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旭日の西漸 第4部 ティルフィング・選挙篇  作者: 僕突全卯
第3章 エルムスタシア帝国
21/57

ようこそ死を運ぶ天使

5月23日午前・深夜 ルシニア港 港広場


 舞台テントのてっぺんに立ち、月光を背にして夜風を一身に受けるその女性に、その場に居た全ての者が釘付けになっていた。

 月光を反射する銀色の長髪、色白を通り越して雪の様に白い肌、そして翡翠色の瞳は冷徹な眼光を放っている。


「な、何でこんな所に吸血鬼族が・・・!?」

「ツ・・・『ツェペーシュ家』か!」

「そんな馬鹿な! 首都の皇族がこんな所に居る筈が無いだろ!」


 先程まで神藤に殴る蹴るの暴行を働いていた座員たちは、自分たちを見下ろす彼女の目に、体験した事の無い程の恐怖を感じていた。

 「吸血鬼族」・・・エルフを凌ぐ遠大な寿命、驚異的な再生能力、変幻自在な身体、吸血した他種族を自らの眷属(生き餌)へと化す能力、そして他種族の追随を許さない戦闘能力の高さを兼ね備え、この世界で“最強”と謳われる種族である。

 しかし、これらの力が引き出されるのは夜間のみ。彼らの力は最大の弱点である“日光”によって、日中は制限されている。しかしその脅威性から、この世界において、日本政府が“特定外来亜人種”としている存在なのである。


(な、何・・・?)


 目を閉じていた神藤は、周りの状況が分からずに動揺する。自分に対する暴行が止み、周りが急に静かになったと思ったら、再びざわつき始めたのだ。

 意識も漫ろなまま耳をすましてみれば、悲壮感を漂わせながら“お終いだ”、“終わりだ”とつぶやく座員たちの声がする。腫れた右瞼の痛みに耐えながら少しだけ目を開けると、月の光を遮る様にして舞台テントの上に立つ人の様な影が霞む視界の中に見えた。


 座員たちを一頻り怯えさせた吸血鬼は、舞台テントから飛び降りて彼らの前に立った。彼女は地面の上に臥している“傷だらけの人族”と“泣き顔のエルフ族”を一瞥し、辺りを一通り見渡した後、座長であるマクロホイを見る。


「貴方が座長ね・・・。貴方に言いたい事が有って此処に来たのよ」


「!」


 名指しされたマクロホイに、座員たちの視線が集まる。彼は身体中から冷や汗が吹き出していた。そんな事はお構い無しに、彼女は言葉を続ける。


「貴方ねぇ・・・あの(・・)話を使って泥棒を働くとは良い度胸じゃない。最悪、命を落とす覚悟は出来ているのかしら・・・?」


「・・・はっ!?」


 彼女の口から告げられたそれは、「死刑宣告」にほぼ等しいものだった。この世界に“夜の吸血鬼”と渡り合える力を持つ亜人は存在しない。


「・・・何故、それを!」


 マクロホイは恐怖と動揺を隠せなかった。他の座員たちもますます震え上がっている。

 演劇を悪用し、ゴーゴンの力で観客全員を石にするという大胆かつ巧妙な泥棒行為。今までばれていなかった筈のそれが、目の前に居る吸血鬼の女にどういう訳か露見してしまっていたのだ。


「・・・皆、狼狽えるんじゃない!」


「!」


 震え上がる座員たちの恐怖を掻き消すかの如く、度胸に満ちあふれた声が何処からか聞こえて来た。直後、声の主であるゴーゴン族のドーマスは、マクロホイを押しのけて吸血鬼の前に立ったのである。“現世の悪魔”と対峙した彼女は、目の奥へ魔力を集中させると、両の瞳から紫色の光を放った。それは吸血鬼の全身を包み込む。


