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旭日の西漸 第4部 ティルフィング・選挙篇  作者: 僕突全卯
第2章 エフェロイ共和国
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オーナーを護れ!

5月5日・明朝 リンガル 世界魔法逓信社総本部


 4階にある社長室にて、情報の帝王と称されてきた歴代の社長たちが座った椅子の上に、副社長兼社長代理のディダイマー=ワルファリンの姿がある。机の前に座す彼の視線の先には、逓信社社員の1人であり彼の腹心の部下であるシャルコーの姿があった。


「ヘパンリーが失敗しただと!?」


 ディダイマーは腹心の部下から伝えられた報告に衝撃を隠せないでいた。


「はい・・・、またもや例の異国人に邪魔をされたと・・・!」


 シャルコーは悲痛な表情を浮かべながら答える。今回、ブラウアーを捕らえる為に5ユロウの大金で雇った男であるヘパンリーは、言動こそ問題あれど、除籍されるまで逓信社を守る為の穢れ仕事を担う“世逓軍”の“特殊部隊”に属していたエリート軍人だ。

 彼と共に屋敷に侵入した者たちは、かつてヘパンリーと共に暴行や淫行を働いた為に、ヘパンリーと時同じくして“世逓軍”から除籍された彼の元部下たちである。彼らもヘパンリー同様、かつては世逓軍の精鋭と呼ばれた者たちだ。


「一体・・・あの異国人共は何者なんだ・・・?」


 ディダイマーは次代社長と共に居た2人の異国人の姿を思い浮かべる。ディダイマーは元精鋭たちをものともせずにはね除ける彼らに恐れを抱いていた。


「あいつは・・・ヘパンリーはどうした?」


「何とか屋敷からは逃げ果せた様で・・・、次なる策を練るから余計な心配はするなと」


 シャルコーはヘパンリーから届けられた伝言を伝える。今回屋敷に侵入したのは、ヘパンリーと彼以下6名の元世逓軍兵士、計7名だ。ヘパンリーの呼びかけによって集められた彼らは、警備の手が若干薄くなる瞬間を見計らって壁を乗り越えて敷地内に忍び込み、障害となる下男を殺害して、非常用退避路から屋敷への侵入を果たした。

 そこまでは難なく成功した。監視カメラもセンサーも無いこの世界では、幾ら警戒網を強めようとも、人間の目ではカバー出来る範囲には限界がある為、何処かしらに穴が生まれてしまうからだ。後は再び退避路を通じて、寝ているブラウアーを連れ出すだけだった筈だ。

 しかし、既にそこには目標の姿は無く、代わりに彼らはとんでもない用心棒に出くわしてしまった。結果として寝室への侵入を行ったヘパンリーの元部下4名は捕らえられ、退避路の側で待機していたヘパンリーを含む他の3名は、銃声を聞きつけることで間一髪逃げ出すに至ったのだ。


「あと3日か・・・頼むぞ、ヘパンリー」


 ブラウアーの社長就任式まで残り3日である。この3日間は、血縁主義を是とする逓信社で、フィリノーゲン家の人間では無いディダイマーが正式な社長の座に就く一世一代の大チャンスである。それまでに彼女の息の根を止めなければ、彼に与えられるのは破滅だ。彼はただ、ヘパンリーの成功を祈るのみである。


・・・


中心街 フィリノーゲン家の屋敷


 屋敷の1階にある応接間に3人の男女がいる。その内訳はジョゼフ上等兵と、ブラウアーの専属執事兼執事長であるハーゲマン、そしてメイド長のラテウ=プロゲスだ。彼らはテーブルを挟んで向き合う形でソファに座っていた。


「“ボス”は今、ミスター・ジンドーの滞在している宿に避難しています。あちらには異常無い様です」


 ジョゼフが“ボス”と述べた人物は、当然ながら雇い主であるブラウアーの事である。彼女は今、神藤の提案で市街地にある宿に身を移していた。


「しかし・・・本当に屋敷の中まで侵入してくるとは・・・。あの“抜け道”の存在は、逓信社に属する人間ならば知っている様なものなんですか?」


 ジョゼフは少し低めの声で、ハーゲマンとラテウに問いかける。昨夜のジョゼフは、まるで侵入者が来る時を分かっていたかの様に寝室で待機していたが、抜け道を使用したヘパンリーたちの侵入経路は、彼にとっても想定外の事であった。

