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闇のオークションを狙え

単純明快な勧善懲悪ものになりそうで、自分でも何か笑っちゃいます。

8年前 東京都内・湾岸部


 土砂降りの雨が埠頭のコンクリートに打ち付けられ、外は暗く、雨音に遮られて車の音さえ聞こえない。雨水によって東京湾は膨らみ、海面が陸地すれすれにまで迫っている。波浪警報によって退避勧告が出されており、本来なら東京港には誰も居ない筈だった。

 しかし、その一画に位置する廃倉庫の中に、3人の男女の姿があったのだ。


「っ〜・・・!!」


 手脚を縛られた少女に対して、2人の男が下種な表情を浮かべながら、襲いかかろうとしている。少女は口を塞がれて、言葉を発する事すら出来ない。明らかな危機的状況がその場に映し出されていた。


(また・・・あの夢・・・?)


 朧気ながらも脳裏に映し出される光景、利能は2日前に見た“夢”の続きを見ていた。それは彼女の記憶の中に暗い影を落としている“過去”の追体験であった。


(・・・)


 こんな夢を今更見てしまう理由は分かっている。それはあのエフェロイ共和国で、雇い主のブラウアー諸共攫われてしまった一件が原因だった。あの出来事が追体験となり、彼女の脳の奥底に眠っていた筈の忌まわしい記憶を呼び覚ましてしまったのだ。


「へへへっ・・・!」


 2人の誘拐犯の喉元から、下卑た笑い声が聞こえて来る。誘拐した少女の胸元を両手で掴んだ男は、彼女が身に纏う制服のカッターシャツを破こうと、思いっきり力を入れた。


「ッ〜〜!!」


 直後、小さなボタンが飛び散る音と共に、少女の胸元が男たちの前に晒け出された。侮蔑の感情を向ける彼らに下着を見られてしまった羞恥から、少女は堪らず顔を紅くして目を背ける。


「へへっ・・・誰も来ねェよ。お巡り共は台風と難民の世話で手一杯さ!」


 絶望に染まっていく少女に対して、男たちは追い打ちを掛ける言葉を浴びせる。その直後、シャツを破った男の穢らわしい手が彼女の身体に伸びてきた。


(もう・・・駄目だ)


 少女は右目の目尻から一筋の涙を流す。彼女は全ての抵抗を止め、自分の運命を諦めかけていた。その時・・・


「何をやっているんだ!!」


「!?」


 廃倉庫の中に響く声、雨音を掻き消す程に大きな声がする。男2人と少女が声のした方へ振り返ると、倉庫の入口に立つ若い男の姿があった。


(・・・!)


 日常の中で見慣れた“濃い青色の制服”・・・“交番勤務のお巡りさん”の姿を見て緊張と恐怖の糸が切れた少女は、先程の“絶望の涙”とは違う“安堵の涙”を流す。


「こちら○○! 例の誘拐事件の被害者少女、及びその犯人と思しき男2人を発見! 場所は・・・」


 その警察官は拳銃を右手で構えたまま、腰に付けていた無線機から伸びるマイクを口に近づけ、誘拐犯及び被害者発見の一報と現在地の場所を仲間の警察官に伝える。

 その後、彼は無線を切ると、拳銃を向けたまま、男2人と少女の居る方へじわりじわりと足を進める。突然の事態を前にして明らかに動揺している誘拐犯2人に向かって、その警察官は警告を発した。


「例の・・・女子高生誘拐事件の実行犯だな・・・。今すぐその子から離れろ! 両手を後ろに組んで地面に伏せるんだ!」


「・・・!」


 拳銃を向けられ、抵抗する術が無い誘拐犯の男たちは、互いに顔を見合わせながら、その警察官が言った通りの姿勢を取って床の上に伏せる。警察官は変わらず拳銃を構えたまま、床の上に臥す男たちに向かって更に近づくと、一方の男の両手首を掴み、腰から手錠を取り出してその両手を拘束する。

 しかしその刹那、手錠の扱いに気を取られていた彼は、もう一方の男が立ち上がっているのに気付かなかった。何処から拾ったのか、男の手には細い鉄の棒が握られている。

 その様子を傍から見ていた少女は、口を塞いでいた布を振り解くと、自身に迫る事態に気付いて居ない警察官に向かって叫び声を上げた。


「お巡りさん、危ない!」


「!!」


 少女の声に反応した警察官は、咄嗟に背後へ振り返る。その刹那、誘拐犯の男は持っていた鉄の棒を彼に向かって振り下ろした。


バキューン!


