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旭日の西漸 第4部 ティルフィング・選挙篇  作者: 僕突全卯
第3章 エルムスタシア帝国
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魑魅魍魎が跋扈する国

5月21日 エルムスタシア帝国 ルシニア基地・港


 コンテナ貨客船に乗ってセーベ、ベギンテリアを目指す神藤一行は、船の寄港地の1つであるエルムスタシア帝国の港街ルシニアに降り立っていた。港には日本とエルムスタシア両国の貿易船の他、海上自衛隊の護衛艦の姿もある。

 日本政府は、2027年に行われた“リヴァイアサン討伐作戦”成功の見返りとして、この港街とその沖合における“自衛隊の駐留権”と“海底資源の採掘権”を獲得していた。よってこのルシニア港は、自衛隊の軍港としての顔を持っているのだ。故に昨年の「クロスネルヤード戦役」においては、基地が狙われ、敵艦隊が押し寄せることとなった。


「さて、2日か・・・」


 船から伸びるタラップを降りた神藤は、日本政府のODAによって整備された港を見回しながら、2日間の過ごし方について考えていた。

 船の中で大人しく2日が過ぎるのを待つという手もあるが、この国は普段であれば決して来ることが出来ない「亜人の国」、好奇心が疼かない筈が無かった。


「折角だから“亜人の国”の見物くらいはしてェなあ・・・」


 開井手は周りに聞こえるかどうかのか細い声でつぶやいた。それは神藤の心情をも代弁するものだったが、彼ら2人にとって、その為には越えなければならない壁がある。


「・・・」


 2人は揃って利能の顔を伺う。“遊びじゃ無いんですよ、ふざけないでください”、2人はそんな台詞が彼女の口から出てくることを予期していた。しかし、彼女が実際に口にした言葉は、彼らの予想を大きく裏切ることとなる。


「・・・? 別に良いんじゃないですか、お2人の好きにすれば」


 利能はきょとんとした表情を浮かべる。彼女は男2人が自分に伺いを立てる理由が分からなかった。


「・・・マジっすか!」


 神藤は喜々とした声を上げる。開井手も喜びを隠せない顔をしていた。



 その後、彼らは基地内にある両替屋にて、ジュペリア大陸のユロウ金貨1枚を換金した後、亜人が暮らす街へと繰り出す為に基地港の出口へと向かう。

 日本政府が建設した基地港と市街地は簡素なフェンスで仕切られており、5カ所ある出入り口には、基地警備隊に属する陸上自衛隊員が見張りとして常時立っていた。

 そしてついに神藤と開井手、利能は、街と基地を分ける敷居を跨ぐ。神藤は亜人が跋扈する街への好奇心を隠しきれないでいた。そんな彼らに対して、出入り口の警備を行っていた隊員がすれ違いざまに声を掛ける。


「街に出られるのですか? 気をつけて下さいね。我々はもう慣れました(・・・・・)が、貴方方の様な新規の来訪者には、この街は少々刺激が強いでしょう」


「・・・? ああ、ありがとう」


 神藤は隊員が告げた忠告の意味を解さないまま、少し間の抜けた声で礼を返した。“刺激が強い”とはどういう事だろうか、治安が余り良くないのか、そんな推測を立てながら、3人は街へと踏み出す。


・・・


ルシニア市街


 多くの亜人が暮らす国、そう言われたら人はどのような景色を思い浮かべるだろうか、猫耳や兎耳などの可愛らしい耳が頭に生えた獣人、容姿端麗な顔立ちばかりのエルフ、はたまた厳つい顔をしながら人の腰ほどの背丈しか無いドワーフ・・・この様なファンタジーの常連たちが暮らすメルヘンチックな世界を思い浮かべるのではないだろうか。

 確かに街を歩けば獣人に会えるし、海辺に行けば人魚も見られる。しかし、同時に少々刺激的な者たちも目に入って来るのだ。


「“昆虫型亜人”、“魚介類型亜人”、その他“分類不可能な亜人”は日本人にとって少々刺激的な外見をしていますが、“獣人”や“伝説種”と同様に接しましょう。差別はいけません」


