崇高なる革命戦士
5月30日 ヨハン共和国 首都セーベ中心街 日本国大使館
館長執務室
この国の首都であり世界最大のハブ港湾であるセーベ市には、世界各国の在外公館が置かれている。それは日本国も例外では無く、2国間で国交が築かれた2028年に日本国大使館が設置されることとなった。
現在の日本国大使を勤めているのは、経済産業省出身の宇佐野洋という男だ。その宇佐野が執務を行っている館長執務室に、1人の大使館職員が入室していた。
「大使・・・警察庁の方がお見えになっております」
「!」
職員の言葉を聞いた宇佐野は、各種書類に署名と押印をしていた手を止める。彼は驚いた表情を浮かべながら、思わぬ来客の訪問を告げたその職員の顔を見つめた。
「・・・『警察庁』の? 何故・・・? 取り敢えず応接室にお通ししろ」
「はい、ではその様に!」
大使の命令を受けた職員は一礼すると、部屋を退出して行く。その後、大使館を訪れた3人の警察官僚は、大使館の応接室へと通される事となった。
応接室
檜で出来たテーブルを挟んで向かい合う様に設置されたソファの一方に、神藤と開井手、そして利能の3人が座っている。数分後、応接室の扉が開き、その向こうから宇佐野が現れる。3人は静かにソファから立ち上がり、館の主である彼の登場を、誠意を以て迎え入れた。因みに、リリーには船の中で留守番をして貰っている。
宇佐野は3人が座っていたものとは反対側のソファへと足を進める。その後、両者はテーブルを挟んで向かい合う。
「警察庁警備局国際テロリズム対策課課長補佐、神藤惹優と申します。こちらは私の部下で、警視庁公安部の利能咲良と開井手道就です」
先に口を開いたのは、訪問者側の代表者である神藤だった。彼は自らの素性を述べながら、握手の為の右手を差し出す。
「ヨハン共和国駐在大使、宇佐野洋と申します。日本国大使館へようこそ、我々は貴方方を歓迎します。さあ、どうぞご着席ください」
宇佐野は差し出された右手を強く握り返すと、3人にソファへ腰掛ける様に促した。
「さて・・・警察庁の方が一体どのようなご用件で、この大使館に?」
改めてソファに座った3人の公安警察官に対して、宇佐野は彼らが大使館を訪れた理由を尋ねる。神藤は普段のおちゃらけた態度とは全く違う、ビジネスライクな雰囲気を醸し出しながら、本題へと入って行った。
「今日の午後4時、セーベ港第8埠頭に停泊中の船上にて、邦人3名が奴隷として競売に出されるという情報を入手しました。貴方には“日本国大使”の名でヨハン政府に日本人の救済を要求し、この国の警吏を動かして彼らを救って貰いたい」
港の倉庫街で出会った奴隷商人から聞き出した情報を、神藤はそっくりそのまま宇佐野へと伝える。
「話の腰を折る様ですが・・・我々は在ヨハン邦人、全102名の名前と所在を把握しているのですよ。ですがその中の誰1人、行方不明になったという報告は得ていません。それに我々も、この国で日本人が攫われるという事が無い様に最善を尽くしている」
彼の言葉を聞いた宇佐野は、一度は驚いた表情を浮かべるも、すぐに平常心に戻って神藤の報告に異を唱えた。
該当国で活動する邦人の安全確保は、大使館を初めとする在外公館が遂行すべき主要業務の一つである。加えてこの世界では、人種差別や人身売買、拷問を禁止する国際的な枠組みが未だ存在しない為、大使館の存在は邦人の保護という側面で大きな意義を持つ様になっていた。
さらにこの「ヨハン共和国」は、全体的に見れば他国と比較して治安は良いものの、“旅行者”・・・とりわけ少数民族や亜人種にとっては、“腐敗した権力者”と結託した“人攫い組織”から虎視眈々と狙われるという、非常に危険な面を持つ国である。
そういったテラルス世界の危険さを憂慮した日本政府によって、「入管法」と「旅券法」は大きく改正されていた。国外に滞在する日本人については、その滞在期間に関わらず、滞在先の日本国大使館に「在留届」を提出することが義務付けられたのだ(改正前は3ヶ月以上の国外滞在に限られていた)。
