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土塊のルカ  作者: 福太郎
エルフの森の|狂詩曲(ラプソディ)
20/28

3-2

『ガイアの(へそ)』といえばメルクリウス領内でも比類のない巨大洞窟である。馬車三台分ほどの大きな洞穴が口を開けていたが、その奥で地下深く掘り広げられたドワーフの町につながっているということを知る者はそう多くはない。このあたりの土地は起伏が激しく、耕作や居住に適さなかったためである。人里からこの洞穴に辿り着くには険しい山間で夜を明かし、その間中、猪だの狼だの熊だのの猛攻を凌ぐ準備と覚悟が必要で、山中で採れる山菜だとか木の実だとかいうものが、その覚悟や労力と釣り合うに足ると考える者はいなかった。従って、寄り付くものがほとんどなかったのである。

 そのことは一行にとって幸いだったと言っていい。


 陽の沈みきったころ、洞穴から一匹の狼が顔を出した。この周辺に人の集落などがあったならば、農夫たちは一人残らず腰を抜かしたことだろう。なにせその狼は巨大すぎた。南方の異民族が飼いならす戦象よりもなお大きいその狼は、口を縄で(いまし)められていた。縄は口からその肩に回り、更にその尻の方へ伸びている。狼が洞穴からすっかり身体を出し切ると、その縄は、矢倉を曳くためのものだったのだと、やっと気付くことが出来る。それはこの世ならざる光景だった。巨大な狼は一本の若木をへし折り、月に向かって、満足に開かぬ口で、それでも長く気高い遠吠えをあげた。

 この姿が領地観測員の目に触れたならば、現在岩もぐらの谷に向けて進軍している討伐隊の進路が、その日のうちに改められることは間違いなかった。そしてその部隊が遠からず潰走するということも。


 それは、いかにも美しい獣だった。悠々と大きく、力強い肢体と、月光を照り返す白銀の毛並みとを持っていた。

 バルトロメオは、━━馬のように大きな魔犬にも、途方も無い力を持った魔女にも、身を竦めることなく立ち向かったこの偉丈夫は━━、その獣を前にしてついに闘志を失った。

 俺にこいつは殺せない。彼にそう思わせたのは、例えば前足に備えられた太く鋭い爪だとか、分厚い皮膚を予感させる(たてがみ)の逆立ちと言った、バーバ・ヤーガに感じたのとは全く別種の、もっと具体的で明確な危害の気配だけではなかった。むしろ彼の足をその場に縫い付けたのは、その獣の美しさだった。人の世の道理に合わぬほどの大きな体躯を持ちながら、ほとんど足音を立てるということがないそのしなやかな体運び、筋肉の躍動、思慮深く鋭い目付け、そしてそれらが何らの思惟思索の跡もなく、ただ自然に、あるようにある(・・・・・・・)という佇まいは、およそ彼の考える美というものを、その一身に結晶していると言ってよかった。

「名は『フェンリル』狼たちの王、狼の中の狼」とバーバ・ヤーガは言った。

「その『狼の王』に倉を曳かせるのか」

「これならば、夜の更けるまでにはエルフどもの森へ着くであろう。フェンリルの口縄は、神代の昔、ドワーフの先祖が作ったものだ。元は神々が、その強大すぎる力を抑えるための縛めであり、今もその役割を果たしておる。フェンリルはそのようなものを作ったドワーフたちに、崇敬の念を持っておるのだ」

「自分を縛める縄を作った連中に?」

「長い時を経て、この縄がお洒落だと思うに至ったそうだ」

「ああ、確かに、似合ってる」とバルトロメオは苦笑しながら頷いた。フェンリルは満足そうに、鼻を地面に擦り付けた。

 バーバ・ヤーガによると、フェンリルはドワーフたちの造った倉も、いたく気に入ったそうだった。それは、車輪を備えて生き物に曳かせるという意味では馬車に似ていた。強い力で曳いても壊れることがないよう、強いだけでなく、バネや軸の仕組みを利用して倉にかかる力を逃すように、ドワーフたちの技術の粋を結集して造られていた。実際にそれを曳く前から、フェンリルにはそのことが理解出来たそうだった。

 もっとも、その倉のことが気に入ったのは狼だけではなかった。それは、車輪のついた一つの建物だった。鉄の骨組みに木の板を渡し、隙間風が入らず、しかし通気が確保されるような工夫がされているらしかったが、彼らの専門的な説明は、ほとんど頭に入らなかった。彼ら人間の一行に理解出来たのは、とにかく人が住んでも差し支えないくらい快適だということだった。外から見えるよりも中は広く、百を超える甲冑を腹に収めても、まだルカたちを乗せるだけの空間が残されていた。ただし、大人たちまで全員を乗せるには、いくらなんでも狭すぎた。

 加えて、甲冑の在庫を処分するにしても、エルフと話をつけるには、事情の分かるドワーフの同行が必要だった。その役は、ここのドワーフたちの中ではヘルマン・プライ以外に相応しい者がなかった。