「差別はいけない・・・? 何のこっちゃ?」


 利能は基地で貰ったパンフレットの文章を読み上げる。神藤はその意味を理解出来ないでいた。しかし、彼らはすぐにその本意を理解することとなる。

 現在、彼ら3人は基地港の敷地と市街地を隔てるフェンスに沿って歩いていた。通りを挟んだフェンスの反対側には、街の住民が暮らす建物や店が立ち並んでいる。猫、鳥、豚・・・様々な動物の特徴を持つ獣人たちが日常を過ごす、日本では決して見られないであろう景色がそこにはあった。

 3人は唯々、その景色を興味津々な様子で見つめている。


「凄いなあ・・・」


 開井手がぽつりとつぶやく。その緩んだ口角から、年甲斐もなくウキウキしている様子が見て取れた。


「確かに・・・日本じゃあまず見られない街並みですね」


 利能の方も、何時もの生真面目な様子とは裏腹に、少女の様な笑みを浮かべている。

 その時・・・


「ウワアアァァ!!」


「!?」


 神藤が突如、奇妙な叫び声を上げた。開井手は大きく身体をびくつかせる。


「どうしたんだ、いきなり! びっくりしたじゃないか!」


「あ・・・あれ!」


「ん?」


 彼は震えた声で前方を指差す。その人差し指が示す方を見ると、数多の節足を持つ巨大なムカデが、進行方向から此方に向かって近づいて来るのが見えた。


「!!?」


 数多の節が連なった長い胴体、そして長い触覚が突き出た紅い頭・・・徐々に近づいて来る()は、すれ違いざまに全ての節足を振り上げながら、神藤一行に会釈する。


「コンニチワ・・・」


「あ、どうも・・・」


 異形の外見をした存在に、3人はすかさず会釈を返した。その後、ムカデはすれ違い、遠ざかって行く。彼らは日光を反射して黒光りしているその後ろ姿を、しばしの間眺めていた。


「む・・・“ムカデ(・・・)の亜人”・・・!」


 初めて目にした“昆虫型亜人”、その異様な姿を目の当たりにした利能は失神寸前だった。


「亜()か、あれは!? でかいムカデが歩いているだけだろ! びびるわ!」


 神藤は心の叫びを吐露する。開井手も冷や汗を流していた。


 その後、心穏やかでは無くなった彼らは基地港から離れ、市街地の中に踏み込んでいく。都市の内部へ進んで行くに連れて、彼らを囲む光景の異様さが増していく。

 体中に数多の複眼を持つ者、キノコの様な頭を持つ者、足が6本ある者、巨大な1つ目を持つ者・・・もちろん獣人や鳥人などのファンシーな住民も居るが、前者のインパクトが強烈過ぎて、どちらかと言えば魔物とか怪物と呼ばれそうな者ばかりが目についてしまう。

 正に魑魅魍魎が暮らす街とでも言うべき、奇怪な景色がそこには広がっていた。


「とんでもない場所だ、これが“亜人帝国”・・・」


 神藤はようやくこの国、そしてこの「アナン大陸」の実態を理解するに至った。この大陸は、人界から孤立した“生態系”が繁栄する大陸なのである。


 「エルムスタシア帝国」・・・他国から“亜人帝国”の別称で呼ばれるこの国は、亜人が総人口の殆どを締めている。他大陸の国々からは、その異様さから忌避に似た感情で見られる事も多い国だ。

 しかし一方で、人族と比較して強健な体躯を持つ亜人によって構成された“エルムスタシア帝国軍”は、陸戦では(・・・・)最強と謳われており、「アラバンヌ帝国」の代わりに、このエルムスタシア帝国を列強“七龍”の一角に数える者も居る。

 しかし、生まれつき飛べる種族が数多く居るこの国では、“人の国家”の様に“龍”を飼育する文化が育たなかった為、航空戦力という面では他の国々と比べて大いに遅れを取っていた。それがこの国が一般的に列強扱いされない理由なのだ。


 しかし、この国が持つ計り知れない潜在的な力を各国が恐れている事は確かである。あの“世界最強の種族”と恐れられる「吸血鬼族」を国の長として扇いでいるのだから、無理も無い話だろう。