従って、大使館側が所在と名前を把握していない邦人がこの国の中に紛れ込んでいる事など、本来ならばあり得ないのだ。だが今回は事情が大きく違っている。
「・・・恐らく、攫われた3名の名前は、貴方方のアーカイブには存在しないと思われます」
「・・・どういう事ですか?」
宇佐野は怪訝そうな顔をする。彼は目の前に座る男の言葉を理解出来なかった。
「それを説明する為に・・・何故我々が此処に居るのか、その理由をお伝えしましょう」
神藤は持参した鞄の中からクリアファイルを取り出した。その中には5枚の書類が収められている。
「昨年の11月中旬頃、5名の邦人が屋和西道にて失踪した事件はご存じですね? 我々がこの国を訪れた目的は、国外へ失踪したその5名・・・正確に言えば左派系活動家を保護する為です」
神藤は警察庁から下された国外捜査命令の概要について説明する。
1970年代頃、日本人によって結成された極左過激派組織が、海外を拠点にして世界各地でテロ事件を起こした事がある。事件が起きる度に、日本政府はその都度振り回され、加えて世界各国に多大な迷惑を掛ける事態となった。
今回の特例捜査の目的は、海外へ失踪した不穏分子の芽を早急に摘み取り、万が一にもその二の舞いがこの世界で起きる事を防ぐ事にあった。
「これがその5名のプロフィールです。“桐岡竜司”、“重野凜花”、“山本浩三郎”、“富丸駿祐”、“奥田皐”・・・5人とも、身分上は長期休学中の大学生ですが、幕照市へ渡航したのを最後に消息を絶っています。
そして奴隷商から聞き出した情報によると、この中で拉致されたと思われるのは、山本と富丸、そして奥田の3名かと思われます」
神藤はファイルから取り出した5枚の書類をテーブルの上に並べる。それは失踪した5人について書かれた顔写真付きのプロフィールだった。5人とも東京都内の大学に通う大学生だが、かつて政治団体に属して学生運動に加担していた前歴を有している。神藤たちはそんな彼らの足跡を追って、このヨハン共和国まで来たのだ。
「・・・状況は分かりました。すぐにヨハン共和国政府へ働きかけましょう!」
事態を察知した宇佐野はそう言うと、扉の外側で待機していた大使館職員を呼びつけて、セーベの行政府である「執政部」に向かう為の馬車を手配する様に伝えるのだった。
・・・
同日夕方 セーベ港 第8埠頭
12の埠頭を有する広大なセーベ港には、1日あたり100隻を超える船が出入りしている。そんなハブ港湾の一画に正規の貿易商船に混じって、ある“非合法商品”を扱う船の姿があった。
「オラッ! さっさと入れ!」
短い鞭を振るう男の剣幕に怯えながら、首に縄を掛けられて数珠つなぎにされた人々が、船内の貨物室へ運び込まれている。その両手には縄が掛けられており、桟橋から船へと乗り込む彼らの顔は一様に暗く、まるでこの世の終わりが来たかの様な表情をしていた。
程なくして、全員の乗り込みが完了する。奴隷商人の男と彼の手下たちは邪な笑みを浮かべた。
「今日の“船上競売”は盛り上がるぞ! 何よりあの“謎の種族”を3人も手に入れられたのだからな」
船が接岸している桟橋に立つ奴隷商人の男は、満足そうな顔で葉巻をふかしていた。
この船の中に集められた奴隷(一歩手前)たちは、今日の夕方にこの船上で行われる競売に掛けられる予定の“商品”たちだ。借金で身を堕とした者などを除き、その殆どがセーベ市内で暗躍する“人攫い組織”によって拉致された者たちであり、非合法な手段で奴隷に堕とされてしまったのである。
「ニホン人は今までガードが固かったですからねェ。ここでドンと利益を出しゃあ・・・アリーゴ様も喜んでくださるでしょう!」
商人の手下である短身肥満の男は、狡猾な笑みを浮かべながら、とある議員の名前を口にする。それは彼らが行っている様な非合法の人身売買を裏から支援し、その利益をむさぼっている悪徳議員の1人だった。
