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旭日の西漸 第4部 ティルフィング・選挙篇  作者: 僕突全卯
第2章 エフェロイ共和国
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ファイブデイズ・カプリッチオ

5月4日・朝 宿「春秋亭」1F


 鳥のさえずりが聞こえ、穏やかな春の風が窓を吹き抜ける。この国に来て3回目の朝、洗面台の前に立つ利能は顔を洗っていた。彼女が居るのは共同の洗面所であり、周りでは同じ宿に泊まっている客が顔を洗っていた。彼らが忙しなく行き交う中を、彼女は目を擦りながら通り抜ける。


(今日も今日とて“聞き込み”か・・・)


 濡れない様に折りたたんでいた袖を戻しながら、彼女は今日一日の予定を思い返していた。昨日から別行動を取っている神藤については、夜が明けても連絡が無い。身勝手な行動をとる上司に嫌気が差しながらも、彼女は警察庁から与えられた任務を遂行する為に準備を進める。


「さてと・・・行きますか」


 着慣れたスーツの上に屋敷から支給されたマントを羽織り、利能は宿を後にする。その数分後には開井手も街中へと繰り出した。


・・・


首都リンガル 市街地


 今回、利能が向かったのは旅人向けの宿が立ち並ぶ区画だった。各々の宿には、主に商いを理由にこの街に集まった商人たちが宿泊している。出店が立ち並び、人々が行き交う賑やかな区画を、装飾に凝ったマントに身を包む日本人女性が1人歩いていた。


「見ろ・・・」

「でけェな・・・女か、ありゃ」


 街中を歩く利能に、数多の好奇の視線が向けられている。男性でも平均身長が160m前後程度のこの国において、身長が171cmある利能は周りから見れば“大女”に見える事だろう。当然ながら現代日本と比較すれば、栄養価が低い食生活を営んでいるこの世界の人々の平均身長は、21世紀の世界ほど高くはならない。


(・・・)


 身長で悪目立ちしてしまうことに居心地の悪さを感じながら、利能は一軒目の宿へと入った。入口から見て奥にあるフロントスペースに、店主らしき男が新聞を読みながら座っている。利能はその場所まで近づき、自身に気付いていない様子の店主に話しかける。


「あの・・・」


 利能の声に気付いた店主は、新聞を2つ折りに畳むとカウンターの上に置き、彼女の顔を見上げた。


「人を探しているんです。こんな顔を見た事ありませんか」


 利能は懐のポケットから、失踪した5名の邦人を写した5枚の写真を取り出した。


「・・・いや、見た事無いね」


 店主は写真に写された顔を注視すると、首を左右に振る。その答えを聞いた利能は両肩をわずかに落とし、写真を懐へしまった。


「・・・そうですか、お時間取らせましたね」


 彼女は店主に対して一礼すると、その宿を後にする。その後、彼女は2軒目を探す為に再び表通りを歩き出した。


 季節は春、海から来る風が街を吹き抜け、肌に心地よく感じる。この街に暮らす人々が行き交う中を、利能は焦燥感を持った顔で歩き続けた。2軒目、3軒目、4軒目と宿に入るも、失踪した邦人を見たという者は居ない。

 そして太陽が天高く昇った頃には、訪ねた宿は11軒に達していた。とうとう歩き疲れた利能は、地面の上に腰を付けてしまう。彼女が座ったのは、街の路地裏を流れる用水路の淵だった。膝から先の両脚を用水路の内側に投げ出してぶらぶらさせながら、建物の隙間から見える青空を見上げ、大きなため息をつく。彼女のつま先に触れるか触れないくらいのところを、用水が穏やかに流れていた。


「この先・・・どうすれば良いのかなぁ・・・」


 利能は求める答えを得られない“聞き込み”に嫌気が差していた。そもそも1人だけで街1つをカバーしきれる筈もない。


(この大変な時に・・・“あの人”は一体何をしているのかしら・・・!)


 利能は上司である神藤への恨み節を心の中でつぶやいた。その後、彼女は脇に置いていたマントと上着を拾うと、両手を上に挙げて大きく背伸びをする。昼でも食べてから捜査を再開しよう、彼女はそう思いながら立ち上がろうとした。


「おい、姉ちゃん!」


 その時、背後から軽薄な声が聞こえて来た。振り返るとそこには3人の若い男の姿があった。身なりは悪く、真っ当な市民の類には見えない。


「何、寂しく1人で黄昏れてんの? 俺らと一緒にイイコトして遊ぼうぜ!」


「・・・」


 利能はテンプレ通りのナンパ台詞を吐いて来る男の顔を見上げ、この上無い嫌悪感を抱く。その感情が顔に出そうになるのを抑えながら、彼女は立ち上がって男たちの顔を眺めた。


「ウ・・・!」


 男たちはナンパをしようとした女の全身像を見て思わず怯む。彼らの身長は3人共155〜160cm程、故に彼らは利能から見下ろされる様な恰好になった。


「残念・・・私、男には興味が無いの」


 利能は威圧するかの如く、男たちの目を見下ろしながらそう言うと、明確に侮蔑をはらんだ笑みを浮かべる。直後、何も言えずに立ち竦む彼らから顔を背け、表通りに向かって歩き出す。


