3-5
子どもたちは大恐慌に陥っていた。
同行していたドワーフのヘルマン・プライ、彼の頭部が突然ロバの頭に変えられてしまったためである。
「プライ! 大丈夫か? いや、何をもって大丈夫と言っていいのか分からないけど、とにかく、健康的には、っていうような意味で!」ルカは大慌てでプライに声をかけた。
プライはそれに親指を立てて答えた。それなりに元気そうではある。
幸い、と言っていいのかはよく分からないが、首から下は、今までと変わらない、ドワーフのずんぐりとした短躯のままで、そういう意味ではロバの頭もそれほど似合わないというわけではなかった。
「ロバは馬よりも気難しく、社会性は高くありませんが、そのかわり山地や荒れ地を歩く能力は優れていますし、それに馬より丈夫で、粗食でも生き延びることが出来ます」びっくりして泣き出してしまったリズを抱き上げて撫でながら、マルコがプライを慰めるようにそう言った。マルコも珍しく混乱しているようだ。ロバの長所を持ち上げて言うことがプライにとって慰めになるのかは分からなかったが、プライはまた、親指を立てて見せた。彼は精神的にタフだとルカは感心した。
「プライ、もしかして、喋れないのか?」とルカが聞くと、プライはしゃがみ、地面を見て指で字を書こうとしたが、ロバの頭ではうまく焦点が合わないのか、頭を右へ左へと動かした。「プライ、申し訳ないけど、それちょっと、気持ち悪いな! 申し訳ないけど!」
やがてプライはうまく視点を定められる首の角度を見つけたらしく、指で地面に字を書いた。
━━「声の出し方が分からない」━━
「人間やドワーフの身体とは、声を出す感覚が違うんだ」とマルコが興味深そうに言った。
「ロバの鳴き声ってどんなだった?」とルカが尋ねると、マルコは少し腕を組んで考えた。
「確か『ゴー、ゴーッ』みたいな感じじゃなかったかな」
「そうか。前向きだな」
「いや、そういうわけじゃ」とマルコは頭を掻いた。
「とにかくプライがこれじゃあ、エルフと話をするのは難しい。プライの知り合いもこれじゃ見つけられないし」
どうしたものか、と子どもたちが頭をひねっていると、木陰から、「もしかして、ヘルマン・プライなのか?」と言う若い男の声が聞こえた。
「エルフ?」とルカは声のする方へ聞き返した。
木陰から、一人の若い男が顔を出した。もっとも、それが男だと知れたのは、先に聞こえた声が男のものだったからで、線の細い顔立ちや白くてなめらかな肌などは、ほとんど女のようだった。
「あ、耳が」とピノが声をあげた。その美しい男の耳は横に長く先が尖っていて、話に聞くエルフの特徴と一致した。
プライはまた、親指を立てて肯定の合図をした。
「もう少し、返事のバリエーションを増やそうぜ」とルカが注文をつけたが、プライはそれにも親指で応えた。
「プライ、どうしてこんなことに。それに、さっきのパックは?」と男はプライに駆け寄った。
「こっちが聞きたいくらいだ。いきなりプライの頭をロバにして逃げやがった。ていうか、そこまで見てたならなんで今まで隠れてたんだよ」とルカが文句を言った。
「それは、その、ロバの頭がちょっと……」とエルフは歯切れの悪い返事をした。
「おい、ロバを悪く言うな。山地や荒れ地で歩くのも得意だし、身体だって丈夫なんだ。それに、前向きだ」とルカは取り敢えずマルコの受け売りでロバを擁護した。
気の弱そうなこのエルフは、ピエール・アンリと名乗った。
ルカは名前を名乗り、マルコやチビたち一人一人を紹介して、自分たちが兄妹であることを説明した。
そのやりとりに業を煮やしたものかロバの表情からは読み取れなかったが、プライは地面に「防具」と字を書いた。