人攫いが重罪だと定められているこの国において“人攫い組織”が暗躍し、非合法な奴隷競売の多くが黙認されていのは、そういった闇の市場が生み出す利益の恩恵を受けている者が、この国の議会である「大評議会」議員の中に居る為なのだ。
加えて、市場に出回った事が無い民族である“ニホン人”を競りに出せば、莫大な利益を得られる事は確実である。目前に迫っている莫大な収益を思い描く闇の商人たちは、完全に浮かれきっていた。
そんな彼らの下に、数多の足音が近づく。船が係留されている木製の桟橋の上を、制服を身に纏う集団が靴音を立てながら歩いてくる。その後、その集団は立ち止まり、商人とその手下たちを睨み付けた。
「・・・我々は『首都警吏隊』だ。ニホン国大使館より、セーベ市内で攫われたニホン人が、此処で囚われているという情報が入っている。
この国では奴隷の“取り扱い”は罪では無いが、“人攫い”は重罪と定められている。その事はよーく知っている筈だ」
桟橋に現れたのは、セーベ市の治安を守る警吏隊だった。その中の隊長らしき男が、商人とその手下たちの罪状を述べる。
しかし、彼らは警吏隊に臆することなく、にやにやとした笑みを浮かべていた。そして手下の1人が隊長に近づき、隊長の顔を覗き込む。
「警吏風情が・・・俺たちはあの『大評議会』議員、アリーゴ=ガルティリアーノ様のご贔屓を受けているんだ! 口のきき方に気を付けろ!」
人身売買を裏から支援している悪徳議員たちは、子飼いとしている奴隷商人や人攫い組織に利益の何割かを上納金として納めさせ、代わりに彼らに手を出さない様に警吏へ圧力を掛けている。
故に、警吏は自分たちに手は出せない。そう思い込んでいた彼らは、余裕ある態度でケラケラと笑っていた。
「・・・その大評議会の上位機関である『執政部』直々の命令で、我々は此処に来ている。さあ、船の中を見せて貰おうか」
「・・・はっ!?」
警吏隊の隊長が発した予想外の言葉に、商人とその手下たちは驚きを隠せなかった。
彼が述べた「執政部」とは、日本の内閣に相当する機関の名で、“議会の第一人者”と称される共和国の元首である「統領」を中心とした行政機関の事である。
つまり警吏隊の隊長は、たった3人のニホン人の為に国を治める者たちが動いたと、彼らに告げたのだ。
呆然としている商人とその手下たちを押しのけ、警吏たちは奴隷が積み込まれていた船へと脚を踏み入れる。そして甲板下の船室へと辿り着き、貨物室の鍵をこじ開けた彼らが目にしたのは、不衛生な貨物室の中に鮨詰めにされている非合法奴隷たちの姿だった。
彼らは薄汚い布の様な服に袖を通し、その首と両手には一様に縄が掛けられている。完全に生気を失っているのか、突如現れた警吏隊に対して、彼らは何の反応も示さない。警吏隊は床の上に座り込んでいる奴隷たちの間をかき分け、目当ての人物を探す。
「・・・貴方はニホン人、サツキ=オクダ殿ですね」
程なくして警吏の1人が目当ての人物を探し当てる。彼の目の前には、ジュペリア大陸に住まう者とは明らかに異なる顔立ちをした女性が、床の上に座っていた。
「・・・?」
声を掛けられた女性は、ゆっくりと顔を上げる。いきなり現れた男に驚いたのか、何もしゃべらないまま微かに震えていた。
「ニホン国大使、ヒロシ=ウサノ殿が貴方方をお待ちです。我々と一緒に来てください」
「・・・え」
警吏の言葉を聞いた奥田は、きょとんとした表情を浮かべる。その直後、気が緩んだのか、彼女は両目から涙を流した。
警吏の男は、奥田の首と両手を拘束している縄を手持ちのナイフで断ち切ると、腰が立たない様子である彼女の身体を抱き上げ、貨物室の外に向かって歩き出す。
ふと見れば、他の2人の日本人も別の貨物室で発見された様で、警吏の肩を借りながら船室の外へ向かっていた。
「・・・ま、待ってくれ! 俺もこの街で捕まったんだ!」
「私も助けてください! 奴隷になんかなりたく無い!」