「!?」


 絶体絶命、少女がそう思った矢先、鼓膜を破らんばかりの鋭い音が彼女の両耳を貫いた。驚いた少女は堪らず目を閉じる。それと同時に、彼女は自分の顔に生暖かい液体が降りかかってきたのを感じた。

 恐る恐る瞼を開いて床の上を見れば、警察官を殴り倒そうとしていた男が、腕を押さえて苦しそうに悶絶している。その腕からは多量の鮮血が流れ出ていた。


「あ・・・あ・・・!」


 この状況を見た少女は、先程の音が銃声であった事を漸く理解する。彼女の顔に掛かった液体は、誘拐犯の男の腕から吹き出した返り血だったのだ。


「・・・」


 発砲した警察官は顔色1つ変えること無く、硝煙が漂う拳銃をホルスターの中へしまい込んだ。その後、彼は少女の下に近づき、彼女の手足の自由を奪っている縄を解いてやる。

 しかし、突如目の前で行われた実弾の発射に怯えているのか、危機的状況を脱したのにも関わらず、少女は小刻みに震えていた。そんな彼女の胸中を察したのか、警察官の男は屈託の無い笑みを浮かべると、怯える少女の頭を右手で撫でながら、口を開いた。


「怖かっただろう・・・だがもう大丈夫だ。こいつらは俺の仲間に逮捕されるし、君が不安や心配を感じる必要はもう無いんだよ」


 警察官の男が告げる優しい声色の言葉が、不安と恐怖で充ち満ちていた少女の心を解きほぐして行く。再び緊張の糸が切れた彼女は、両目から大粒の涙を流すのだった。




(・・・夢・・・か)


 セーベ港の一画にある薄暗い倉庫の中で、利能は長い気絶から意識を取り戻す。彼女の両頬には、夢の中で流した涙の筋がくっきりと残っていた。しかし、彼女の両手は後ろで拘束されている為に、涙の跡を拭いたくても拭うことが出来ない。

 おまけに口も布で塞がれており、助けを叫ぶことも出来ない。彼女はまるで夢の続きを見ている様な状況に陥っていた。


(神藤警視や開井手さんには、また迷惑を掛けてしまったわね・・・)


 エフェロイ共和国での一件に続き、彼女が何者かに拉致されてしまうのはこれで2回目だ。

 任務に対して不真面目な言動を度々発していた神藤に、反発心を隠さなかった自分が、結果として彼らに多大な迷惑を掛けてしまっている。その事実が、彼女の精神に大きな傷を付けていた。


(私って・・・思ったよりも、役立たずだったんだ・・・)


 悲しみ、悔しさ、そして心に突き刺さる痛みが、彼女の精神を蝕んでいく。

 彼女は幼少期より周りから期待され、警察庁への入庁後も新人のキャリアとして、その能力の高さを期待されてきた。しかし今の自分は明らかに1番の足手まといになっている。もしかしたら、期待されていると感じていたのは自分の思い込みで、上層部からは厄介払いとして、この任務に選ばれたのかも知れない。

 そんな負の感情が連鎖となり、彼女の気持ちはますます堕ちて行く。いっそ自分はこのまま彼らの前から消えた方が良いのではないかという思いが、利能の心に芽生えていたのだった。