 故に、屋敷の外で巡回を行っている使用人や護衛たちからの音沙汰が無いのにも関わらず、あの場に現れた侵入者達に対して、彼はそれなりに動揺していたのである。


「いえ・・・あの“非常用退避路”の存在を知っている者は、この屋敷に勤める者の一部か、逓信社に身を置くフィリノーゲン家の方くらいのものです。副社長ですら知る筈が無い・・・故に貴方方にもお伝えしていませんでした。出口がある場所の警戒を薄くしていたのもその為です。しかし、今回の一件でその存在が屋敷全体に露見してしまった。最早隠す意味はありませんね・・・」


「!」


 そう答えたのは、ハーゲマンの隣に座るラテウだ。屋敷に住まう住民たちが、万が一の危機に直面した時の為に設置された抜け道・・・その存在を知る者は当然ながら限られている。ヘパンリーらが侵入した抜け道の出口周辺における警戒が薄かったのも、そこに何かがあると内外に悟らせない為だ。と言っても、開け放しの出口がブラウアーの花壇で見つかった為に、その存在は屋敷に仕える全ての者に知れ渡る事となった。


「全く・・・あんな抜け道が有るんなら最初から伝えてくださいよ。危なっかしい」


 ジョゼフは不満を漏らした。しかしながら、遠き異国からやって来た傭兵であるジョゼフに、その存在を伝えられる道理は無かった。ハーゲマンは眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな表情を浮かべる。


「・・・それは此方の台詞です。お嬢様を屋敷の外へ避難させるかどうかは、まだ結論が出ていなかった筈! お嬢様の権限で貴方には自由な振る舞いが許されていますが、我々まで欺く様な行動は謹んで頂きたい!」


 ハーゲマンは声を張り上げる。急に怒り出した執事の姿を見て、ジョゼフは思わず怯んだ。およそ2日前、雇われた薬物中毒者に下剤を盛られそうになったブラウアーの姿を見た神藤は、彼女とハーゲマンにある提案を持ちかけた。その内容とは彼女の身を屋敷から別の場所に隠すというものだった。

 “これだけ失敗が続けば、そろそろ屋敷が狙われるだろう”・・・そんな推察を示した神藤にブラウアーは納得していたが、ハーゲマンは異を唱えて反対しており、両者の間には意見の対立が起こっていた。結果、神藤とジョゼフは独断で、ハーゲマンとラテウが知らないうちにブラウアーと“熊の縫いぐるみ”を入れ替えてしまったのだ。不快感を示されても仕方が無いだろう。


「ですが、貴方方の独断のお陰でお嬢様の身が救われたのも事実・・・。それに関してはお礼を申し上げます」


 ハーゲマンが憤慨する一方で、ラテウは開井手に感謝の意を示した。それに対しては、ハーゲマンは特に言い返す素振りは見せない。


「取り敢えず、私からの報告は以上です・・・」


 ジョゼフはソファから立ち上がり、2人に対して一礼すると応接間を後にする。


・・・


リンガル市街地 宿「春秋亭」


 必要最低限の住が提供されている粗末な造りをした部屋の中に、青年と少女の姿がある。少女は窓越しに外を眺めながら、小鳥の囀りの様な綺麗な歌声を披露していた。


“ああ、何という幸せを貴方は恵んでくれたのでしょう

迷い、泣いていた私の心を、貴方は光へ導いてくれた

苦しみや悲しみは、命有る限り消えないけれど

貴方はまるで太陽の様に、心の闇を払ってくれる・・・”


