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土塊のルカ  作者: 福太郎
エルフの森の|狂詩曲(ラプソディ)
24/28

3-6

 ディミトリアスは辟易していた。

 いや、彼はいつでも辟易していた。辟易していないことの方が少なかった。商業都市テセウスに屋号を持つ、テセウス商会頭取の次男として生を受け、物心付いた時にはすでに、彼の両親の吝嗇(りんしょく)だとか、あるいは貪婪(どんらん)さだとかいうものに辟易していたし、商人の長男に生れながら、騎士を目指して戦地に赴き、傭兵に殺された兄の野心に辟易していたし、大人になってからは彼の財産を目当てに作り笑いですり寄ってくる者たち、商人や詐欺師や女たちに辟易し、やっとの思いで彼の財産や家柄と、彼自身を切り離して愛してくれる女性を見つけたかと思えば、今度はその女性の行き過ぎた執着や束縛に辟易しなければならなかった。

 つまるところ彼は、この立ち枯れた樹々の森に似た、彼の不毛な境遇と運命に辟易していたのである。


 森に立ち入って少ししたところで、ディミトリアスは後ろを振り向いた。そこには何者の姿も見られなかったが、枯れ枝を踏む音は隠しおおせるものではなかった。

 後をついてくるのはヘレナに違いない。彼は敢えて気付かないふりをして、また早足に森の奥へと進んだ。


 ヘレナは美しい娘だ。瞳はいつも憂いを帯びていて、懇ろになる前の彼は、いつも彼女が何を憂いているのか知りたくて仕方がなかった。周囲の男たちはどちらかといえば、彼女を「陰気な女だ」と敬遠したが、ディミトリアスには彼女のそういう面も美点の一つだと思えた。

 容姿もさることながら、彼女の心もまた、ディミトリアスにはとても美しいものに見えた。取引先の女性に嫉妬して、果物ナイフを懐に忍ばせていたことを知る前までは。


 空を見上げると、寒々しい枝の向こうに、真っ赤な満月がいやに大きく輝いていた。月は心を写す。ディミトリアスの目には、この月がいかにも不気味で、不吉なものにしか映らなかった。

 エルフの里に異変が起きていることは、この森を見ればすぐに分かった。これは観測員のライサンダーが予見していたことだった。彼は責任感が強く、勤勉で誠実な男だ。頭もキレる。

 そんな男だからこそ、愛に狂うのだ、とディミトリアスは思った。ライサンダーの恋人ハーミアも美しい娘ではあったが、ディミトリアスは個人的にあまり好感を持ってはいなかった。彼女はヘレナとは反対に周囲に対しても愛想よく振る舞う明るい娘だったが、そうした態度が自らの外見的価値を自覚する女特有の、自信に立脚するものであるように見えたからだ。

 だから、ヘレナとの別れ話がこじれていることを聞きつけたハーミアの父が、一方的にディミトリアスとハーミアの縁談をでっち上げ、それを恐るべき精力と真剣さで推し進めて行く様を、ディミトリアスはただただ驚愕と狼狽との間を行ったり来たりしながら眺めている他なかった。

 この縁談は、テセウス商会の頭取であるディミトリアスの家系を狙うハーミアの父の策謀であることはもちろんだが、ディミトリアスの父にとっても、一介の石工の娘であるヘレナよりは、街の有力者の娘であるハーミアの方が彼の結婚相手として好ましいという事情が、両家の合意を後押ししていた。

 もちろん、彼はそのことについて抗議をしたし、誤解を解こうと奔走したりもした。が、驚いたことに、周囲の人間は彼の話を全くと言っていいほど聞き入れなかった。

 これにはハーミアの父イージアスの恐るべき手腕があった。イージアスはディミトリアスの行動を予見して、すでに根回しを終えていたのである。「縁談は両家の合意のもとに結ばれた正式のものであり、もちろんディミトリアス自身も納得している。ただし、ディミトリアスはヘレナとの別れ話を纏めることに苦心している。形式的に、彼はこの縁談が誤報であると触れ回るだろう。しかし、これは彼の本意ではない。このタイミングでの縁談はともすれば彼の立場を危ぶませることになるため、然るべき時まで婚姻の意思の隠蔽を図るものである」

 そうした意味のことを、イージアスが巧みな話術を用いて触れ回ると、ディミトリアスの主張は全て、ハーミアとの結婚を成就させるための努力としてしか受け取られなかった。むしろ、ディミトリアスが真剣に話せば話すほど、「ディミトリアスは自らの保身に躍起になって、恋人も婚約者も貶めている」という侮蔑を受ける羽目になった。

 これは当事者であるヘレナやライサンダーも一緒だった。ライサンダーはハーミアに対し深い愛情を持っているから、他の男にとってのハーミアの価値も、自分が彼女に見る価値と同様だと頭から信じて疑わなかった。

 ハーミアはハーミアで、自分の容姿に対しての自負、もっと言うならナルシシズムがあるから、ディミトリアスが彼女に惚れるのも当然と信じていた。

 ではもう一方の当事者であるヘレナはどうか。ディミトリアスの話を真剣に聞く者があるとすれば、彼女をおいて他にはない。しかし、それはそれで、彼にとっては具合が悪かった。ヘレナはとかく思い込みの強い娘である。この縁談がハーミアの父イージアスよって一方的にでっち上げられたものであることをすんなり受け入れた上で、今度は彼女自身との結婚まで一足飛びに突き進む様が手に取るように想像出来た。