あちらこちらから声が聞こえてくる。先程まで生気を失っていた筈の奴隷たちが、最後の希望を賭けて、日本人を救い出す警吏隊に救済を求めようと手を伸ばしていた。その中には涙を流す者や、床の上に額を付ける者も居る。船室の中は叫びと嘆願の大合唱となっていた。
「警吏様・・・お願いです!」
奥田を抱きかかえている警吏の男は、右の足首を誰かに掴まれた様な感覚を覚える。か細い声が聞こえて来た足下へふと目をやると、見窄らしい恰好をした若い女性が、彼の脚を掴みながら見上げていた。
「・・・どいてくれ」
警吏の男は右足を振り上げて、女性の手を無理矢理引きはがす。
奥田の以外の2人を連れた警吏たちも、懇願の色に満ちた彼らの顔を一瞥するも、救いの手を差し伸べることはなく、日本人のみを船から連れ出して行くのだった。
〜〜〜〜〜
翌日31日 セーベ中心街 日本国大使館
“首都警吏隊”によって保護された奥田と山本、富丸の3名は、その日の内に日本国大使館へ引き渡された。彼らは宇佐野大使の計らいによって大使館での宿泊を許可され、セーベ市内に滞在している日本人医師による診察を受けた後、与えられた部屋にて深い眠りに就く。
そして日付が変わった翌31日の朝、コンテナ貨客船「シール・トランプ」に戻っていた神藤たちは、宇佐野大使に呼ばれて再び大使館を訪れていた。
4月16日に日本国・成田空港を出発してからおよそ1ヶ月半、長い旅路の末、神藤たちは遂に失踪邦人たちと顔を合わせるまでに至ったのである。
「どうぞ、こちらです」
神藤と開井手、利能の3人は大使館職員の先導を受けながら、宇佐野大使と対談した時に使用した“応接室”へと案内されていた。部屋の前に着いた神藤が扉を開けると、そこには窓際に立っている宇佐野の他、テーブルを挟んで両つがいになっているソファの一方に座る3人の日本人の姿があった。
神藤は、彼らが座っているソファの対になるもう一方のソファへと腰掛ける。開井手と利能は失踪邦人たちの後ろに立ち、彼らを前後で挟み込む様なポジションを取った。
囲い込まれて緊張しているのか、失踪邦人たちは途端にそわそわとし始める。窓際に立っていた宇佐野は何も言わないまま、腕を組んで彼らの様子を眺めていた。
「・・・初めまして、警察庁の斉藤と申します。貴方方の名前は山本浩三郎さん、富丸駿祐さん、そして奥田皐さんで間違い無いですね」
偽名を名乗る神藤は、目の前に座る3人の不法出国者に対して、名前の確認を行う。名前を呼ばれた3人共、神藤の顔から目を反らしていたが、その中の1人である奥田皐が口を開いた。
「・・・そうだ、だったら何?」
奥田の口調はかなり不遜な態度を感じさせるものだった。海外へ売り飛ばされそうになっていた所を、この場に居る者たちに助けられた恩など、微塵も感じていない様に思える。だが神藤は、そんな事は意にも止めずに話を続ける。
「ならば何故、我々が此処に居るのか・・・当然お分かりですね? 貴方方3名、そして桐岡竜司と重野凜花には、『出入国管理及び難民認定法第7章第60条』、加えて『改正旅券法』違反の容疑が掛かっています。
貴方方が攫われた経緯などは、私たちにとってはどうでも良い事なので、後でゆっくりと聞きましょう。さーて・・・何故法を犯してまで、日本国から密出国を行ったのか、その理由を聞きましょうか」
神藤はついに本題へと踏み込む。彼の瞳は目の前に座る3人に向かって、鋭い視線を発していた。奥田は左の膝を上にして脚を組むと、そっぽを向きながら再び口を開く。
「“ファシストの狗”に話す様な事は何も無い。私たちは、お前の様な下賤な者たちでは到底思い至るべくも無い崇高な志を叶える為に、日本を発ったのだ」
古風な口調で神藤を“狗”と罵る彼女の言葉に、山本と富丸の2人も頷いていた。
警察庁の人間だと名乗った神藤は、現自国党政権を目の仇にしている彼女たちから見れば、当然敵と呼ぶべき人間である。ファシスト(と彼女たちがレッテル張りしている現泉川内閣)の命令で動く彼らの姿は、奥田の目にはまるで悪魔の小間使いの様に映っていた。