・・・


2031年6月1日 セーベ中心街 日本国大使館


 脱走した邦人を確保した神藤は、一先ず奥田の身柄を大使館へ送り届けていた。気を失っている彼女を横抱きにして1階のロビーに現れた彼を、大使の宇佐野が迎え入れる。


「彼女の身柄を確保出来たのですね! 取り敢えず、それは良かった!」


 邦人の安全を確保出来た事に対して、宇佐野は安堵の表情を浮かべていた。彼と共に現れた2名の職員が、奥田の身柄を神藤から受け取り、3階の個室へと運んで行く。

 あと1日待てば、セーベに最も近い軍事拠点の「ベギンテリア租界」に駐留している海自の艦が、彼らの迎えに来る事になっている。


「・・・あの、宇佐野大使。実は」


「状況は分かっています。昨日の今日で日本人拉致が2件立て続けに起こった訳だ・・・良くない事というのは連鎖するものですねェ・・・!」


 神藤が伝えるまでも無く、宇佐野は利能が攫われてしまっている今の状況を把握していた。


「ヨハン政府には奥田皐の捜索に続き、拉致されてしまった利能咲良警部補の捜索に“首都警吏隊”を動員する様に要請しています。

彼の国の政府からは既に了承を得ており、彼らは貴方方に協力を惜しまない筈です!」


「全面的な御助力、重ね重ね感謝します!」


 神藤は宇佐野大使の計らいに謝意を現し、彼に向かって真っ直ぐに頭を下げた。




 大使館を急いで退出した神藤は、耳に装着している超小型無線機を介して、開井手に連絡を入れる。


「こちら神藤! 奥田の身柄は届けた。俺も今すぐ利能の捜索に入る!」


『こちら開井手・・・すまねェ、まだ何の手掛かりも無ェんだ!』


 用事を済ませ、通信を入れてきた上司に対して、開井手は詫びの言葉を伝える。事態発覚から既に1時間以上が経過しており、状況は依然として予断を許さない。


『それに出発予定は明日だ。それを逃すと、桐岡たちを更に取り逃がしてしまう。セーベは広い・・・それまでに探し出せるかどうか・・・』


 今日はヨハン共和国に来て2日目、明日の昼には、彼らが乗ってきた「シール・トランプ」は、クロスネルヤード帝国南海岸に位置する港街「ベギンテリア市」に向けて出発する予定になっていた。

 この船に乗る事が出来なくなった場合、彼らに先行してベギンテリアへ向かっている失踪邦人の残り2名に追いつけなくなってしまう。それは可能な限り避けたい事態だった。


「見つかるかどうか・・・じゃない、絶対に探し出して助け出すんだ! そして全員揃ってこの国を出発する! 俺は“部下は守る”し“国民も守る”よ、それが警察官として、上司として最低限の仕事だろ?」


『・・・ああ』


 覚悟と決意を語る神藤の言葉に、開井手はこの上無い頼もしさを感じていた。その後、港にて合流した2人は利能の捜索に向かうのだった。


・・・


市街地 とある路地裏


 奥田皐の捜索を行っていたこの国の警吏たちの下に、首都中心部に位置する「首都警吏隊本部」から新たな命令が伝えられていた。それは人攫いによって新たに拉致された日本人、すなわち利能を見つけ出せというものだった。

 そして此処、人の数も疎らな薄暗い路地裏に、2人の警吏の姿がある。彼らが此処へ訪れたのは、とある集団を訪ねる為である。


「・・・」


 警吏たちの目の前でたむろするその集団は、日がまだ昇っている内から酒瓶をあおっており、その見てくれから、誰の目に見ても真っ当な集団には見えなかった。それもそうだろう、彼らは「ベッチオ組」という、セーベ市内で暗躍している人攫い組織の1つなのだ。

 大評議会議員イルーシオ=スカルティーの庇護を受けていると言われており、彼らの犯罪行為は黙認されている。故に、治安の番人を前にしても、彼らは何ら臆することはなかった。


「それがよぉ、お巡りさん! 獣人だぞ、“獅子の獣人”! 暴れるヤツを何とか取り押さえて奴隷商人に引き渡したまでは良かった、今夜の“船上競売”の目玉商品になるのはそれだと思うだろ!?

