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土塊のルカ  作者: 福太郎
エルフの森の|狂詩曲(ラプソディ)
21/28

3-3

「これが、エルフの森なのか」深い森の中で、辺境観測員ライサンダーは辺りを見回しながら、唖然として呟いた。エルフの森といえば、様々な果樹が繁茂する、豊穣な土地だと聞いている。エルフは四季折々の果物や香草、穀物を食べ、豊かな自然と共に生きる種族であると。

 ところが、彼の訪れたその地には、話に聞く豊穣は見る影もなかった。

 樹々は立ち枯れ、あるいは根本から倒されて、彼らはそうした倒木を跨ぎながら進まねばならなかった。緑に茂った葉を騒がすはずの風は、乾いた枝の間を虚しく吹き抜けるばかりで、春を歌う鳥の声さえない。

「もう少し、奥なのかしら」と彼の恋人、ハーミアが言った。

 当然ながら、観測の任務に恋人を帯同するということは決して一般的ことではない。まして、その二人きりで任地に赴くなどということは。こうした大規模な異変があった場合、ある程度まとまった数の調査隊を編成することが通常である。しかし、そうならなかったことは、ライサンダーが職務に対して不誠実であったり、無能であったりしたためではなかった。少なくとも、彼がエルフの森を目指そうとした時点では。

 彼は今、その職務に対して不誠実であろうとしている。彼に対して不誠実だった主君に、不誠実さで報いるため、そして、彼の恋人に対して誠実であろうとするためだ。

 ことの次第は次の通りである。


 ここ一月くらいの間、エルフの森周辺では局地的な大雨だとか辻風だとか落雷だとかいう(わざわい)が立て続けに起こった。

 エルフの森にほど近い商業都市テセウスの辺境観測員ライサンダーは、この地に何らかの異変、具体的に言えば、魔物とエルフとの間に戦闘が起こっているのではないかと予想して、街の領主シーシアスに調査隊の派遣を要請したが、その返答は、「婚礼の儀が四日後に迫っているため、人手が出せない」というものだった。

 この報せを受けたライサンダーは激怒した。理由は二つある。

 一つには、当然のことながら、領地領民の安全よりも、自身の婚礼を優先するという、領主にあるまじき態度のためである。近傍の森に魔物の発生があったならば、婚礼の儀などと呑気なことを言っている場合ではない。まして、エルフの木工品や金属細工、織物などは、商業都市テセウスの経済において重要な地位を占めている。この問題について関心を示さないということは、ライサンダーにとって、シーシアスの領主としての資質を疑わせるのに十分なことだった。

 もう一つ、これは少々個人的な事情ではあるが、彼が恋人ハーミアとの結婚を認められておらず、そのことに領主シーシアスが多少なり関係していたためである。元はと言えばハーミアの父が、街の豪商の(せがれ)であるディミトリアスにハーミアとの結婚を持ちかけたことに原因があった。

 このディミトリアスにはヘレナという美しい恋人がいたが、つい目移りしてしまうのは男の性である。加えてヘレナという娘は、一途な替わりに少々思いつめやすい性質があり、そのことにディミトリアスはやや辟易していた。そこに降って湧いた見合話にディミトリアスは舞い上がった。ハーミアもヘレナに負けず劣らず美しい娘だ。ハーミア個人の意向などそっちのけで、その父と結婚の話を決めてしまった。

 これにはもちろんハーミアもライサンダーも、そしてディミトリアスから一顧だにせず切捨てられた、一途で気の毒なヘレナも、猛烈に抗議した。するとハーミアの父は、領主のシーシアスに訴え出たのである。

 父はテセウスという街が、辺鄙(へんぴ)な農村であったころに定められたという古いしきたりを持ち出して領主の裁量を求めた。曰く「結婚に際し、親の意向に従わぬものは、死罪とする」というものである。

 自身の結婚に舞い上がっていた領主シーシアスは、この父の訴えを早々に受け入れた。

 ライサンダーは、領主の結婚のために、自身の結婚を足蹴にされたのである。


 そうした事情で、ライサンダーは、領主シーシアスや、彼から発せられた職務に対する忠誠心というものを著しく消耗していた。そして失意にうなだれる彼に泣いて縋るハーミアの髪を撫でるたび、領主やハーミアの父に対する激しい怒りと、実の父から望まぬ婚姻を強要されようとしているハーミアへの深い情念とを自覚し、これによって、ついに彼は、彼女を伴い街を出る決心を固めたのであった。

