3-10
「見事な月夜だというのに、誰かと思えば高慢なテイタニア姫ではないか」
テイタニアと呼ばれた女は、子どものテオから見てもぞっとするほど美しい女だった。金色の髪に覆われた頭には花の冠を被り、肌は月光に透けるように白く、瞳の色は紅い。やはり耳は長く尖っていたが、なんとなくその伸び方が女性的だと感じられた。手に持っている金細工の施された小さな棒は、一目で魔法の杖だと知れた。
「あら奇遇ですことオベロン。私も丁度、そのようなことを考えておりましたの。このような良い日和に、王様気取りの傲慢な、そのくせ女々しい男と出くわしては、折角の月夜が台無しになってつまりませんもの。まさか、私の力に怖気付いて、近衛を従えていらっしゃるとは。まあ、物の数では御座いませんけど」
三倍言い返されてる、とテオは思った。これはルカに聞いた話だが、女には決して口喧嘩を挑んではいけないのだという。コノエヘイチョウのポール・デュカスもそのことを知っていたのか、何か言い訳をするように口を開きかけたが、結局そのまま何も言わなかった。
広場に集まっていたエルフたちは、女王が何か手振りで合図をすると、いそいそとその場を立ち去って行った。
「女王様、こんにちは。僕はテオ・オイレンシュピーゲルです。こちらはピノ、リズ、それから、背中に乗っているのはトランクィッロです」とテオは挨拶をした。これで王夫妻の気が逸れればと期待したからだ。
「あら、ご機嫌よう。可愛いお客様方。私はエルフの里の女王テイタニア」テイタニアはそう言ってドレスの裾を摘み、恭しくお辞儀をした。それは、テオがこれまでに見たどんなものより優雅な仕草だった。
「ステキなお召し物ですね。人間の国の貴婦人は、フリルやリボンや宝石のごてごてしたドレスが好きですけれど、女王様のお召し物は、シンプルなのに彼女たちのだれよりも上品できれいに見えます」
「まあ、ありがとう。小さな紳士」と女王は笑った。
テオは内心胸を撫で下ろした。彼は一生懸命、ルカに教わった女性の扱い方を思い出した。「女は息をするように褒めろ」「美人は顔を褒めるな。センスを褒めろ」「女の理想はあてにするな」などなど、今まで何の役に立つのか分からなかったが、今後は真剣に聞くようにしようとテオは反省した。もっとも、マルコに言わせれば、「ルカは男女の重要なところを知らない」らしかったが。
「ところで可愛いお客様方、この森へはどういう御用向きで?」と女王は尋ねた。
テオは王にしたのと同じ説明を、丁寧に繰り返して女王に聴かせた。そうしているうちは、少なくとも争いを抑えたまま、王と女王をこの場所に引きつけておくことが出来る。
テオは女王に説明しながら、その次はどうするべきかと考えた。出来ればこの場で王夫妻を和解させてしまうのが望ましいが、そのための材料はあるか。王夫妻は子ども好きで、愛情深い。エルフの人たちの様子を見れば、こうした争いの中にあっても夫妻は慕われていることが分かったし、王夫妻もその争いによって傷付く者がいないように気遣っているみたいだった。テオたちに対する女王の態度も、時々ドワーフのプライに冷ややかな視線を向ける他は、概ね好意的と捉えて良さそうだ。
「ぼくたちは、この森に来てびっくりしました。だって、エルフの森はとてもきれいで木の実がたくさんあるって聞いたのに、木はほとんど枯れたり倒れたりしていたからです。これも全部、魔物のせいだなって思ったのですが、どうしてエルフの人たちは、魔物のことを知らなかったのか不思議です」
そう言って、テオは王夫妻の様子を窺った。踏み込みすぎたか、と一瞬不安がよぎったが、女王は意外にもあっさりと、「森が傷ついているのは私共夫婦の争いによるものです」と認めた。
「夫婦は、好き同士ではないのですか」とテオは尋ねた。
「必ずしもそうとは限りませんが、私たちは元々愛し合っていました。しかし、相手の美点が仮初のものでないか、時がたってもその美点を持ち続けていてくれるか否かということは、いかに深遠で広範な知恵や教養を得たとしても、見抜くのがとても難しいことなのです。世の知恵者にも、結婚によって苦しんだ者はたくさんいるのですから」
「まるで、自身が知恵者であるかのような物言いだ」と王が口を挟んだ。テオはため息を噛み殺した。なぜこの王は、女性に対してここまで果敢に口喧嘩を挑むのだろう。
「私の拾い子を臆面もなく自らの小姓に取立てるなどという厚かましい振る舞いに、恥も感じぬ貴方の目から見れば、世の者たちはさぞ賢く映ることでしょう。かつては愛し合ったよしみで生かされておることも分からぬ愚昧さで、口を挟むのはお控えになって」