それがどうやら・・・今日の昼に“ニホン人の女”を捕まえたって組が居るらしいんだよ!」


 ベッチオ組のボスであるトニーオ=ベッチオは、酔っ払い口調で2人の警吏に愚痴をこぼすと、右手に持っていた酒瓶を一気に飲み干した。


「・・・ちょっと待て! それ、どこのどいつだ!」


 トニーオの言葉を聞いていた警吏は、必死の形相で彼に詰め寄る。急に態度を変えた警吏にうろたえながら、トニーオは自身が知っていることを答える。


「わ、わかんねェけど、アリーゴ傘下の奴隷商人連中が騒いでやがったから、多分その系列の組だろうよ」


・・・


セーベ港・第1倉庫街


 利能の拉致が発覚してから数時間後、セーベ港を構成する倉庫街の一画に、制服を身に纏った「首都警吏隊」の隊員たちの姿があった。

 道の真ん中に立つ警吏隊分隊長のバッティスタ=アンジョリーニの下に、各地点から戻って来た彼の部下たちが報告を届けている。


「ニホン人は発見出来たか?」


「いいえ・・・やはりこの広いセーベ港で、何も情報が無いまま人1人探し出すのはかなり難しいですよ」


 分隊長の問いかけに対して、若い警吏の男は首を左右に振る。


 バッティスタと彼の部下たちは、首都警吏隊の中でも港を管轄する「港湾部警吏署」に勤務する者たちだ。本部の命令を受けた彼らは、管轄区域である港の捜索に当たっている。

 しかし、若い警吏の男が言う通り、日本国内を除けば世界最大規模を誇る港から、1人の女性を探し当てるのは至難の業だった。


 セーベに入港する奴隷船は通常、積荷をごまかして報告する。また、入港した船に対する臨検を担当する「貿易局」も、国政議員が一枚噛んでいる奴隷船に迂闊には手を出せない為、奴隷船の側が提示した偽りの積荷をそのまま記録してしまう。

 故に、神藤らがヨハンへ来て最初に訪れた「出入港管理所」に行っても、有益な情報を得られることは無い。その為、彼らは港に泊まっている数百隻の船を全て回る必要があり、その煩わしさが徒に時間を浪費してしまっていた。


「そもそも、何で俺たちがニホン人探しをしなきゃならないんだ」

「“執政部”直々の命令だからだろ、ニホン国の怒りを買ってはならんとね」

「・・・だが政府も政府だ! 今まで見て見ぬ振りだったくせに、極東の大国に脅された途端、掌返してやがる」


 バッティスタが焦燥感に駆られる一方で、彼の下に集まっていた警吏たちが、口々に不満を漏らしていた。

 他国民である日本人を総出で探さなければならないこと、今まで動かなかった「執政部」が、大国の圧力によって掌を返したかの様に拉致被害者の保護を命じたこと、そして何より、今までの人攫いは変わらず見て見ぬ振りをしたまま、日本人だけを救い出せという命令が、彼らの癪に障っていたのである。


「“人攫い”はあくまで大罪、それを取り締まる為に我々が居るのに・・・何故、ニホン人だけ助けてその他の非合法奴隷は無視しろって妙な話になっているんでしょうね・・・」


 1人の若い警吏が、夕焼け色に染まる空を見上げながらぽつりとつぶやく。その何気無い言葉に、他の警吏たちは心を抉られる様な心地がした。


「確かに・・・この国の法の上では、何処の旅人であれ自国民であれ、“人攫い”が重罪と定められている筈だ。それなのに、一部の悪徳議員たちの懐を肥やす為に、特権を認められた“人攫い組織”や“非合法の奴隷売買”が黙認されている。

元々、貴族でも平民でも法の前には平等である事が、この国の理念だった筈だ。だが重罪が形骸化されたこの国には、“美しき共和国”を名乗る資格はもう無いのかも知れない・・・」


「んな事は既に分かりきっている事だろう! 悪徳議員と連んだ犯罪が堂々とまかり通っているこの国で、信じられる美徳や正義なんざ有りはしない。

そいつらに手を出せば、逆に俺たちが上から制裁を被っちまうんだから! 所詮、俺たちは国の狗でしかないのさ」


 警吏たちは、心の奥底に秘めていた思いを吐露していた。彼らは自分たちが信じてきた“正義”が、骸となってしまっている現状に、得も言われぬ無力感と屈辱を感じていたのである。


(正義か・・・俺もそんなものを信じていた時があったな)


 部下の愚痴を聞いていたバッティスタは、入隊した時の頃を思い出していた。


 数十年前、チンピラに絡まれていた幼い彼を1人の警吏が救ってくれた。それ以降、彼は市民を救う警吏隊に憧れ、遂に入隊を果たすことになった。しかし、彼が警吏隊に対して抱いていた理想は、間も無く瓦解することになる。

 此処に居る者たちは、そういった苦い経験を経て、打算と妥協を覚えた者たちなのだ。


(警吏風情じゃあ・・・議員様には逆らえない、この国の歪んだ現状を変えることなんて出来ないんだ・・・)


