エフェロイ・ラプソディー
5月2日・夜 エフェロイ共和国 首都リンガル
此処はジュペリア大陸東海岸のジェロト半島に位置する「エフェロイ共和国」。中小国に分類されるこの国の首都は、クロスネルヤード帝国の地方都市であるミケート・ティリス市よりも規模が小さい。街には人が行き交っており、それなりに活気もある。その中に奇妙な装束で街を歩く男の姿があった。
「思ったより広い街だな・・・リンガル。こりゃあ・・・骨が折れそうだ」
神藤は紙煙草を吹かしながら街中を練り歩く。今の彼にはキャリア警察官僚としての雰囲気は一切感じられず、まるで決まった家を持たずに街を放浪する浮浪者の様であった。
彼ら3人は昨日、失踪した邦人を追ってノスペディからミケート・ティリスを経由し、此処「エフェロイ共和国」の首都「リンガル」へ来ていた。そして桐岡らの行方を捜す為、3人に分かれて聞き込みを行っていたのである。しかし、有力な証言に出会うことは無く、すでに24時間が経過していた。
グウゥ〜・・・
神藤の腹が鳴る。彼は胸ポケットに手を突っ込む。そこには金貨銀貨の入った巾着袋が仕舞われていた。彼らは警備局長の江崎警視監から、今回の捜査資金として日本円にしておよそ300万円相当の金貨銀貨を受け取っており、それはこのテラルスにおいて世界を一周してもおつりが出る程の金額だった。
(これで何か買って行こう・・・)
神藤は別行動中の開井手と利能の為に、夕食を買って行くことを決める。そして彼は路地裏にある小さな店の前に立った。通りに面した店のカウンターの中には、店主と思しき中年女性が煙草を吹かしながら座っている。
因みに彼女が売っているのは「リュオ」と呼ばれるエフェロイの名物料理で、ちょうどイギリスのフィッシュアンドチップスに近い、伝統的なファストフードの様なものである。この国の上流階級の間では食べる習慣がない鳥の皮を安く買い取り、醤油の様な調味料で甘辛く焼いてパンに挟んだものだ。神藤はカウンターの前に立ち、店主に声を掛ける。
「すいませーん、リュオをみっつああッ〜!!」
店主に注文を出そうとした神藤は突如奇妙なうめき声を上げた。何者かにいきなり背中を掴まれた様な感覚を覚えたからだ。何事だろうと首を回して自身の背中を覗き込むと、そこには彼の背広を掴む1人の少女の姿があった。
「わお! ちょ・・ちょっ! 何、何すんの!?」
神藤は少女を背中から振り払おうと身体を左右に動かす。少女の方は振り払われまいと、彼の背広をしっかりと掴んでいた。彼女は息を切らしながら神藤に対して鋭い視線を向ける。
「お願い! 私を助けて!」
「はぁ!?」
どうやら少女は暴漢か何かに襲われている真っ最中の様だ。面倒くさい事に遭遇してしまった、彼がそんな事を考えている内に、少女を追いかけて来たと思しき4人の屈強な男が神藤の前に現れる。
「おいおい・・・小娘1人に大の男4人がかりってのは、ちょっとナイんじゃないか?」
神藤は男たちの顔を見渡す。彼らの手には刃物が握られており、どうやらナンパ目的ではなさそうだった。少女1人に対して殺気だった4人の追っ手が付くとは、この少女は一体何者なのだろうか。
「兄チャン、おとなしくそいつをこっちに渡しな・・・。お前にゃあ、関係無いだろう?」
男の1人が、手にしているナイフの切っ先を神藤の顔へ向ける。他の男たちも下劣な笑みを浮かべながらじりじりとにじり寄ってくる。少女は神藤の背中でガタガタと震えていた。しかし、命の危機が迫ったこの状況下で、神藤は臆する素振りを全く見せなかった。彼はズボンのポケットに両手を突っ込むと、1つ大きなため息をつき、暴漢たちに向かって啖呵を切る。
「俺はな・・・今気が立ってるんだよ。だからさっさと失せろ!」
「!」
ただでさえ任務が思う様に進まず、加えて腹が減って気が立っている上に、余計な厄介事まで飛び込んで来た。運が無いと称する他ない今の状況に対して、神藤のイライラは頂点に達していたのである。
「死んで後悔するんじゃねェぞ!」
暴漢たちは四方から一斉に、神藤に目がけて襲いかかる。
「キャー!」
神藤の背中に隠れていた少女は、恐怖の余り両目をつぶってしまい、頭を抱えながら地面の上にしゃがみ込んだ。
ダ ダ ダ ダン!