王はそれを聞いて高らかに嘲笑した。「余が生かされておると? 彼我の力量も分からぬほどに耄碌したかテイタニア」
女王の顔から優雅な笑みが消えた。「調子に乗るなよクソじじい」
「かかって来いババア」
「ヤバい。いきなりだ」テオはリズとピノの手を引き、トランクィッロを背に乗せたまま走り去ろうと身構えた。二人の間には、魔法のことなどろくに知らずとも、はっきりと肌で感じることの出来る害意が渦巻いていた。
ところが、不意にリズが握っていたテオの指を離し、王夫妻の間に歩み寄って、まるで往来の人に道を尋ねるような気軽さで夫妻に話しかけたので、テオは慌ててその手を再び握ろうと腕を伸ばした。
「みんな困ってる」とリズは言った。
夫妻はそれを聴くと、互いに杖を握る指から力を緩めた。
「おお、可愛いお嬢ちゃんだ。声もとても可愛らしい」とオベロンが頬を緩めた。
「ほっぺたが桃のようにまん丸で、とても柔らかいのね」と女王も目を細めている。
王夫妻はリズについて、可愛い可愛いとひとしきり持て囃した後、「もっとお話を聞かせてごらん」と求めた。
夫妻が子ども好きだとは聞いていたが、すわ殺し合いという空気の中でこうもてきめんに効果を発するとは、とテオはほっとしながらも驚いた。
「エルフはくだものを食べるのに、木にくだものがないから、みんなおなかがすいて困ります。リズも、おなかがすくと、困るから」とリズは言った
「そうかそうか、其方らは皆賢い子じゃ」とオベロンは頷いた。「余の庵に来るといい。果物が揃っておる」
するとテイタニアも「私のシャトーに参りましょう。お菓子がたくさんありますわ」と張り合うように言った。
これは大変なことになった、とテオは思った。テオは果物とお菓子が同じくらい好きだ。きっと三人のチビたちも同じだろう。今まで眠い目をこすっていたチビたちが、急におろおろし出したのだ。
リズは、「でも、エルフのみんなもおなかがすいてる」と戸惑いながら言った。
するとオベロンは「優しい子じゃ。なに、エルフの民草にも食物は分けておる。森に何かあった時のため、食料は備蓄しておるのじゃ」とリズの頭を撫でた。
「お客人へのもてなしは国の威信に関わります」と女王も言った。
テオは頭を悩ました。兄妹全員が一緒に、王夫妻のどちらからももてなしを受けるよう求めれば、夫妻の和解のきっかけになるかもしれない。しかし、そうなれば、向かう先は自然と王宮になるだろう。今王宮にはルカたちが侵入しているはずで、そこに王夫妻を差し向けるわけにはいかなかった。
「恐れながら申し上げます」テオの逡巡を見抜いたものか、コノエヘイチョウのポール・デュカスが口を開いた。「子らも迷っておる様子。丁度四人おります故、ここは二手に別れてもらい、両陛下のお住まいに交互にお招きしてはいかがでしょう」
この人は天才か、とテオは叫び出しそうになった。これならば、果物とお菓子を両方味わうことが出来る。ルカ、マルコ、クロエの三人にもお土産がもらえるように交渉しよう、とテオは頭の中でその算段を考えた。
「テイタニアの奴め。ムカつくわい」
テオたちが庵に通されると、エルフの王オベロンは呟いた。どうも、広場で女王と喧嘩をした時の怒りが、ふとした拍子にぶり返して来るみたいだった。王はすぐに気をとり直したようだったが、テオは王の若々しく美しい容姿と、内から滲み出る威厳や口調、そして発言の内容とのそぐわなさに、なんだか滑稽な気分になった。エルフの森に起こっていることを考えれば、王はこんなことをしている場合ではないはずだったが、エルフの王オベロンは特にそのことには触れなかった。
王は「さあ、何を食べようか、それから何をして遊ぼうか」と、うきうきした調子で言った。
庵は想像していたよりもずっと質素な造りだった。里のはずれの方に、丸太を組んで建てられた庵は、ひっそりと静かで、王の言葉によれば、喧騒を逃れて静寂の中、風のそよぎや鳥のさえずりを楽しむことも、王族に許された一種の贅沢なのだそうだった。
王がテーブルに並んだ燭台を指差すと、それらは生きているように、自ら火を灯した。
彼らが今まで盗みを働いて来た人間の商人や地主の屋敷では、応接間には大抵豪奢な調度品だとか、よく分からない壷みたいなものが所狭しと並んでいるものだったが、ここにはそういう、用途の分からないものが全く無かった。だから、テーブルの上に並べられた桃や苺、桜桃、林檎、梨、葡萄だとかいった果物が、場違いに見えるくらいだった。