 バッティスタは心の中で自分に言い聞かせる。しかし、彼も他の警吏たちと同様、今のヨハン共和国に対する不満を隠しきれずにいたのである。


 その時、彼が持つ信念貝が鳴り響いた。彼は貝をすぐさま懐から取り出し、音信に応える。


「こちらバッティスタ、何か分かったか?」


 てっきり部下が連絡してきたものだと思い込んでいたバッティスタは、砕けた口調で貝の向こうに問いかける。しかし、聞こえて来た声の主は、彼の予想を大きく超える人物だった。


『・・・どうも、港湾署のバッティスタ=アンジョリーニ君だね』


「そ、総監・・・!」


 バッティスタは緊張の面持ちを浮かべる。音信の主は警吏隊のトップに立つ男、マッショウ=ロベルリータだったからだ。総監直々に一分隊長へ連絡を取ることなどそうそうある話では無い。通話を傍から聞いていたバッティスタの部下たちも、気が気でない表情を浮かべていた。


『彼の国の大使より依頼されていたニホン人捜索の件だが、“南署”の警吏が有力な情報を入手してね・・・それを君たちに伝えようと連絡したのだよ』


「・・・有力な情報、ですか?」


『そうだ・・・』


 緊張が抜けないバッティスタに対して、マッショウは南署の警吏2人がベッチオ組から聞き出した情報を伝える。


『我々が捜索しているサクラ=リヨシというニホン人だが、どうも一昨日のニホン人と同様、アリーゴ=ガルティリアーノ氏と繋がりがある“職業斡旋組織”に捕らわれているらしくてな・・・。加えて情報提供者曰く、前回と同様、“船上競売”に目玉商品として引き出されるらしいんだよ』


「・・・成る程、故に一昨日と同様、港を管轄区域とする我々に白羽の矢が立った訳ですね」


 一昨日の一件で、奥田皐を初めとする3人の失踪邦人を救出したのは、他でもない港を管轄とする彼らであった。議員の息が掛かった連中に喧嘩を売るという、面倒な役目を再び背負わされるのかと思うと、バッティスタの気持ちが重くなっていく。


『ああ、大方その通りだ。あの(・・)ニホン国に不信感を持って貰っては我が国にとって多大な損害になる。だが・・・こうも立て続けに国政議員の方に不利益を被らせるのも、我々としては余り芳しいものではないのだよ。それは分かるね・・・』


「はぁ・・・」


 マッショウの口調がどんどん胡散臭くなっていく。バッティスタは嫌な予感がしてきた。


『呉々も・・・穏便に事を済ますのだよ、穏便にね』


「人攫い共に・・・頭を下げろって事ですか・・・!?」


 バッティスタは思わず声を荒げる。議員の庇護を受けていようが、あくまでも犯罪者である者たちに下手に出る等、彼のプライドが許さなかったのだ。


『誰もそんな事は言っていない。だが・・・この一件が終わった後、君には少々心苦しいことを言わねばならないかも知れんという事だね。

聞けば、サクラというニホン人は、君たちの管轄区域で攫われたそうじゃないか。港で起こる事は全て君の責任・・・そうだろう?』


「もしや・・・私に警吏を辞めろと・・・!?」


 バッティスタは愕然とする。マッショウが述べる理屈は余りにも理不尽な言い分であり、到底納得出来るものでは無かったからだ。


『・・・フッ、まあ君の処分は追って報告しよう。一先ず君たちの仕事は、ニホン人の所在を早急に突き止めることだ。競売船に引き出されては、最早我々には手出し出来ないからね。

情報提供者も、競売が行われる船がどの埠頭に入港するのか、そこまでは知らなかったそうだ。・・・まあ、良い報告を期待して待っているよ』


 彼の疑問に答えることなく、マッショウは一方的に言葉を発して音信を切ってしまう。


「・・・」


 呆然とした表情を浮かべるバッティスタに、部下の1人が心配そうな表情をしながら声を掛けた。


「今の音信・・・どういう事ですか!? 何故、分隊長が警吏を辞めなければならないのですか!?」


「・・・管轄区域内で、ニホン人拉致事件を起こしてしまった事に対する責任を取れ、だそうだ」


「そ、そんな理不尽な!」


「・・・分かってる! 実際のところは、二度もニホン人を奪回されるアリーゴ議員の固唾を下げさせる為の人身供養だろう。ニホン人を取り返す俺を辞めさせたと言えば、少しでもアリーゴ議員の気が晴れて、彼の怒りの矛先が警吏隊全体に向かないだろうってね・・・。その貧乏くじを、俺は引いてしまったのさ」