「!!」
その時、連続した銃撃音がリンガルの路地裏に響き渡った。少女は突如両耳を貫いた銃声に驚き、咄嗟に両耳を塞ぐ。直後、辺りを静寂が支配する。一体何が起こったのだろうかと、少女は疑問を抱きながら瞼を開き、耳から両手を離した。
「うぅ・・・い、いでぇ!」
「な、なんだこりゃ・・・!?」
少女は自分の目を疑う。襲いかかってきた暴漢たちが、苦しみの表情を浮かべて地面の上で這いずり回っていたのだ。よく見れば、彼らは刃物を持っていた筈の手に酷い負傷を負っている。
「・・・?」
少女はしゃがんだまま、神藤の顔を見上げる。彼の右手には微かな火薬の匂いを放つ、黒い筒の様な物体が握られていた。それが何らかの火薬兵器だと言うことはすぐに分かった。それよりも彼女にとって理解しがたいのは、藁をも縋る思いで助けを求めたこの男が、一瞬の間に4人の暴漢たちを返り討ちにしてしまったと言うことである。
呆然とする少女を余所に、神藤は右手に握る拳銃を口元に近づけ、さながら西部開拓時代のガンマン宜しく、その銃口に向けて息をフッと吹きかけた。
「お、覚えていやがれッ!」
暴漢の1人が立ち上がり、捨て台詞を残すと、打ち抜かれた右手を庇いながら走り去って行く。他の3人も彼の後を追いかける様に、その場から走り去って行った。
「・・・なあ、教えてくれないか? 何で追われてんの?」
神藤はコルト・ローマンを懐に仕舞うと、自身の足下にしゃがみ込んだままだった少女を見下ろし、暴漢に追われていた理由を尋ねる。
「・・・!」
神藤の声で我に返った少女は、地面にしゃがみ込むという体勢の品の無さに気付き、羞恥心の為に両頬を染めながらすくっと立ち上がった。
「あ、ありがとう・・・! 貴方、強いのね!」
少女は神藤に対して礼を述べる。彼はここで初めて少女の全体像を目の当たりにした。器量の良い顔立ちをしており、歳は15歳前後に見える。身なりも良い為、一般の平民には見えず、貴族の娘か何かに思えた。暴漢に狙われていたのもその為だろうか。
「是非、私の家に来てくれない? ちゃんとお礼もしたいし!」
「いや・・・気持ちは有り難いが仲間と合流しなくちゃいけないから」
神藤は少女の申し出を丁寧に断ろうとする。その時、路地の向こうから2人の人影が走って来るのが見えた。神藤は先程の暴漢がまた来たのかと身構えるが、少女はその服装と顔貌を見て安堵の表情を浮かべる。
「お、お嬢様・・・! お、お怪我はありませんか!?」
「ええ、大丈夫よ。この方が守ってくれたから」
少女をお嬢様と呼ぶその男は彼女の執事か使用人らしく、少女は初老らしきその男に対して砕けた口調で話していた。少女は自身の恩人である神藤のことを彼に紹介する。
「これは・・・危ないところをお救い頂き、ありがとうございます!」
「ああ・・・いや」
執事の男は神藤に向かって深く頭を下げた。神藤が返答に困っていると、彼の隣に立つもう1人の男が神藤に話しかける。
「すまない・・・私たちが目を離した一瞬の隙を突かれた。だが、暴漢4人を一度に追い払うなんて、貴方も只者ではないな」
その男は目深にフードを被っていた。彼の声は執事の男とは対照的に若々しく、大きな体躯も相まって屈強な印象を与えるものだった。彼はフードをめくると、その顔を神藤の目に晒す。
「あんた・・・アメリカ兵か!」
「ニホン人・・・?」
