トウキョウ・シティーの亡霊
5月13日夕方 クロスネルヤード帝国東海岸 ミケート・ティリス日本租界
エフェロイ共和国にて少女社長との別れを済ました神藤一行は、再びミケート・ティリスの日本租界に戻って来ていた。
日本人旅行者向けに作られた宿泊施設のロビーにて、3人は今後の予定を話し合う。
「失踪邦人の行方が判明しました。よって、ここミケート・ティリスから、“民間企業の貨客船”にてクロスネルヤード帝国南海岸の港街『ベギンテリア』に渡ります」
新調したスーツに身を包む利能は、国土地理院が発行している“テラルス世界”の航路図を広げて、今後の予定を説明していた。
ミケート・ティリス、ベギンテリア、ドラス・ティリス、ルシニア、そしてセーベ・・・こういった主要国の港湾都市の中には、時に外交交渉の結果として、時に戦争の戦利品として、日本国が国外拠点を築く権利を得たものがいくつか存在する。
そんな各都市には、貿易施設または軍事施設などから構成される事実上の“租界”が築かれており、商業製品や物資、石油燃料などを載せた民間企業の貨物船や海自の護衛艦などが、各拠点の間を往来している。そして貨物船を運行する民間企業の中には、貨物船内を一部改装して客室を設置し、貨物と共に旅客を運ぶ“貨客船サービス”を開始している企業があった。
尚、現在のところ、一般の日本国民の出国は外務省と法務省によって厳しく管理されており、国外渡航はこれら2省による許可制になっている。その為、この世界の“外国”へ渡るには、これら2省の印が押された「出国許可証」を得なければならない。“観光旅行”の名目で許可が出されることはほぼ無いと言って良い(共に日本領土である外地と内地の往来は当然ながら自由)。
更には日本人の治外法権が大きく認可されているセーレン王国へ上陸する為には、これに加えて防衛省が発行する「自衛隊/日本軍軍属証明書」も取得する必要がある。
即ち、日本人が“貨客船サービス”を利用する為には、先程述べた「出国許可証」の提示が必須となり、貨客船が向かう先の国への渡航許可が出ていることを証明しなければならないのである。よってどちらかと言えば、このサービスは日本国民ではなくテラルス人の豪商向けに作られたものだと言える。
「俺たちの持つ出国許可証は“制限無し”。世界中の何処へ行ってもOKと言う訳だから、つまり船舶会社にこれを見せれば、問答無用で船に乗せてくれる」
神藤はスーツの懐から「出国許可証」を取り出す。警察庁の計らいによって発行されたそれには、あらゆる特例措置が施されていた。
「残念ながら、ミケートからベギンテリアへの直通船はありません。我々が乗る船も、『エルムスタシア帝国』のルシニアと『ヨハン共和国』のセーベに寄港する様です」
利能が説明を続ける。
彼らが乗る予定の船は、日本企業「商船三天」が運行するコンテナ船で、翌日の午前10時20分にミケート・ティリスを出港する予定になっていた。ルシニアへ辿り着くのはその7日後で、2日間滞在する予定になっている。更に7日後、次なる寄港地であるセーベに辿り着き、そこに3日間滞在、最終目的地であるベギンテリアに辿り着くのは、それから2日後である。
締めて21日間、計3週間のクルーズとなる訳だ。
「ルシニアには燃料補給を兼ねた積荷の積み卸しだ。あそこには石油精製施設があるからな。セーベは世界最大のハブ湾港、泊まらない理由は無いさ」
神藤は寄港地である2つの都市について述べる。
ルシニアとセーベには日本の商業拠点が設置され、加えてルシニアには軍事基地と石油精製施設まで築かれている。「リヴァイアサン討伐作戦」の見返りとして、ルシニア沖合における海底資源の開発権を得ていたからだ。
「奴さん、2ヶ月前にはリンガルを後にしているんだぞ? わざわざこ〜んな遠回りする“海路”を使って大丈夫か? やっぱり、車を買って“陸路”で行った方が良いんじゃねェかなぁ・・・」
開井手は、“ルシニア寄港”という名の遠大な寄り道を行う“貨客船”を使うことに否定的な様子だ。彼は日本租界内に出店している自動車販売店で車を買い、“陸路”でベギンテリアへ向かうという案を推していた。
金はかなり掛かるが、船で行くよりもかなり時間を短縮出来る。しかし、費用を過剰に浪費してまで先を急ぐ必要性に、神藤は異を唱える。
「良いか? リンガルとこの街で得た証言に依るとだな・・・奴さんたちは此処から船で、ベギンテリアに向かおうとしているらしいのよォ・・・」