「・・・なっ!」


 バッティスタの部下たちは警吏隊上層部の思惑を知り、言葉を失ってしまう。


「俺は正義を信じて警吏になったが、すぐに妥協と打算を覚えた。悪徳議員の私腹を肥やす為に、理不尽に他国へ売られていく非合法奴隷たちを、見て見ぬ振りを続けてきた。

皮肉なもんだな・・・この国の歪んだ正義に染まっていた筈の俺へ、それが牙を剥くとはね。これも報いかも知れないな・・・」


 バッティスタは今までの自分が積み重ねてきた業を思い返していた。彼は地面の上へ力無くしゃがみ込んでしまう。気力を無くした上司の姿を、彼の部下たちは悲痛な表情で眺めていた。

 しかし、その中で1人だけ、明らかに違う目の色をしている警吏が居る。上層部の理不尽に納得出来ず、居ても立ってもいられなくなった彼は、バッティスタの前に立つと、項垂れている彼に話しかける。


「ならば・・・最期に大きな仕事をやりませんか?」


「・・・!?」


 そうバッティスタに問いかけたのは、彼の部下の中で最年少であるティベリオ=フォンタナマンソンだった。首を傾げている上司に対して、ティベリオは言葉を続ける。


「・・・今の我々には『執政部』の命令で動いているという大義名分がある。これをチャンスにしましょう。歪んでしまったこの国を、正す切っ掛けにするんです」


「!?」


 新入りが発したとんでもない発言に、警吏たちの注目が集まる。


「馬鹿な、そんな事が出来る筈が無い!」

「若造が何を考えているんだ!」


 ティベリオの突拍子もない発案に対して、他の警吏たちから非難の声が飛んできた。しかし、彼はそれを気にすること無く、持論を述べ続ける。


「その攫われたニホン人とやらが何処に居るかはまだ分かりませんが、恐らく値をつり上げる為に、“船上競売”に出される筈ですね。そしてそこに、この一件に関わっているであろうその(・・)悪徳議員も居る筈・・・。

我々が受けた指令はニホン人を救い出すことだけで、『執政部』の方々は我々が“そこまで”する事を全く望んでいないでしょうが・・・」


「・・・まさか!?」


 バッティスタはティベリオの思惑を悟っていた。直後、彼は他の警吏たちに向けて計画の全容を告げる。


「そうです・・・船上競売の場所を突き止め、執政部の命に依るものと言って競売場に踏み込み、アリーゴ=ガルティリアーノとその他の商人共を・・・一網打尽にする!

そしてこの国の闇を、世界に向けて告発するんです!」


「!?」


 その言葉に、警吏たちはざわついた。


「正気か!? そんな事をすれば、上層部からどういう目に遭わされるか、分かっているのか!」


 バッティスタは声を荒げた。

 国政議員の息がかかっている競売にガサ入れを敢行して、議員やバイヤーたちを一斉に逮捕する、今まで誰も手を出せなかった権力者の聖域に、正当な法の裁きを下そうと言うのだ。

 そんなことをすれば、処分されてしまうのはバッティスタ1人では済まない。彼の部下たちも良くて降格、悪ければ解雇という処遇が待っている。


「・・・怖いんですか? でも、これが貴方の真意ですよね、分隊長!」


「・・・!」


 動揺の声色を見せるバッティスタに、ティベリオは鋭い視線で問いかける。バッティスタは若き警吏に心の底を見透かされた様な心地がした。


「だが・・・俺1人の理想の為に、部下たちを心中させる訳には・・・!」


 ティベリオの計画は、国や警吏隊という組織そのものを敵に回すに等しい行為だ。解雇が決まった自分はともかく、上司として他の部下たちをこんな無謀な作戦に付き合わせる訳には行かなかった。