お互いに顔を見合った神藤とその男は、互いの正体に驚きの声を上げた。神藤がエフェロイ共和国にて出会ったその男は、アメリカ軍兵士だったのだ。
・・・
リンガル 中心街
エフェロイ共和国は現在、日本と国交樹立交渉中の国であり、両国の間には正式な繋がりはまだ存在しない。そんな国に米兵が居るという事実は、公安警察に籍を置く神藤にとって見過ごすことの出来ない事であった。その理由を知る為、神藤は彼らと共に少女の家へ向かっている。
そして彼女が神藤を連れて向かったのは、貴族の屋敷が並ぶ首都の中心街だった。通りの両脇には豪華な邸宅が並び、少女に手を引かれている神藤の目を奪う。彼女らが足を止めたのは、中心街の中でも一際大きな屋敷の前だった。少女らの姿を確認した門番が門を開き、客人である神藤を屋敷の敷地内へと誘う。
屋敷 客間
邸宅の客間へ通された神藤は、部屋の中央にあるソファに座りながら、まさに豪華絢爛と称すべき内装を誇る部屋の中を見渡していた。客人を楽しませる為の芸術品が、壁際に等間隔で並んでいる。
「すっげぇ・・・」
一般庶民とはかけ離れた世界、贅を尽くした様相に、神藤は思わず率直な感想を漏らす。その直後、彼を此処へ招いた張本人である少女と執事の男、そして米兵が客間に現れた。細かなダイヤが散りばめられたスレンダーなドレスに着替えた少女の姿は、年齢以上に魅力的に見える。
「凄いな、嬢ちゃんは・・・。まさに名門貴族だ! 俺なんかを此処へ連れて来て、誰かに怒られやしないのかい?」
日本ではキャリア官僚の1人である神藤も、この国では一浮浪者に過ぎない。恩人とは言え、そんな者を家の中に入れては、少女の親が彼女を叱ったりするのではないだろうか、そんな心配をする神藤に対して、少女は笑いながら首を横に振った。
「フフ・・・今は私がこの家の当主。この家の中で私に楯突く者は居ないわ。それに“平民”よ。私の家系は」
「・・・え?」
神藤は呆気にとられる。少女の口から信じられない言葉が出たからだ。まず前半、彼女は自分が当主だと述べた。これは分かる。彼女の両親が早世したのだと考えれば不審な点は無い。問題は後半、彼女は自身の身分を「平民」だと名乗った。首都の中心街に住み、これほど広大な屋敷に住む彼女の家系が平民である筈が無かった。
首を傾げる神藤に対して、少女は1枚の紙と1本のペンを差し出す。
「・・・何これ?」
「紙とペンよ」
「見りゃあ分かるよ。何のつもりかと聞いてんの」
神藤は少女の意図が読めなかった。ソファに座った彼女は、怪訝な顔をする彼に対して、此処へ連れて来た目的を告げる。
「好きなだけ金額を書いて欲しいの。貴方を雇うから」
神藤は少女の言葉を聞いてますます困惑する。
「“雇う”? 話が読めネェな・・・、目的を聞きたい。君がすごいお金持ちだってことは分かるけど・・・君は誰なんだ、一体?」
「それは私から説明しましょう」
執事らしき中年または初老の男が少女の後ろに立つ。全く状況が飲み込めない神藤に対して、彼は少女の身の上を説明する。
「この方のお名前はブラウアー・ステュアート=フィリノーゲン。“情報の帝王”こと、世界魔法逓信社第4代“社長”ヴォン・ヴィレブランド=フィリノーゲン、唯一のご息女なのです」
「・・・ええっ!?」
「世界魔法逓信社」、その組織名を聞いた神藤は驚愕する。それはテラルス世界における“世界最大の民間組織”の名前だったからだ。そのボスの1人娘と名乗る少女が、彼の目の前に現れたのである。