不可視の密航者
劇中では説明していませんが、この世界の吸血鬼は脳にダメージを受ければ普通に死にます。とは言っても、身体を群体の様にして物理的攻撃を受け流すという事も出来るので、不意打ち以外に近接戦闘でダメージを与えるのは至難の業です。一方で、日の下では殆ど普通の人間と変わりません。
無敵の様に呷ってますけど、冷静に分析すれば1部ディ○=ブランドーよりも弱いレベルです。脳を真っ二つにされても首だけになっても死なないあっちがチート過ぎるんですけどね。
5月23日 コンテナ貨客船「シール・トランプ」船内
エルムスタシア帝国・ルシニア市を出港したシール・トランプは、次なる目的地である「ヨハン共和国・セーベ市」を目指して「大南海」を進む・・・否、洋上に停泊していた。
その船内に、鍵が掛けられた一室がある。その部屋には1人の“密航者”が拘留されていた。緊張しながら椅子に座っている少女の周りを、3人の公安警察官と2人の船員が取り囲んでいる。
「で・・・君は何故ここに?」
「・・・」
船へ侵入した理由を神藤から問いかけられるも、リリアーヌは何も言わないまま顔を俯けている。その様子を見ていた船員は、ため息をつきながら頭を掻いた。彼ら商船三天の船員たちは、この密航者と顔見知りであるという神藤に、彼女の聴取を頼んでいたのだ。
「我々はそろそろ持ち場に戻ります。・・・何か分かったら、また教えてください」
そう言うと、2人の船員は部屋を後にする。臨時の拘留部屋に3人の公安警察官と1人の密航者が残されることとなった。
「・・・」
彼らが抜け出した後も、リリアーヌは相変わらず何も言わないまま顔を俯けている。痺れを切らした利能は床の上にしゃがみ込むと、髪に隠れたリリアーヌの顔を上目遣いで覗き込んだ。
「・・・このまま何も言わなければ、貴方をエルムスタシア海軍に引き渡す事になる。何か理由が有るのなら、さっさと言ってしまいなさい」
「・・・」
優しさを含んだ利能の声色にも、リリアーヌが反応することは無い。最早どうしたら良いか分からず、利能と開井手はお手上げの状態となっていた。部屋の中には無言の静寂が流れている。
「・・・2人は席を外してくれないか? この子と一対一で話したい」
重い雰囲気になっていた空間に、一石を投じたのは神藤だった。彼は大人3人で取り囲んでいる状況が悪いのではと考え、開井手と利能に部屋から出る様に頼む。
「・・・この子はお前と知り合いみたいだから、その方が良いかも知れないな」
「確かに・・・では、宜しくお願いしますよ、神藤さん」
開井手と利能は彼の提案に頷く。その後、2人はこの場を神藤に任せて部屋を退出して行った。1人残された神藤は、椅子に座っているリリアーヌを見下ろすと、先程と同じ質問を投げかける。
「なあ・・・君はどうしてこの船に乗ったんだい? 何処に行くのか分かって乗ったのか?」
神藤は嫌気が刺しながらも、それを悟らせない穏やかな声色で問いかける。とは言っても駄目で元々、彼はそう思いながら密航者を見つめていた。
しかし、周りから人が減って少し気持ちが落ち着いたのか、それとも他に何か理由が有るのか、この時、リリアーヌは初めて顔を上げ、神藤の視線に目を合わせた。
「せ、世界を見て周りたくて・・・! あ、貴方たちと一緒に行きたかったんです!」
「!?」
彼女が述べた答えに、神藤は面食らう。
「いや・・・一緒に行きたいっつってもね・・・。金とか、先立つものが無いとなあ。それに正規の乗船手続きをしていない以上、君はこの船を降りなきゃいけないし」
「・・・!」
神藤の指摘を受けたリリアーヌの顔から、瞬く間に生気が抜けていく。露骨にがっかりしている彼女の姿を見て、神藤は彼女が心中に抱いているであろう真の目的を思い描いていた。
(と言うか・・・体良く亡命したいって事なんじゃないのか? 例え不本意だったとしても、窃盗の共犯で捕まる事はほぼ確実だろうし・・・まあ、それは仕方無いけれど)
彼女自身の意思はどうあれ、彼女があの一座に属して窃盗行為に加担していたのは曲げようの無い事実である。このまま彼女をエルムスタシア海軍に引き渡せば、彼の国の当局に身柄を拘束されてしまうのは確実だろう。