「私の能力に抗える者はこの世に居ない! “現世の悪魔”だろうが何だろうが、石にしちまえばただのガラクタさ!」


 ゴーゴンとしての力を再び解放するドーマスに対して、先程まで兎の様に怯えていた座員たちの歓声が沸き起こった。吸血鬼は目を閉じておらず、彼女の術をまともに食らっている。


「オオー! 流石、姐さん!」

「やっちまえ!」


「アハハハ・・・ハハ! ・・・エッ?」


 座員たちの讃辞を前に、気分が高揚したドーマスは高笑いを始める。しかし、その途中で彼女はある違和感に気付いた。突如、視界が斜めに傾き始めたのだ。


「こんな“下等呪術”が、私に効くと思ったのですか・・・?」


「・・・!?」


 その言葉が聞こえた刹那、ドーマスは石になった筈の吸血鬼が目の前から消えている事に気付く。彼女は咄嗟に、声が聞こえて来た背後へ振り返ると、そこに“彼女”の姿を見つける。

 先程まで目の前に居た筈の吸血鬼は、いつの間にか目にも見えない速さでドーマスの後ろへ回り込んでいたのである。


「・・・何だと!」


 自身の能力を“下等”と評した吸血鬼にドーマスは憤り、堪らず言い返す。しかし、同時に彼女は先程感じた違和感の正体を知ることとなった。


「うわ・・・?」


 ドーマスは突如、地面の上に倒れ込んでしまった。否・・・切断された彼女の“上半身”が地面の上に落ちたのだ。右の肩から左の腰に渡って一刀両断された彼女は、文字通り“真っ二つ”に切断されていた。


「う・・・そ・・・」


 地面に落ちた上半身に遅れて、脳という名の司令部を失った下半身が膝から崩れ落ちた。事此処に至って、彼女は自分の身に何が起こったのかを理解する。その呆気ない最期を見ていた座員たちは、再びガタガタと震え出す。

 一喜一憂する彼らに対して、吸血鬼は冷酷な言葉を告げた。


「・・・反省の色無し・・・ね?」


「!!」


 その直後、吸血鬼の右手が水平方向に空を切る。すると彼女の右手から姿を現した“紅色の刃”が、周りに居た5〜6名の座員を“輪切り”にした。


「ぎゃああぁ!!」


 惨殺された仲間の姿を目の当たりにした他の座員たちは、その場から一目散に逃げ出した。自分に背を向ける彼らの姿を見て、彼女は不気味な笑みを浮かべる。


「800年振りくらいかしら、“鬼ごっこ”。フフフ・・・アッハッハ〜!」


 生きた者の血を糧とする性か、それとも今が夜である故か、逃げる獲物を前にして興奮した吸血鬼は、左手からも“紅色の刃”を出現させると、1人目の獲物に向かって飛びかかっていった。

 翡翠色であった筈の彼女の瞳は、何時の間にか血の様な深紅の瞳に変わっていた。彼女が“刃”を振るう度に、血飛沫と断末魔が深夜の港にこだまする。


「・・・?」


 地面の上に臥したままの神藤は、目の前で起こっている惨劇を無感情のままに眺めていた。意識が定かで無かった彼は、それを現実として受け止める事が出来なかったのだ。

 程なくして、彼の両瞼が再び落ちて行く。緊張の糸が途切れた神藤は、意識を闇の中へと擲ったのだった。


〜〜〜〜〜


1年前 日本国 東京都・千代田区 警察庁


 公安と外事に属する警察庁と警視庁の警察官が、大きな講義室に集められていた。彼らの手元には、ホッチキスで綴られた資料が握られている。

 彼らの視線の先では、壇上に立つ講師がスクリーンに映し出されたスライドを交えながら、警察官たちに講義をしていた。彼らは講師が述べる言葉を集中して聞いている。そんな中で、人目を憚らずに大あくびをしている男が居た。