「そうだ。ドワーフに防具を注文したエルフがいるだろ。届けに来たんだ」
「ああ、それは僕だ。他にもいると思うが。取りに行きたかったんだけど、この有様だろ。森を離れられなかった」とエルフは申し訳なさそうにそう言った。「もしかしたら、ドワーフの誰かが来てくれるんじゃないかとこの辺を張ってて正解だった」
どうやら、ピエールと名乗るこのエルフは、ここ二、三日の間、ドワーフが訪れるのを期待して近辺を張り込んでいたらしかったが、ならなぜもっと早く出て来なかったのかと尋ねると、エルフにとってドワーフの見分けは難しく、人違いだと恥ずかしいので声を掛けあぐねたのだと、彼は答えた。
彼らが実行的に支配している地域はこの広大な森全体に及んでいるわけではなく、今ルカたちのいる地点が限界で、そこを超えると稀に人間の出入りもあるそうで、あまり好んで立ち入らないらしかった。従って彼らはフェンリルの接近を感知していなかったらしい。
「ドワーフが注文を受けた分は、全部まとめて運んで来た。でもオレたちには取引の内容が分からないから、それでプライを連れて来たんだけど」とルカはプライに目をやった。「変わり果てた姿に」
「全部運んで来たって? 一体どうやって」
「それを説明すると話が長くなる」
━━巨大な狼に巨大な倉を曳かせて来た。その狼はバーバ・ヤーガが魔法で呼んだのだ━━という事情を包み隠さず話したら、どれほど話が拗れるか、ルカには想像もつかなかった。
とにかく物は持って来たから取りに来てくれと求めたが、ピエールは、「いや、僕一人じゃ運びきれない。人を呼ぶからついて来て欲しい」とルカたちを森の奥へ促した。
「近衛兵長のポール・デュカスというエルフに会ってもらいたい」森を奥へと進みながら、ピエールは言った。「ここで起きていることを、僕の口から説明していいのか分からない」
「やっぱり、王夫妻に関わることだ」とマルコがルカに耳打ちした。王族が関わるスキャンダルを、おいそれと口にするのは憚られるということらしい。
「ドワーフはエルフたちを心配してる。在庫が残っても構わないから、あんたらが無事なのかだけでも確かめて欲しいってオレたちに言ってきたくらいだ」とルカは言った。エルフにはエルフの都合があるだろうが、心配をかけたドワーフたちにはせめて事情だけでも説明すべきだ。
「ああ。ありがとう。ドワーフたちには感謝してる。もちろん、君たちにも。説明は兵長からしっかりしてもらうから、少しだけ待って欲しい」とピエールは答えた。「今、森の中は混乱してる。もともと内輪の問題でごたごたしていたところに、君たちの他にも近くの街から人間が入り込んでる。その街では人間たちがあまり良くない動きをしてるらしいし、とにかくしっちゃかめっちゃかなんだ」
「良くない動き?」とマルコが尋ねた。これは初耳だ。
しかし、ピエールはそれについて答えなかった。かわりに、「ここだ」と言うと、一本の太い樹の幹に手をあて、「トレント、開けてくれ」と話しかけた。
すると、樹は「可愛いお客さんだ」としわがれた声でゆっくりと喋った。よく見ると、幹に空いたうろが口に、節が目鼻のように見え、それらは人の表情が移り変わるように動いていた。
ルカたちが驚いていると、ピエールが、「彼はトレント。樹木の精だ」と説明した。
兄妹の中でも一番おしゃべり好きの女の子、クロエが、これに喜んで挨拶をした。「わたし、ずっと思ってたの。樹やお花ともおしゃべりできたらいいのにって。あなた、とってもステキだわ」
するとトレントは節くれの目を細めて、枝の一本を腕のように下ろし、クロエの頭に優しく触れた。「私のような爺さんでよければ、いつでもお話しよう。ただ、年寄りの話は長いから、若い人には退屈かも知れんが」