彼は胸ポケットから取り出したボールペンを指示棒代わりにしながら、今まで得てきた証言から推測される失踪邦人の足取りについて、世界地図を用いながら説明を始める。
「彼らがリンガルを出発したのが約2ヶ月前、そこからミケート・ティリスへ向かう船に乗って此処へ着くまでが9日、そこから船を乗り換えてセーベに着くまでには、順調に行っても2ヶ月半かかる。そしてそこでまた船を乗り換えてベギンテリアに着くのが10日くらいかかる訳さ・・・。
一方、日本の貨客船を使う俺たちは今から2週間弱でセーベ、3週間でベギンテリアに辿り着く。余裕で先回り出来るよ。むしろベギンテリアまで行かずとも、セーベで彼らに追いつけるだろう。世界を股に掛けた鬼ごっこもこれで終わりという訳さ」
説明を終えた神藤はボールペンのペン先で、世界地図に示されたセーベ市の位置を2、3回タップする。
「・・・大金叩いて車を買って、3週間近くも先回りして待ちぼうけするのも確かに馬鹿らしいか。整備されていない道を行く以上、故障のリスクも段違いに上がる訳だし・・・捜査資金の節約や安全性を考えたら、海路の方が確かに良いな」
説得を受けた開井手は、海路を使うという案に納得した様だった。
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同日 日本国 首都東京・千代田区
「転移」によって名実共に「世界最大の都市」となった東京、日本人の国外移動は制限されているが、国外の富裕層による観光は、日本政府の方針によって積極的に誘致されている。
特に東京、大阪、横浜、那覇の4都市にのみ存在する“カジノ特区”は、金と暇を持て余すこの世界の特権階級にとって、恰好の遊戯場となっていた。
そんなエンターテイメント・シティーの一画に、警察組織の本丸である警察庁舎が有る。その内部部局の1つである“警備局”の局長室に、一本の電話が入っていた。
「・・・分かった。引き続き失踪者の痕跡を追跡してくれ」
警備局長である江崎祐恒警視監は、会話を終えるとデスクの上にある電話に受話器を置いた。受話器の向こう側に居た電話の主は、現在遠き地ミケート・ティリスに滞在中の神藤警視だ。
「・・・フゥ、一体どうなっているのか」
神藤との通話を終えた江崎は、ため息混じりにつぶやく。
1週間ぶりに再開した“生存報告”と共に、失踪邦人5名の行方が神藤の口から報告された。“謎の異国人”に連れられた左派系活動家の集団は、現在西へ西へと向かっているという。何が目的なのか、彼らを先導している異国人とは何者なのか、未だに分からない事だらけなのが現状だった。
「この世界で銃乱射事件でも起こされたら洒落にならん・・・。頼むぞ、神藤」
国際問題に発展しかねない可能性をはらんでいる邦人の失踪事件、江崎は部下の成功を祈ることしか出来なかった。
・・・
東京・荒川区
荒川区に建つとある3階建てアパート、その1室に集まっている集団が居た。人数は6人、テーブルの上には酒が並んでいるが、只の飲み会とは一線を画す物々しい雰囲気に包まれている。
「全く・・・泉川内閣の謀略によって、日本人民はものを考えられない愚民とされてしまった・・・」
1人の男は現在の日本を治める「泉川内閣」への不満を漏らした。
「それどころか、あの悪魔共による異世界への侵略行為を賞賛する始末だ。全く嘆かわしい・・・」
もう1人の男が酒を呷りながら発言する。彼らにとって、自国党政権は目の仇にすべき存在である様だ。
「泉川内閣はあくまで、“宣戦布告をしてきたのは向こう側で、政府は専守防衛を堅持している”とほざいているが・・・」
「あれほどに技術力が離れた相手を、現代兵器で叩き潰すなど言語道断! 虐殺以外の何者でも無いわ! きっと向こう側から宣戦して来る様に計ったに違いない!」
「中華大陸と朝鮮半島だけでは飽きたらず、この清浄な世界でも技術力の差に物を言わせて食指を伸ばそうとする・・・正に“征服欲の塊”! 我々はこのテラルスを、自国党の魔の手から解放しなければならない! それが我々の運命なんだ!」
その場に居る皆が思い思いの言葉を並べる。その後、最初に発言した男が缶ビールを右手に持って立ち上がった。他の者たちも各々が飲んでいた酒の缶を掲げる。
「その為にも、桐岡たちの成功を祈って・・・!」
