リリーの休日
6月3日 コンテナ貨客船「シール・トランプ」
海から吹く潮風が、テラスに立つ私の髪の間を抜けて行く。燦々と輝く太陽の下で浴びる潮風は本当に気持ちいい。
2週間くらい前までは、海の上に居るなんて考えられなかった。それがどうでしょう、私は今、故郷を遠く離れて優しい人たちと世界を旅してます。
私の名前は「リリアーヌ=ウィルソー・キンメルスティール」、親しい人は皆、私のことを“リリー”と呼んでいます。生まれは「エルムスタシア帝国」っていう結構大きな国。別名「亜人帝国」って呼ばれているだけあって、私も人間ではありません。「エルフ族」って種族です。
でも自分について分かることはそれくらい、私は自分の詳しい出自を知りません。実の親の記憶もほとんどありません。気付いた時には、「マクロホイ一座」という旅役者の一座に拾われていました。
孤児である私を育ててくれたのは、先代の座長でした。因みにキンメルスティールっていうのは、拾われた時の私が身に纏っていた服に書かれていた名だそうです。ウィルソーは先代座長の「マクロホイ=ウィルソー」から頂いた名前です。
種族は違ったけれど、あの人は私を本当の娘の様に可愛がってくれて、一座の仲間もみんな優しくて、私はとても幸せでした。
でも・・・座長が替わってから、マクロホイ一座は私の知っているそれではなくなってしまいました。仲が良かった仲間たちも私を置いて逝って、その代わりに新しい座員が次々と入って来ました。
新しい座長は悪い人で、何処からか入り込んできた「ゴーゴン族」の女の人と一緒にお客さんから盗みをしていました。新しい座員たちも、そんな座長に喜んで協力していました。あんなに大好きだったマクロホイ一座がこんな風になってしまったのが、私はとても辛くて、我慢出来ませんでした・・・。
その所為かは分からないけれど、ある日の夕方、1人だけで街に抜け出したことがありました。当てもなく歩いてお腹が空いた私は、何か食べようと思ってあるお店に入りました。
でも其れが不味かった・・・ご飯を食べ終えてテントに帰ろうとしていた私の腕を、「狗人族」の男の人が掴んできたのです。私は何とか逃げようとしたけれど、その人は腕の力が強くて逃げ出せませんでした。
「・・・リリー、こんな所に居たのか。ぼうっとして考えごとかい?」
「あ、ジャクユーさん!」
そう・・・その時助けてくれたのが、今、私に話しかけてくれたジャクユー=ジンドーさん。どうやったのかは良く分からなかったけど、あの狗人族を投げ飛ばしちゃった凄い人なんです。
「潮風に当たるのも良いけど、風邪を引かない様に気を付けるんだよ」
そう言うと、ジャクユーさんは船室の中に戻って行きました。私の身体を心配してくれたみたい。私を助けてくれた時もそう、本当に優しい騎士みたいな人・・・。後先考えずこの船に密航してしまった私を、迎え入れてくれました。
確かにジャクユーさんが言う通り、少し寒くなってきたかな。取り敢えず船の中へ戻りましょう。
はじめは本当に驚いたけれど、ニホン国の船ってまるでお屋敷みたいに大きいんです。でも、あまりうろうろしないでとも言われたなあ・・・残念。大人しく船室に戻ろうかな、あのお部屋も私1人で使うには凄く広いんですよね。こんなに良くして貰って良いのかなあ。
「おっと・・・」
「わっ、ごめんなさい!」
いけない・・・考えごとをしながら通路を歩いてたらぶつかっちゃっいました。頭を下げて謝ります。
「うん・・・気を付けて」
ぶつかった相手はミチタカさんでした。彼は何か用事があるのか、そそくさと何処かへ行ってしまいました・・・煙草かな。でも決められた場所でしか煙草は吸っちゃいけないなんて、変な風習がある国なんですね、ニホンって。
この人・・・ミチタカ=ヒライデさんについては、ジャクユーさんと比べてお話することも少ないし、どんな人なのか良く分からないって言うのが正直なところです。もしかして嫌われてるのかなあ・・・ジャクユーさんはそんな事ないって言っていたけれど。
何時も以上に静かで、具合が悪そうな感じがしたのもちょっと気になりました。
その後、私はしばらく歩いて、船室の前まで戻って来ました。
海の上はちょっと娯楽が少ないって言うか・・・この後、夕ご飯までどうやって過ごそうかな。
「あら・・・リリー、どうしたの?」
午後の過ごし方について悩みながら、ドアノブを握っていたら、横から明るい声が聞こえてきました。この声はサクラさんの声ですね。振り返ってみると、隣の部屋の扉から私のことを覗いていました。
この人はサクラ=リヨシさん、ジャクユーさんみたいに優しくて、背が高くて、そして綺麗な女の人。今は元気なんだけど、この前のヨハン共和国で攫われちゃって大変だったんです。でも何とか助け出せて本当に良かった。私もやっと皆さんの役に立てたかな。
それ以降、サクラさんとジャクユーさんは話すことが多くなったみたい。神藤さんと話している時のサクラさんは生き生きとしている。ジャクユーさんも、その時は何だか楽しそう。
でも・・・私は最近それを見ていて、ちょっともやもやした気持ちになっちゃいます。醜いなあ・・・。
「夕飯まで暇でしょう? こっちの部屋に来ない?」
サクラさんはそう言うと、私に向かって手招きをしています。此処はお言葉に甘えてお邪魔させて貰いました。