「おい・・・神藤」


「ああ? 悪い悪い、つい眠くなっちまって。だが、なんで俺たちが“外来種”について講習を受けなきゃならないんだよ」


「・・・おい、しっかりしろよ。ただの外来種じゃない、“亜人”対策の講習なんだぞ?」


 警察庁職員の杉田彦一は、不真面目な態度で講習に臨んでいる同僚の神藤惹優を見て、大きくため息をついた。彼らの階級は“警視”、そして2人は同じ年度に警察庁へ入庁した同期である。


 彼らが受けている講義の内容は「改正された『特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律』について」、通称「外来生物法」と呼ばれる法の内容についてだ。

 異世界転移に伴って改正された法は数多く有れど、その中でもこの法律は改正案が可決されるまで時間が掛かったものの1つだ。それは新たに盛り込まれる“外来種”に、植物や動物に混じって“亜人種”の名が書き込まれていたからだった。「人間と同等の知性を持つ彼らを、“外来生物”呼ばわりとはけしからん」という主張の下、人権団体や野党の猛烈な反発を浴びた訳である。

 その後、この改正案は『特定外来生物と特定亜人種による日本国内の生態系及び国民生活等に係る被害の防止に関する法律』、通称『外来生物・亜人法』と名を変えて可決された。日本政府としては如何に非難を浴びようとも、この法律を通さねばならない理由が有った。


『・・・この様に、動物であれば“龍”や“ロック鳥”、“シーサーペント”や“クラーケン”、植物であれば“食獣木”や“マンドラゴラ”など、我々の世界では伝説や創造上の存在とされていた生物がこの世界では実在しており、尚且つそれらが国内へ侵入すれば、想像される被害は絶大という訳です・・・』


 壇上に立つ講師は、ここまで説明して来たことの総括を述べる。神藤は首を捻りながら、講師の言葉を聞いていた。


「しかしなあ〜・・・実感が持てないよ。この目で異世界の姿を見た事が無い以上・・・。確かに国内は大混乱だったけどさ」


 日本に経済的、道徳的な大打撃を与えた未曾有の大厄災である「国家異世界転移」以降、人の国内外の行き来は政府によって厳しく制限されている。

 海外との貿易を行う港は本土7箇所と外地1箇所に限定され、政府の許可無き日本人の国外渡航は禁止されている。事実上の海禁政策が執られている訳だ。外海との接触が絶たれている状況下で、外の世界にはこんな怪物がいると言われても、実感が沸かないのは致し方無い事ではある。


「俺は3年前に行ったが・・・、やはりあれは目で見ないと実感は持てないだろうな・・・」


 3年前にアルティーア帝国へ派遣された経験を持つ杉田は、この世界と日本国内の間に存在する隔絶された価値観を肌で感じ、危機感を抱いていた。

 受講者たちのお喋りを余所に、講師は次なる議題へと話を進める。


『では次に、要注意な“亜人種”について説明します。“亜人”とは一般的に、“人間と異なる身体を持ち、人間と同等の知能を持つ知的生命体”の総称であり、この世界には多種多様な亜人種が存在しています。

中には危険な種も存在しており、その中で最も警戒しなければならないのが“吸血鬼”・・・この世界では別名“現世の悪魔(プランティ・ボールス)”と呼ばれている種族です』


「・・・吸血鬼?」


 講師の言葉に端を発して、講義室がざわめき始める。

 「吸血鬼」・・・血を吸う怪物の伝承は地球上の各地に存在しているが、その中でも現代に伝わるイメージに最も強い影響を与えているのは、東欧に伝わる吸血鬼像だろう。

 死者が蘇る事によって生まれ、人の血を糧とし、蝙蝠や狼などに変身し、並外れた腕力を有す。一方で十字架や聖水といった聖なるアーティファクトに弱く、流水の上を渡れず、ニンニクが苦手で、招かれたことの無い建物には自ら入る事が出来ず、日光によって力を奪われてしまう。しかし、その肉体は永遠で、心臓に杭を打たなければ滅することは出来ない。

 これらが一般的に伝えられる吸血鬼の特徴である。


『あの“奇妙なポーズや台詞で有名な漫画”をはじめとして、吸血鬼は様々なフィクションで扱われてきました。アニメや漫画で培われてきた日本人のイメージでは・・・確かに危機感は抱きにくいでしょう。

