3-7
「我輩が、オーベロン近衛兵長ポール・デュカスである」
デュカス兵長なるその逞しいエルフがそう言うと、子どもたちは歓声をあげた。
「カッコいい、カッコいい!」とチビたちは口々に言ったが、ルカの感想は、本意気で「我輩」って言うヤツ始めて見たな、というものだった。
ルカたちはピエールに案内されて、エルフの里の奥にある、彼らの兵舎を訪れていた。
中には弓矢や槍などの武器が並んでいたが、それを置いて兵舎がもぬけの殻になっているということは、エルフの兵隊は皆丸腰なのだろうか、とルカは少しこの里の防衛について心配した。
これはエルフにしては珍しいそうだが、デュカスは筋骨の隆々とした、大柄な男だった。長い耳を除けばドワーフのような厳しい顔つきに、木の幹のような腕や脚をしていた。
ピエールがルカたちのことを説明すると、デュカスは思いの外歓迎してくれた。
「ここで何が起こってるのか聞かせて欲しい」とルカが求めるとデュカスは少し腕を組んで考えた。
「ドワーフにも迷惑をかけておる故、この事情は話さねばなるまいが……」そう言って、そのまま少し沈黙したが、次第にその頬が赤らんでくるのを見ると、ルカは、この男もやはりエルフなのだな、と思った。「あまりに内輪の話故、客人に話すのは少々恥ずかしい」
「夫婦喧嘩だろ?」とルカは言った。
「何故それを?」とデュカスは目を見開いた。
「ドワーフに防具を頼んだのは身を守るためで、戦うためじゃない。なぜなら、武器は作らせてないから。魔法使いの夫婦から身を守りたいけど、傷つけたくはないからだ」ルカはドメニコの受け売りを、さも自分が見抜いたような口調で言った。
「なんと賢い子だ」とデュカスは感嘆の声を漏らした。
「オレたちが知りたいのはその先、いや、手前か? 喧嘩の理由だ。オレたちもドワーフには恩がある。ドワーフたちはエルフを心配してるから、出来ることならここで起きてる問題を解決したい。それが彼らへの恩返しになるはずさ」
デュカスはまた太い腕を組んで唸ったが、「いや、かえって子どもたちなら、或いは」と独りごちて、事情を話し始めた。
「事の起こりは、南方の国より女王が人間の子どもを拾って来られたことにある。女王は慈悲深いお方だ。亡くなった友人の子だと仰ったが、恐らく道に捨てられた孤児に同情なさったものであろう。お主らと同じようにとても可愛い子だ。その上礼儀正しく聡明で、王も女王もすっかりその子を気に入られた。
ところが、そのことがかえって悪い方へ働いた。王がその子を小姓に引き立てようとなされたのだ。これに女王が反発した」
「じゃあ、その子の取り合いで喧嘩してるってわけか」
「そうだ。お二人とも強力な魔法使いだ。喧嘩となれば里もただでは済まん」
ルカはマルコと顔を見合わせ、うーん、と唸った。
子は父と母、どちらの所有物か。これは彼らにとって難しい問題だ。彼らは親に育てられたことがない。従って、本来子どもがどういう取り扱いをされるべきかということについて、よく知らなかったのである。ただ、そのような理由で王夫妻の争いに巻き込まれているエルフの人たちは不憫だと思った。
次の瞬間マルコの口から飛び出したのは、ルカが思ってもみない言葉だった。
「その子が怪しいですね」
「何?」デュカスが真剣な目をマルコに向けた。
「この森に魔物が入り込んでいることはご存知ですか?」とマルコはデュカスの目を射抜くように言った。
「魔物が?」とデュカスはピエールを睨んだ。
「いや、ご報告のタイミングが……」とピエールは言い訳をした。「それに、はっきり確認出来たわけではないのです」
マルコは、プライの頭をロバに変えたのがパックに化けたインプである目算が高いこと、チビたちにはその変身を見抜く力があることなどを説明した。
「馬鹿な。この森には王夫妻の結界が張ってある。強力な魔物ほど……」と言いかけて、デュカスは眉間に皺を寄せた。「強力な魔物ほど近寄り難い結界だ。逆に低級な魔物を通してしまうことはあり得る。まして今は王夫妻の争いの最中だ。結界に綻びがあったとしてもおかしくない」
「エルフの森には『恋の妙薬』というものがあるそうですね」
「飲み薬と塗り薬、二つのタイプがある」デュカスが答えた。
「薬局みたいだな」とルカは感心した。
「それと同じようなものを、魔物が使っていたのかも。愛情を暴走させてしまうような」