「エルフたちは警戒心が強い。というより、人見知りで最初はほとんど話にならん」

「そんな連中とどうやって取引してるんだ」

「仲だちになる妖精の、パックというのがおる。これがまた、おっちょこちょいで、その上いたずらばかりしよるんだが、とにかくこれと仲良くなれば、エルフたちも気を許す」

「自信ねえな」とバルトロメオは素直に言った。彼は馴れ合うことより殺し合うことの方がずっと得意だ。

「確かに、お前さんじゃ難しかろうな。血の匂いが濃すぎる。お役人も不向きだろう。パックに金勘定のような話は難しい。そこで、ワシに考えがあるんだが」プライは一行の反応を伺うように間を空けた。「子どもたちを先行させよう。それにワシが同行する。ワシもエルフには何人か知り合いがおる。子ども相手ならエルフたちもそう構えはせんだろうし、パックとはすぐに仲良くなるだろう」

「それはならん!」とバーバ・ヤーガが口を挟んだ。「それでは妾のルカを守る者がおらんではないか。エルフの森には何らかの危機が起こっておると聞く。そのような地で、妾のルカにことがあっては何とする」

 ヘルマン・プライは腕を組んで考え込んだ。「そうか。いい考えだと思ったんだが」

「いや、それで行こう」と言ったのはルカだった。

「おう、いいぞ。『土塊のルカ』」とバルトロメオはからかった。ルカの二つ名が『土塊』と決まった時、バルトロメオはそのちゃち(・・・)な響きに腹を抱えて笑ったせいで、危うくバーバ・ヤーガに殺されかけた。

 ルカはバルトロメオを睨んで「それは秘密にしてって言っただろ」と言うと、バーバ・ヤーガの手を握った。「バーバ・ヤーガ、オレは大丈夫。それに、守られてばかりの男なんて頼りないじゃないか」

「けれど、心配だわ」

「オレを信じてくれ」

 バーバ・ヤーガは少しの間逡巡したが、やがてうなずいた。

 女を引きつけることは難しいが、適度に遠ざけることはもっと難しい。このガキは、不思議なことに女の扱いについて、かなりの心得があるらしかった。

「馬を用意してある。幸い月もよく出ておるし、山道は一本道だ。熊や魔物に襲われるようなことがなければ、明朝には着くだろう」プライはそう言って、バルトロメオたちにエルフの森へ続く山道への抜け方を説明した。

 ドワーフの町を出た洞穴の外には、多くのドワーフが見送りに出ていた。

「世話になったな」とバルトロメオは礼を言った。ドワーフたちは倉を造るかたわら、バルトロメオとその部下たちの武具を一揃え新調してくれていた。それらは実用性の面において、都のいかなる武具屋にも劣らない上等なものだった。

「ドワーフは、お主の戦い振りを忘れん。新しく武具が入り用ならば、いつでもここを訪れるといい」倉の建造にあたって音頭をとっていた、ディートリヒ・フィッシャー=ディスカウというドワーフが言った。

 ドワーフたちにとっては、自分が魔女と戦った結果、それを退けるに至らなかったということよりも、その戦い方が勇猛だったということの方が重要らしかった。彼の表情は(いかめ)しかったが、多くのドワーフにとって、表情と感情は必ずしも対応してはいないようだった。バルトロメオには、彼らのそういう、へつらいのない態度が好ましかった。


 ドワーフたちに別れを告げると、フェンリルが一声高く遠吠えをあげ、駆け出した。その姿は、嵐のような激しさだった。恐るべき速度、恐るべき力強さ、恐るべき躍動で、狼の王は、甲冑と子どもたちと、一人のドワーフとを乗せた巨大な倉を曳いて走り去った。いつの間にか、バーバ・ヤーガの姿も見えなくなっていた。

 手下どもの何人かが、狼の曳く矢倉に乗り損ねたことを嘆いた。

「それでは、我々も出ようか」とドメニコが言った。「捜索隊に出くわすと厄介だ。斥候が出ているかもしれない」

 ガイアの臍から山道へ至る道のりは、平坦ではなかったものの、ドワーフたちの生活道路として拡幅されていた。しかし、その山道も含め、プライから説明されたドワーフたちの通行路を地図に引けば、彼らが人間の生活圏と交流する意思がないことは明らかだった。伝統的に仲が悪いとされるエルフの森とは通商を確保しているにも関わらず、人間との交流を避けている理由は、バルトロメオにもなんとなく分かるような気がした。

 ドワーフの言うように、人間は欲しがり過ぎる。彼らの生活、思想、風習を目の当たりにした今では、そのことがはっきりと自覚出来た。領土の拡張、あるいは防衛のため、言い換えれば、より多くの富を得、そしてその富を断じて手放さぬという矮小にして尊大な意志のために、いかに多くのものが犠牲になったことか。

 しかしそうした考えは、単なるセンチメンタリズムに過ぎなかった。彼自身が、そうした強欲と愚かしさの尖兵であり、そしてこれからもそうあり続けることを、改めるつもりがなかったからである。敵大将の首と引き換えに受け取った、兜一杯の銀貨の重さ、その感触が彼を掻き立てている限り、彼は人間であり続けるのだ。

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