 恋の歌の様に聞こえる歌詞と彼女の歌声が、部屋の壁際に立っていた神藤の心に染み渡る。歌い終えたブラウアーに対して、神藤はささやかな拍手を捧げる。


「綺麗な歌だね・・・童謡にしては大人びているけど」


 神藤は彼女の歌声を褒め称えながら、率直な感想を伝える。


「昔、母が歌ってくれたものよ。父と母は親子程歳が離れていたのだけれど、とても仲がよくて、幼少の頃の私はみぎりにこの歌を歌って貰っていたの」


 ブラウアーは過去の幸福な記憶を思い返していた。彼女の母親であるロコノバーチ=フィリノーゲンは、21歳も歳が上だった先代社長ヴォン・ヴィレブランド=フィリノーゲンと16年前に結婚し、彼との間に1人娘であるブラウアーをもうけた。

 その後、彼女は優しき母として1人娘を育ててきたが、ブラウアーが5歳の時に病によって他界したという。彼女の死後、父親であるヴォンは多忙な日々の中、男手一つでブラウアーを育て上げた。だがその彼も、1ヶ月前に病で息を引き取っている。


「・・・」


 神藤はブラウアーの生い立ちを自身の過去と重ねていた。彼は中学生の頃に事故で両親を亡くしてから、唯一の肉親である母方の祖母に育てられた。しかし、その祖母も既に他界しており、今は祖母と暮らしたアパートで1人暮らしをしているのだ。


「・・・社長の座に就いたら、君は世界で最も若くして権力と財力を持つ女になる。君は7万人の頂点に立つのが、怖くないのかい?」


 間も無く16歳になるという少女が、総勢7万の人員を擁する世界規模の組織のトップに立たなければならない。並の人間ならば耐えられない程の重責だろう。しかし、そんな神藤の問いかけに対して、ブラウアーは一切の迷いを見せることは無かった。


「それが私の運命であり、使命だもの。この家に生まれた以上、覚悟は出来ているわ」


「!」


 そう答えるブラウアーの瞳に迷いはなく、神藤は彼女の覚悟の深さを知る。彼女の瞳には、とても15歳の少女とは思えない確固たる意志の炎が点っていた。


コン コン・・・


「誰だ!?」


 その時、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。神藤は反射的に懐のローマンへ右手を伸ばし、警戒心を露わにする。


『神藤さん、私です。利能です』


 聞き慣れた声が扉の向こうから聞こえて来る。警戒を解いた神藤が扉を開けると、そこには彼の部下の姿があった。


「何だよ、驚かせやがって。 足はついていないだろうな?」


「当たり前です。そこまで無能ではありません」


 尾行の有無を確認する神藤の言葉に対して、部屋の中へと入る利能は少しムッとした顔をする。その後、彼女は部屋の中に居るブラウアーの姿を確認すると、神藤の耳元に口を近づけ、現状の報告を行った。

 因みに当然ながら、神藤はブラウアーを此処へ連れて来るに当たって、彼女の事情と今の状況について利能と開井手に説明していた。自分たちが知らない間にそんな厄介事に首を突っ込んでいたのかと、利能は呆れ顔を浮かべたが、現在進行形で命を狙われている少女を放っておく訳にもいかず、渋々ながら彼女の警護に協力することとなった。


「あ〜、やっぱりハーゲマンさん怒ってた?」


 神藤は利能の口から執事長の様子を聞いて、申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。


「当たり前です。勝手にブラウアーさんをこの宿に移してしまったんですからね・・・」


 利能はジョゼフからの連絡を交えながら、先方の様子について伝える。断りもなく当主の身柄を屋敷から移動させるなんて事をすれば、不審を買うのは当然の帰結だろう。


「しかし・・・本当に昨夜、賊が屋敷の中へ入って来るとは・・・。まさに間一髪でしたね」


 利能はブラウアーの身を賊から守りきった事に安堵していた。


「市民に化けちゃいたが・・・昼間に屋敷の周りを彷徨いている妙な連中が居たからなあ。昨夜の内にでも何処かに場所を移さなければ危なかっただろう。だから早く移動させた方が良いと言ったのに、ハーゲマンがあんなに意地っ張りだとは思わなかった」


