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美しき共和国の新たなる夜明け

6月1日・夜 セーベ港・第11埠頭


 1日に100隻以上の船が出入りし、常時数百隻の船が停泊しているセーベ港には12の埠頭が存在しているが、十数年前に国によって行われた港の縮小・整地によって、“最南端の11番”と“最北端の12番”の埠頭は不便な立地にされてしまった為、入港する船も疎らな寂れた場所になっていた。

 しかし第12埠頭については、日本政府がヨハン共和国から土地を買い上げ、自国専用の港湾として現代的な港に改造した為、かつて使用されていた時以上の活気を取り戻すこととなり、その一方で第11埠頭はますます寂れていき、治安の目も届かない怪しげな場所へと変貌を遂げることとなった。


「あの船か・・・」


 そんな寂れた埠頭には不釣り合いな大きさの立派な船が、埠頭の桟橋に停泊している。その船を監視する為に、木箱の陰に隠れて潜伏している2人の警吏が居た。


「・・・周りに十数人の見張り、ただ事じゃあねェわなぁ」


 船の周りには、簡素な衣服に身を包んだ強面の男たちが、警戒心をむき出しにしながら巡回している。只の貿易船では無いことは、見るからに明らかだった。

 しばらく監視していると、船が停泊している桟橋の近くに多数の馬車が現れた。その中から、護衛に守られた身なりの良い人影が次々と現れる。


「おい、あれ見ろよ・・・侯爵のヴァレンリューノ=オズジーニだ・・・あの変態ヤロー」

「あいつは見た事がある、何度かこの国に来ているクロスネルの奴隷商人だ」

「あの服飾は・・・確か隣国のセラン王国の者だな、そこの貴族様って訳か」


 馬車の中から出て来た人物の中には、何処かで顔を見た事がある大物たちがちらほらと紛れ込んでいた。恐らくは船の中にて行われる競売の顧客たちだろう。彼らは見張りの男たちの先導を受けて、次々と船の中へ入って行った。

 そんな彼らに続いて、見窄らしい恰好をした連中が別のタラップから船へ乗り込んでいるのが見えた。首と両手を縄で繋がれているのが遠目に見える。


「非合法奴隷たちだ・・・ニホン人は居るか?」


 船の様子を監視していた警吏の男が、双眼鏡を持つもう1人の仲間に問いかける。


「いや・・・良く分からん」


 男は双眼鏡を下ろすと、首を左右に振って答えた。

 日が没してから既に30分は経っている今、空はますます暗くなっており、街にはちらほらと灯りが点り始めている。そんな状況下で、鞭で脅されながら桟橋の上を歩いている奴隷の群れを見ても、その1人1人の顔を詳細に観察することなど出来なかった。


「取り敢えず・・・分隊長に連絡しよう」


 そう言うと、警吏の男は懐から短距離用信念貝を取り出す。


・・・


同刻 第2埠頭近辺 港湾部警吏署


 港の治安を管轄とする港湾部警吏署は今や、国が隠そうとしている闇へ踏み込む時を今か今かと待つ“はみ出し者”が集う場所と化し、その会議室には、今回の「競売場ガサ入れ」に参加する警吏たちがその首尾を話しあう為、一同に集まっていた。

 その中には神藤と開井手、そして今まで別行動をとっていたエルフ族の少女リリーの姿もある。


「ジャクユー殿の情報通り・・・第11埠頭に“奴隷競売船”と思しき船舶が停泊しているのを確認、羽振りの良さそうな連中が船内へ入って行くのも見たそうだ」


 現場で監視を行っていた警吏から、埠頭の様子についての報告が届けられる。その内容を聞いた警吏たちは、一様にざわめきを見せた。

 報告を耳にした分隊長のバッティスタ=アンジョリーニは、部下たちの様子を見渡すと、椅子から立ち上がって口を開く。


「・・・ジャクユー殿が得た情報然り、現在までの状況証拠から察するに、今第11埠頭に入港しているその船にて、各船の奴隷商人やヨハンの貴族が参加する競売が行われるのは間違い無いだろう。その内容は当然“非合法”・・・セーベ市内で攫われた(・・・・)様々な人種が競りに出される筈だ」