 誰か落ち着いて俺の話を聞いてくれる人はいないものか、とディミトリアスは切実に願った。もう、この際話を聞いてくれるだけでもいいとさえ思った。他所様の恋人に横恋慕して、自分の恋人を一顧だにせず切り捨てようとするばかりか、体面のため周りにはそのことを隠しおおせようと嘘を吹聴して回る人格破綻者の汚名を着せられた、哀れな男の笑い話を。


 ため息をついてから、ディミトリアスは自分の頬を両手で叩いた。あまりネガティヴになってはいけない。

 彼がエルフの森に足を踏み入れたのは、彼のこじれた身の上話をエルフや妖精に聴いてもらうためではない。

 一つには、重要な仕入先であるエルフの森に何が起こっているのかを確かめるためである。もっとも彼はテセウスの街に残って父の跡を継ぐことにさえほとほと嫌気がさしてはいたし、街にはきな臭い雰囲気が漂っていた。領主シーシアスの結婚は、軍拡に向けた政略結婚であることが明らかだったし、軍需品の需要が高まっていることは、商人である彼には肌で感じる事ができた。しかし、仮に街を飛び出すにしても活計(たつき)の道は立てねばならない。彼は商人としての生き方しか知らないし、商人は仕入れが無ければ成り立たない。

 エルフの木工品や織物、金物細工は利益の取れる重要な交易品だが、エルフは人間が彼らの領域に踏み込むことを好まないため、仕入れはエルフの職人が卸しに来るのを待たねばならず、それも不定期でいつも品薄だった。エルフの森に危機が訪れているのならば、むしろこれは絶好の商機になり得る。

 そしてもう一つは、街を出たライサンダーやハーミアと、最後にもう一度話をするためだ。

 ライサンダーとの駆け落ちを決意したハーミアはヘレナにだけそのことを話していた。「私はライサンダーと街を出る。そうなればディミトリアスは貴女のものよ」大方そのようにでも吹き込んだのだろう。

 人に秘密を破らせる最もいい方法は、「この話は絶対に秘密だよ」と前置きをすることである。ハーミアもヘレナにそうした前置きをしたものと見えて、ヘレナは早速その話をディミトリアスに伝えた。

「これが貴方の耳に入れば、貴方はハーミアを追いかけてしまうかもしれない。でも私は、こんなことを伝えるためにでも、貴方と会いたかったの」という注釈付きで。

 考えようによっては、これは案外いい手だったのかもしれない。果たして彼女はディミトリアスの行動を確定し、今こうして跡をつけているわけだから。

 とにかく彼は、最後にもう一度ライサンダーと話がしたいと思った。

 ライサンダーは真面目で優秀な男だ。エルフの森に異変が起きていることに早くから気付いていた。彼は街を捨てようとしているが、しかし一方でエルフの森に起きた異変を捨て置けないと考えるのではないか。

 そうなれば、彼の足は自然とこちらへ向くはずだ。

 もし自分の話があの一本気な男の耳に届くチャンスがあるとすれば、それは彼が街のしがらみを離れた今をおいて他にはない。

 俺は言うのだ。「お前が、お前の愛する女性と共に生きることを、俺は心から祝福出来るのだ。そのことを、街の連中がどれだけ咎めようとも」


 樹々の間を寂しい風が吹くと、不意に地響きのように低く大きな笑い声が聞こえた。

 ディミトリアスはなぜか、その笑い声に戦で死んだ兄の面影を思い出した。兄はよく笑う男だった。商人の家に生れながら、商人を嫌い、騎士に憧れていた。武勲を立て、騎士になり、やがて一つの街を俺のものにするのだという夢を持っていて、それを語るたびに大きな声で笑った。

 結局彼は戦場で傭兵に殺され、彼の戦友が唯一拾ってくれた、護符の首飾りだけが帰ってきた。


 そんなことを頭によぎらせながら、笑い声のした方に目をやると、遠くの方に、樹の枝の上に建てられた小屋が見えた。エルフの住居だ。彼らの王は魔法を用いて彼らの里を隠しているのだという。あの笑い声をきっかけにして、その魔法が解けたのではないか。

 ディミトリアスは小屋の見える方角へと進路を変えた。

「待って!」と不意に木陰から声が聞こえた。ヘレナだ。

「済まないが、急いでいるし、俺は君と一緒になることは出来ない。それはハーミアがどうということではなく、俺の親や世間がどうということでもない。ただ俺は、急いでいるんだ」

 早くライサンダーに会わなければ、彼がいつここを離れてしまうか分からない。

 ディミトリアスはヘレナに対する憐憫に後ろ髪を引かれながらも、彼女を置いて駆け出した。こういう時に限って、彼女との美しい思い出ばかりが胸をよぎるのはどういうわけだろう。

 元々の進路をもう少し進んだ先に、ライサンダーとハーミアが寄り添って眠っていることを、彼はまだ知らない。



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