クロエは喜びのあまり足をばたばたした。「わたし、樹とおしゃべりができたら、聞きたいことがたくさんあるの。鳥とは仲がいいのかとか、退屈な時は何をしてるのかとか、恋人はどうやって探すのかとか」
トレントは低い声で、ゆっくりと、しかし地響きのように大きく笑った。「私は爺さんな上に、話すのが遅いからな。お嬢ちゃんと話していると、何度も朝が来て、何度も月が昇って、気が付いたらお嬢ちゃんがお婆さんになってしまうぞ」
クロエは、それは困ったぞ、という顔で腕を組んだ。「どうしよう。わたし、かわいいうちにお嫁に行かなきゃいけないし」
トレントはその様子がいたく気に入ったものと見え、またしわがれた低い声でゆっくり笑った。
ルカは、クロエが嫁に行くことを想像すると、嬉しいような寂しいような複雑な気分になった。
「じゃあ、次会う時までに、聞きたいことをまとめておくわね。とくに、樹や花の、恋や結婚のことが知りたいの」とクロエは言った。
トレントは、皺の深い樹皮の顔をさらに皺くちゃにして、「エルフの恋や夫婦のことも、王夫妻に聞いてみるといい。若い頃のことを思い出せば、この馬鹿げた騒ぎも収まるかもしれん」
「エルフの森で、何が起こってるんだ?」とルカが尋ねると、トレントは「愛と理性はこの頃仲が悪い」とだけ答えた。
「君たちが子どもでよかった。トレントはここまで簡単に、人に心を開かない」とピエールが言った。
「他に何かが開いたのか?」とルカは尋ねた。ピエールはトレントに「開けてくれ」と言っていたが、ルカたちには、樹が喋ったということの他に、変化は感じられなかった。もっとも、クロエに対して樹の心が開いたということだけでも十分価値のあることのようには思えたが。
エルフの森は王の魔法によって隠されていて、その魔法の扉をトレントが開けるのだとピエールは説明した。もともとエルフは隠遁的な生活を好むが、特に非常時には森の番人であるトレントの許可なしには居住区に立ち入れないよう隠蔽されるのだという。それがエルフの王オーベロンの、魔法の霧が見せる幻によるもので、ゆえに王が『霧のオーベロン』の二つ名で呼ばれていることを知ると、ルカは歯噛みして悔しがった。
「クソッ、カッコいい! やっぱり本物は逆にシンプルなんだよ!」
マルコが「『土塊』もシンプルだと思うけど」と言ったが、それはルカにとって慰めにはならなかった。
少し進むと、大きな樹の太い枝の上に、寄せ集めた丸太や枝でこしらえた小さな小屋がいくつか見えた。
しかしそれらはひどく粗末な造りで、岩もぐらの彼らでも同情するくらい傷ついていた。壁は歯抜けになって、覗き見える中の毛布が風にそよいでいたし、雨でも降れば屋根はその用を成さないだろうことが一目で知れた。
「こりゃひでえ」とルカは呟いた。
「まるで戦争の跡みたいだ」とマルコも同意した。
エルフたちはほとんど出払っているみたいで、ルカたちは未だにピエール以外のエルフには一度も会っていなかった。
「エルフはみんな、恥ずかしがり屋なんだ。君たちが来たことに気付いて隠れてる」とピエールが言った。
「て言うより、人間が嫌いなんだろ?」とルカは聞いてみた。人間の彼が言うのもなんだが、ドワーフやエルフに比べれば、彼が今まで会ってきた人間は、とにかく乱暴だったり、ズルかったり、ケチだったり、威張りんぼだったりすることが多かった。かく言うルカ自身も、今まで散々騙したり盗んだり奪ったりしながら生きてきたわけで、人間の社会というものは、どうやらそういう資質なしには生きていけない仕組みになっているらしいのだ。そう考えると、我ながらあまり好ましい生き物ではないな、という風に思えた。