 ただ街を出るというだけならば、エルフの森になど立ち寄る理由はない。むしろ全く反対方向の、別の集落を目指すべきだった。

 しかし、そんな彼の中にもわずかながら、職務に対する情熱の燃えさしが、胸の奥の方でくすぶっていた。

 もしエルフの森が異変に襲われているとすれば、テセウスの街にも出入りする、あの内気で美しく、恥ずかしがり屋のエルフたちを救う機会は今しかない。そしてそれを成し得る者も、自分をおいて他にはないのだ。そしてそんな折、メルクリウス領の境界である岩もぐらの渓谷に、ゴブリンが侵攻したとの報せが彼の耳に入ったのである。

 もはや居ても立っても居られなくなったライサンダーは、その気持ちを虚飾なくハーミアに伝え、エルフの森に立ち寄る許しを請うた。彼の想いを打ち明けられたハーミアは、それを快く承諾した。ハーミアが愛したライサンダーという青年の美は、そうした他者に対する親切さと誠実さとに集約されていたからだ。例え、彼がその良心の規範のために、両立し得ないもう一方の規範を犯すことになったとしても。


「どこまで行っても、枯れ木ばかりだわ」とハーミアが呟いた。

 進むにつれて夜も更け、彼らは月明りだけを頼りに、木の根や倒木を避けながら歩かねばならなかった。幸い月だけは、彼らの心や荒れた森とは場違いに、間の悪いジョークのように明るかった。

「疲れただろう。少し休もうか」ライサンダーはそう言って、地面に彼の上衣を敷き、ハーミアをそこに座らせた。

 この森に魔物が襲って来たのではという彼の予想は外れていたと、ライサンダーは知ることが出来た。襲撃があったならば、魔物かエルフ、あるいはその両方の死骸がなければならない。しかしその考えを口に出すことはなかった。不安がっているハーミアを、血生臭い話題で余計に怖がらせてはいけない。

「私たち、これからどうなるの」とハーミアは震える声で言った。

 ライサンダーは彼女の隣に腰を下ろし、その肩を抱いた。「メルクリウス領の行政官に、知り合いがいる。彼に助けを求めようと思う」

「その人は、私たちの結婚を、邪魔したりしないかしら」

「大丈夫だよ。貴族だけど横暴じゃなくて、少し変わっているけど、何というか、融通のきく人だ」

「私たちは、ただ好きな人と一緒にいたいだけなのに」

「真実の恋とは簡単に実らないものだ。例えば身分が違うとか、あるいは歳が離れてて不釣り合いだとか」

 ハーミアがライサンダーの手を握った。ライサンダーは、こうした場合、どの辺りまでが許される範囲(・・・・・・)なのかということについて考えたが、不意に聞こえた囁き声に、思考を中断された。

━━「人間だ」「どうしてこんな所に」「どうしよう、王様に言うか?」「でも、あの調子じゃあ」「恥ずかしい」「隠れなきゃ」━━

 ライサンダーとハーミアは、辺りをきょろきょろと見回したが、声の主はどこにも見当たらなかった。

「エルフなのか? 僕はメルクリウス領テセウスの観測員ライサンダーだ。君たちの森に、異変があったと聞いて来た」

 答える声はなかった。声はぱったりと止み、時々乾いた枝が風に吹かれて軋む音が聞こえるだけだった。

「今のは何だったんだ?」とライサンダーは呟いた。

「疲れているのよ。私も、あなたも。とても辛いことばかりが起きたから」とハーミアはまた、ライサンダーの手を握った。

 そうかもしれない、とライサンダーは答えようとした。しかし、にわかに首をもたげた睡魔が、その声を彼の喉の奥へと押し込めた。彼らはそのまま深い微睡(まどろ)みの中へ沈んでいった。その途中、別の人間の足音だとか、けたたましく獣の駆ける音、慌てふためくエルフたちの囁き、子どもの声、夫婦の言い争い、そんなものがいっぺんに起こって急に騒がしくなったようにも聞こえたが、それが夢か現か、判然とはしなかったし、それを確かめるために瞼を持ち上げる力が、もう彼らには残されていなかった。

━━「真夜中の鐘が十二時を知らせている。恋人たちよ、さあ、ベッドへ。ここからは妖精の時間だ」━━

 ここにベッドがあったなら、僕もそうしていただろうね。ライサンダーは薄れゆく意識の中でそう呟いた。

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