「食えんのか、こりゃ?」


 とある食料品店の前に立った神藤は、店先に並べられている商品をまじまじと見つめていた。何の生物だか分からない肉や、見た事も無い野菜やキノコが並べられている。

 その背後では、利能が気持ち悪そうな表情を浮かべていた。


「すみません・・・私、先に船へ帰っています」


「ああ、気をつけてな」


 神藤は貨客船に帰ると告げた部下を、心配そうな声で見送る。彼女は魑魅魍魎の街が放つ刺激に翻弄され、精神的に疲労していたのだ。

 しかしその一方で、神藤らに忠告を伝えたあの陸自隊員然り、基地に駐在する日本人たちは、この異常な光景を日常として既に受け入れているのである。その事実は彼ら3人に、人の慣れとは恐ろしいものだとつくづく実感させていた。


「先輩、利能が心配だから付いて行ってくれないか?」


 素面であるにも関わらず、足取りが少々おぼつかない利能の様子を見て、不安を覚えた神藤は、部下である開井手に付き添う様に頼む。


「・・・そう言うと思ったぜ」


 開井手は小さなため息をつくと、上司の命令に従って利能の後を追って行った。


・・・


数時間後


 2人と別れて1人になった神藤は、そのまま街の見物を続けていた。気付けば夕方が近くなり、腹が空く時間帯になって来る。街の様子は相変わらず刺激が満載だったが、数時間も見ていれば流石に慣れて来る。


(・・・よ〜し、夕飯でも食べるか。貨客船の中でも食事は提供されるが、現地の料理を食べる事こそ旅の醍醐味だ)


 思い立った神藤は、酒場が立ち並ぶ繁華街へと向かう。歩いている内に、夕暮れを迎えたルシニアの街は次第に薄暗くなり、気付けば街道に並ぶランタンやたいまつに火が点されていた。先程まで涼しく感じていた筈の秋風は、日没に伴って肌寒くなっていく。


 酒場には仕事を終えた人々が集まり始めており、賑やかな喧騒があちこちから聞こえて来る。神藤はどの店に入るか悩みながら、繁華街を歩き続けていた。

 街中には非番と思しき自衛隊員の姿もちらほらと見られ、基地の敷地内では中々得られない酒類に酔いしれている。屋外に設置された席で、頭が蛸の様になっている魚介類型亜人と普通に乾杯しているのだから大したものだ。

 そんな異形の者たちと日本人との交流を眺めていた神藤を、呼び止める声が聞こえた。


「あ、兄ちゃん! あんたニホン人でしょう! 飲み屋探してるんならウチにしなよ。店長に言って、安くしとくからさあ!」


 声の主は彼が眺めていた酒場のウエイトレスだった。エールが入った木製のジョッキを両手に抱える彼女は、頭から長い耳が生えた“兎の亜人”で、「兎人族」と呼ばれる種族である。


「良いのかい? 俺に嘘八百は命取りだぜ?」


「勿論さ、心配要らないよ。ニホン軍はこの街のモンにとって“恩人”だからね!」


 ウエイトレスの女性は笑顔で答える。

 クロスネルヤード戦役の前哨戦として勃発した「グレンキア半島沖海戦」、この戦いではアルフォン1世に与する勢力がルシニア基地を狙い、2度に渡って大艦隊をルシニアへ派遣してきた。

 しかしその襲撃は2度とも、基地港に駐留する“海上自衛隊第13護衛隊”と“航空派遣隊”の活躍で撃退され、この一件以降、街の住民達の対日感情は非常に良好になっているのだ。


「そこまで言うのなら、お言葉に甘えさせて貰おうかな」


 神藤の言葉を聞いたウエイトレスは、嬉しそうな顔をしながらその長い耳をピンと伸ばす。


「本当かい! そうと決まればさあ、入って入って! 奥の方の席は空いているから!」


「・・・ああ」


 快活な声に誘われ、神藤は酒場の中へ入って行った。店の中にあるテーブル席はほぼ全てが埋まっており、一見して空いていると分かるのは店の奥にあるカウンター席だけだった。

 神藤はウエイトレスに先導されながら、魑魅魍魎が繰り広げるどんちゃん騒ぎの間を縫ってカウンター席に辿り着く。その後、彼はカウンターの上に置いてあったメニュー表を広げた。だが当然ながら、神藤はエルムスタシアの文字を読めない。