ですが、この世界の吸血鬼はヨーロッパで言い伝えられてきた“悪魔の化身”としての存在そのものです。しかも“日光”を除いて、ニンニク、十字架、流水、招かれた事の無い家・・・といった弱点は存在しません』


 講師は言葉を続け、この世界に棲む最強の種族について説明する。すると、1人の受講生が手を上げて質問をぶつけた。


「・・・我々の世界に伝わる伝承通り、日光は弱点なのですか?」


『はい、といっても古いホラー映画等で描写される様に、日光を浴びることで灰になるという事はありません。あくまで超常的な力を失う程度であり、致命的な弱点ではない。言ってしまえば、昼も夜も活動自体は可能なのです』


 講師は間髪入れずに答えを返した。彼が述べる事をまとめれば、この世界の吸血鬼に地球の伝承に伝わる様な、決定的弱点は存在しないということなのだろう。


『2、3000年は優に超える遠大な寿命と不死身に近しい再生能力を持ち、身体を自由自在に変化させ、加えて他種族の追随を許さない戦闘能力、そして血を吸った相手を“自らの眷属”・・・言わば“意思無き生き餌”に変えてしまうという“伝染性”を持つ力を有す。

そして、この世界の歴史の中で、他種族によって倒されたという記録が唯一存在しない種族であり、名実共にこの世界の最高位に当たる生命体・・・それが吸血鬼(プランティ・ボールス)なのです。

この種族は、南半球にある“亜人帝国”の帝室を成す“ツェペーシュ家”を初めとして同国に5家系のみ存在し、その多くが同国内に居住しています・・・が、中には行方不明となっている者が居るらしく・・・』


「・・・!」


 講師の語り口調が強めになって行く。受講生たちも彼の言葉に集中しながら、その内容を頭の中に入れていた。


『その中の1人でも、悪意を持って国内に紛れ込んだとしたら・・・初期対応を誤れば、東京は1週間と経たずに・・・』


〜〜〜〜〜


現在 5月23日午前・深夜 ルシニア港 港広場


「ん・・・夢? いっつ・・・!」


 数十分後、気絶していた神藤は再び目を覚ました。彼は身体のあちこちを襲う鈍い痛みに顔を歪めながら、上半身を起き上がらせると、状況を把握する為に周りを見渡す。


「・・・んな!?」


 神藤は驚愕する。スプラッタ映画も真っ青な遺体の山が自身の周りに散らばっていたのだ。

 彼はその中に、大量の返り血を浴びた人影が立っている事に気付く。彼女(・・)は生々しい音を立てながら遺体の血を啜っていた。しかし、神藤が目を覚ましたことに気づいたのか、その瞳が彼の方へと振り向いたのだ。


「・・・ギャアアア!!」


 2つ3つに切り刻まれて散乱する遺体、そして血の様な深紅の瞳を見て、神藤は堪らず悲鳴を上げる。彼は満足に動かせない筈の身体を無理矢理起こし、おぼつかない走り方でその場から一目散に逃げ出した。


「ハァ、ハァ・・・!」


 切断死体が散乱する中を、神藤は必死に走り抜ける。そして100m程走った後、彼は軋む首を後ろへ振り返った。

 吸血鬼は追いかけて来ることは無く、彼はほっとした様子でため息をつく。しかし、それもつかの間の事だった。


「お待ちなさい・・・」


「!!」


 木枯らしの様な冷たい吐息と共に、凍てつく様な声が左耳の鼓膜を刺激した。同時に何か柔らかいものが口元に触れる感覚を覚える。それは女性の指先だった。その刹那、神藤の背筋が凍り付く。


「うわあああ!」


 悪魔の右手に囚われた神藤の身体は、抵抗空しく元の場所へ引き戻された。




「・・・」


 神藤は虚ろな目で夜空の一点を見つめていた。怪物の腕の様に変化した女吸血鬼の右腕が、彼の身体をがっちり地面に押さえ付けており、再び逃げ出すどころか動くことも出来ない状況となっている。