 神藤とジョゼフは昨日の昼間の内に、屋敷の偵察を行うヘパンリーの一味を見つけていた。当然ながら、ハーゲマンには不審人物が屋敷の周辺を彷徨いていることを伝え、早急に場所を移動させることを進言したのだが、彼は“屋敷の中以上に安全な場所など無い”として、断固としてブラウアーの移動を許さなかった。強行手段を以て、ブラウアーの身柄を此処へ移したのはその為だったのだ。


「しかし・・・賊は何故、抜け道の存在を知っていたのでしょうか?」


 賊が侵入経路に使用した抜け道の存在を知っているのは、屋敷に勤める者の一部、または逓信社に勤めるフィリノーゲン家の人間くらいのものだ。副社長が知らない筈である事を、彼に雇われたのであろう賊が知っていたという事実が2人の心に引っかかっていた。


「屋敷の内部に、内通者が居るのかも知れないな・・・」


 神藤は“裏切り者”の存在を、可能性として思い浮かべていた。窓の外を見れば、既に日が西の地平線に接しており、黄金色の夕焼けが街を鮮やかに彩っていた。それは間も無く3日目が終わることを示している。社長就任式まであと2日、ついに日付は折り返し地点へと差し掛かる。


・・・


リンガル市街地 とある酒場


 エフェロイ共和国の首都リンガルのとある酒場の一席に、集まっている3名の男が居た。その中にヘパンリーの姿がある。酔った客が大いにざわめく酒場の中で、彼は信念貝を片手に何処かへ連絡を取っていた。


「どういうことだ、あんな化物の話は聞いてないぞ!! それに何故、小娘が居なかったんだ!?」


 ヘパンリーは貝の向こう側に居る人物を怒鳴りつける。


『すまない、私としても想定外だったのだ。まさかあのニホン人がブラウアーの身を移していようとは・・・!』


 貝の向こう側に居る人物は、謝罪しながらも弁明を述べる。


「言い訳は良い! 小娘は今何処に居る?」


『分からない・・・それにあの化け物の様な連中の護衛が付きっきりだ。隙がない・・・』


 奇襲に近いとはいえども、4人の屈強な男たちを瞬く間に制圧出来るほどの飛び道具を持つ神藤とジョゼフの存在は、ブラウアーを捕らえる上で最大の障害となっていた。


「ええい、あの異国人共はお前が何とかしろ! 俺たちは小娘が居る場所を特定する」


 ヘパンリーは貝の向こう側にいる人物に、一方的な要求を突き付ける。


『いや・・・何とかと言われても』


「じゃあな!」


 相手の返事を耳に入れることなく、ヘパンリーは音信を切った。彼はテーブルの上に置いてあったエールのジョッキを一気に飲み干すと、部下2人と共に酒場を後にする。


〜〜〜〜〜


ジュペリア大陸南西部 アラバンヌ帝国 首都アドラスジペ


 中世イスラーム風の文化が根付くこの国の首都のとある廃屋に、根城を作っている“とある集団”がいた。その中に居る者全てが、目まで隠れる程のフードを被っている。彼らの顔立ちは明らかにアラバンヌ民族とは一線を画すものであり、彼らがこの国に生まれた者たちでは無いことを示している。


「ニホン人は今何処まで来ている?」


「奴からの連絡に依れば、ドラス・ティリスを出て、今はヨハンに向かっているらしい」


 仲間からの問いかけに対して、1人の男が答える。どうやら遠く離れた地で別行動を行っている仲間が居る様だ。


「良し・・・順調だな」


 質問をした男はその答えを聞いて満足そうな笑みを浮かべる。その後、彼は立ち上がり、部屋の中に居る仲間たちへ向けて言葉を発した。


「間も無く、500年の時を超えてティルフィングの剣が我らの手に戻ってくる! 剣に秘められた力を再びこの手に取り戻し、この世界を獲るのは我々だ!」


「オオッー!!」


 拳を天井に向かって突き上げる男の言葉に、他の仲間たちが呼応する。怪しげな者たちの会合はその後も続いた。


〜〜〜〜〜


2日後 5月7日 リンガル市街地 宿「春秋亭」


 ヘパンリーたちがブラウアーの居場所を掴む事が出来ないまま2日の時が過ぎ、神藤たちがこの国に来て6回目の朝を迎える。ブラウアーの社長就任式は明日にまで迫っていた。彼女は翌朝までジョゼフらの護衛の下、今居る宿の中で待機することになっており、宿の名前と場所は他の者に明かさないという条件の下、ハーゲマンとラテウにのみ伝えられている。故に彼女の所在を知る者は、この街に6人しか居ないのである。