 警吏たちの視線がバッティスタに集まった。彼は言葉を続ける。


「そこで我々はサクラ=リヨシというニホン人が舞台に引き出されるのを確認した後、競売場に突入してその場を制圧、その後ジャクユー殿とミチタカ殿はそのニホン人を、我々はその他の拉致被害者全員を救出する。

突入の合図はジャクユー殿の仲間だというリリアーヌ殿が、“貝”を通じて我々に伝えてくれることになっている」


「・・・」


 名前を呼ばれたリリーの下へ、警吏たちの視線が集まる。リリーは屈強な男たちに囲まれた状況にやや萎縮しながらも、彼らに向かって小さく会釈を返した。

 準備は上々、彼らの孤独な革命を止めるものは何1つ無い。


「・・・よし、お前達・・・出動だ!」


「オォ!!」


 遂に分隊長の口から告げられた出動命令に、この時を待ち詫びていた警吏たちは、熱意と共に呼応した。彼らは保管庫から運び出されていたマスケット銃を肩に担ぎ、次々と会議室を後にする。

 神藤と開井手、そしてリリーの3人は、やる気に満ちあふれている彼らの最後尾に続いて、会議室を退出していった。




「すまない・・・こんな危ない役目を君に頼むなんて。だが、この役目は君にしか出来ない、“不可視の魔法”を持つ君にしか」


 署の出入り口に繋がる廊下の上で、神藤は右隣を歩いているリリーに謝罪の言葉を掛ける。

 今回の“大規模家宅捜査”で彼女に与えられた任務は、不可視の魔法を駆使して、見張りや客たちに気付かれない様に船の中へ忍び込み、突入開始のタイミングを信念貝でバッティスタらに伝えるというものだった。


「分かっています! ・・・任せてください!」


 リリーは自身満々な表情を浮かべている。しかし、いくら不可視の魔法を操れると言っても、先兵として競売場に潜入するという孤立無援な任務の重大さに、彼女は心の何処かで不安と緊張を覚えていた。

 そんな彼女の気持ちを察したのか、神藤は懐からあるものを取り出し、リリーに差し出す。


「リリー・・・君にはこれを渡しておく」


「・・・?」


 神藤が彼女に渡したのは、黒い空豆に細い2本の針金の様なものが付いている物体だった。首を傾げるリリーに、神藤はそれが何なのかを説明する。


「我が国の企業が開発した超小型携帯無線機(トランシーバー)『SPT-2000』、片耳に収まるミニサイズにも関わらず、市街地なら半径400m以内に居る仲間と通信出来る優れものさ。こっちの針金みたいなものが電波を出すアンテナ、そしてもう一方の針金が音を拾うマイクになっている。

体内に魔力を持たない日本人(俺たち)は“信念貝”が使えないから、俺と開井手に連絡を入れたい時はこれを使ってくれ」


 そう言うと、神藤は上半身を屈めながら自身の右耳を指差す。そこには彼がリリーに渡した超小型携帯無線機と同じものが装着されていた。


「・・・!」


 リリーは嬉しそうな表情を浮かべると、手渡された無線機を言われた通りに右耳に装着する。

 その後、警吏たちと共に港湾部警吏署を後にした神藤一行は、彼らの協力者として、ガサ入れの現場となる第11埠頭へと向かうのだった。


・・・


1時間後 セーベ港・第11埠頭


 港湾部警吏署の警吏たちは夜の闇に紛れながら、見捨てられた埠頭である「第11埠頭」へとその姿を現す。彼らは茂みや建物、うち捨てられた木箱や樽の裏に隠れ、違法な競売の現場となっている船へ視線を向けていた。