 彼女は地面に仰向けで倒れている神藤をただ見つめている。その瞳は精神を突き刺す程に鋭利で、身体が凍てつく程に冷徹だった。


(ああ〜、ヤベェ・・・。俺、やっぱりここで死ぬのかな・・・)


 心拍数が上がっていくのを感じる。圧倒的な強者を前にすれば、人間も蛇に睨まれた蛙に堕ちてしまうのだ。 死に際を悟った神藤は命を落とす覚悟を決めていた。

 しかし、ゆっくりと口を開く彼女が神藤に告げた言葉は意外なものだった。


「逃げるなんて酷いわね、別に獲って食おうって訳じゃ無いわよ」


「・・・」


 血を啜られた死体に囲まれた状態では、その言葉に説得力は無い。だが一先ず落ち着いた神藤は、状況を詳しく知る為に、首を回しながらゆっくりと周りを見渡す。


(そういえば、あの娘は・・・?)


 神藤は座員たちに見つかる直前に顔を合わせたエルフの娘、リリアーヌの安否が気がかりになる。一見、死体の中に彼女らしき姿は無いが、もしかしたら・・・。


「ああ、あのエルフの子が気になる・・・? あの子なら、ほらあそこ」


「・・・!」


 女吸血鬼が指差した先には、地面の上に俯せで倒れているリリアーヌの姿があった。顔色はすこぶる悪いが、身体は五体満足のままであり、ただ気絶しているだけの様である。

 彼女の頬には、神藤が殺されかけた際に流した涙の跡がくっきりと付いていた。


「貴方が一座の看板娘とどういう関係か知らないけど、彼女には何もしていないわ。ただ・・・私の戦いが少ーし刺激的だったみたいね。

それより・・・貴方は人の心配をしている場合じゃないわよ。あばらや腕の骨が多数折れて、あちこち怪我している訳だけど・・・」


 一座の座員たちから容赦無い暴行を受けた神藤の身体は、肋骨を含む数カ所の骨折と全身に渡る打撲を来しており、本来ならば走れる様な状態では無かった。それどころか数日間の入院が必要であり、任務からの離脱もやむを得ない状態だったのだ。


「そのままじゃあ、不自由でしょう。袖振り合うも多生の縁と言うし・・・治してあげるわ」


「・・・!?」


 神藤は耳を疑う。目の前に居る女吸血鬼は、彼の怪我を治して見せると言うのだ。

 彼女は神藤の全身を押さえつけていた右腕を元に戻して、彼に掛けていた拘束を解くと、地面の上に両膝を付いた。そして神藤の両肩を掴んで抱き寄せながら、彼の首筋に顔を近づける。彼女の口の中には2本の牙がその姿を覗かせていた。


「何を・・・!」


 「血を吸った相手を“自らの眷属”・・・言わば“意思無き生き餌”に変えてしまう」・・・1年前に講師が口にしていた言葉を思い出した神藤は、自分の血を吸おうとしている彼女の腕を振り解こうと、必死に身体を揺らした。


「黙ってて・・・すぐ終わるわ」


 劈く様に冷たい声が神藤の動きを止める。その刹那、女吸血鬼は容赦無く、彼の首筋に牙を突き立てた。


「グ・・・グアアァァ・・・!」


 得も言われぬ叫び声が、誰も居ない深夜の港にこだまする。神藤は首筋から何かを持って行かれている感覚を確かに感じていた。為す術も無く血を奪われ、意識が遠くなってしまった彼は、再びぐったりとしてしまう。


「・・・ぷはっ」


 数分後、彼女は神藤の首筋から口元を離すと、唇に付いた血を人差し指で拭う。力無く地面の上に倒れる彼の首筋には、牙の跡がくっきりと残っていた。


「フフフ、“生き餌”にされると思った・・・? 確かにそれも出来るけれど、私たちは生命力を他者に分け与える事も出来るのよ。吸血鬼の生命力を分け与えられた貴方の身体は、一時だけ私たちと同等の再生能力を得ることが出来るの」