「じゃあその狗畜生である私目にお教え願いましょうか、お嬢様? その崇高な志とやらが何なのかを・・・」
「・・・お前なんかに教えてやる道理など無い」
「では質問を変えましょう・・・。貴方方の中で“リーダー”は誰ですか?」
「・・・答える義理は無い」
「・・・」
その後も同じ様な問答が続く。神藤の事情聴取に対して、奥田が何かを答えることは無かった。山本と富丸の2人も、彼女の言葉にうんうんと頷くだけであり、何か有益な情報を口にする訳でもない。
そして数十分後、態度には出さないものの、何も得るものが無い事情聴取に嫌気が指していた神藤は、窓際に立っていた宇佐野に声を掛ける。
「宇佐野大使・・・申し訳ありませんが、小さな部屋を3つ程貸して頂けませんか?」
「・・・構いませんよ。すぐに職員に案内させましょう」
神藤の頼みを受けた宇佐野は、部下を呼びつける為、部屋の隅の小さな台の上に置いてある内線電話へと手を伸ばす。
神藤はソファから立ち上がると、奥田たち3人を不敵な笑みで見下ろした。
「・・・では、ここからは一対一で話し合いましょうか。富丸さんは私と、山本さんは・・・開井手巡査部長にお願いします」
「!!」
名指しされた富丸と山本は、身体を大きくびくつかせる。
「おう・・・宜しくな」
「・・・ひっ」
山本の背後に立っていた開井手は、彼の肩に腕を回す。渋い面構えをした刑事に顔を寄せられ、山本は更に大きく怯えていた。
(ひぃ・・・て何だよ。そんなにびくつかなくても良いじゃねェか。攫われてたってのもあるかも知れないが、大の男が情けないなあ・・・)
特に何をされた訳では無いのにも関わらず、奥田と比べて明らかに挙動不審になっている山本の姿を見て、開井手は彼のことを情けない奴だと感じていた。
「・・・奥田さんは、利能警部補に頼もうか」
「はい」
上司からの命令を、利能は2つ返事で受ける。
その後、彼らは宇佐野が用意した3つの小部屋へと分かれ、一対一での事情聴取に臨むのだった。
大使館 3F・空き部屋
首都の中心部に作られた「在ヨハン共和国日本国大使館」は、内部の構造や建築工法こそ現代の鉄筋コンクリート建築そのものだが、外装はバロック建築とルネサンス建築を合わせた様なデザインにしたり、外壁はレンガ造りに見せかけたりと、現地の景観に配慮した造りになっている。
内部は3階建てで、1階は接受、2階は執務の為のスペースで、3階は大使館に勤める者たちのプライベートスペースとなっている。3階には宇佐野大使以下、職員8名の個室や食堂などが設置されており、この館に勤める者たちの宿舎を兼ねているのだ。
その3階にある“空き個室”の1つに、2人の女性の姿がある。背もたれが無い椅子に座り、小さな机を挟んで向かい合っている。
「改めて、警視庁の利能といいます・・・。奥田皐さんで間違いないですね?」
「・・・フン」
奥田は鼻息を放つだけで、利能の問いかけに答えることは無かった。
利能は彼女に関する情報が書かれたプロフィールを見ながら、事情聴取を進める。
「大学は明正学院大ですか・・・ふーん、出身は埼玉ですか・・・ヘぇー」
「・・・だったら何だと言うんだ」
奥田は両の眉を寄せながら、不快感を露わにする。彼女は、独り言をしゃべりながら、自分について書かれている資料を読み進める利能の態度を見て、馬鹿にされている様に感じていた。
「・・・別に、何と言う訳では。それより本題に入りましょう。貴方方の目的は後で聞くとして・・・まず、この無謀な不法出国を企てたのは誰ですか?」
利能は神藤と同じ質問を投げかける。
「言っただろ、お前たちの様な“ファシストの狗”には何も答えない!」
聞き手が同性に変わっても効果は無い様で、奥田は態度を改まることが無いまま、先程までと同様に黙秘の姿勢を貫く。しかし、利能はその傲慢な態度を気に留めることなく、話を続ける。