神藤は床の上にしゃがみ、リリアーヌの視線に自分の視線の高さを合わせると、俯いている彼女の頭を優しく撫でる。
「・・・そう言えばあの日の夜、君は俺を騙した訳では無いと言おうとしたね。だがあの座長は、最初から俺に目を付けていたと言っていた。大方、君は俺が日本人だとは知らなかったんだろう。初めて見ただろうしね。
それに、俺が殺されそうになったのを、君は止めようとしてくれた。だから、俺は君を疑わないよ。だが、それとこれとは話が別だ、やっぱり君にはこの船を降りて貰う」
「・・・はい」
神藤の宣告に対して、リリアーヌは弱々しい返事を返した。暗い表情を隠すためか、彼女は顔を俯け続けている。
「君は・・・身内とか居ないのかい?」
「・・・物心が付いた時には、既に親は居ませんでした。私は先代の座長に拾われた身なんです。だから・・・あのテントの中が私にとって全てでした」
神藤の質問に、彼女は首を左右に振って答えた。
「・・・」
彼は仮にも自分を庇おうとしてくれたこの少女を、このままエルムスタシア海軍に引き渡すのは少々忍びないと思いながらも、部屋の外で待機している船員たちに連絡を取るため、部屋の内線に手を伸ばす。
「そう言えばもう1つ、聞き忘れていたけど・・・君はどうやって警備の目を潜り抜けたんだい?」
受話器に右手を掛けていた神藤は、ふと思い出したかの様に、リリアーヌに船への侵入経路について尋ねた。
船内に伸びるタラップには警備員が付いており、有翼種族や海中種族による空と海からの侵入を警戒した“サーモグラフィー機能付きカメラ”も各場所に設置されている。内部に協力者が居れば侵入は容易だろうが、孤立無援の状態でこれを行うのは至難の業である。なのに彼女は船内への侵入を果たした。神藤はその事を気がかりに思っていた。彼女は答えるべきか否かを迷っているのか、難しい表情を浮かべていた。
「“光の精霊魔法”・・・です」
「光の精霊魔法?」
「はい・・・“光の精霊”を操作して、他者の視界から姿を消す。これが唯一・・・“エルフ族”の私が使える“精霊魔法”なんです。そ・・・そうです! この能力で皆さんのお役に立って見せます!」
「・・・!」
リリアーヌの口から出た答えは、神藤を再び驚かせた。“精霊”、この世界に有るという謎の存在を、彼女は自らの意思で操れると言ったのである。
「精霊」とはこの世界に存在する“何か”であり、テラルスの人々も実態を把握しきれていない。日本政府がその存在を初めて知ったのは、「村田義直」が記した「極北レポート」が最初である。それは“神の使徒”と名乗る女性に出会った1人の日本人が残した“備忘録”であり、内閣府はその内容の突飛さから信憑性がない資料だと断じている。
しかし、その中には“転移の原因”について記されている部分が有り、中央省庁の中で唯一、外務省だけはこのレポートに基づいた調査を行っており、元の世界に帰る手掛かりを探し続けている。尚、その極北レポートには、精霊の正体に繋がる文言が以下の様に記述されていた。
・・・その正体は、神がつくりだした“システム”の総称である。一般的にイメージされる精霊とは大きく異なり、意思はなく生命体でもない。この世界の生物全てに宿る“魔力”を摂取することで稼働し、“天候の維持”や“話し言葉の翻訳”などを司る。全生物の中で“エルフ族”だけが唯一このシステムを感知し、干渉することが出来るらしい。それによって発生する魔法を“精霊魔法”と総称する。
地球にもこのシステムは存在するが、地球には魔力が殆ど存在しない為に正常に稼働しておらず、地球は結果として、世界規模の大量絶滅が5回も起こる等、巨大な災害が頻発する世界となった。このことが地球上に人間以外の知的生命体が居ない遠因となっていると考えられる。
我々の世界はこの世界と比較して、技術力が大きく発展しているのは事実だが、それはあくまで“文明”という一面からしか見る事の出来ない短絡的な評価に過ぎず、46億年というスパンで鑑みれば、“我々の世界”は失敗作と評価する他無いのである。そんな“欠陥品”とも言える世界において、科学文明を発達させた“地球人(日本人)”の姿を、“神の使徒”ジェラル=ガートロォナは奇跡と評した。・・・
(・・・つまり、一種の光学迷彩か!)