「なんということだ……」とデュカスは唸った。「突拍子も無い話だが、辻褄が合うかもしれん。ご夫妻のここ最近の争いは異常だ。元々、こちらが赤面するほど仲の良いご夫婦だった。お二人は元より愛情深い方たちだ。その愛情を逆手に取られたとするならば……。そうであれば卑劣極まる」
「しかし、それをどう伝えたものでしょう」とピエールが心配そうに言った。「ご夫妻はあの子を溺愛しておられます。実は魔物だなどと言い出せば、こちらの首が飛びかねません」
「いずれにせよ、今の話を確かめる必要があるだろう。この段階では憶測に過ぎん」
ルカは少し考えた後、道具袋からロープを取り出してマルコとチビたちに配った。バルトロメオからくすねた鉤付きロープだ。
「俺たちが確かめるよ」
ルカがそう言うとマルコも頷いた。
「君たちが?」とピエールが驚いて声をあげた。
「貴方たちが嗅ぎ回っていると知れたら。王夫妻は不審に思うでしょう。僕たちが動いた方がいい」
「お主らに、そこまでする義理が?」とデュカスが言った。
「義理はこれからアンタらが感じてくれればいい」とルカは笑った。
「これは、油断ならんな」とデュカスも笑った。
デュカスはパックを呼ぶと、子どもたちにそのパックが本物であることを確認させた上で、ルカたちを王夫妻の拾い子の元へ案内するよう命じた。
するとそこへ、また別のエルフが駆け込んで来た。装いを見るに、兵士のようだった。皮の胸当てをして、弓を背に負っている。
兵士は息を切らしながら、「人間が!」と言った。「もう、里のすぐ側まで」
デュカスは兵士から状況を聞き、相手が丸腰だということを確認すると、「またか」とため息をついた。
ルカたちは鉤付きロープを枝に渡し、樹々の間で風を切った。岩もぐらの渓谷を縦横無尽に飛び回っていた彼らにとって、それは何ら難しいことではなかった。パックがミツバチの羽をはためかせながら彼らを先導した。
「入り込んでる人間も気になるな」とルカは言った。
「そうだね。ここで起こっているのはエルフの夫婦喧嘩だけじゃない」マルコは同意した。
「パック、知らないの?」とクロエが尋ねた。
「知らない」パックは素っ気なく答えた。ルカに怒鳴られたので機嫌が悪いらしい。
「悪かったよ、パック」とルカは詫びた。
ルカはマルコとクロエを連れ、エルフに防具を配るのは他のチビたちに任せた。
この大任をやりおおせるにはマルコの頭脳が必要だったし、魔物の変身を見破れるチビたちの目が必要だった。その中でクロエを選んだのは、おしゃべり好きでオマセさんなクロエを置いていくと、多分デュカスやプライが困るだろうと思ったためだった。
さっき会ったばかりのデュカスを完全に信用したわけではなかったが、チビたちの中でもしっかり者のテオが付いていれば、ひとまず安心出来る。
「キミ、魔法使いじゃないか」と不意にパックが言った。
ルカは慌てて胸元を見ると、枝に止まって首飾りをシャツにしまった。枝の間を飛び移っている間に、シャツの胸元がはだけて翠石のペンダントが飛び出していたらしい。
「土塊のルカ!」とパックは嬉しそうに言った。目ざといヤツだ。
ルカはパックの口を人差し指で塞ぎ、「パック、いいか。その話は秘密だ。オレが魔法使いだということは、メルクリウス領の人間に知れると大変なことになる。それは領地の中にあるこの森にとっても良くないことだ」と言った。『土塊のルカ』などというダサい二つ名を領内に轟かせる訳にはいかない。
「どうして?」パックは不思議そうに首をかしげた。
「それを説明するのは難しい。いろんな問題が複雑に絡み合っているからだ」とルカがもっともらしく言うと、パックはさも納得したように頷いたが、本当に納得したかは怪しかった。
「先を急ごう」とマルコが促した。
パックはまた羽を動かして先へ進んだ。
パックに案内されたのは、この森で目にした中でも一際大きい巨木の連なる地点だった。近づくにつれ、その巨木には間に丸太や板が渡されて、それらが一つの城になっていることが知れた。
「すげえ」とルカが感嘆の声を漏らすと、パックは少し得意になった。
「葉っぱが繁っていればもっとすごい。実もなる」
「もしかして、王様や女王様もいるんじゃないの?」とマルコが尋ねた。
「王様と女王様は、今お城を離れて別々に住んでる」とパックは答えた。
「ベッキョだわ」とクロエが言った。