「・・・乾杯!」
缶が合わさる鈍い音が部屋の中に響き渡った。
2019年の「日中軍事衝突」、そして「東亜戦争」を経験した日本国内では、“反戦”や“非武装”を掲げる意見に世論は耳を貸さなくなっている。
革新政党と呼ばれた政党は、戦時中に行われた衆議院選挙で類を見ない大敗を喫し、発言する為の手段と“スポンサー”を失った「空想的平和主義」は、現実問題として差し迫った「国家存亡の危機」によって、一気に求心力を失ってしまったのだ。
しかし、そんな状況になっても、彼らは行動することを止めない。実情がどうあれ、今の日本が彼らの求める姿へと変わらない限り、彼らは止まらないのである。
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5月21日 コンテナ貨客船「シール・トランプ」 船内
神藤一行を乗せた商船三天のコンテナ貨客船が、7日間の航海を終えて、最初の寄港地であるエルムスタシア帝国の港街ルシニアを視界に捉えていた。
『当艦は間も無くルシニア港に到着致します。停泊時間は2日間です』
客室を利用する10人程の乗客に向けて、アナウンスが発せられる。それは喫煙室で煙草を吸っていた神藤の耳にも届いていた。
「お、漸く着いたか」
神藤は吸っていた紙煙草を、備えつけの灰皿に擦りつけて鎮火すると、ガラス張りになっている喫煙室の扉を開ける。
喫煙室を後にした彼は、海が望めるデッキへと足を運ぶ。そこには先客である利能の姿があった。彼女は神藤のスーツから漂う微かな煙草の匂いから、彼が直前まで何をしていたか、瞬く間に察知する。
「また煙草吸ってましたね。今時珍しいですよ、神藤さんくらいの歳で愛煙家なんて」
WHOが主体となって世界的に“禁煙”を推し進めていた流れの中、日本でも2025年度には20〜30代の喫煙率は10%台まで低下していた。そんな時代の中で、若年層に属しながら1日に10本近い煙草を吸う神藤の様な男は珍しかった。
「匂いが気に入らないかい、お嬢様?」
神藤は利能に対して茶化した呼び方をする。理由も無く自分をからかう様な台詞を吐く上司に、利能はムッとした顔をする。
「そういう言い方は止めてください」
利能は煙草の匂いが気になるかという問いかけには答えず、“お嬢様呼ばわり”を止める様に求めた。
程なくして、彼らが乗るコンテナ船はルシニア港に入港する。タラップを介して港に降り立った彼らは遂に、アナン大陸への上陸を果たすこととなった。
・・・
ルシニア 港広場
港にある広場に、建設作業真っ直中の巨大なテントがあった。多くの人が汗を流しながら、作業に取り組んでいる。ここエルムスタシアは別名「亜人帝国」と呼ばれる国である為、テントを建てている彼らを含め、街の住民のほぼ全員が人と異なる形の身体を持っていた。
神藤らが乗ってきたコンテナ船が入港に伴って汽笛を鳴らし、建設作業に従事する彼らは一斉に港へ視線を向ける。
「・・・あれがニホンの貿易船か!」
「軍艦もデカかったが、貿易船も負けず劣らずの大きさだな!」
コンテナ船を見た作業員たちがざわつき出す。作業の様子を傍観していた彼らの“雇い主”も、日本の船を見て驚きを隠せないでいた。
「何という巨大さだ・・・。あれを魔力すら持たない人族が造り、動かしているのだな・・・」
「ええ、本当に凄いですね、マクロホイ座長! 噂通りだ!」
白い髭を蓄えた巨漢の老人が、1つ目を凝らして港を見つめる。1つ目老人の隣には、彼のことを“座長”と呼んだ半人半馬族の青年の姿があった。
「何でも街の噂に依れば、ニホン人ってのは金持ちばかりらしいでっせ!」
「・・・何!?」
蛇人族の男が、2人の後ろから彼らの会話に入る。彼の言葉を聞いた半人半馬族の青年と1つ目老人は、邪な表情を浮かべた。
「ニホン人が公演に来たら、狙い目という訳か・・・。ところで今夜の公演だが・・・」
座長は老獪な笑みを浮かべる。その後、彼ら3人は顔を近づけて何やらひそひそ話を始めた。
そんな彼らの近くを、1人の少女が通りかかる。山積みの衣装を両手に抱える彼女の耳は鋭く尖っており、それは彼女が希少な“エルフ族”であることを示していた。
(・・・また、今夜の悪巧み)
毎度の如く姦計を策略する同僚たちの姿を見て、その少女は悔しさとやるせなさを滲ませる表情を浮かべる。下唇を噛む彼女の視線の先には、神藤たちが乗るコンテナ船の姿があった。