部屋の奥にある椅子に座った私に、サクラさんは紅茶を煎れてくれました。小さなテーブルの上には、紅茶の他にお菓子が一杯入ったお皿が置いてあります。
「好きなの食べて良いからね」
「あ、ありがとうございます!」
サクラさんは、お皿の中に詰まっているお菓子を食べる様に薦めてくれました。その中にあるクッキーを口に入れて頬張る私を、彼女は優しい目で見つめています。
サクラさんはよく、こんな風にお菓子をくれたり、遊び相手になったりしてくれる優しい人・・・私はこの人の事が大好きです。でも、やっぱりジャクユーさんの事が頭を過ぎって、胸の中がもやもやしてしまう。
そうなっちゃう理由は自分が1番良く分かっています。でも、それは恩を仇で返している様で・・・。
「・・・どうしたのかな? 元気ないね」
「い、いえ! そんな事は・・・!」
顔に出ちゃってたのかな、何十年も舞台で演技をしてきた筈なのに、本当にこういうのは駄目ですね。サクラさんは私の顔をまじまじと見つめて来ます。
「嘘、顔に書いてあるわよ。何か悩み事が有るなら言って欲しいわね」
私の事を心配してくれているみたい。サクラさんは本当に優しい人・・・でも、この悩みは貴方も一因になっている、何て事は言える訳がありません。
言える筈無いのに・・・この時の私は何を思ったのか、今まで胸に抱え込んでいたものをとうとうはき出してしまったのです。
「あ、あの! サクラさんって、ジャクユーさんとは・・・どういう・・・」
「・・・?」
自分でも何を言っているのか分かりません。でも、遂に言ってしまいました。恥ずかしさと情けなさで顔から火が吹き出そうです。でも、言葉足らずだったし、もしかしたら聞こえていなかったかも・・・。
「・・・どういうって、どういう関係かって事?」
固く閉じた目を恐る恐る開けてみたところ、サクサさんは怪訝な表情で首を傾げていました。ああ、ちゃんと聞こえていたみたいですね。穴があったら入りたいとはこの事です。
「どうも何も・・・上司と部下よ、知っているとは思うけど」
恐らくは顔を真っ赤にしている私とは対照的に、サクラさんは淡々とした様子で答えました。特に気にしていない様ですね・・・。
「そ、それだけ・・・なんですか?」
それならばと、ここは1つ踏み込んで聞いてみます。これ程の勇気を出したのは、私の今までの人生の中でこれが初めてかも知れません。
何時もと明らかに違う私の様子に戸惑ったのか、サクラさんは一瞬目を丸くしていました。ところが・・・。
「あははははっ、ふふっ! ・・・成る程ね、道理で最近私に素っ気ないと思った!」
「・・・!」
サクラさんの笑い声が部屋の中に響きました。どうやら彼女は、私が考えていた事を全て分かってしまった様です。でも、笑われるなんてちょっと心外、これじゃあ、1人恥ずかしい思いをしていたり、悩んだりしていた自分が何だか馬鹿らしい。
「あ、笑っちゃってごめんなさい、貴方は真剣よね・・・」
サクラさんは笑い涙を人差し指で拭うと、私に向かって頭を下げました。ちょっと不機嫌になっていたのがまた顔に出ていたのかな。私は本当にこういうのは駄目ですね。
サクラさんは両手の指を組むと、恐らくはツンとした顔をしている私に、優しい声で語りかけてきました。
「確かに最近は神藤さんと良く話すし、私はあの人を好いているのかも知れないわ。でもそれは“上司”として、そして“先輩”として・・・神藤さんを“尊敬”しているからよ。まあ・・・ちょっと前までは違ったんだけど・・・」
サクラさんは少し苦笑いを浮かべている様に見えました。ちょっと前まで違ったってどういう事なんだろう。聞きたかったけれど、どうも聞いて欲しくない感じです。
「・・・貴方は本当に神藤さんのことが好きなのね。なら大丈夫、私は貴方の気持ちを邪魔することは無いから」
「・・・!!」
やっぱり・・・全部ばれていました。サクラさんの話を聞いて、私はホッとした様な顔をしていたのだと思います。恥ずかしさの余り、私はまるで夏の太陽の下に居るみたいに、顔が熱くなっちゃいました。そんな私の姿を見て、サクラさんはまたくすくすと笑っています。ああもう、本当に恥ずかしいのに・・・!
・・・とは言っても、心の中のもやもやを聞いて貰って、大分すっきりした様な気持ちになったのも確かです。サクラさんは本当に優しい人ですね。
その時、部屋の扉の向こう側から、ノックする音と声が聞こえて来ました。ジャクユーさんの声です。
「利能・・・夕飯だよ!」
「あ、はい! 今行きます!」
ジャクユーさんは夕食の時間を伝えに来てくれた様です。サクラさんは声を張り上げて、扉の向こうにいる彼に返事をしました。
「分かった、食堂で待っているよ」
再び扉の向こうから声が聞こえて来ました。その直後、ジャクユーさんの足音が遠ざかっていきます。
その後、紅茶を飲み終えたサクラさんは、椅子から立ち上がりました。
「じゃあ・・・一緒に行こうか、リリー。それと・・・いつか面と向かって言えると良いわね、貴方の想い。その為に船へ 乗り込んだんでしょ?」
「・・・・・・!」
不意に告げられた言葉に驚き、顔を真っ赤にしているだろう私を見て、サクラさんは再びクスクスと笑いました。
でも良いんです、私は側にいられるだけで。この旅が1秒でも長く続くことを・・・。