 だが・・・


「何、水くさいこと言ってるんですか!」

「何年の付き合いだと思っているんです、クビになる時もご一緒しますよ!」 

「そうです、命じてください! 俺たちは貴方に従います!」

「後の事は後で考えましょう、分隊長! 俺たちもそんなヤワじゃない!」


 バッティスタの心のもやを取り除く言葉が聞こえて来る。顔を上げれば、先程までの様子とは一転、部下たちは満面の笑みを浮かべていた。


「ハハハ! こいつ・・・とんでも無いことを考えやがるな!」

「だが、大切なものを思い出させて貰った気がするよ」


 年長の警吏たちが豪快な笑い声を上げながら、計画を発案したティベリオの頭をくしゃくしゃに撫でていた。

 正しき“法の支配”を示す為に、自身の“将来”を厭わない。心の奥底で長らく眠っていた正義の心に、再び火が付き始めていた警吏たちは、すでに覚悟を決めていたのである。

 ティベリオは年長の警吏たちの手を振り払うと、他の警吏たちに向けて再度言葉を発した。


「普段ならそんな事をしても、悪徳議員共の権力と財力で揉み消されて終いですが、今回の一件はあのニホン国が関わる一件です。

大々的に騒いで、“ニホン政府”や“逓信社”に嗅ぎつけて貰えれば、見て見ぬ振りを続けていた『執政部』の方々も、流石に重い腰を上げるでしょう」


 彼の目論見は、ヨハンの実情を国外へ向けて告発することにあった。自分たちの行動を切っ掛けにして、自国政府の腐敗に対する非難を海外から集め、この国の行政機関である「執政部」を動かす・・・それが彼の最終目標なのだ。


「お前たち・・・本当に俺の去り際のわがままに付き合ってくれるのか?」


 バッティスタはティベリオの背中に何か懐かしいものを感じていた。彼は掠れた様な声で、部下たちに問いかける。


「勿論ですとも!」

「全ては我々が信じる正義に従って・・・!」

「だからそんな顔しないでくださいよ!」


 分隊長の言葉に警吏たちが呼応する。彼らは全てを擲ってでも、国に一石を投じる決意を固めていた。


「・・・まったく、どいつもこいつも!」


 部下たちの迷い無き言葉に感極まったバッティスタは、目尻から一筋の涙を流す。彼の目の前に居るのは、紛れもなく最高の仲間たちだった。


「だが・・・その前に、競売の場所を明らかにしなければなりませんね」


「・・・あ」


 部下の1人が、計画の遂行における最大の障害を提示した。そもそも、競売が行われる船が何処に来るのかが分からなければ、計画そのものが成り立たない。彼の言葉を聞いたバッティスタたちは、高揚した気持ちが一気に冷静になっていくのを感じていた。


 その時、彼が持つ「信念貝」が再度鳴り響く。懐から取り出して応えたところ、貝の向こうに居たのは彼らが勤務する港湾部警吏署の事務員だった。


『分隊長、至急署にお戻りください! ニホン国の警吏と名乗る男が来ています!』


「何!? ・・・分かった、すぐ戻る!」


 バッティスタは事務員の言葉に驚く。直後、涙を拭った彼はその場に集まっていた部下を連れて、港湾部警吏署へと走る。


・・・


港湾部警吏署 会議室


 世界最大の港を管轄区域とする警吏たちの視線が、この会議室の真ん中に集中している。そこには机と椅子で作られた即席の応接セットがあった。


「日本国警察庁から来た神藤惹優(ジャクユー=ジンドー)です。こっちは私の部下の開井手道就(ミチタカ=ヒライデ)です」


 “日本国の警吏”である神藤と開井手は、向かい合って座っているバッティスタに、自分たちの素性を説明する。


「初めまして・・・この港湾部警吏署のチーフをしています、分隊長のバッティスタ=アンジョリーニです」


 互いに自己紹介を終えた後、両者は固い握手を交わす。極東の大国から来たという同業者を前にして、バッティスタは不思議な緊張感を抱いていた。


「我が国の国民がヨハン国内で拉致された一件ですが、捜索への御協力感謝します」


 先に口を開いたのは神藤の方だった。彼は利能の捜索に手を貸してくれている首都警吏隊への感謝を述べる。


「そして・・・その拉致被害者の行方ですが、港の人買いから有力な情報を入手しました」


「・・・何と!」


 神藤の言葉に、バッティスタは感嘆の声を上げた。




 時を遡ること1時間程前、市街地の捜索を警吏隊に任せ、港にて合流した神藤と開井手は、バッティスタらと同様に、埠頭に停泊している船を片っ端から当たって利能を探していた。