 女吸血鬼はくすくすと笑う。だが既に意識を失っている神藤の耳に、彼女の言葉は届いていなかった。だが彼女の言う通り、吸血鬼の治癒力を分け与えられた彼の身体には、目に見える変化が起こっていた。

 身体のあちこちに出来ていた腫れや傷、痣が見る見るうちに治って行く。そして1分も経たない内に、彼の身体は完治してしまったのだ。


「・・・!」


 いつの間にか目を覚ましていたリリアーヌは、悪魔が起こした奇跡を目の当たりにして驚きを隠せない。この世界には“治癒魔法”と呼ばれるものが存在するが、大概が擦り傷などの軽い外傷を治す程度のものであり、これ程までに重い負傷を一気に治す魔法など見た事が無かった。


 その時、女吸血鬼の視線が不意にリリアーヌの方へと向いた。彼女は咄嗟に気絶しているふりをする。だが時既に遅し、女吸血鬼はリリアーヌが目醒めている事に気付いているらしく、地面の上に俯せになっている彼女に要件を伝えた。


「・・・貴方、彼を別の場所に運んであげて」


「・・・」


 気絶を装う事が無駄だと悟ったリリアーヌは、顔を上げると、自分を見下ろしている女吸血鬼にいくつかの疑問を尋ねた。


「貴方は何故・・・此処に? それに何故、私を殺さなかったのですか?」


「!」


 予想外の質問を受けた彼女は、困った笑顔を浮かべた。右頬に人差し指を当て、両目を左右に振りながら気の利いた答えを探す。


「・・・貴方を見逃したのはただの気まぐれ。不服なら、今から死ぬ?」


「・・・っ!」


 女吸血鬼が何気無しに述べたその言葉に、リリアーヌは背筋が震え上がった。警戒心を強めるエルフの娘に対して、彼女はくすくすと笑う。


「フフ、冗談よ。・・・私が此処へ来たのはね、“想い出”が穢されるのが、我慢ならなかったのよ。あの話が盗みの道具にされてしまうのが・・・」


「・・・!?」


 リリアーヌは頭上に疑問符を浮かべる。先程までの態度とは一転、女吸血鬼は夜空を見上げながら、悲哀を含む表情を浮かべていたのだった。


〜〜〜〜〜


5月23日朝 ルシニア港 コンテナ貨客船「シール・トランプ」船内


 ルシニアへ入港する護衛艦の汽笛が聞こえる。かもめに似た海鳥が海面すれすれを飛び、港では入港してくる貿易船から次々と積荷が下ろされており、船乗りや貿易商人たちの声が、港街に活気を与えていた。

 港に並ぶ船の中に、日本船籍のコンテナ貨客船がある。その船内にある医務室にて、神藤は長い眠りから目覚めていた。


「あ・・・気づきましたか、神藤さん!」


「・・・!??」


 横から利能の声がする。状況が飲み込めないまま天井を眺めていた神藤は、声がした方へ視線を動かす。そこには椅子に座って、神藤の目覚めを待っていた利能の姿があった。

 暇を潰す為に読んでいたのか、彼女の右手には文庫本サイズの小説が握られている。


「利能・・・俺は一体、さっきまで港広場に居た筈なのに・・・そこで亜人たちにボコボコにされて、動けねェと思ったら女吸血鬼に血を吸われて・・・」


 彼は夜中に起こった出来事を思い返していた。彼の言葉を聞いていた利能は露骨に怪訝な顔をする。


「・・・寝惚けているんですか? 貴方は今朝、船の前に倒れていたんですよ。ボコボコにされたって・・・万が一の為に船の医療スタッフに貴方を診せましたが、傷1つ付いていなかったんですから」