「ハァ、煙草とうとう切らしちまったか・・・」


 宿の廊下でライターを取り出していたジョゼフは、持参していた煙草を切らしてしまったことに絶望していた。喫煙者である彼はアメリカを出発する前に、カートンで購入した愛用している銘柄を此処に持って来ていたのだが、アメリカを発って1ヶ月近く経ち、その全てを吸い尽くしてしまったのだ。

 そんな彼の様子を横から眺める視線がある。その視線の持ち主は落ち着かない様子のジョゼフに声を掛ける。


「おや、 どうしましたか?」


「!」


 不意に声が聞こえてきた方を見ると、そこにはブラウアーの専属執事であるハーゲマンの姿があった。主の様子を見る為に、屋敷から此処まで来た様だ。


「いえ、煙草を切らしてしまってね」


 ジョゼフは今の状況をそのまま伝えた。愛煙家である彼にとってニコチンが切れてしまうことは、今後の集中力を左右する程に辛いことだった。見るからにそわそわしているジョゼフの姿を見たハーゲマンは、懐から1本の葉巻を取り出し、ジョゼフに差し出す。


「・・・どうぞ、お気に召して頂けるかは分かりませんが」


「・・・良いんですか!」


 ジョゼフは嬉々とした表情で葉巻を受け取った。末端の兵士である彼にとって、高級嗜好品である“葉巻”など、吸うどころか現物を触ることすら初めてだった。「転移」によって海外からの輸入が途絶え、外地や日本国外の土地でプランテーション農業を行う現在の体制が築かれるまでは、食糧も去ることながら、多くを輸入に頼っていた「葉たばこ」が入って来なくなってしまった事で、煙草の値段は大幅に高騰し、さらにはシケモクの売買が行われる等、さながら第2次大戦直後の如き様相を呈していた。

 現在は葉たばこの栽培が「夢幻諸島」で開始され、加えて葉たばこ生産を含む国内の第一次産業人口が増加したことから、煙草の値段そのものはやや落ち着いている。しかしながら、国内製造が再開されたばかりで、生産量が紙煙草と比べて圧倒的に少ない“葉巻”を今の日本で手に出来るのは、わずかな人間だけなのだ。


「そう言えば、他のお三方はどうされたのですか? 姿が見えませんが・・・」


 ハーゲマンは小さいナイフを差し出しながら、神藤と利能、そして開井手の行方を尋ねる。


「ああ・・・ジンドーとヒライデの2人なら本来の仕事に向かっている。もう1人はトイレだ」


 ジョゼフが答える。神藤と開井手の2人は本来の仕事である邦人探しの聞き込みに向かっていた。トイレに入っているというのは利能のことである。ジュペリア大陸に来て以降、彼女は現地の水質が身体に合わない為に度々腹の具合が悪くなっていた。日本人が海外旅行をすると、硬水の所為でお腹を壊すことがあるというのは良く聞く話である。

 ジョゼフは葉巻の端をハーゲマンから受け取ったナイフで切り落とすと、意気揚々と口にくわえ、右手に持っていた銀色の高級ライターで火を付ける。その後、無事に着火に成功した葉巻を吸い込むと、安穏に満ちた表情を浮かべながら、呼出煙を吹き出した。


「・・・そう言えば、3日前に私が捕らえた侵入者は口を割ったのか?」


「いえ・・・用をなさない答えばかりです。“名も分からない者に雇われただけだ”と・・・。明日にも共和国憲兵隊に引き渡しを行うつもりです」


 ヘパンリーが屋敷の寝室へ差し向け、そしてブラウアーが居ない部屋で開井手に狙撃された4人の刺客については、1人が息のある状態で拘束されていた。ハーゲマンが単独で取り調べを行っていたのだが、どうやら副社長に繋がる答えは聞くことが出来なかった様である。


