茶の湯とは
言わずもがなフィクションです。茶道のマナーとかに関する突込みを入れられても困りますのでどうかご容赦ください。今回のは50フィクションくらいですかね。
秀吉の茶会好きは有名であった。陣中ならば傘を立て幕を張り、廻国の途上にありては旅籠一軒を丸々召し上げて、所構わず人を招いては自慢の名物で茶を振舞った。
天下人の誘いである。断るものは、もとい断れるものはほぼ皆無であった。
とはいえ、茶の湯は当時の武士のたしなみ。加えて茶会に赴けば天下人が誇る名物の数々をその目で拝むこともできるので、勘気を避けたい佞臣のみならず家中の数寄者はこぞって茶会へ参加した。
異父弟の豊臣秀長をはじめ、旗揚げの頃からの旧臣蜂須賀正勝の嫡子である家正、茶道の大家千利休に師事する蒲生氏郷、細川忠興、賤ヶ岳で勇名をはせた福島正則に加藤清正といった若手の家臣まで、そうそうたる面々が秀吉の派手な歓待を受ける中、そこにあってしかるべき者の顔が、茶会では一度たりとも見られなかった。
その者、姓を黒田、名を孝高、通称を官兵衛と言う。秀吉の片腕として世に広くその名を知られる名参謀である。
官兵衛は武士が茶事に執心するを良しとせず、茶会など貴族の遊戯と公言するのを憚らなかった。ある時、側近の石田三成はこの話を秀吉の耳に入れた。
「黒田殿の言は主に盾突くも同じ。いくら豊家の重臣とはいえ許されるものではございませぬ」
三成は力のこもった真っ直ぐな目で秀吉を見上げた。これを機に何らかの処分をするべきでは、と口にせずして進言している。
秀吉はあごに手を当てなにやら思案すると、すぐさま官兵衛へ宛てて書状をしたためた。
即日届けられた書状を見るなり官兵衛は思わず眉根を寄せる。それは関白直々による茶会への招待状だったのだ。
いくら茶の湯嫌いでも関白の名で呼ばれれば顔を出さざるを得ない。三成も述べたように官兵衛は豊臣家の重臣である。臣下が関白を立てねば天下万民とてその権威を侮るようになるだろう。そうなれば秀吉の統一事業は滞ることになる。力なき権威に誰も従わぬことは長らく続く戦乱が証明しているのだ。参謀としてそのような失策は許されない。
約束の日取りまで如何にして波風を立てずに断るかを考える官兵衛だったが、名参謀の頭にもその妙案は浮かばなかった。
二日後、官兵衛は重い足取りで秀吉の茶室を訪ねた。招かれたのは世に名高い黄金の茶室、ではなく、割りに地味で質素な庵であった。
敷石を踏みつつその外観を何とはなしに眺めていると、焦れたのか露地の中ほどで客の到着を待っていた三成が官兵衛に声をかける。
「黒田殿、先刻から殿下は中でお待ちしておりますぞ。お早く」
庵から三間は離れたところで待つ三成に官兵衛は首をかしげた。
「治部殿(三成のこと)はご一緒なさらないのですか」
「此度の茶会ではお許しをいただいておりませぬ」
「ほう、ではそれがし以外には誰が」
「さあ、うかがっているのは黒田殿お一人ですが」
不満げに答える三成に、官兵衛はますます首をひねる。茶会と言うからには多く客を招いているものだと思っていたが、ひっそりと建つ小さな庵の様子にその気配は無い。
が、表で考え込んでいると三成の視線に射殺されてしまいそうなので、官兵衛はとにもかくにも天下人の待つ茶室へと足を踏み入れた。
「おう官兵衛、よう来たな。まあ入るがよい」
秀吉はいつもの人懐っこい笑顔で客を迎えた。
官兵衛が促されるまま上座に腰を下ろすと、その正面にどっかと秀吉も腰を落ち着ける。挨拶もそこそこに慣れた手つきで点てられた茶は、未だ落ち着かない官兵衛の前に黙って差し出された。
碗を受けた官兵衛は恐る恐るそれを口に運ぶ。作法も、相手の意図も分からない官兵衛にはただの茶碗が毒皿のように見えた。
しかし、予想に反してもたらされたのは安らぎであった。まずは鼻腔に、次いで舌の上を、一瞬にして芳しい茶の味が満たす。喉を滑る温もりは、臓腑に落ちると同時にそのまま官兵衛の緊張を解きほぐしていった。
「久しいのう。そなたの顔を見るのも」
一つ息をついたところで、秀吉がまず口を開いた。
「左様にございますな」
官兵衛はしみじみと答えた。思えば、このように主と二人きりで話すことなど久しく無かった。
天下人は多忙を極める。そして多忙はその片腕となって働く官兵衛にとっても同じである。秀吉がまだ一国一城の主であった時分ならばいざ知らず、天下を動かす関白となった今では軍議の場以外で二人が顔を合わすこともほとんど無いのだ。天下の統一が進めば進むほど、それはより顕著となった。
二人が顔を合わすとすれば、それは謀のある時のみである。故に官兵衛が秀吉を訪ねれば諸大名は警戒した。領地を召し上げる、あるいは兵を差し向けるための口実を相談しているのではないかと。
先の見える者ほど秀吉の動きには気を配った。官兵衛との会合が行われた翌日には大阪城に関白の機嫌をうかがうための使者の列が長蛇をなし、益々仕事が増えるものであるから、官兵衛の足は自然と秀吉からは遠ざかっていったのだ。
