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「この洞窟が輝いていられる時間は、それほど長くありません」とマルコが説明した。
海水もヒカリゴケも、太陽の光を反射することによって輝いている。したがって、日が高く昇って庇状に突き出た岸壁が光を遮ると、洞窟の中の光は失われる。日の出と共に渓谷を発った理由は、この洞窟に光が射す限られた時間を逃さぬためだということだった。
「さっさとここを抜けないと、真っ暗な洞窟をあてもなく彷徨うことになるわけだ」とバルトロメオは言った。「武器の手入れがしたかったんだが」
集落でゴブリンの群を相手に大立ち回りを演じた後、子どもや役人との交渉、この入り江の洞窟への移動と休みなく動き続けた彼らは、剣を研ぐ時間が確保出来ずにいた。ゴブリンの血や脂で汚れた剣をそのまま鞘に突っ込んでいては、刃はすぐに錆びてしまう。
「それなら、丁度良かったかもしれません。これから向かうのは、鉱夫と鍛冶屋の町です。優れた研師もいるでしょうし、お金に余裕があるなら武具も新調出来るでしょう」とマルコは言った。
「そりゃあ良い。おい、役人」とバルトロメオはドメニコを呼びつけた。
「ドメニコ・アルベルティだ。お前たちの雇い主になるんだぞ。態度を弁えろとまでは言わないが、『役人』というのはやめろ」とドメニコは不服そうに言った。
「その雇い主ってのは、武具の支給くらいはしてくれるんだろうな。傭兵じゃなく、貴族お抱えの正式な私兵だろう」
「ああ。支給する。ただし、正式な私兵になればな」とドメニコは答えた。「まだ契約を交わしてない」
「お前、貴族のくせに坊主の説法聞いたことねえのか? 『まず、与えよ』だ」とバルトロメオは言った。しかし、その僧侶が、与えるどころか信徒から布施の名目で金品を奪い、さらにその金品をバルトロメオたちが奪ったのだということは言わなかった。
「私が敬虔な『神の子』に見えるか?」とドメニコは鼻で笑った。
「ロクな死に方しねえぞ」
「死に方などというものは、死ぬ時に考えればいい。今考えるべきは生き方だ」
洞窟内の通路は明らかに人の手が入ったもので、地面は平らに均され、両側の壁も地面と直角に削り出されていたが、大人一人が通るにはいささか天井が低すぎた。お陰で一行は、子どもたちを除いてみな腰を屈めながら歩かなければならなかった。その上、湿度の高い洞内は粘膜のように満遍なく湿っていて、その水滴と苔のせいでたびたび足を滑らせた。
「この通路はお前らが掘ったのか?」とバルトロメオは子どもたちに尋ねた。
「無理だろ。普通に考えて」とルカが答えた。
「何が出来て何が出来ねえか分からねえんだよ、お前らは」盗賊であることを差し引いても、この子どもたちよりは、自分はまだいくらか常識的だとバルトロメオは自身を評価した。普通に考えれば、要求を通すために魔物の群を呼び込んで、自分たちの住む集落を丸々潰したりはしない。「大体、俺は自分たちのアジトの近くにあんなタチの悪い魔物が住んでるなんて知らなかったぞ。俺たちが今、こうして息をしてるのは、ただのラッキーだ。お前らアレの存在を知りながら、つまり、アレと遭遇しておきながら、今までどうやって生きてこれたんだ」
「それは、僕たち自身にもよく分かりません」とマルコは答えた。
「分からんということはないだろう。あの犬っころの牙を逃れる工夫をしていたんじゃないのか」
「観察はしました。旅人を襲って咬み殺すところも見たことがあります。僕たちが本を読んだり魔物を観察して分かったことは、魔物たちは、生きるために人や家畜を喰ったり、作物を荒らしたりするわけではないということです。なぜ犬や狼が動物で、オルトロスは魔物なのか、その線引きの基準は、『命の循環』の中にいるか否かということだと僕は考えます」
「命の循環?」バルトロメオはマルコの言葉を繰り返した。その聞き慣れない言葉は自分に学が無いためかと思ったが、ドメニコやマグダもその話に興味深く傾聴している様子を見ると、あながちそういうわけでもなさそうだった。