「ちょ、ちょっと待てよ!」


 明らかに見下された事を直感した男たちは、この場から立ち去ろうとしている利能を呼び止める。しかし、彼女が足を止める事は無い。自分たちを舐め腐った態度に、堪忍袋の尾が切れた男の1人が彼女に襲いかかる。


「!!」


 背後から急速に近づいて来る足音に気付いた利能は、男が自らの背に辿り着く時を見計らって瞬間的に腰を落として半身になり、男の懐に入り込みながらその鳩尾に左肘を入れる。


「カハッ・・・!」


 体内を駆け抜ける衝撃の為に男は息が出来なくなり、その場にうずくまる。


「この(アマ)! 調子に乗りやがって!」

「うおおお!」


 返り討ちにされた仲間を目の当たりにして激昂した他の2人も、利能に向かって襲いかかってきた。しかしその直後、2つの短い悲鳴が路地裏に響き渡る。


「ゲフッ!」

「ガッ・・・!」


 鋭い腰のキレが乗った右脚の上段蹴りが1人目の男の顎に命中し、続いてその脚を素早く振り下ろした踵落としが2人目の男の肩に食い込んだ。2人はそのまま気を失い、地面の上に倒れ込む。


「・・・フン」


 利能は地に臥す3人の男を一瞥すると、少し乱れてしまったシャツを整え、その場を後にするのだった。その後、何事も無かったかの様に捜査へ戻った利能は、再び街中の宿泊施設を虱潰しに当たるが、結局目撃証言は得られないまま、24軒目を訪ねたところで日が落ちた。


・・・


同日・夜 フィリノーゲン家の屋敷


 この日の夜、フィリノーゲン家の屋敷では、総本部から屋敷へ戻った当主を守る為、専属のボディガードたちが何時もの様に庭園を巡回していた。彼らから異常事態を伝える知らせが来る事に備え、ジョゼフ上等兵も屋敷内で待機している。まさに、蟻の子一匹通れないとでも比喩すべき警戒網が敷かれていた。

 しかし、そんな警戒網を嘲笑う者たちが居た。フィリノーゲン家の栄華を誇る屋敷、その敷地と街を隔てる壁の外側に、黒いマントに身を包んだ集団が潜んでいる。人数にして6名ほどの彼らは、先行して屋敷の中へ侵入した仲間の報告を待っていた。


『見張りの配置は昨日の偵察通り・・・異常はありません』


 短距離用信念貝を通して、彼ら6名の下に報告が伝えられる。


「良し・・・作戦開始だ!」


 6名の内、リーダー格と思しき一際大柄な男が、他の者たちに対して命令を下した。彼らはリーダーの言葉を耳にするや否や、素早く散開していく。




屋敷の敷地内 庭園


 正体不明(物証がない為、現状ではそう定義せざるを得ない)の勢力から命を狙われているフィリノーゲン家現当主を守る為、屋敷の使用人や執事たちが屋敷の内外を巡回している。今までの襲撃は全てブラウアーの外出時を狙ったものであり、屋敷内に侵入しようとした賊は居ない。しかし、念には念を入れてここ数週間の間はこうして屋敷の外部を警備するようになっていた。

 その敷地の一画、敷地と街を隔てる壁際で、1人の若い下男がランプを左手に持って巡回をしている。そこは敷地の西側にある、ブラウアーが個人的に栽培している花壇の側だった。彼の腰には緊急連絡を行う為の短距離用信念貝が付けられている。


「ア〜ァ〜・・・」


 彼は眠気の余り大きな欠伸をする。ランプの光が下男の周りを朧気に照らしていた。今夜も何事も無く終わるのか、彼がそんな事を思っていた時、突如背部に激痛が走る。


「!! ウッ・・・グッ・・・!」


 叫ぼうとするも、間髪入れずにのど笛を切り裂かれ、声を出すことのないまま絶命した。地面に倒れる下男の背後には、先程壁の外側で潜んでいた黒いフードを着た男たちの1人が立っていた。

 否、その場に居たのは1人だけではない。2人、3人と茂みの中や木の上から、闇に乗じる黒いフードを身に纏った人影が現れた。その中にはリーダー格である大柄の男の姿もある。彼は部下に殺させた下男の遺体には目もくれず、ブラウアーが丹精込めて世話していた花壇にずかずかと足を踏み入れると、その左隅の部分を軽く掘り返した。すると、そこに隠し扉が現れたのだ。


「非常時における抜け道の出口だ・・・屋敷の中、当主の執務室へ続いてる。寝室はその右隣だ。俺たちは此処から侵入し、小娘を捕らえる! 5ユロウ(150万円)の仕事だ、ぬかるなよ・・・」


 リーダーであるヘパンリー=プラスミノーゲンの言葉に、彼の部下たちは素早く頷く。直後、彼らは次々と地面の中へ続く抜け道の中へ身を投じた。侵入開始から数十秒後、その場に残ったのは声も無く殺された下男の遺体と荒らされた花壇のみだった。




