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土塊のルカ  作者: 福太郎
行政官ドメニコ・アルベルティの見た岩もぐらの生活と信仰について
7/28

7.

 バルトロメオ・デッラ・ロッカという名前を聴いたとき、ドメニコは記憶の片隅に何か引っかかるものを感じた。何か、噂話に聞いたとか、資料の中に見かけたとか、そういう引っかかり方だ。

 その盗賊は、円卓に脚を乗せ、椅子の背もたれに踏ん反り返っている。彼らはもともと、この近辺にアジトを構えて略奪に勤しんでいたが、そこで手に入れた金品を盗み出され、その奪還(果たしてこの表現が正しいのかということに疑問は残るが)のためにこの集落に襲撃をかけたものらしい。

 鼻先に剣の切っ先を向けられても微動だにしないその態度は、通り一遍のならず者とは比較にならない胆力を感じさせたが、彼の粗暴な振る舞いには、どこか演技的な要素が含まれているように見えた。

 元傭兵の盗賊などというものは、さして珍しいものでもない。傭兵というのは所詮、金と腕力を取引する商売人であって、その戦いは忠義に拠らない。彼らにとって「誰の為に戦うか」というのは、「誰が一番金払いがいいか」ということと同義であり、まともに戦うよりも戦地の略奪の方が割に合うと踏めば、迷わず略奪を選ぶような連中がいくらでもいた。ドメニコのような行政官が正規軍の徴兵にあたっているのも、過去の戦役で、そうした傭兵による略奪行為が問題視されたためである。しかし、このバルトロメオという男と、その手下たちには、そうした特有の開き直りのようなものが感じられなかった。彼らこそが正に、傭兵崩れの盗賊であるにも関わらずである。バルトロメオたちと剣を合わせた時、戦いについてはまるで素人であるドメニコにも、彼らに殺意が無いことがはっきりと分かった。彼らはドメニコたちの手から、剣を撃ち落とすこと、あるいは首筋に剣を突きつけ、戦意を喪失させることを目的に戦っていたのだ。盗賊としても傭兵としても、それは致命的な甘さである。バルトロメオの粗暴な態度は、そうした甘さを隠すためのものではないか、とドメニコは考えた。

 そして、その甘さを、この集落を牛耳るしたたかな子どもたちは見逃さなかった。

 子どもたちの作戦は、この集落にゴブリンの群をおびき寄せて崖の上の退路を断ち、彼らだけが知る秘密の経路でドメニコたちを脱出させることと引き換えに、ドメニコの職権の一部を利用しようというものである。しかしそうなると、脱出後、ドメニコたちが実力をもって子どもたちを排除しようとした場合、取引を担保するに足る武力が子どもたちには無い。そこで子どもたちは、バルトロメオ・デッラ・ロッカ率いる盗賊団を利用することを考えた。ドメニコが契約を履行するまでの間、盗賊団に自分たちを護衛させようというのだ。

 子どもたちはこの作戦を、どの段階で構想したのか。ドメニコたちが崖道を渡っている時には、盗賊をおびき寄せる算段まで立てていたのか、それとも、盗賊たちの襲撃を察知した時、咄嗟に思いついたのか。いずれにしても、それは驚くべき機転であるが、一方で、悪魔的な発想だった。

「この集落に残された人はどうするつもりだ」とドメニコは、集落で拾った石灰岩の欠片を指先で弄びながら、ルカに問いかけた。バルトロメオが「俺との話が終わってねえぞ」と口を挟んだが、「分かってる。ただ、私の目的は、彼らの資質や意志によって、微妙に変わるんだ」と答えた。

 マルコが少し言い淀んだのを見て、ルカが口を開いた。「ゴブリンたちは頭が悪いし、強烈に不器用だ。ドアノブも開けられないくらいな。ここの大人たちは、ほら穴の中からほとんど出て来ないから、まあ、大半は助かるだろう。でも、いくらかは人死にが出るのも分かってる」

「その大人たちは、君たちが世話をしていたんだろう」

「そうだ。なにも死ぬことはないと思ったから。でも、ここにあんたたちが来た。オレは、チビたちを学校に通わせてやりたい。こんなほら穴じゃなく、街の中で当たり前の生活をさせたいんだ。あんたの力があればそれが叶うかもしれない。そうなれば、オレは選ばなくちゃいけない。