「どうじゃ。エルフの森ではこうした果物が季節に関わらずたくさん採れる」と王は自慢げに言った。
テオはこの枯れた森でこれだけの果物をどうやって確保するのか不思議に思ったが、王は、この森では時間がとてもゆっくり流れるのだと教えてくれた。だから、エルフは歳をとるのもゆっくりだし、果物もとても長持ちするのだそうだ。
「王様は、ここにいる時は何をしているのですか?」テオは桃を頬張りながら言った。たくさん喋って渇いた喉に、かじったはしから溢れ出てくる果汁が沁み渡るようだった。
トランクィッロは、大好きな葡萄を一つずつ房からもいでは口に運び、三つくらいごとに美味しい顔をした。
「これを見ておる」テオの問いに答えた王が、どこから取り出したのか、手のひらに丁度収まるくらいの大きさの水晶玉を、テオの目の前に差し出した。テオはそこに映っているものに目を奪われた。
「これは、人間の女性ですか?」とテオは言った。水晶の中では、森の中で何かを探すように彷徨う女性が映っている。
「この水晶を使えば、森中好きなところを見ることができる。気の毒な娘でな。恋人の男に入れ込むあまり、かえってその男の心を逃してしまったらしい」
「そういうことも、あるのですか」テオは話を合わせたが、魔物が入り込んでいるというのに、こんな呑気なことで大丈夫なのかと心配になった。
「男女というのは難しい」
「エルフの森には、恋のくすりがあると聞いたことがあります」とテオは言った。
すると、王ははっと思いついたように膝を打った。「そうだ。この娘とその恋人を、もう一度くっつけてやろう」
「恋のくすりでですか?」
「そうじゃ。ちょうど、この森にその恋人が入り込んで、眠りの魔法で眠っておる。『恋煩い花』の汁で作った塗り薬を、眠っている内にまぶたに塗れば、目覚めて最初に見た者を狂おしいほど恋してしまう」
とても良いアイデアだとテオは思った。
「じょおうさまにそれをぬれば、王さまとラブラブになる」と、葡萄を食べていたトランクィッロが出し抜けにそう言った。
王はそれを聞いて、ため息を吐いた。「とても可愛い意見じゃが、今さらアレと好き合ってものう」
しかし、それから少しして、ふとまた思いついたように言った。「いや、アレにも塗ってやろう。そして、とんでもないものと恋に落ちてしまえばいい」
テオは、そんな意地悪はやめた方がいいと思ったが、ちょっと考えると、いや、森を枯らすような争いを続けるくらいなら、かえってそんないたずらで溜飲を下げる方がずっとましだ、と考え直した。
「それじゃあ、僕とトランクィッロが行って来ましょう。王様は、水晶で見ていてください」
「そうか。それはおもしろそうじゃ。では、余は眠りの魔法で女王を眠らせてしまおう。まさかこの期に及んで、ただ眠るだけの魔法を余が用いるなどとは、あの女も用心しておらぬはずじゃ」
王はにやりと口角を釣り上げた。
テオは、なんだかものごとが余計しっちゃかめっちゃかになっていく予感に、戸惑いと、わくわくする気持ちとの両方を感じながら、それでも、王様はもう少し真面目に仕事をした方がいいのではないかと思った。
葡萄をつまんでいたトランクィッロが、不意に「あっ」と声をあげた。その視線の先、樫の木の棚の陰から、一匹のインプが顔を出していた。
トランクィッロに見つかったインプは、慌てて棚の陰から飛び出し、王に向かい、「この子らは、子どもに化けた魔物です。王様、彼らを処刑して下さい」とまくし立てた。王の目には、彼がパックに見えているはずだ。
王はおもむろに杖をとり、「分かっておるよ。ここで起きている、ほとんどのことは」と言いながら、杖の先をインプに向けた。それはとても寂しそうな言い方だった。「それでも分からんのは、人の心というやつだけだ」
特に何が起きたというわけでもなかった。ただ、杖の先から、薄い靄みたいなものが、ふっと湧いたようにも見えたが、それはあまりにも微妙な変化で、はっきりそうであったと断言することは出来ないくらいのものだった。しかし、インプは次の瞬間、空中でふらふらと力を失い、そのまま床にぽとりと落ちた。
「では、惚れ薬のいたずらは、頼んだぞ」と王は言った。
王は全部知っていたのだ。その上で、テオたちに、ここに侵入して来た人間と女王のまぶたに、惚れ薬を塗るいたずらを続けようとしている。テオには王が何を考えているのか全然分からなくなってしまった。
なんだか底が知れない人だ、とテオは身震いした。窓から見える森は、その闇の濃度を減じ始めていた。