神藤はリリアーヌの能力の脅威性に驚嘆し、その有用性を見出していた。
彼女自身は自分の魔法を“他者の視界から消える”程度の能力だと思っている。しかしその実態は、“光の吸収と回折を操って他者の目やセンサーから姿を消し、自身から放出される赤外線を制御してサーモグラフィーまでも欺く”、存在そのものを希薄させると言っても良い、恐るべき能力なのだ。これほど“潜入”に最適で、利用価値が有る能力は他に無いだろう。
「君はこの力を自分にしか適応出来ないのかい?」
「いえ・・・その気になれば他者にも施すことが出来ます。勿論、ジャクユーさんにも」
彼女の答えを聞いて、神藤の心はすぐに決まった。
「気が変わった・・・。世界を見たいと言うのなら、俺たちと一緒に来ないか・・・リリー? 勿論、君が良ければだが」
「!!」
神藤は右手に取っていた受話器を戻す。彼の言葉を聞いたリリアーヌは、先程までの暗い表情とは一転、白い頬を紅潮させ、目一杯の笑顔を浮かべながら顔を見上げた。
「私は・・・貴方と行けるなら・・・一緒に、行きたいです!」
嬉しそうな彼女の言葉に偽りは無い様に見えた。神藤は心の底でほくそ笑む。
「・・・分かった。その代わり・・・危険は覚悟しなよ、場合に依っては守ってあげられなくなるからね。自分の身は自分で守るんだ」
「・・・はい、宜しくお願い・・・します!」
リリアーヌは喜々とした様子で椅子から立ち上がると、目の前に立つ神藤に向かって深々と頭を下げた。
その後、彼は事の顛末を説明する為、内線で利能と開井手をこの部屋へ呼び寄せた。数分後、戻って来た2人に対して、神藤はリリアーヌの名を伝える。
「改めて・・・この子の名前はリリアーヌ=ウィルソー・キンメルスティール、あだ名はリリーと呼ばれていたそうだ。この子の正式な乗船手続きをすると船員に言っておいてくれ。“公安捜査の協力者として同行することになった、運賃は俺たちが出す”と・・・」
神藤の紹介に与ったリリーは、やや緊張しながらも、利能と開井手に向かって深々と頭を下げる。利能と開井手の2人は驚きを隠せない様子で目を見開いていた。
「連れて行くんですか!? その子を・・・」
利能は驚愕の声を上げる。彼の国の海軍に引き渡す予定だった筈の密航者を、この先へ連れて行くと言われたのだから無理も無い。
「公安捜査の醍醐味、“協力者”だよ・・・。船長の許可を得れば問題無いだろう。密航未遂は心証悪いだろうが、警察手帳を見せて運賃を出すと言えば黙るさ」
「いや・・・確かに日本国内へ入国させる訳では無いから査証は要らないし、この子を船に乗せるか否かは船長の判断次第だが・・・協力者ってなぁ」
開井手は両腕を組みながら、神藤の判断に難色を示す。
彼らが乗っている船は日本国内へ向かうものでは無い。故に、“日本人”であれば「出国許可証」と「パスポート」の提示が必須になるが、“日本人では無い者”の乗り降りについては船長の判断に委ねられている。
故に、リリーが船に乗れるかどうかは、“乗船手続き前に船に乗り込んだ”という規約違反を船長が見逃してくれるかどうか次第なのだが、実際のところ、国家権力に属す人間に“後払いするから認めろ”と言われれば、彼らは従う他無いだろう。
(あの子の能力はあらゆる光学機器を欺く“光学迷彩”なんだ。それはこの先役に立つ時が有るかもしれない。顔も良いし、手元に置いといて損は無いだろ?
そうでなくとも、この世界における脅威的かつ有用な存在として、公安のアーカイブには入れて置きたいし・・・)
神藤は自分の声がリリーに聞こえない様に、開井手と利能の首元を両腕で抱え込み、2人の耳を自分の口元に近づける。
(成る程・・・それが貴方の目的ですか・・・)
神藤の目的を知った利能は、呆れ顔でため息をついた。
(噂に聞く21世紀の“キャノン機関”か・・・。確かに理屈は分かる、彼女の能力は公安にとって脅威且つ魅力的な代物だな・・・。だが任務が終わった後はどうする?)