しかしエルフのピエールは、その考えを否定した。「僕たちは特段、人間が嫌いというわけじゃない。人間は僕たちにないものを持っている。だからあれだけ増えるのだろう。もっとも、エルフは人間と違って、あまり増えたいとは思っていないけど」
ルカは、人間にあってエルフやドワーフに無いものは何だろうと考えたが、答えは出なかった。
ピエールは手を叩いて「パック、パック。出ておいで」と言った。すると木陰から、先程プライの頭をロバに変えた妖精が、ミツバチのような羽をパタパタと動かしながら現れた。
「おい、お前! プライの頭を元に戻せ!」ルカはその姿を見るなり噛み付くように言った。
パックはその剣幕に驚いて、ピエールの背中に隠れた。「なに? なに? パックは知らない」
「しらばっくれてんじゃねえよ。見てみろ。可哀想に。声の出し方も分からないんだぞ」とルカは叫んだ。
プライはロバの口をもぞもぞ動かした。声を出そうと苦労しているみたいだったが、少しして、何かコツを掴んだというように手を叩くと、両手の人差し指を自分にさして、注目を集めた。
「ワン!」とプライは言った。それは紛れもなく犬の鳴き声だった。
「ほら見ろ。もうメチャクチャじゃねえか!」
ピエールは、「ちょっと待ってくれ。パックが怯えてしまうと話にならない」と怒るルカをなだめた。
「だってさあ」ルカは抗議しようとしたが、その時、リズが「どうして、ルカは怒ってるの?」と言ったので目を丸くした。リズは事の顛末を見ていた。プライの頭が急にロバに変わってしまったことに驚いて、泣き出してしまったくらいだ。
「どうしてって、プライの頭をあいつがロバに変えたんだぜ?」
「そうなの?」とリズは首を傾げた。
ルカは狐につままれたような気分でマルコと目を見合わせた。マルコも困惑しているようだった。
「全然違う子じゃない」とクロエが言った。
「どういうことだ?」ルカは尋ねた。
「さっきの妖精と、この子は全然違う風に見えるの?」とマルコがチビたちに聞いた。
するチビたちは口々に「全然違う」と答えた。
「さっきの子は身体が真っ黒だったし、尻尾が生えてた」とピノが言った。
「ちょっと待て。どういうことだ?」ルカはすっかり混乱した。
マルコが、先程プライの頭をロバに変えた妖精と、今ルカたちの目の前にいる妖精がそれぞれどう見えているのか、チビたち一人一人に確認した。
「インプだ」とピエールが言った。黒い身体にコウモリの羽、先が鉤状になった尻尾、頭には小さな角、それが、チビたちがプライの頭をロバに変えた犯人に見た共通の特徴だった。
どうやらプライの頭をロバに変えたのは、パックの姿に化けたインプの仕業らしい。しかし、どういうわけか、チビたちにはその変身の魔法が通用しなかった。
物語の中にはしばしば、子どもの心に真実を見抜く力があるという描写がある。つまり、これがそうなのだろうとルカは思った。子どもの心の白さが、真実を写すのだ。しかし、そういうことならば、ルカやマルコはそうした心の力を失ってしまったことになる。そりゃそうだ、とルカは自嘲した。盗み、騙し、奪うことで彼は生き抜いて来たのだ。しかもそれをチビたちにも手伝わせて。
しかし、それはある意味において、ルカにとっては救いだった。彼がチビたちに手伝わせてきた生きるための悪事は、チビたちの心を損ないはしなかった。そうならばルカは、俄然力が湧いてくる。
「上等だぜ」と呟いた。このことは、言い換えればルカとマルコが、チビたちの心を汚そうとする、薄汚い悪意や欺瞞を、その一身に引き受けて来たことの証明である。それはルカにとって、もっとも価値のある犠牲だった。
オレの純真なんてものはいくらだってくれてやる。それでチビたちを守れるなら、いくらだって。