「そうか、残念だ・・・。ともあれもうすぐ日が落ちる。明日の朝には就任式だ。無事にボスが社長になれば、後は人事権を使って副社長とその一派を支部に飛ばすなり・・・クビにでも・・・、ッ・・・」


 突如、ジョゼフのしゃべり方が鈍くなる。身体が徐々に傾き、仕舞いには廊下の壁に背中を付けながら、滑り落ちる様にして床の上に座り込んでしまった。頭が揺れ、瞼を開けることすら辛くなってくる。彼の身体は強烈な睡魔に襲われていたのだ。


(あれ・・・?)


 直後、彼の意識が途絶える。壁に背をもたれながら深い眠りについてしまったジョゼフの姿を、ハーゲマンは冷徹な瞳で見つめていた。彼は懐から信念貝を取り出すと、ある人物へ連絡を入れる。


「ヘパンリーか? 邪魔者は消えた。今すぐお嬢様(・・・)を連れて其方へ向かう・・・」


 要件を伝えたハーゲマンは貝の音信を切る。そしてブラウアーが滞在している部屋の扉へ手を伸ばそうとした。


「何をやっているんだー!!」


「!?」


 突如、背後から叫び声が聞こえて来た。ハーゲマンが振り返ると、そこにはトイレから出て来た利能の姿があった。


「音信の内容は聞こえた・・・抜け道の情報を3日前の侵入者に漏らしたのは貴方だったんですね! 何故、貴方が!?」


 突然の凶行に走ったフィリノーゲン家執事長の姿を目の当たりにして、利能は動揺を隠せない。神藤ら3名とジョゼフは彼とメイド長のラテウを信用していた為、2人にこの宿の場所を教えてしまっていたのだ。

 この簡素な宿は身を隠すとなれば最適だが、いざ外敵から雇い主の身を守るとなれば一転、これほど最悪な状況は無い。開井手と神藤が聞き込みに出かけ、ジョゼフが意識不明となっている今、ブラウアーの身を守れるのは利能しか居ない。


「日頃・・・屋敷と本部の往復しかしないお嬢様を攫わせるのは大変でしたよ・・・。やっと屋敷の中へ侵入させたと思ったら・・・全く、1番の誤算は貴方達の存在だった。だが、貴方たちは一世一代のチャンスをくれた。本当に・・・感謝していますよ!」


「くっ・・・!」


 多大な悔しさと後悔の念に駆られ、利能は咄嗟に右腰のホルスターに収納されていた「シグ ザウエル P230JP」を取り出し、その銃口をハーゲマンに向けた。


「動くな! でなければ撃ッ・・・!」


 そこまで言いかけた所で、利能の後頭部から首筋に鈍い衝撃が走る。彼女は背後から鈍器らしきもので殴られ、そのまま気を失ってしまったのだ。床の上で俯せに倒れる彼女の背後には、ヘパンリーと共に屋敷から抜け出した彼の部下2人の姿があった。激昂する余り、背後に気を配る余裕が無かったのだ。


「遅かったな、ブラウアーお嬢様はこの部屋の中だ。早急に連れ出せ。ついでにそこに倒れている女もだ。ニホン人は珍しいから金になる」


「へい」


 2人の男の一方が、ハーゲマンに言われた通りに利能の身体を持ち上げる。その時、部屋のドアノブが回る音が聞こえて来た。


「・・・ジョゼフ、どうしたの?」


 騒々しい物音と利能の叫び声によって、昼寝から目覚めたブラウアーは、目を擦りながら部屋の扉を開ける。しかし、扉を開けた先の廊下にあったのは、彼女にとって到底信じがたい光景だった。


「!? ハーゲマン、貴方何を!」


 扉の向こうから出て来たブラウアーが見たものは、床の上に倒れるジョゼフと利能、そして刺客を従えている専属執事の姿だった。ハーゲマンはその場に現れたブラウアーを蛇の様な眼光で睨み付ける。


「・・・一緒に来て頂きますよ、お嬢様(・・・)

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