「この無謀を言い出したのは貴方? それとも・・・山本? 富丸? 重野? ・・・桐岡?」
「・・・」
「ふーん、桐岡さんですね。成る程・・・」
「なっ!? 私は何も・・・っ!」
前触れも無く“リーダー”を特定されてしまったことに、奥田は動揺を露わにしてしまう。すぐに弁明を計ろうとするも時既に遅し、明らかに先程までとは違う態度を示してしまった。
尚、奥田自身は知る由もないが、“桐岡”の名を出された時と他の4人の名を出された時とでは、彼女は微かに違う反応を示していたのである。といっても、目元口元がわずかに動いた程度の違いでしか無い。
利能はそういった彼女の表情や仕草をつぶさに観察しながら、その感情の機微を読み取っていたのだ。加えて、直後にあれほど分かりやすい反応を示してしまったのだから尚更だ。
(・・・先輩から教わっていた、“メンタリズムもどき”が役に立ったわね)
利能は心の中で、とある先輩の公安警察官に対して感謝の意を抱いていた。その後、取り乱す奥田を尻目に、彼女は話を続ける。
「では次に・・・貴方方の最終目標はやはり、自国党から政権を奪うことなんでしょうね」
「・・・当然だ! この世界を穢してまで、自国の利益にのみ邁進する者が国政の手綱を握るなど、あってはならないことだ! 自国の利益では無く、世界の利益を考えるのが、より進んだ人としての在り方だ!」
ペースを乱された奥田は激情に駆られながら、彼女が属する学生政治団体の理念を語る。
自国の国益が第一で無い国が有るものか、利能はそう思って内心呆れつつも、質問を続ける。
「奪うとは・・・やはり、暴力革命ですか? 日本国内でクーデタでも起こすのに、協力してくれる様な組織が国外に有ったとか・・・? それとも資金的な援助ですか?」
「そ、それは・・・言える訳が無いだろう! わずかであっても仲間に不義を示す様な真似は出来ない!」
「・・・その仲間は、奴隷にされかけた貴方を見捨てて先へ行ったのでしょう? 庇う義理がありますか?」
「・・・五月蠅い、我々は同志だ! 桐岡も重野も、私たちのことは心苦しく思っている! お前の悪魔の囁きには乗らない!」
「・・・」
利能は静かにため息をつく。奥田の強情振りは確かなものだった。このままでは彼女への事情聴取はリーダーが誰なのかを明らかにしただけで、暗礁に乗り上げてしまう。
そんな悪い予測が利能の頭を過ぎったその時、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。利能が部屋に入る様に促すと、1人の大使館職員が入って来た。彼は利能の耳元に口を近づけ、伝言を伝える。
「・・・!」
それは別室で事情聴取を行っていた神藤と開井手から伝えられたものだった。言うべきことを言い尽くし、部屋を出て行く職員の後ろ姿を見送った利能は、さも残念そうな表情を浮かべる。
「貴方の仲間・・・山本浩二郎さんと富丸駿祐さんが洗いざらい自供した様です」
「・・・・・・なっ!? そんな筈!」
奥田は利能の言葉が到底信じられなかった。彼女にとっては、あの2人は今までの旅路を共にしてきた同志であり、曲がりなりにも自分たち組織に対する“裏切り”を呈すなど、考えてもいなかったからだ。
だが結局、あの2人は奥田とは異なり、公安の刑事と一対一で話すというプレッシャーに耐えきれなかったという事なのだろう。あるいは減刑される可能性を餌としてちらつかせられたのかも知れない。
「とんだ革命戦士ですね。でも・・・もうそれも終わりです。貴方方は日本へ強制送還される。そこで不法出国の裁きを受けるんですから・・・」
ショックを受けている奥田に対して、利能は追い打ちを掛ける様な言葉を投げかける。
その後、程なくして事情聴取は終了する。奥田皐は失意のまま、同じ“不法出国者”である山本浩二郎と富丸駿祐らと共に、日本へ送還されることとなったのだった。