「オススメは“リューゲと青菜の炒め物”だよ。店長の作るものは何でも美味しいんだ!」


 彼女はメニュー表に書かれた項目の1つを指差した。因みにリューゲとは、蛸の様な烏賊の様な軟体動物のことである。このアナン大陸ではごく一般的に食されている海産物だ。


「じゃあ・・・それで。あとエールをくれ」


「あいよ!」


 注文を受けたウエイトレスは、カウンターの向こう側にある厨房へと消えて行く。

 数十秒後、彼女はエールがなみなみ注がれたジョッキを、神藤の下へ持って来た。


「はい、おまち! 料理はもうちょっと待ってね。あとこれは私たちからの奢り、酒のつまみにしておくれ」


 そう言うと、彼女は小皿に盛られた6切れのチーズを差し出す。


「ああ、ありがとう」


 神藤は微笑みを浮かべながらお礼の言葉を伝える。それに気を良くしたのか、ウエイトレスは照れた顔で再び厨房の中へ消えて行った。その後、彼はジョッキの取っ手を掴むと、中に入ったエールを一気に身体へ流し込む。


「クゥ〜・・・! こりゃ良いや!」


 神藤はエルムスタシアのエールに舌鼓を打つ。日本国内で一般的に売られているビールに引けを取らないくらい喉越しと味が良く、何よりアルコール度数が高いのだ。たちまち気分が良くなった神藤は、チーズを1切れ口に運ぶと、再びジョッキを口に付けた。


(ああ〜、先輩も連れて来れば良かったなあ。まあ、明日で良いか!)


 開井手を連れて来なかった事を後悔しながら、神藤は三度ジョッキを口へ運ぶ。

 その時・・・


「や、止めてください!」


(・・・?)


 何処からか女性の叫び声が聞こえて来た。その甲高い声がした方を見ると、金髪の少女がテーブル席に座る客に絡まれていたのだ。


「良いじゃねェかよ! 俺たひと一緒に飲もうぜェ〜!」


 頭から犬耳を生やす“狗人族”の男が、フードを被った少女の腕を引いている。明らかに嫌がっている少女の言葉に男は耳を貸すことなく、彼女を自身の隣に座らせようとしていた。

 同じテーブル席に座る他の客たちも、彼の行動を咎めること無くゲラゲラと笑っている。そんな彼らの目の前に、1人の男が立ち上がる。


「おい、ちょっと待った!」


「!?」


 少女をナンパしようとしていた客たちは声がした方を向く。彼らの視線の先には“人族の男”、他ならぬ神藤の姿があった。


「その子、嫌がってるだろうが。いい加減にしなよ」


 強引な相席を止めさせようと、神藤は狗人族の男の腕を掴んだ。男は椅子から立ち上がると、野犬を思わせる鋭い目で神藤を睨み付ける。


「ああ!? 軟弱な人族が、何様のつもりだコラァ!」


「!?」


 男はもう一方の腕で、神藤の顔目がけてパンチを飛ばしてきた。神藤は間一髪でその拳を回避し、獣の毛に覆われた腕が彼の顔面を掠める。


「おろ・・・?」


 渾身の力を込めたパンチが躱されたことで、狗人族の男はバランスを崩し、その身体が大きくよろける。神藤はその隙を見逃さなかった。

 彼は自分の顔面を掠めた男の右腕を掴むと、身体を落としながら相手の懐に踏み込み、もう一方の腕を男の右脇の下に回す。


「どうりゃあああ!」


「!?」


 気合いが籠もった叫び声と共に、神藤は身体を反転させ、男の身体を背負い上げる。男は右腕を勢いよく引っ張られ、宙を一回転して床の上に叩き付けられた。神藤渾身の“一本背負い”が炸裂したのである。


「・・・え!?」


 屈強な体躯を持つ狗人族が、人族の男に投げ飛ばされた。その様子を目の当たりにした客たちは皆、目の前で起こった事が信じられなかった。投げられた当人も、状況が飲み込めないのか目を丸くしている。


「柔よく剛を制す・・・。正に武道の真髄だな」


「っ〜〜!?」


 自分を見下ろす神藤の顔を見て、狗人族の男はようやく自分に何が起こったのかを理解する。大衆の面前で大恥をかいてしまった彼は、顔を真っ赤にしながら立ち上がり、テーブルの上にお代を叩き付けた。