 この集落の大人は、別に悪いわけじゃない。ただ、弱くて臆病で、貧乏だったってだけさ。でも、あいつらの命とチビたちの将来を秤にかけなきゃいけないんなら、オレはチビたちの将来を取る。

 あんたたちだってそうだろう。自分や自分の家族のために、弱いやつや貧しいやつを切り捨てながら生きてる。オレはそれが悪いとは思わない。だって、この世界では、そうやってたくさんの命を食わなきゃ生きられないんだ。だからオレも、オレの目方で命を測るよ。兄弟たちの将来のために、ここの大人たちを切り捨てる。オレにはその覚悟があるんだ」


『覚悟』という言葉は、ドメニコの心に重く響いた。ドメニコには、その覚悟があっただろうか。答えは簡単だ。無かった。無かったから、彼らと同じように目の前の弱者を切り捨てながら、ドメニコは当事者であることを避け続けてきた。そうしているうちは、少なくとも彼は加害者ではなかったからだ。しかし、そのことに、どれほどの意味があったのだろう。俯いてまぶたを開けると、円卓の下に、マグダの白い手が見えた。細く長い指は、彼女の膝の上で力なく震えているように見えた。ドメニコは、その右手に自分の左手を重ねた。彼女の手は、迷子になった子どものような、とても弱々しい力で、ドメニコの指を握った。


「なるほどな」と言ったのは、バルトロメオだった。バルトロメオはテーブルに置いた契約書を手に取り、それを真ん中から破った。「ルカ。てめえは、本物の悪党だ。いかれてやがる。だが、本物の器を持った悪党だ。こんな契約書なんか必要ねえ。俺たちを連れて行け。このバルトロメオ・デッラ・ロッカは、仁義を以っててめえらを王宮まで送り届けてやる」

「信じるよ。バルトロメオ」とルカは言った。

 上手いやり方だとドメニコは思った。『悪党の流儀』とでも言うべき、法律に代わる規範を持ち出して、一見、契約書に準ずる、或いはそれ以上の拘束力をもってルカたちの要求に応えるように見える。しかし実際は気分や事情が変われば子どもたちを切り捨てるつもりで、そのために邪魔な書面を破棄したのに過ぎない。ルカたちにとっても、これ以上契約の体裁に拘泥して話が拗れるのは望ましくはない。であれば、当面の協調を合意出来ればそれで良しと判断したのだろう。


「さあ、次はてめえの番だ役人。たった今から俺はこのガキどもについた。ガキどもはてめえらが契約に従えばいいと思っているようだが、俺はそんなに甘くねえ。てめえらの目的を言え。それがガキどもに利するなら良し、害するならこの場でてめえの首を刎ねる」

 ドメニコはマグダの手を離し、円卓の上に拳を打ち付けた。「いいだろう。私の目的は、このメルクリウス領を陰から牛耳ることだ」とドメニコは言った。バルトロメオが目を細めた。

「そいつはまた、大きく出たな」

「それも、ただ牛耳るんじゃ無い。領内にはびこる腐った貴族や役人どもを叩き落として、その地位を平民や貧民とすげ替えるのさ」とドメニコは言った。口元に笑みが溢れた。こうなれば、この盗賊どもも巻き込んでしまえばいい。

「おい、パフォーマンスはやめろ。そんなことをして、てめえになんの得がある。俺は、てめえの将来の夢を聞いてんじゃねえんだよ」バルトロメオは眉をしかめた。

「なんの得だって? 愉快じゃないか。格式だの伝統だのという柔らかい椅子の上で踏ん反り返った無能どもが絶望する表情を見たくないのか? 子どもたちには、そのために働いてもらう。

 ルカ、君たちの作戦は実によく出来ていたよ。だが、まだまだ詰めが甘い。経験不足だ。私と盗賊たちが結託して君たちを裏切る可能性を排除出来ていない。確かに調印までは上手く運ぶかもしれない。ゴブリンの脅威がその後ろ盾となる。しかし、ここから脱出した後、君たちには我々に提供できる利益がない。そうなれば、実力をもって書面を奪い取り、契約そのものを反故にすることが、我々は物理的に可能なんだ。