 彼らを率いる分隊長のバッティスタは、神藤とリリー、その他数名の部下と共に、競売船が停泊している桟橋の近くにある、寂れた小屋の影に身を潜めていた。


「バッティスタ分隊長、お待ちしておりました」


 監視の為に先行して埠頭に身を潜めていた2人の警吏が、港へ現れたバッティスタの下へ駆け寄る。


「拉致被害者の搬入が終わりました。間も無く競売が始まる様です」


「・・・うむ」


 部下の報告を受けたバッティスタは、背後に居るリリーへ視線を向ける。その刹那、彼女は何かを求める様に神藤の顔を見上げた。


「リリー・・・行けるか?」


「・・・はい」


 リリーは神藤の問いかけにこくりと頷く。心なしか、彼女の両頬は紅く染まっている様に見えた。

 その直後、彼女は両目をつむると、周りを浮遊している“光の精霊”に心の中で使役を命じる。


(我の身を隠せ!)


 彼女の念を合図にして光の精霊が動き出す。すると、リリーの身体は周りの風景と同化を始め、瞬く間に見えなくなってしまったのだ。


「おお・・・これは!」


 エルフ族にのみ操れる秘技「精霊魔法」、その妙技を目の当たりにしたバッティスタと彼の部下たちは、思わず感嘆の声を漏らした。


「では・・・行って来ます!」


 リリーが消えた場所から彼女の声が聞こえて来る。だが、声が聞こえるのみで、彼女の姿を視界に捉えることは出来ない。その後、素早い足音が彼らの下を離れて船の方へ向かって行く。


「・・・!」


 神藤たちから事前に聞いていたとは言え、姿そのものを他者の視界から消すという高等な魔法能力を目の当たりにしたバッティスタたちは、しばしの間、呆然とした表情で足音の向かう先を眺めていたのだった。


・・・


競売船 内部


 侵入者を警戒する見張りの監視網を難なく潜り抜けたリリーは、競売船へ伸びるタラップを超え、その甲板へ堂々と降り立った。甲板の上にも見張りの男たちが居るものの、視界に捉えられない彼女に気付くことは無い。


(・・・大きな船)


 甲板の中央にそびえ立つメインマストを見上げながら、リリーは小さくため息をついた。彼女が侵入した船は、区分状は民間の貿易帆船ではあるものの、その大きさはさながら戦列艦の如きサイズがあったからだ。


(まあ・・・いつも寝泊まりしているニホン国の船の方が、何倍も大きいけどね・・・)


 一頻り甲板を見渡したリリーは、船室の中へ続く扉へと向かう。幸運にも扉は開放されていた為、勝手に扉が開閉するという不自然な現象を見張りたちに見せずに済んだ。




船内 廊下


 船室の中は紅い絨毯が敷かれ、等間隔でディテールに凝ったランプが設置されている等、中々に豪勢な造りになっている。政財界に顔が効く顧客たちを迎え入れる為の装飾だろう。


(・・・皆、何処に居るのかしら?)


 見張りがうようよしていた甲板とは一転、船室の中を伸びる廊下には人影が一切無かった。ランプの灯りが朧気に照らす廊下を、リリーは進んで行く。

 程なくして、ディテールに凝った両開きの扉が彼女の前に現れた。扉の両脇には帯刀した2人の男が見張りとして立っている。中からは歓声に似た声が聞こえており、扉の奥に人が集まっている事は間違いなかった。


(・・・弱ったな、このままじゃ中に入れない)


 リリーの魔法はカメラすら欺くことが出来る、言うなれば高性能な光学迷彩とでも評すべき能力である。しかし、あくまで光の回折・屈折を操って視界から消えるだけであり、壁をすり抜けたりする事はできない。

 故にこのままでは、誰も居ないのに扉が勝手に開くという奇妙な現象を、見張りたちの目の前で披露することになってしまう。そんなことをしてしまっては流石に怪しまれるだろう。


(・・・どうしよう)


 ガサ入れの目的地を前にして動けず、リリーは立ち往生してしまう。彼女は姿を消したまま、扉の前をうろうろしていた。

 その時、天の助けが降りてきた。扉の向こうから1人の男が現れたのだ。身なりが良く、客の1人である様で、扉の両脇に立っていた2人がその男に頭を下げる。


(・・・良し!)