「・・・??」


 利能の言葉に、神藤はますます混乱していた。彼は左手で頭を抱えながら、昨夜の記憶を必死に思い出そうとする。


「あら、腕時計・・・見つけていたんですね」


「・・・え」


 利能に指摘されて、神藤は初めて自分の左腕に掛かっている“重さ”に気付く。奪われた筈の腕時計が、どういう訳か左手首に戻って来ていたのだ。


「私は船室に戻っています。落ち着いてから、いらして下さいね」


 上司が意識を取り戻した事を確認した利能は、椅子から立ち上がると医務室を後にする。神藤は彼女が出て行った部屋の扉をしばしの間眺めていた。




 数時間後、2日間の滞在期間を終えた「シール・トランプ」はついに出航時間を迎える。船は汽笛を鳴らしながらゆっくりと港を離れ、“魑魅魍魎が跋扈する国”エルムスタシア帝国を後にする。

 水平線の向こう側へと離れていくアナン大陸を、神藤は自身の船室からぼんやりと眺めていた。

 その時・・・


ビー!! ビー!!


「!?」


 緊急事態を知らせる警報がけたたましく鳴り響く。同時に船内が何やら騒がしくなっていた。

 扉を開けて廊下の様子を伺ったところ、船員たちが焦った顔をしてあっちこっちに走り回っている。神藤はそんな彼らに混じって、此方に向かって近づいて来る開井手の姿を見つけ、自身の部屋の前を走り去ろうとする彼の腕を掴んだ。


「先輩・・・これは一体何の騒ぎです?」


 彼の質問に、開井手は息を切らしながら答える。


「ちょうど良かった! 密航者らしき人物が居たらしい・・・お前も捜索を手伝え!」


「なんだって・・・!」


 密航者・・・即ち、正規の乗船手続きを踏んでいない者がこの船に紛れ込んでいるらしい事が明らかになったのだ。下手をすれば航海の無事に関わる問題であり、船員や乗客の命を守る為にも、早急に密航者の身柄を押さえなければならない。

 状況を知った神藤は、万が一の為に鍵付きケースに仕舞っていた拳銃を取り出して、船室を後にする。




「居たか?」

「いや・・・何処にも。本当に密航者に侵入されたのか?」

「警備員は何をやってたんだ!」


 船内の捜索を行う船員たちの声が聞こえる。何処に居るか分からない密航者を探す彼らの声は、明らかな焦りの色をはらんでいた。

 神藤と開井手、そして利能もそんな彼らに混じって船内の捜索を行っている。ラウンジ、喫煙所、食糧庫、司厨・・・各々がそれぞれの場所を探すが、一向に密航者らしき人影は見つからなかった。


 数十分後、神藤は3階のトイレに来ていた。身体を壁際に隠し、洗面台の鏡を見ながら人影が居ない事を確認する。その後、彼はトイレの電気を付けると、4つある個室の扉を1つ1つ開けて行った。

 そして最後の扉に手を伸ばした時、その中からガタッという妙な音を耳にしたのだ。


「・・・!」


 取っ手を見たところ、鍵は掛かっていなかった。神藤は懐に右手を潜ませながら、左手でゆっくりとその扉を押す。


「・・・・・・・・・え?」


 神藤は思わず間の抜けた声を出す。最大限の警戒心を以て扉を開けた彼は、目の前に現れた“予想外の人物”を目の当たりにして、言葉を失ってしまったのだ。


「・・・!」


 金色の髪に翡翠の瞳、そして透き通る様に白い肌、加えて尖った形をした両耳・・・彼女(・・)も神藤と同様に、扉を開けた人族の恩人(・・)の姿を見て、目を丸くしていた。

 両者の間にわずかな沈黙が流れる。そして先に口を開いたのは神藤だった。


「・・・な、ナニー!!?」


 神藤の叫び声がトイレの中でこだまする。


 密航者の正体、それはマクロホイ一座の看板娘であるエルフ族の少女、リリアーヌ=ウィルソー・キンメルスティールだったのだ。

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