察が収集している“海外協力者”に彼女の名前を加えようと画策した為であり、故にリリーの情報、特に他者やカメラの視界から姿を消す特殊能力については、既に神藤の口から、彼らが属している大元の組織である「警察庁警備局」へ報告済みという状況になっている。

 今頃は、顔も名前も知られてはいけない“幽霊の様な警察官たち”が、彼女が協力者として有用かどうか討議している頃なのだろう。


 中国共産党の失墜、極左勢力の衰退、加えて転移による米露中韓朝の脅威衰退、その結果として予算縮小の打撃を現在進行形で受けている公安は、政府へ自らの存在価値をアピールする目的もあり、近年、海外での協力者獲得に躍起になっている。

 具体的にはアルティーアやショーテーリア、クロスネルヤードといった列強の政府機関に属する人物、またリリーの様な諜報・密偵に長けた能力を持つ者などを協力者として金や甘言で引き込み、情報を集めようとしているのだ。


 この海外における協力者の獲得工作は、その内容や実態について少なからず知る者からは「21世紀のキャノン機関」と揶揄されているが、「クロスネルヤード戦役」が勃発した一因に、ロバンス教皇庁の“工作活動”が存在している事を重々に理解していた日本政府は、この公安の動きを興味を以て注視しているのである。


「・・・」


 神藤はふと腕時計に目をやった。時刻は既に、現地時間で16時30分を回っている。太陽は南中高度からやや西寄りの空に傾いていた。


「ちょっと煙草吸って来る、すぐ戻る」


 彼はそう言うと、懐のポケットに入っている100円ライターと煙草の紙箱を探りながら、席を立って屋外の喫煙所へと向かう。ロビーを出て行く神藤の後ろ姿を、利能は何気無しに眺めていた。

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