 千載一遇のチャンス、リリーは開いた扉の間から、部屋の中へ一気に駆け込んだ。客の男は自身の右脇を微かな風が通り抜けた様に感じたが、特に気に留めること無く、用を足しに行った。




船内 大ホール


 リリーが侵入した扉の中には、小さいホールの様な空間が広がっていた。扉から1番離れた最奥に小さなステージが設けられており、それを取り囲む様にしてソファが置かれている。天井には煌びやかなシャンデリアが掛けられており、部屋の内装をますます豪勢な雰囲気にしている。

 各ソファには先程出て来た男の様な身なりの良い客たちが座っており、ステージに向かって熱い視線を向けていた。その顔ぶれはヨハン国内の貴族や豪商だけでなく、隣国の奴隷商人や要人も混じっている。


『お集まりの皆様・・・ようこそ“マリー・アリーゴ”へ!』


「!」


 “声響貝”によって増幅された声がホールの中で響き渡る。驚いたリリーが声のした方へ振り向くと、ジュストコールに似たコートを着たオークショニアが、ハンマーを片手に壇上に立っていた。

 この国の闇を映し出したオークションが、遂に始まったのである。


『皆様もご存じの通り、古来より中継貿易の拠点として栄えてきたこのヨハン共和国はあらゆる人種・種族が集う国・・・。今宵は皆様のお眼鏡に叶う“商品”を取りそろえられたと自負しております。

そして今日は目玉として、あの“東の果ての謎の民族”を捕獲する事に成功致しました。彼の国の監視が厳しく、市場に出回る事はまずない民族です。つきましては此度の千載一遇の機会を逃さぬよう・・・』


「・・・!」


 オークショニアの言葉を聞いた客たちが途端にざわめき出す。市場に出回ることが無い東の果ての謎の民族と言えば、彼らの脳裏に浮かぶ名は1つだけだ。


「アリーゴ殿、謎の民族とはもしや・・・!?」


 客の1人が、自身の隣に座っているこの競売の主催者、アリーゴ=ガルティリアーノにその真意を尋ねる。アリーゴはしたり顔を浮かべて、意気揚々と答えた。


「お察しの通り! あの新進気鋭の新列強国の民です!」


「おお・・・!」


 アリーゴの言葉を聞いて、彼の周りに座っていた客たちは感嘆の声を上げる。


「男か、それとも女ですか!?」

「歳は!?」

「顔貌は!?」


 目玉商品の正体を知り、興奮した客たちは口々にアリーゴへ質問をぶつける。彼は両手を上げて彼らに落ち着く様に求めると、視線を左右させて言葉を選びながら答える。


「・・・女だ、それもまだ若く、程よく豊満な体躯を持っている。加えて顔の見目形は私の目に見ても・・・いや、私の口から述べるのは此処までにしよう。楽しみはその時まで取っておくものですよ・・・」


 主催者の言葉を聞いた客の期待値がどんどん上がって行く。壇上に立つオークショニアは、競売を始める前からむやみにハードルを上げる主催者の言動を目にして、やや苦笑いを浮かべていた。

 その後、彼は舞台袖に立つ従業員に目配せを飛ばし、最初の商品を舞台裏から連れて来る様に合図を出す。数十秒後、壇上に引き出されたのは、ボロボロの布きれの様な服に身を包んだ“人族の男”だった。


『では最初の商品です。南方の島トケア島はピア王国出身、人間の男、歳は20代後半・・・最初は3マルカル(9万円)から』


 引き出された男は、南方の島国に暮らす民族特有の浅黒い肌と屈強な肉体を持ち、地球で言うところのポリネシア系に近い特徴を持つ民族だった。主に力仕事に従事させる労働力や兵士として高い需要がある民族であり、初っ端に登場した商品の質の高さに、客たちの興奮は更に高まっていく。