屋敷2F ブラウアーの寝室


 抜け道から屋敷の2階にあるブラウアーの執務室へ、誰に見つかることも無く侵入した刺客たちは、廊下では無く、屋敷の外壁を伝って右隣にある彼女の寝室へと到達した。月明かりが乏しい為、屋敷の外部で巡回を行っていた警備たちは、壁に引っ付いている黒フードの群れを全く認識出来ない。

 1人が両窓の冊子の隙間に厚紙を差し込み、窓を閉じていた金具を難なく外す。両開きになっているその窓を静かに開けると、金具を外した男に続いて3人が続けざまに寝室へ侵入した。心地よい夜風が部屋の中へ吹き込んで来る。部屋のほぼ中央に高級そうなベッドが置かれていた。ベッドの真ん中では、毛布が人の形に盛り上がっている。


「お嬢さん・・・お休み中悪いが、俺たちと一緒に来て貰うよ・・・」


 男の1人がベッドに手を伸ばし、毛布をはがす。


「な!」


 彼は思わず声を上げる。他の男たちも驚いた表情を浮かべた。毛布の下から現れたもの、それは人間の形をした熊のぬいぐるみだったのだ。


「・・・残念だったな! お前さんたちがご所望の彼女は、この家には既に居ない!」


「!?」


 何処からともなく、含み笑いをはらんだ声が聞こえてきた。黒フードの男たちは咄嗟に左右を見渡す。その時、曇り空の切れ目から月の光が差し込んできた。部屋の中を朧気に照らす月光は声の主の姿を映し出す。


「・・・お前は?」


 そこに居たのは奇妙な衣装に身を包む1人の異国人だった。彼は不敵な笑みを浮かべながら、両手に持っていた銃器の銃口を侵入者へ向ける。


「!」


 見慣れない形状ではあるものの、異国人が持っている物が何らかの飛び道具であることを察知した黒フードの男たちは、腰に付けていた小型のクロスボウへ手を伸ばす。しかし時既に遅し、連続した銃声が寝室の中で響き渡る。ジョゼフ上等兵の「M4カービン」から放たれた多数のNATO弾は、侵入者4人を容赦無く襲った。


「ギャアァ!」


 男たちは断末魔を上げながら床の上へ倒れ込む。床を覆うカーペットのあちこちに血飛沫が飛び、休息の場所である筈の寝室は凄惨な様相を呈していた。


『何だ、今の音は!』

『ご当主の部屋からだ、急げ!』


 主の部屋から聞こえて来た銃声を聞きつけ、他のボディガードや執事、使用人たちが慌ただしく動き、彼らが居るこの部屋へと急行している。


「全く・・・ミスター・ジンドーの言う通りにして良かったぜ」


 侵入者が再起不能になったことを確認したジョゼフは、M4カービンの銃口を下に向ける。神藤の提案によって、手練れの侵入者による魔の手から雇い主であるブラウアーの身を守れたことに安堵していた。


・・・


数時間後 首都リンガル 宿「春秋亭」の一室


 首都の街中にある宿の一室に、本来なら此処に居る筈がないブラウアーの姿があった。同室内には神藤の姿があり、彼は粗末なベッドの上で可愛い寝顔を浮かべる彼女の姿を部屋の隅から眺めていた。その時、彼のトランシーバーに無線が入る。それはジョゼフからの連絡だった。


「了解・・・いやこっちは大丈夫。それじゃ」


 ブラウアーを起こさない様に、神藤は手短に要件を済ませる。ジョゼフの連絡内容は当然ながら、屋敷の内部に侵入した4名の刺客のことである。

 彼の活躍によって排除されたのは4人だが、他にも数名の侵入者が居た形跡が残っており、更には巡回を行っていた下男が殺害されていたという。屋敷の中から外へ直接繋がる非常用退避路の存在を知っていたことから、恐らくは屋敷に雇われていた者か、逓信社に属する極一部の人間から情報を流されたに違いないということだった。

 尚、フィリノーゲン家の人間では無い副社長は退避路のことを知らない。何処から情報を得たのか、他に仲間は何人居るのか、謎が謎を呼んでいたが、屋敷に侵入した4名の男については、M4カービンの凶弾に倒れてしまった為に聞き出すことが出来ない。


(・・・)


 部屋の窓から、東の空が明るくなって夜が明ける様子が見える。水平線の彼方から顔を覗かせた朝日の鋭い光が、街の間を縫って彼らの居る宿へと届く。


「さて・・・あちらさんは次にどう出てくるかな?」


 この国に来てから3度目の朝を迎える神藤は、ついに尻尾を見せ始めた敵に問いかける。彼は命を狙われているブラウアーの事が放っておけず、1度は断った護衛の依頼を事実上引き受けてしまった形になっていた。神藤は次期社長の身柄を別の場所に移したことで、難を逃れられたことに胸を撫で下ろす。彼は殺伐とした後継者争いの行く末に思いを馳せるのだった。

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