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巨大な狼の曳く車は、快調なスピードで山道を真一文字に駆け抜けた。
御者台に乗ったヘルマン・プライが、時々「はいやっ! はいやぁ!」とそれらしい声を上げたが、その掛け声と、フェンリルの駆ける速度とは、全然関連していないみたいだった。
車内は子ども七人が乗り込むには十分に広く、その上衝撃を吸収するための色々な工夫が凝らされているそうで、凸凹の山道を走っているにも関わらず、チェスでも出来そうなくらい(もっとも、彼らがチェスのルールを知っていればの話だが)ほとんど揺れがなかった。
チビたちは最初、巨大な狼が凄まじい速度で飛ぶように走り抜けて行くことや、初めて乗った動物の曳く車にはしゃいでいたが、何分外は陽も落ちきって、どこまで行っても山の中という景色に飽きると、一人また一人と眠りに落ちた。マルコはルカと、そのチビたちに一枚一枚毛布をかぶせ、それから少し眠った。山の夜は震えが来るほど寒いはずだったが、車内はチビたちが毛布を蹴飛ばすくらい暖かかった。ドワーフの話では、外壁と内壁の間に羊毛や綿を詰めていることで、室内の熱を逃さないように出来ているらしかった。
マルコが目覚めると、ルカは膝を抱えて俯きながら、物思いに耽っていた。
「元気ないね。珍しく」マルコはチビたちの毛布を掛け直しながら言った。
「いや実際、結構ショックだよね。土属性だぜ? ダサいよ」ルカは元来楽天的な気質だし、チビたちの前では明るく振舞っていたが、自分が土属性の魔法使いだと知った時のショックから、まだ立ち直っていないらしかった。
「そうかなあ。僕、結構いいと思うんだけど」
これはマルコの本心だったが、「二つ名なんて『土塊』だぜ。超弱そうだよ」とルカが言うのには、マルコも反論出来なかった。
「名乗り方を、工夫してみたら?」というアイデアを出すのが精一杯だ。
「マルコはのせるのが上手いからなあ」ルカはそう言って、チビたちの毛布を掛け直すマルコを手伝った。
チビたちは、毛布を掛けるはしから、蹴っ飛ばしたり、寝返りをうったりしたので、マルコはいよいよ諦めて、「もうすぐ着く頃かな」と言いながら手を止めた。
「ああ、近付いてるみたいだ」とルカが答えた。「視線を感じない」
視線というのは、バーバ・ヤーガの監視のことだとマルコには分かった。バーバ・ヤーガがルカを見ている時、ルカは視線を感じるらしかった。それが切れたということは、エルフの結界の中に入ったと考えて良さそうだ。ルカの話では、彼はほとんど四六時中彼女の監視下にあるみたいだった。自分がその立場にあったらと思うとゾッとするが、ルカはあまり気にしていないみたいだった。
ルカやマルコがエルフの森に赴くのには、ドワーフへの恩を返すということの他にもう一つ目的があった。
「オレはチビたちが学校に行って、普通の生活が出来るようになるためなら、兵器にだって何にだってなるよ」ルカはマルコの頭の中を覗いたみたいに言った。どれだけ長い時間を一緒に過ごしても、本当に思っていることは、言葉にしなければ分からない。けれども時々、彼らにはこういう瞬間があった。
ルカがドメニコの思惑通り、魔術部隊に入ることになれば、彼は戦争の道具として使われることになる。そして、ルカとバーバ・ヤーガとのつながりに、一兵卒の範疇をはるかに超える価値があるだろうことは、マルコにも想像出来た。
「家族って難しいね」とマルコは言った。自分がルカの立場なら、きっと彼と同じように考えただろう。そしてルカは、きっとそんな自分を心配したはずだ。
ルカとマルコには、チビたちを学校に通わせるためなら、持てるもの全てを差し出す意志と覚悟がある。そしてそのことを、互いに認め合っている。しかし、そのために兄弟が傷ついて欲しくないと思う気持ちはどうしようもなかった。
「ああ、そうな。逆の立場で考えたら、確かにそうだ」とルカは噛みしめるように言った。