「・・・5マルカル!」

「5マルカル5シルケン!」


 彼らは右手を挙げると、次々と入札金額を叫んだ。その様子を見て、主催者であるアリーゴは満足げな笑みを浮かべている。


『ありがとうございます! 10マルカル6シルケン(31万8千円)でのお買い上げになります!』


 オークショニアが持つハンマーが台の上に振り下ろされた。木がぶつかる甲高い音がホールの中に響き渡り、順当に買い手が付いたピア王国民の男は、反対側の舞台袖へと連れて行かれる。

 それと入れ替わる様にして、2人目の商品が壇上に引き出された。


『では次の商品です、大陸の北端リャック王国出身、人間の女、歳は10代後半・・・』


 次に引き出されたのは若く色白の女性だった。先程と同様にすぐ高値が付き、忙しなく舞台袖へと去って行く。

 その後も同じ様な調子で“競売”は続き、気付けば10人を超える多種多様な種族が競り落とされていった。その中には人間だけでなく亜人も多く混じっていた。


(・・・)


 “物”に堕とされ、見窄らしい恰好をさせられた人々が、次から次と引き出されて値段を付けられていく。その異様な光景を見て、潜伏中のリリーは何とも言えない気持ちになっていた。




舞台袖 待機場


 盛り上がりを見せる競売場の舞台袖では、壇上に引き出されるのを待つ奴隷たちの姿がある。多種多様な種族からなる彼らは、首と両手をそれぞれ枷で拘束されており、ホールの雰囲気とは裏腹に、まるでこの世の終わりの様な表情を浮かべていた。

 そしてその中に、今回の目玉商品として待機させられている利能の姿がある。着ていた筈の衣服は剥ぎ取られ、他の奴隷たちと同様に、心許なく見窄らしい布きれの様な恰好に身を包んでいた。


「・・・」


 獅子の亜人の隣に座っていた利能は、生気をほとんど失った目で、自身の両手首を繋ぐ枷と鎖を眺めていた。


「・・・?」


 その時、利能は自身の首を拘束している枷から伸びている鎖が、不意に引っ張られる感覚を覚えた。何事かと思って顔を見上げてみると、彼女の目の前にアリーゴの部下が立っている。


「ニホン人・・・次はお前だ、出ろ!」


「・・・」


 遂に自分の番が来たか、そう思いながらも、既に抵抗の意思を失ってしまっていた利能は、成されるがまま壇上へと足を進めるのだった。




 舞台袖から彼女が来ているのを確認したオークショニアは、胸一杯に息を吸い込むと、一際大きな声量でバイヤーたちに呼びかける。


『次なる商品は・・・皆様、長らくお待たせ致しました! 世界の最東端に位置する謎の島国ニホン国出身の女、歳は20代前半! 本日最大の目玉商品です!』


 オークショニアの紹介文と同時に、利能は客たちの視線が集まる壇上へと引き出された。

 市場でまず出回ることが無い「謎の民族」、彼の国の政府の監視が厳しく、手に入れようが無いとされていた存在の登場に、バイヤーたちの興奮は極限まで高まる。


「おお! ニホン人の若い女か!」

「20代・・・? まだ10代の様に見えるぞ」

「アリーゴ殿の言う通りだ、美しい見目形をしているな」


 利能の姿を見た客たちは、口々に感想を述べていく。それは彼女の風貌を褒め称える讃辞の言葉だった。しかし、この状況下で讃辞を述べられたところで喜べる筈もなく、利能は変わらず、生気を失った顔で俯いている。


(・・・サクラさん!)