 そこで提案だ。私は子どもたちを学校に入れる手配をしよう。一筋縄ではいかないが、不可能ではない。その代わり、ルカ、マルコ、君たちには私のために働いてもらう。そして、ルカと同盟を結んだお前たちもだ、バルトロメオ」

 ドメニコはそう言うと、椅子の肘掛に肘を乗せ脚を組んだ。


「役人、口のきき方に気をつけるんだな」とバルトロメオは言った。「俺はガキどもにつくと言ったんだ。ガキどもがてめえと組むことと、俺がてめえと組むこととは別問題だ」

「だから、私はお前たちにも、提案を用意している。バルトロメオ、お前の目的は、先の戦役で戦場を焼いた魔法使いを殺すことだと言ったな」ドメニコの問いにバルトロメオは答えなかったが、ドメニコはそれを肯定の意思表示とみなした。「用意出来るかもしれんぞ。その復讐の機会が」

「どういうことだ」とバルトロメオはドメニコを睨んだ。その瞳の中には、一つ返答を間違えればその瞬間に首が飛ぶという殺意の色合いが見えた。

「この領地の魔法使いは一つの部隊に集約されている。魔法使いは希少で、一般の部隊に配属させると練兵が出来ないからだ。私は最近徴兵の任についたばかりで軍の編成に詳しくないが、今の立場を利用すれば、該当する魔法使いを調べられる。戦場を丸ごと焼き払うような魔法使いだ。探すのにそう苦労もかからんだろう。問題はその後だ。探して見つけた魔法使いをどうやって殺す? 兵舎の戸口を叩いて中に入れてもらうか?  『すみません、復讐に参ったんですが』それで入れてくれるなら苦労はない。お前の話が事実なら、その魔法使いはかなり高い地位にいるはずだ。厳重に警備されている。軍の人間でも容易には近付けないだろう」

「話が長えよ。結論を言え」バルトロメオは顔をしかめた。

「私は正規軍の外に遊撃隊を組織する。私の私兵としてだ。そこにお前たちを起用する。正規軍よりずっと自由に動けるはずだ。機会を見て、その魔法使いの出てくる戦場にお前たちをぶつけてやる。戦場で同士討ちというのはよくあることだそうだな。私には表立って叛乱を起こす意志などない。その点だけ肝に銘じておいてくれれば、後は好きにしてくれていい」

「てめえの手下になれってのか?」

「復讐と面子のどちらを優先するのかは、お前たちの考えることだ。私はその環境を用意出来るというだけで、乗り気じゃないなら別の人間を据えるだけだ」


 交渉の要訣とは、相手の本質を早く正確に読取ることにある。ドメニコの見るバルトロメオ・デッラ・ロッカという男はコヨーテだ。犬のように人に慣れたりはしないが、狼よりは融通が利く。ドメニコがすべきことは、彼自身が骨のある交渉人としてバルトロメオの眼に映ること、その上で、強制力のない選択肢を提示し、バルトロメオ自身の意志で、ドメニコに利する方向へ話を収めることだ。


 バルトロメオは、眼を瞑ってこめかみを揉んだ後、「いいだろう」と言った。そして、その遊撃隊の長はバルトロメオ自身が務め、作戦立案、実行の権限もバルトロメオに与えられることを条件とした。ドメニコはそれを認めたが、参戦の是非はドメニコに権限があること、正規軍の援軍として参戦する場合には、上級部隊の指揮に従うこと、遊撃隊発足までの手順はドメニコに一任することで合意した。


 ドメニコの左手にはメモが握られていた。それは、先ほどマグダと手を重ねた時に、彼女から渡されたものである。メモにはバルトロメオ・デッラ・ロッカの略歴と、正規軍の魔術部隊に関する情報が記されていた。彼女の頭の中には庁舎資料室丸ごと一棟分に匹敵する記録が詰め込まれている。ドメニコはその記録を元に交渉を進めれば良かった。ドメニコとマグダは袖の中にペンを隠し持っていて、ポケットの中でも片手で文字を書くことが出来る。ある時冗談半分で練習した技術だったが、彼らの実務にはこれが意外に役立っていた。ドメニコはマグダから受け取ったメモの裏側に、「我々は最強のコンビだ」と走り書きにしたため、またマグダの手を握った。

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