「ところで、家族といえばって話なんだけど」とマルコは恐る恐る切り出した。それは今までずっと脳裏に横たわり続けていた疑問だった。「バーバ・ヤーガのこと、ルカはどう思ってるの?」
思い切って彼女の名を口にしたのは、マルコにとっては冒険的な実験だった。『バーバ・ヤーガ』という名前を発音すること、これがルカの元に彼女が現れるための魔法の鍵である。逆に言えば、名前を呼んだにも関わらず彼女がここに来なければ、エルフの結界によって彼女の力が遮られていることがより確実になる。ルカには、彼女の耳目が届かないところでこれを聞いておきたかった。
「思い切ったなあ、マルコ」とルカが驚いたように呟いた。
二人は少しの間、黙って周囲の様子を伺ったが、予想通り彼女が現れることはなかった。
「つまり、結婚のことなんだけど」とマルコは付け加えた。
ルカは、ううん……と唸ってから、「正直あんまりピンと来ないよね」と答えた。
「だろうね」とマルコは同意した。「そもそも僕たちって、夫婦っていうのがどういうものか、あまりよく知らないし」
「でも、これから先、チビたちが普通の幸せな生活を送るんだったら、当然それも避けては通れないからなあ」
「そう。僕たちは結婚とか夫婦とかいうものについて、知らなくちゃいけない」
マルコとルカは子どもたちの将来について、ひいてはその幸せについていつも考えていたが、孤児である彼らにとって、普通の家庭の幸せというものを想像するのは難しかった。
「エルフの王様夫婦のことを見たら、何か分かるかなあ。夫婦喧嘩中かもしれないって話だけど」ルカは腕を組んでそう言った。
「そういうのを見ておくのも必要なんじゃない?」
「確かに。仕組みがよく分からないからな。男と女が結婚して、こう、うまいこと何かが炸裂すると、子どもが出来るんだろ? その、炸裂する様子とかをさあ、見せてくれるといいんだけど」
きっと、その炸裂する様子を見せてもらうのは難しいよ、という言葉を、マルコは飲み込んだ。マルコはその仕組みや、炸裂するものの正体について、ある程度具体的に知っていたが、それをルカに伝えるのには何か越え難い精神的な壁があった。
ちょうどその頃、フェンリルの曳く車が徐々にその速度を落とし、やがて止まった。
「着いたか」と言いながらルカが倉の扉を開けると、御者台に立っていたヘルマン・プライが立ち尽くしていて、ルカたちが扉を開けたことにも気付いていないようだった。
「何ということだ」とプライは呟くように言った。
「どうした?」とルカが尋ねると、その時初めてプライはルカたちを認識したらしかった。
「寂しい所ですね」周囲を見渡してマルコが感じた印象はこれだった。「随分、イメージと違います」
その声に目を覚ましたチビたちが、眠い目をこすりながら車を降りた。マルコはその一人一人にフードのついた外套を着せた。
そこには月に照らされた森が広がっていたが、春だというのに樹々は真冬のように葉を落とし、裸の枝が寒々しく風に揺れているばかりだった。木々は白骨のように力なく立ち枯れて、不規則に横たわる倒木が折り重なるようにして道を塞いでいる。
「いや、こんな所ではなかったのだ。樹々は生い繁り、その実を食べてエルフたちは生きている。何が起こったのか」ヘルマン・プライはそう言うと、短い手足をいっぱいに伸ばして御者台から降りた。「何にせよ、フェンリルと倉が通れるのはここまでだ」
「ここまでありがとう。フェンリル。あとは休んでくれ」と言ってルカが鼻を撫でると、フェンリルは鼻先をルカの頬に擦り付けた。
この後、フェンリルはどうするのだろう、とマルコは心配した。このように巨大な狼が人目に着けば、騒動は避けられない。
フェンリルはそんなマルコの様子を察したとみえ、前脚で地面をならすと、そこに爪の先で、器用に文字を書いた。「うつよのものたち、こわがる。ふぇんりる、かえる」
自分の姿を見ると現世の者たちが怖がるので、自分は元いた場所へと帰るということらしかった。
マルコがフェンリルに別れを告げようとすると、チビたちがフェンリルの前脚にしがみついたり毛を撫でたりして別れを惜しんだ。