 長らく客席の隅に身を隠していたリリーは、遂に壇上へと現れた利能の姿を見て目を見開く。目の光を失っている利能の姿は、リリーには酷くやつれている様に見えた。


「・・・突入してください!」


 彼女は警吏から渡されていた“信念貝”を取り出すと、その向こう側にいる者たちに向かって合図を出す。


・・・


第11埠頭


 先行して競売場へ潜入していたリリーの合図は、バッティスタをはじめとする警吏たちが持つ信念貝を介して、彼らの耳へと届けられた。


「突入!」


 直後、銃を抱えたバッティスタが廃小屋の影から飛び出す。彼の姿を見ていた他の警吏たちも、木箱や樽、茂みの裏から次々と姿を現し、この国の闇が催されている奴隷競売船へと駆け出した。

 神藤と開井手も拳銃を構えながら、彼らに続いて船へとひた走る。


「見張りを素早く制圧して競売場の中へ突入! 同場所に居る客共を取り押さえ、奴隷として拉致された者たちを救い出す!」


「オォッ!!」


 分隊長の言葉に警吏たちが呼応する。その声は夜空の彼方にまで響き渡っていった。




 競売船が停泊している桟橋にて見張りを行っている男たちは、突如港の方が騒がしくなっていることに気付く。音のしている方を見れば、桟橋の上を走って此方へ向かって来る集団が現れていた。


「げぇ・・・! 何だ、あいつら!?」

「おい止まれ! この船は国政議員アリーゴ様の貸し切りだ!」

「警吏風情が手を出して良い場所じゃないぞ!」


 見張りの男たちはバッティスタらに向かって、口々に立ち止まる様に求める。しかし、出世も将来も何もかも捨て、心中に近しい気概で国の闇に刃を入れる決意を固めた彼らが、そんな脅し文句で止まる筈も無かった。


「っ・・・! 応戦しろ!」


 彼らの様子からただならぬ気配を感じた見張りたちは、腰に指していたカトラスの様な剣を次々と抜く。

 警吏たちの方も応戦する為、各々が持っている銃の先に銃剣を装着した。


「ぐはッ!」

「ガッ・・・!」


 日々戦闘技術の修練を重ねる警吏たちにとって、所詮チンピラ崩れの見張りたちが振るう剣技など、恐るるに足る筈も無かった。彼らは一発の銃弾も放つこと無く、船の周りにいた見張りたちを、銃剣術を駆使して瞬く間に制圧してしまう。

 騒ぎに気付いた他の見張り番たちが、次々と甲板から姿を現すも、警吏たちには刃が立たず、銃剣だけで押さえ込まれてしまった。


「1班から4班は私に付いて来い! 船内を制圧する!」


 見張りたちの制圧を首尾良く終えた警吏たちは、バッティスタに率いられながら船室の中へ次々となだれ込む。


(・・・流石は良く訓練されているな)


 彼らの仕事の素早さを見て、神藤は感心していた。その後、彼と開井手も拳銃を構えながら、警吏たちに続いて船室の中へと入って行く。


(・・・無事でいてくれよ。利能、リリー!)


 警吏たちと行動を共にする傍らで、神藤は向かう先に居る仲間の無事を祈る。普段は落ち着いている開井手も、今回ばかりは額に冷や汗をにじませていた。


・・・


船内 大ホール


「25(75万)!」

「30(90万)!」

「・・・40マルカル(120万円)!」


 この場に居る人々にとって、エルフ族と同等の希少価値を持つ民族である利能のオークションは、それまでに無い盛り上がりを見せていた。

 バイヤーたちは次々と手を上げて、口々に金額を吊り上げていく。彼女が壇上へ引き出されてから、かれこれ15分以上が経過していた。


「・・・120マルカル(360万円)!」


 そう言って手を上げたのは、隣国のコンラッド王国から来た貴族の男だった。落札額は遂に日本円にして350万円を超える大台に乗り、バイヤーたちの間にもどよめきが走っている。

 その時・・・


「・・・150マルカル(450万円)!」


 つり上がり続ける金額に怖じ気づくことなく、大幅な増額を宣言する声が聞こえて来た。声の主は、クロスネルヤード帝国の地方貴族だった。


「・・・は!?」


 一気に値がつり上がってしまい、他の客たちは言葉を失ってしまう。利能に付けられた値段は既に、1人の奴隷に付けるものとしては破格と称すべき段階に達していたのである。

 主催者であるアリーゴはその金額を聞いて、破顔とも言うべき情けない顔を浮かべていた。


『・・・ひ、150出ました! 他にはいらっしゃいませんか?』


「・・・」


 動揺の声色を取り繕いながら、オークショニアの男は他の客たちに問いかける。だが相手が悪いと察したのか、彼らはがっかりした表情を浮かべて項垂れるだけであった。


『・・・では時間一杯です! 本日の目玉“ニホン人の女”は、クロスネルヤード帝国より来られたルードガー=グシュテン伯爵の150マルカルにて・・・落札となりました!』