「“日本人”・・・本当に誰も売りに来てねぇか!?」


「き、来てねェよ・・・!」


 180cm近い大男である神藤に胸ぐらを掴まれ、その船乗りはすっかり萎縮していた。彼が乗っている船は、表向きは青銅を運搬している事になっている“奴隷船”だった。


「おいやめろ、神藤! 騒ぎを大きくするとますます利能警部補を探し辛くなる!」


 開井手は周囲の視線が集まっていることに気付き、神藤に自制する様に求めた。先輩に宥められたことで、彼は船乗りを掴んでいた両手を離す。

 彼の両手から解放された船乗りの男は、安堵の表情を浮かべながらため息をつくと、乱れた服を正しながら、ぼそぼそとつぶやいた。


「しかしニホン人か・・・ただでさえ市場に全く出回ってねぇ人種、そんなもの買いたいって金持ちはいっぱい居るだろうよ。だから俺なら、早々にどっかの船に売っ払ったりしねぇな・・・」


「どういう意味だ・・・?」


 神藤は船乗りの言葉を聞き逃さず、彼に向かって鋭い眼光を向ける。また胸ぐらを掴まれては堪らないと思ったのか、船乗りはある情報を神藤と開井手に伝えたのだった。




「・・・港の人買いに吐かせた情報に依ると、今日の夕方もしくは夜に、このセーベ港の第11埠頭へ入港してくる奴隷船の船上にて、各船の奴隷商人やヨハンの貴族が参加する競売が行われるそうです。恐らく、我々が探している日本人もそこに引き出される可能性が高い。

ですが、日本人を奪回するには我々だけでは頭数が足りない。だから貴方方の協力が欲しいんです」


 神藤は船乗りから得た情報をそのまま伝える。彼らが此処を訪ねた目的は、この国の警吏たちと共に利能の奪還に向かい、数的不利を解消することにあった。


「成る程・・・第11埠頭ですか、確かに港からやや外れているあそこなら、人目に付きづらい・・・」


 バッティスタはそうつぶやくと、小さなため息をついた。その後、彼は右手で口元を覆いながら、言葉を続ける。


「勿論・・・ニホン人の救出には力を惜しみません。この国で人攫いは重罪であり、我々は法に従ってニホン人を救う義務があります。ですが・・・この国の警察権は我々に有り、貴方方はあくまで我々の補助であるという事を納得願えますか? その上でこの先の話を聞いて頂きたいのですが・・・」


「・・・?」


 バッティスタが述べた事は、何も間違ってはいない。本来、此処が地球であれば、今の神藤らが行っている他国で捜査を行うという行為は、その国の主権を侵害する行為と見なされるからだ。


(要は・・・余計な口を出すなということか)


 人攫いが重罪である筈のこの国で“人攫い組織”が暗躍している辺り、この国の法が一部形骸化している事は想像に難くない。そしてそれは、この国の警吏たちにとって、他国の民に見せたいものでは無いだろう。

 故に神藤は、バッティスタの言葉の裏に、“日本人は救い出すから他の事には目をつむれ”・・・という黙示が介在している様に感じていた。

 特に反論をする素振りを見せない神藤に対して、バッティスタは更に言葉を続ける。


「先程も述べた通り、この国で人攫いは重罪・・・故に我々は、ニホン人1人だけを見て、その他を無視することは出来ません。その場に居る奴隷全員を救出し、競売に関わった全ての者を逮捕・拘束しなければならない。

なので・・・貴方方には我々に協力するという形で、競売場の制圧に参加して貰いたい」


「・・・え!?」


 神藤は目を見開いて驚く。先程の言葉の裏にあったバッティスタの真意が、彼の予想とは正反対のものだったからだ。

 バッティスタは神藤と開井手に捜査権限の優越を示すことで、現場における上下関係を確認しておきたかったのである。現場制圧という大仕事において、指揮系統を曖昧にしておくことは、余計な足かせになりかねないからだ。


「・・・分かりました、日本人の奪還が保障されるなら、貴方方の指揮下に入り、競売場の制圧に協力するということに異論はありません。

・・・ですが、我々にとって大切なのはやはり、日本人の救出です。我々はそれを優先にして動くことには変わりないということをご理解ください」


「・・・承知しています。では、宜しくお願いしますよ」


 互いに合意したバッティスタと神藤は、椅子から立ち上がって再度握手を交わす。

 その後、彼らは今宵の大捕り物に向けて、綿密な打ち合わせを行うのだった。

次回「美しき共和国の新たなる夜明け」

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