プライはドワーフの町で、今回の倉と同じものを造ることをフェンリルに約束した。フェンリルはそのことをとても喜んで、天を貫くような鋭い遠吠えを、一声あげて消えた。
森はかなり広大で、果てが見えなかった。樹々は力なく立ち枯れているにも関わらず、奥に進むにつれその一本一本は太く高くそびえ立ち、老婆の指先のような枝を月夜の空に広げていた。
「おかしいな。どこまで進んでも、生活の跡が全然ない。家も何も。エルフってのは、一体この森のどこに住んでるんだ?」とルカは辺りを見渡しながら尋ねた。
「エルフは木の葉や枝を集めて家を作る。これだけ木が枯れてしまっては、住むところもなかろうに」とプライが言った。
マルコは地面に敷き詰めるられた落ち葉を一枚拾った。「見て。葉が青い」
「ああ。木の実も落ちてるけど、まだ腐ってない」
「外からの力で無理矢理落とされたって感じだ。例えば嵐とか、竜巻とか」
「あるいは夫婦喧嘩とか?」とルカは言った。
「バーバ・ヤーガみたいな魔法使いの夫婦喧嘩ならね」ルカとバーバ・ヤーガがこんなスケールの夫婦喧嘩をすることになれば、おそらく勝敗は一方的なものになるだろうな、とマルコは思った。
「マジかよ。やべえな夫婦喧嘩って」
彼らがそうして森を観察しながら奥へと進んで行くと、途中、トランクィッロが、「小さい人がいる」と言い出した。
「おお、しゃべった」ルカとマルコは歓声をあげた。
トランクィッロは兄弟の中で一番チビでおとなしく、ほとんどしゃべることがなかった。しかし、彼が口を開く時はたいてい、蝶々だとか魚だとかウサギだとか、何かを発見した時で、不思議なことに、多くの場合その発見がなにがしかの役に立った(蝶々の時は、そのとまった先にリズが失くしたお気に入りの小石があった)。反対に、彼はそうでなければ極力声を出すべきではないとさえ思っているみたいだった。
「どこ? どこ?」とチビたちから口々に訊かれ、トランクィッロは倒木が別の木の枝に寄りかかっているあたりを指さした。すると、始めにリズが、続いてピノ、クロエ、テオの順に「いた! いた!」と声をあげた。
しかし、マルコやルカ、プライには、どんなに目を凝らしても、彼らの言う小さい人は見つけられなかった。
トランクィッロはその様子に気付いたのか突然走り出した。マルコが止める間も無く倒木を飛び越え枯れ草の茂みに分け入ると、しばらくして、手に何かを掴んで戻って来た。それは、たしかに「小さい人」だった。
「おお、パック!」とプライが声をあげた。
トランクィッロが捕まえた妖精は、ちょうどネズミくらいの大きさで、赤ん坊のような体型をしていた。背中には蜜蜂に似た羽が生えていて、それを時々羽ばたいた。不思議なのは、トランクィッロは妖精のお尻のあたりにその小さな拳をあてているだけで、妖精の身体のどの部分もつかんではいなかったことだった。
もしこの妖精に尻尾があるのなら、トランクィッロが掴んでいるのはそれだろうと思われたが、妖精の姿が見えるようになっても、やはりその尻尾は見えなかった。
「パック、ワシだ。分からんか? エルフの森に何があったんだ。こんなに枯れ果てて。ワシらドワーフはエルフとは伝統的に仲が悪い。しかしそれはあくまで伝統の話だ。ドワーフにはお前さんらの助けになる用意がある。必要なものがあるなら言ってくれ。そして、この森で何が起きているのかも……」とプライがまくし立てたが、パックはそれをさえぎった。
「いや、人にあれこれ聞く前に、あんたはまずこの失礼な子どもに手を離すよう言うべきだ」
「ああ、それはすまんかった。しかしお前、随分口が悪く……」とプライが言い終わらないうちに、パックはその短い指でプライの頭を指した。
すると、瓶のコルクが抜けるような音と共に、一瞬で、プライの頭がロバの頭に変わった。
「やべえ。魔法だ!」とルカは叫んだ。
驚いたトランクィッロの手を離れ、妖精は森の奥へと飛び去って行った。
そこには七人の子どもたちと、頭をロバに変えられたドワーフ一人だけが残された。