開井手は「邦人探し」を終えた後のことを心配していた。当然のことながら、現状は正式な査証を持っていない彼女を、日本国内に入れる訳にはいかない。
(本人の意思次第だが・・・ヨハンかベギンテリアで無事に任務を終えた後、警備局が何も言わなかったら、勿論金を渡して帰すつもりさ。
まあ・・・後の事は後で考えれば良いだろう。それに、亜人帝国から出る事はあの子が自分の意思で決めた事だ)
(・・・まあ良い、上司はお前だ。俺は“部下”としてお前の考えに付き従うよ・・・神藤“警視”。だが・・・どうもあの娘は信用出来ねえ・・・そもそも、何の目的でこの船に乗り込んだのか分かったもんじゃ無いぞ?)
開井手はリリーのことを信用出来ないでいた。窃盗に加担していたという前科も勿論だが、それに加えて、彼女は自分たちの旅路に何か良くないことをもたらす、彼はそんな予感を抱いていたのだ。
(刑事の勘ってやつかい? そりゃ根拠の無い思い込みだよ。それに・・・)
(・・・?)
(誰かが言っていただろ。例え、彼女が何か悪巧みをしていて、俺たちに裏切りを呈したとしても、それは“アクセサリー”の様なものさ・・・)
「はぁ〜・・・?」
利能と開井手は、楽観的過ぎる言葉を放った神藤に非難の叫び声を浴びせる。彼自身は格好良く決めたつもりだったのか、何故ブーイングを受けるのか分からないとでも言いたげな顔になっていた。
「どうしましたか・・・?」
紛糾する3人に向かって呼びかける声がする。彼らが後ろへ振り返ると、そこには小首を傾げながら、変わらずにニコニコしているリリーの姿があった。神藤と開井手はまるで正反対の感情を抱きながら、彼女の笑顔を眺める。
「ああ、悪い悪い・・・大した事じゃないんだ。それより、船長へ早くこの事を伝えないと、エルムスタシア海軍を呼ばれちまう」
神藤は言葉を濁しながら、室外で待機している船員に連絡を取る為、部屋の壁に設置されている内線に手を伸ばした。
その後、結果としては彼の予想通り、船長と船舶企業の判断で“乗船後の乗船手続き”が特例として認められる事となり、リリーは“密航者”から“正式な乗客”となって、“神藤惹優テラルス旅行御一行”と共に「ヨハン共和国」の首都である「セーベ」へ向かう事となったのである。
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5月26日・昼 ルシニア港 港広場
街の住民たちが野次馬となって、港広場に集まっていた。エルムスタシア海軍の兵士たちが人の壁となって、彼らが“現場”へ立ち入ることを制限している。
その奥では、「グリフォン飛行隊」に乗って首都から飛んで来た政府の役人や「首都憲兵隊」の兵士たちが、事件の調査を行っていた。彼らは市街地の中でも情報収集を行っており、港広場だけではなく、街全体が不穏な空気に包まれている。
『ルシニア港にて多数の切断遺体を発見。犠牲者は全員マクロホイ一座の者だ』
『テント内から多数の貴金属品を発見、盗品かと思われる』
『マクロホイ一座の舞台で暗躍した窃盗犯は、他でもない座員たちだったという事か』
『市街地にて生存者を発見、証言も取れた。間違い無い・・・窃盗犯はマクロホイ一座だ』
兵士たちは“信念貝”で連絡を取り合っている。彼らは「旅役者一座集団惨殺事件」の捜査ついでに、舞台公演の場で起こった「連続窃盗事件」の犯人に辿り着くに至っていた。
そして切断遺体が散乱する現場に、本来ならば此処に居る筈の無い人物の姿があった。悲哀を湛える表情で俯く彼に憲兵が近づき、引き締まった表情で敬礼を捧げる。
「ご報告申し上げます。殆どの遺体から血が抜き取られています。陛下・・・恐らくは」
「ああ、分かっている。“同族”の仕業だろう」
家臣たる憲兵が持って来た報告に、第6代皇帝(皇兄)であるシルドレア=ツェペーシュは頭を抱えながら頷いた。
「吸血鬼族」はツェペーシュ家を含めてこの国に5家系のみ存在し、エルムスタシア帝国政府はほぼ全員の所在を把握している。しかし、この国の長い歴史の中で、失踪という形で行方を眩ました吸血鬼が“数人”存在しており、政府はそんな彼らの足取りを1000年単位の長期間に渡って追っているのだ。