「ベッキョ?」とルカが尋ねると、クロエはやれやれといった風にため息をついた。
「夫婦がべつべつに住むことよ。ベッキョはリコンの始まりなの」
「そうなのか」ルカは感心してそう言った。「それは大変だな」
「ほんとにもう。男子って、いつまでも子どもなんだから」とクロエは呆れたように言った。
パックの話によると、王夫妻の争いを見兼ねたトレント(彼はエルフの里の御意見番的な存在でもあるらしい)の提案により、例の子どもは城で乳母の預かりとなっているらしかった。
エルフの里というのは、ルカたち人間の目から見ると、大概において不用心だった。彼らはパックやトレントといった特定の種族を除いては、多種族に対する警戒心が強い。そのため、里に多種族が入り込まないように結界を張ったり幻術で隠蔽したりするが、一方で、同族や彼らの認めた特定の種族に対しては、非常にあけすけな付き合いをするようだった。知っている者なら勝手に家に上がりこまれても構わないし、持ち物も共有することが普通なのだそうだ。
パックはそのことについて、エルフがごく限られた時期にしか子作りをしないためだと説明したが、ルカには彼らの生活習慣と子作りとの間に関連性が見出せなかった。マルコは何か知っている風だったが、それを説明するのは難しいらしかった。クロエも何か訳知り顔だったのに、いざルカが尋ねると、「知らないっ!」と言って教えてはくれなかった。
何にせよ、エルフの里は一度入ってしまえばその先はほとんど無警戒で、驚いたことに城の入り口までその調子だった。城は巨木の幹が柱となり、枝が梁となって、そこに木板や丸太を渡して床や壁が造られていた。従って、非常に複雑な構造をしていて、建物を構成する要素に直線というものがほとんど見当たらなかった。調度品も、その位置の曲線に合わせて底を削られていて、底の曲線と床の曲線とが噛み合うことによって固定されているらしかった。
そういう構造は盗難を防止するのに一役かっていそうだとルカは考えた。調度品はどれも装飾的な造りで、売ればいい金になりそうなものばかりだったが、底の曲線と形の合う床にしか置けないのでは売り物にならない。
「平気な顔をして歩くんだ。ここにいるのが当たり前という風に」とルカが指図をした。これはルカたちが盗みを働く時、もっとも注意していたことだった。後ろめたい気配を出してはいけない。
丸太や枝の湾曲に添って波打った床や、曲がりくねった回廊では、空間の感覚を掴むのが難しかった。
パックの案内がなければ、すっかり迷ってしまっただろう。しかし、大小の木の幹が無作為に並んで柱となっているために、身を隠す場所が多かったことは幸いだった。城の中では従者と見られるエルフが少ないながらも往来していたが、ルカたちはそうしたエルフたちから上手く隠れながら進むことが出来た。
やがて、パックが「ここだ」と指した大きな木の扉は、登り坂になった回廊の半ばにあった。
「出来れば気付かれず、中の様子が見たいけど」とマルコが小声で言うと、パックは任せてくれと言わんばかりに飛び回った。
「パックのいたずら魔法を使えば大丈夫」パックは、プライの頭をロバに変えた偽物と同じ仕草でルカを指差した。
「おい大丈夫かよ。ロバになるのイヤなんだけど」とルカが不安を訴えると、パックは口を尖らせた。
「大人しくしてないと、そうするぞ」
パックの指先がわずかに白く光った。すると、ルカと同じように不安の色を浮かべていたマルコやクロエの表情が、みるみる驚きの色に変わっていった。
「なになに? どうなってる?」と慌ててルカが自分の手のひらに目をやると、その手のひらからどんどん色が失われて、その向こうが透けて見えるまでに透き通り、やがて全く見えなくなった。
「ルカ、悪用しないでよね」とクロエが言った。
「いや、そりゃ無理だろ。盗みには便利過ぎる」
「そういう意味じゃなくて」とクロエは言ったが、彼女が結局どういう悪用の仕方をイメージしているのかは、分からずじまいだった。
女の子の成長は、ルカにとって謎に満ちていたが、クロエは少しずつ大人になろうとしているように思えた。ルカはそのことが、微笑ましくもあり、誇らしくもあり、そしてやるせなくもあった。
━━大人になんか、ならないで━━
ルカはそういう言葉を一生懸命飲み込んだ。透き通っていく身体の中に、そういう心の澱が透けて見えやしないかとあやぶみながら。