 木槌を叩く甲高い音がホールの中に響き渡る。15分の長丁場に渡って行われた利能の競りは、希代の破格で終わりを迎え、彼女を競り落とした男は意気揚々とした表情を浮かべていた。


(・・・サクラさん!)


 出番を終え、再び舞台袖へ連れて行かれそうになる利能の姿を、リリーは焦燥感に駆られながら見つめていた。彼女が突入開始の合図を出してから既に20分は経過しており、その事がますます彼女を焦らせていた。


 だがその時、遂に彼女が待ちわびた瞬間が訪れる。


ガタンッ!


「!?」


 勢い良くホールの扉が開かれ、その場に居た者たちの視線が一気に集まる。全開になった扉の向こうに現れたのは、画一的な紺色の制服に身を包んだこの国の警吏たちだった。


「我々は首都警吏隊だ! 全員抵抗の意思を捨て、我々の命令に従って貰おう!」


 バッティスタは天井に向かって発砲し、ざわめく客たちを黙らせると、彼らに向かって警告を発した。

 動揺の余り、目を白黒させる彼らに対して、バッティスタは言葉を続ける。


「そのニホン人は2日前にこのセーベ市に入港した人物だ! そして彼女の他にもセーベ市内で拉致された者が、此処で人身競売に掛けられているという情報が入っている!

この国では人攫いが重罪である事は、良ーく知っている筈だ!」


 バッティスタはこの船に掛かっている容疑を述べる。しかしそれでも、客やオークショニアたちは的を射ない様子であった。


「これは一体どういう事だ・・・?」

「何故・・・此処に警吏隊が?」


 この船はアリーゴの権力に守られ、本来ならヨハンの法が及ばない筈の聖域だ。その聖域に警吏隊が現れ、自分たちに向けて銃を向けている。その事実を前にして、客たちの心の中に混乱と動揺の渦が巻き起こっていた。


「ちょ・・・どいてくれ!」


 競売場を包囲する警吏隊の隊員たちの間をかき分け、1人の男が前に躍り出る。他の警吏とは明らかに違う恰好、スーツ姿をしているその男に、客たちの視線が移る。


「・・・じ、じんどう・・・さん?」


 息を切らしながら競売場に現れた上司の姿を見て、利能の目に光が戻って行く。再三に渡って迷惑を掛けてきた自分を、危険を顧みずに助けに来てくれたという事実が、彼女の失われた心を取り戻していた。


「・・・」


 神藤の方も言葉を失いながら、壇上に立っている利能を見つめていた。

 首と両手首を枷で拘束され、更には身体を守るには心許ないぼろ雑巾の様な服を着させられている。まるで家畜の様な扱いを受けている部下の姿が、神藤の逆鱗に触れた。


「・・・・・・何をやっているんだ!!」


 彼は激しい怒りと共に、海の彼方まで響く程の咆哮を発した。獣の様に身体中の毛を逆立てながら、舞台に立っている利能に向かって駆け出す。その様相は、怒りで我を見失っているかの様だった。


「う、うわあああ!」


 その直後、ホールの中に居た客たちがパニックを起こし始める。神藤と同じく、冷静さを失った彼らの姿を見て、このままでは死人が出ると感じたバッティスタは、部下たちに指示を出す。


「1班と2班はバイヤーたちを抑えろ! 3班4班は俺と一緒に付いて来い、拉致被害者を探すぞ!」


 彼の指示を受けた警吏たちは、騒ぎを収める為に素早く散開していく。

 後に、ヨハン共和国そのものに大きな影響を与えることになる大捕物劇が、ついに始まったのである。

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