「茶の湯は好かんか」
出し抜けに秀吉は問うた。官兵衛は残った茶を一気に飲み干して碗を置いた。
「こんなものは武士のたしなみではございませんな。殊に殿は天下を統べるお方。供も連れず無腰でこのような場所に人を招くなどもっての他にございます」
官兵衛はおもむろに碗を返した。返された秀吉はすぐさま二杯目をこしらえ、客に渡す。
「ふむ、左様か。時に官兵衛、その茶碗はどうじゃ。日の本でも指折りの名物じゃぞ」
一口すすり、吐息を漏らす。言葉とは裏腹に官兵衛は茶の味を楽しんでいた。
しかし、口をついて出るのは否である。
「茶などは器があれば飲めまする。このような物に大層な名をつけてありがたがるなど所詮虚ろの喜び。実がございませぬ」
茶事そのものが嫌いなのではない。それにばかり夢中になる軟弱な風潮に官兵衛は嫌気がさしているのだ。
官兵衛の言葉には遠慮が無かった。対する秀吉は腹を立てるそぶりも見せず愉快そうに笑ってひざを叩く。水と魚に例えられる二人である。本音が二人の関係に亀裂を入れることなどない。
秀吉は笑いすぎて涙の滲む目じりをこすりながら「ところで」と切り出した。
「話は変わるが、西国の仕置きは小一郎(秀長のこと)に任せようと思う。此の方はまだ手が放せぬゆえな。毛利、大友にも足並みを揃えるよう申し付けておくが、先鋒はまあ、四国者じゃろうのう」
刹那、官兵衛の眼光が鋭くなった。友人から参謀へ、即座に頭が切り替わる。
秀吉の陣立てに穴はない。しかし、わざわざそれを話題にするということは何かしらの意図があってしかるべきであろう。
確かに秀長ならば安心して一軍を任せられる。微に入り細にわたって心を配る秀長の差配は官兵衛とて認めるところである。大勝は望めないかもしれないが九州に敵無しと噂される島津軍を相手にするならば、手堅い采配を振るってくれることだろう。
気になるのは先鋒を任せる四国者だ。臣従して間もない彼らに先陣を切らせるには意味がある。位置的な条件も当然考慮しているはずであるが、官兵衛が何より気になったのは四国攻めにおいて一度も大規模な合戦を交えなかった四国勢の軍兵の数であった。土佐一国を有する長宗我部は一万もの兵員を無傷のまま保持していることになる。土佐統一の野望を邪魔された当主元親は小牧、長久手の折も徳川と結んで秀吉の手を焼いた。捨て置けば後々禍根となるは必定。
一瞬の間を置いて官兵衛は答えた。
「小一郎殿なら万事抜かりはございますまい。しかしながら、それがしはあえて仙石権兵衛を軍監に推しまする」
「ほう、何故じゃ」
「かの者ならば音に聞く島津の精兵を前にして、必ずや殿の御期待通りの活躍を見せてくれるでしょう。小一郎殿には後詰として、すぐに動けるよう下知なさるべきかと」
にやりと笑う官兵衛を見て秀吉もまた怪しく笑んだ。期待通りの活躍は今の官兵衛にも言えることだった。
「相変わらずそなたは、勘所を心得ておるのう」
「ありがたきお言葉」
満足そうな秀吉に、官兵衛が頭を下げる。秀吉はそんな官兵衛ではなく、彼が畳に下ろした茶碗を見て言葉を継いだ。
「どうじゃ官兵衛。茶の湯も悪くはなかろう」
その言葉を耳にした瞬間、官兵衛の脳裏に雷が落ちた。官兵衛は思わず顔を上げ、茶碗を見る。碗の中で、茶の緑が揺らめいた。
もし、と仮定する。もし秀吉が官兵衛を城に呼びつけていたら、諸大名は十中八九、二人が謀議を行っていると考えるだろう。そうなればまた余計な仕事が増える。やましいことがある者もない者も、こぞって秀吉の機嫌をとりに使者をよこしてくるからである。
しかし、会合の場が茶の席ならばそれは無い。茶事の最中に謀略など無粋。当世誰もがそのように考え、茶をたしなんでいるのだ。関白と二人きりで会ったとてそれは茶の湯のためであり、詮索をする者もまた無粋のそしりを免れ得ぬのだ。
茶の湯とは謀と見つけたり。
にやりと微笑む秀吉を見て、官兵衛も思わず口角を上げた。
「ようやくそれがしにも、茶の湯の良さがわかりましてございます」
官兵衛の言葉に秀吉は会心の笑みで応えた。
「よう申した。褒美にその茶碗はくれてやる」
官兵衛は碗を捧げ持った。黒の楽焼は官兵衛の手の中で静かに鈍く輝いた。
「そなたと同じ黒よ。大事にするがよい」
「ははっ」
程なく官兵衛は千利休に教えを請うた。官兵衛が豊臣家中でも指折りの数寄者と目されるのに、そう時間はかからなかった。
《終わり》
水魚の交わりを例えにしていますが、秀吉にとって官兵衛はどっちかと言うと孔明より龐統に近い気がします。孔明は孔明で半兵衛がいますし。
孔明似の半兵衛が早死にし龐統似の官兵衛が主より長生きすると言うのは、なんとも奇妙で面白いです。
もし半兵衛が秀吉より長く生きたら、やはり孔明のように秀頼を立てて支えたのでしょうか。もし龐統が劉備より長く生きたら、やはり官兵衛のように野心芽生えさせて独立を目論んだのでしょうか。
そういうifがあっても面白いかもしれません。