「土から草木が生え、兎や鹿がそれを食べ、狼や熊がその兎や鹿を食べる。人間は草も木の実も、兎や鹿も食べますけれど、狼や熊、あるいは鹿や兎と同じように、死ねば土に還り、また草木や花の糧となります。そうやって、世界は循環しています。裏を返せば、草木も獣も人間も、その循環の外では生きられません。つまり、生きるためには食べなければならない」
「魔物はその循環の外にいると?」
「はい。僕たちは、長い時間をかけてゴブリンやオルトロスを観察しました。自分たちの集落の近くにあんな魔物がいることは、僕たちにとってとても大きな脅威だと考えたからです。ゴブリンは、僕たちが観察した限り、一度も食事を取るということがありませんでした。前にルカが言った通り、ゴブリンは腐ったリンゴの匂いが好きですが、食べることはありませんでした。彼らは人の頭を棒切れで叩きますが、そうして倒した人も食べはしませんでした。
オルトロスはその判断をするのに時間がかかりました。時々、人を咬み殺したからです。僕がそれを、食事とは違うものだと考えたのは、咬み殺された人の遺体に食べられた跡がなかったからでした。彼らが咬むのは、殺すためであって、食べるためではないのです。しかし、食べるわけでもないのになぜ殺すのかということは分かりませんでした。咬み殺された人の特徴にもこれといった共通点はありませんでしたし、大人もいれば子どももいました。
オルトロスは僕たちが観察していることに気づいていました。でも僕たちを襲っては来なかった。それがなぜなのか、僕には結局分かりませんでした。
分かったのは、彼らが『生きるために、食べることを必要としない』ということ、それといくつかの習性だけです」
「学者かお前は」バルトロメオは呆れて言った。
「僕たちがこの渓谷で生きていくためには、少しでも多く、この世界について知らなければなりませんでした」
バルトロメオは「なるほどな」とだけ返事をした。
気付けば、洞窟のかなり深いところまで来ていたらしかった。もう後ろを振り向いても、あの水の底から発する紺碧の光は見えなくなっていた。通路は真っ直ぐに長く伸びていたが、腰を屈めた不自然な体勢で歩いたために、歩測で距離を推し量ることは難しかった。
「あとどれくらいなんだ」とドメニコが疲れ果てた声で言った。小綺麗な貴族の役人に、この行程は厳しかろうとバルトロメオは思ったが、バルトロメオ自身も腰にかなり負担を感じていて、軽口を叩くのは控えた。
「もう、じきに着くはずです」とマルコは答えながら、歩調を緩めることなく奥へ奥へと進んで行った。
「なにか、焦っているな」バルトロメオはマルコを射抜くように言った。
マルコは言い澱むように少し間を空けてから、「はい」と答えた。
「まだ俺たちに伝えていない脅威がある」バルトロメオは腰に提げた剣の柄に指をかけた。
「隠しているわけではないのです。ただ、上手く説明することが出来なくて、迷っています」マルコのこめかみから顎先にかけて、汗の雫が一粒流れ落ちるのが見えた。
「それは、魔術師に関することか?」とバルトロメオは言った。マルコは驚いたように歩みを止めた。
「剣から手を離せ!」とルカが声をあげた。後ろの方で、役人の護衛官も剣に手をかけていることが空気の張り詰め方で分かった。
「子どもたちの下につくんじゃなかったのか?」とドメニコが非難したが、バルトロメオはそれを無視した。
「なるほど、お前たちの案内があれば、俺たちはこのロクでもない辺境を無事抜けられるのかもしれん。ただしそれは、お前たちが正直に俺たちを地上へ案内する限りにおいての話だ。そこの役人の言う通り、俺たちの立場はまだ、ならず者の盗賊だ。ただでさえ油断ならんガキ共が、この期に及んでまだ俺たちを謀ろうとするならば、俺はその首領として、都度自分たちの進む先を判断せにゃならん」
「魔術師に関すること……、なぜ、そう思われるのですか」とマルコは尋ねた。
「大広間で話した時のことだ。役人が、『君たちの中に、魔法使いはいるか?』と聞いた。その時の反応だよ。こういう商売をしてりゃ、いやでも敏感になるもんさ。お前はあの時、『僕たちの中にはいません』と答えた。『何の話だ?』でも『そんなもん知らん』でもなく、『僕たちの中には』ってな。それは、他所にはいる事を知ってる時の言い方だ。俺たちの目的は知ってるだろう。俺が子ども好きの愉快で優しいおじさんに見えるなら、一度眼医者にかかった方がいい」