そしてこの国の皇族である「ツェペーシュ家」にも、1人の行方不明者がいる。彼女の名は“ブランヴィー=ツェペーシュ”。悲恋を切っ掛けとして800年前に皇室から失踪したとされる元皇女であり、シルドレアの父である第5代皇帝の実妹、即ち彼から見て叔母に当たる存在だ。
元皇族とは言えども、行動や所在が分からない吸血鬼の存在は国家にとって脅威でしかない。それは今回の一件を見れば分かるだろう。彼らが本気を出せば、街の1つを滅ぼすくらい訳は無いのである。
「貴方は一体何処に居るのですか・・・ブランヴィー殿下」
シルドレアは顔も見た事が無い叔母の名をつぶやく。彼はこの事件が彼女の犯行では無いことを願っていた。
その後、この事件は逓信社にすっぱ抜かれ、「亜人帝国の闇」という物々しい見出しで報道されることになる。
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5月30日 ジュペリア大陸北西部 イスラフェア帝国 沖合
ジュペリア大陸北西部の沖合に、4隻の護衛艦が海の上を進んでいる。その内訳は旗艦を勤める「みょうこう」を筆頭に、「ゆうだち」、「ふゆづき」、そして日本で初めて「トマホーク巡航ミサイル」の発射能力を備えた「ながと型護衛艦」の2番艦である「むつ」が続く。これら4隻が向かっているのは、未だ国交無き七龍の一角である「イスラフェア帝国」の南部に位置する港街「ロッドピース」だ。
旗艦である「みょうこう」の艦内には、海上自衛官に混じって、外務副大臣である支倉未智男と、彼の部下で外務官僚である上村基一の姿があった。
「・・・ロッドピースに着くまであと5日・・・まだまだ長いですね」
「ああ・・・だが此処に来るまでの道のりこそ、本当に長く苦難の道だった。ようやく交渉の席を設けて貰うところまでこぎ着けたのだからな」
上村に話を振られた支倉は、1年以上に渡って根気強く続けられたイスラフェア帝国との国交樹立交渉が、ついに実務者会議という段階に達した事に、感慨深さを感じていた。
産業革命に到達しているこの国は、日本を除けば世界で最も科学技術が発達している国であり、日本政府にとっては、貿易市場として大いなる魅力を持つ国だ。しかし、テラルス世界初の火薬製法を流出させてしまった過去を悔やんでいるイスラフェア帝国は、技術流出を防ぐ為という名目の元、事実上の鎖国国家になっていた。
故に、この国との国交樹立交渉は難航を極め、彼の国の政府からまともな返答を貰ったのが3ヶ月前、そして今回初めて、双方の代表者が会議という形で顔を合わせる事になったのである。
「日本という国をこの世界で可能な限り存続させる為に、世界全体を商業圏にするというのが政府の方針だ。如何に技術水準が離れていようが、我々は製品を他国へ売りつけなければならない。
この世界そのものを日本の生存圏とする為に、我々は今まであらゆる手を尽くしてきた。資源を探し、時には奪い、不平等条約を押しつけた・・・」
この世界に転移して以降、日本国は地球と同様に「平和主義」を世界に向けて発信する一方で、19世紀の「帝国主義」的な外交も行って来た。
戦争で下した国々、恩を売った国々から鉱業権を獲得し、日本国内向けの食糧を大量生産する為のプランテーションを建設し、片務的な関税撤廃と商業活動の自由を認可させる事によって、市場を拡大させて来たのである。
「しかし、我々の努力は“延命措置”に過ぎない。今は無双状態でも、経済力と国力は確実に後退を続けている。・・・100年、200年後にはこの世界とほとんど同化してしまうという説もある」
転移直後と比べたらマシになったとは言えども、日本経済は転移前の段階、正しく言えば「東亜戦争」の前の状態には、未だ遠い状況である。この世界に転移して6年、支倉は緩やかな国力後退を感じずにはいられなかった。
加えて地球との連絡を絶たれたという事は、海外から新たな知識や技術を得る事が出来ないということだ。一国だけでは発展に限界があり、いつかは頭打ちになる事は目に見えている。
「あの国との国交は我々にとって“大いなる時間稼ぎ”だ。日本という国を存続させる為、そして・・・地球へ帰るまでのね。外務省は帰還を諦める事はない。極北レポートは最後の希望なんだ」
支倉は「帰還」ヘの思いを呟く。
5日後、彼らは日本人として初めて、イスラフェア帝国への上陸を果たすのであった。