「おい、ずらかるぞ!」


「・・・あ、ああ」


 男は神藤の前からそそくさと立ち去っていく。彼と同じテーブルに座っていた者たちも、男の後に続いて逃げる様に店から出て行った。


 神藤はスーツの乱れを整えると、ナンパされていた少女の下に近づき、床の上に座り込んでしまっている彼女に手を差し伸べた。


「大丈夫かい?」


「・・・!」


 少女は恍惚の表情で神藤の顔を見上げていた。伸ばした手を掴むことなく黙りこくっている彼女の様子を見て、神藤は首を傾げる。


「・・・おい?」


「あっ、ごめんなさい!」


 少女は神藤の呼びかけで正気を取り戻し、はっとした顔をする。彼女は差し伸べられた手を掴んで立ち上がると、深々と頭を下げた。その両頬は明らかに紅く色づいている。


「ありがとうございます・・・!」


「・・・!」


 少女はフードを脱ぐと、乱れた髪を整えながら神藤にお礼の言葉を伝える。その刹那、今度は神藤が言葉を失ってしまう。

 金色の髪に翡翠の瞳、そして透き通る様に白い肌・・・フードの中から姿を現した少女は、誰もが見取れる程の端麗な顔立ちをしていたのだ。加えて彼女の両耳は、その長髪をかき分けて姿を覗かせる程に尖った形をしている。それは彼女が“エルフ族”である事を示していた。


「あ、ああ。気を付けるんだよ」


 気を取り直した神藤は、彼女と目線を合わせながら、女1人の身で夜の酒場に入ってしまうという迂闊な行動を注意する。

 すると少女は何かを思い出した様に懐の中を探り、そこから1枚の小さな紙切れを神藤に差し出した。


「お、お礼に、よ・・・良かったら、私達(・・)の演劇をみ・・・見てくれませんか?」


「演劇?」


 神藤は差し出された紙切れを受け取る。チケットの様な形をしたそれには、エルムスタシアの文字と簡易な地図が書き記されていた。


「はい! ルシニア港広場で今日、明日、明後日と公演していて、私も出ているんです! そ、その・・・ご迷惑だったら、勿論無理にとは言いませんが・・・」


 少女ははにかみながら、恩人である神藤に対して自身が出る演劇に来て欲しいと頼み込む。神藤は少し考える素振りを見せるが、直後、彼女の方を向いて頷いた。


「ありがとう。明日、是非行かせて貰うよ」


 彼らが乗ってきた貨客船が此処を出るのが明後日の夕方、明日の公演を見るくらいの時間的余裕は大いにあった。どちらにせよ、この街で特にすべきことが無い彼らは、明日も暇を持て余すことになる。

 そんな状況の中で、演劇鑑賞は良い暇つぶしになるだろう。


「本当ですか! 良かった〜! じゃあ、また明日お待ちしておりますね!」


 神藤の答えを聞いたエルフの少女は満面の笑みを浮かべる。

 その後、手を振りながら酒場を後にする彼女の後ろ姿を、神藤は手を振り返しながら見送った。


(すげェ可愛い嬢ちゃんだったな。一体幾つだったんだろう・・・? お待ちしていますと言っておきながら、名前も名乗ってねェし・・・)


 神藤は互いに名乗らなかった事を少し後悔していた。そんな彼の下に、一連の騒動の一部始終を見ていた兎人族のウエイトレスが近づいて来た。


「ありがとう、不埒な輩を追い払ってくれて! あいつら結構注意してきたんだけど、全然聞いてくれなかったんだよ」


「・・・!」


 彼女の口から出て来たのは感謝の言葉だった。酒に気を良くした勢いに任せ、店の中で一騒動起こしてしまった事に少しばかり引け目を感じていた神藤は、彼女の様子を見て一安心する。


「それより兄ちゃんも隅に置けないね〜! あの子、今この街に公演に来ている“マクロホイ一座”の看板娘じゃないか」


「マクロホイ・・・? 看板娘・・・?」


「そうだよ、知らないのかい?」


 的を射ない様な表情を浮かべる神藤に、彼女は呆れ顔でため息をついた。彼女は神藤が右手に持っているチケットに書かれていた、ある一文を指し示す。


「ほら、ここに名前。一座が誇る看板娘“リリアーヌ=ウィルソー・キンメルスティール”」


 彼女が人差し指で示したそこには、あのエルフ族の少女の名前が書き記されていた。

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