「分かりました。出来る限りお話ししますが、少し時間を下さい。今は少しでも早く町を目指すべきです」
バルトロメオは少し考えて「いいだろう」と答え、剣の柄にかけた指を離した。「別にお前たちを怯えさせたい訳じゃない。こんなせせこましいところで剣を振るのもゴメンだしな」
薄暗い地下では時間や距離の感覚が曖昧だったが、マルコの言う通り、それから程なくして彼らの言う「町」というものに辿り着いた。
マルコが「ここです」と指を指したのは、一見、洞窟の最奥と見える袋小路だったが、通路から比べると大きく掘り広げられた空間の奥に、目を凝らしてやっとそれと分かるように石造りの門扉が据え付けられていた。門扉は重く固く閉ざされているように見えたが、子どもでも少し力を込めれば開閉出来るように作られているらしかった。
門扉を開けると、そこに広がっていたのは巨大な地下都市だった。擂り鉢状の大穴はその中心に向けて螺旋状に土地を整備しているらしい。金属板の壁や屋根で出来た住居がひしめくように並んでいる。そこかしこに太い真鍮の管が走っていて、その繋ぎ目から絶えず蒸気が漏れている。金属が摩擦し、またぶつかり合う音がそれぞれ独立したリズムで間断なく響き、まるで奇をてらった前衛音楽みたいに聞こえた。壁には光を発するガラスの玉がいくつも取り付けられていて、昼間の地上と変わらぬほど明るかった。よく見るとガラス玉の中には細い銀糸のようなものがあって、それが光っているらしかった。
「俺はてっきり、地上に案内してもらえるもんだと思ってたんだがな」バルトロメオは皮肉を込めて言った。
「この頭上には、魔物たちに乗っ取られた廃村がいくつかあります。地下を通っていくのが安全だと僕たちは考えています」とマルコは答えた。
「ドワーフの町か」とドメニコが呟いた。
「そうです」とマルコが答えた。
「すごい技術だ。国に持ち帰れば、人間の世界から夜が消えるぞ」
「ドワーフたちは、彼らの技術に誇りを持っています。かなり複雑な構造と、途方も無い自然の力を利用してこの町を作っているようです。ドワーフのある技師が、人間には向こう数百年は真似出来ないだろうと豪語していました」
「だろうな。仕組みがさっぱり分からん」
新しいおもちゃを与えられた子どものように眼を輝かせるドメニコに、バルトロメオはため息を漏らした。
「役人、国の発展については後日改めて考えようじゃないか。今は、兵を休ませ、装備を整えることに専念すべきだ」
ドメニコは眉間に皺を寄せて、何か反論をしようとしたらしかったが、途中で諦めたように肩を落とした。「確かにな。この技術を持ち帰るにしても、実用にはかなり大規模な公共工事が必要だ。技師を連れ帰ったところで領地の役人がこの技術を理解するまでに何年かかるか分からないし、そもそも金が下りんだろう」
「そういうことだ」バルトロメオは国や領地の財政事情など知る由もなかったが、あらん限りに知ったかぶりをしてそう言った。実のところ、バルトロメオはこの若い役人について、少々混乱していた。こいつは一体、どういう人物なのだろう。私利私欲に任せて自分の職権や周囲の人間を利用するように振舞うかと思えば、この町の技術を国の行く末に役立てようと本気で案じているようにも見える。
優れた技術者であるという点において、バルトロメオはこの町のドワーフたちと共通している。ただし彼の技術は何物も生み出さない。死と破壊をもたらすだけだ。そうして彼らが踏み荒らした跡に、誰が何を創造するのかは、彼の範疇ではなかった。
思えば俺は、俺の成した屍の山の上に、何か価値のあるものを築いてくれる奴を探していたのかもしれん。逞しくしたたかなこの辺境の子どもたちや、ずる賢い変わり者の役人に、俺はそういう希望の輪郭を幻視して……。
「いや、いずれにしろ、無事に城下へ帰らんことにはどうにもならんのだろう」バルトロメオは小さく二、三度頭を振った。




