Lip-8.
あの隠し部屋(?)を出た後、英一さんには学生ホールに行くように指示されていた。学生ホールというのは、三つある学年棟と、特別実習を行える特別棟が囲んだ、中庭に位置していた。その小さな寺院を思わせるような造りをした学生ホールには、放課後になっても学生の姿が多い。談笑する人もいれば、受験勉強や課題に追われる生徒もいるし、文科系の部活が活動している姿も見られた。
ホールを出て、まっすぐ突っ切ったところに歩いていくと、この学園だけでなく、外部の学生の間でも有名な、スポットがある。
いつ誰がそう呼び出したかはわからないけれど、決まって日にちの境目を過ぎたころにだけ鐘の音を鳴らす時計台は、「宣告の時計台」と呼ばれるようになっていた。それにまつわる、学生間の都市伝説があるのだ。
「だからさ、今もすごいよね。時計台の周りもカップルばっかり」
と、これまでのその噂話は全部瑠衣の受け売りなのだけれど、正直僕には何の興味もなかった。恋愛だなんだ言ったって、ついこの間まで中学生だった僕には、あまり恋愛に対する意欲なんてものも芽生えなかったし、それが突発的に沸くわけでもない。今こうして、瑠衣と学生ホールに来ているのも、英一さんに言われたから、としか言えないし。
反面、瑠衣はその時計台にいつしか見入っていた。時計台はたしか七メートルくらいの高さがあって、レンガが所々剥がれていたり、欠けているところも趣があるよね、と瑠衣は言っていた。一方で、ベルは取り替えたばかりのようにピカピカな金色を見せていた。
「ほら、瑠衣、英一さんに言われてただろ」
「うー、厳しいよ。いいじゃん、あたしだってあの噂話に興味だってあるの」
瑠衣は口を尖らせて言った。もうすでに公私混同じゃん。恋友会に意気込んで入っていったのは、瑠衣が先だよね?
瑠衣はそれからもしばらく、学生ホールの入り口から、時計台を見つめていた。時折、濃い青みが掛かってきた空に飛んでいた鳥が、時計台の周りで戯れている。こうしてみてみると、学園を公園と間違えてしまいそうだ。
踏ん切りがついたみたいで、屈伸をして間を置いた瑠衣は、口元を引き締めて、ホールを見渡した。誘導されるように、僕もホールを見渡す。
すると、ある意味で「浮いている」人がいることに気が付いた。
最初は気が付かなかったけれど、乱立しているテーブルは、どのテーブルも最低二人は、生徒が座っていた。誰もが、今言ったように談笑したり、勉強したりしている。
けれど、「彼女」だけは違う。
多分、僕よりも背丈が高いように感じる彼女は、一人テーブルに腰を掛けて、パフェを突っついていた。何より最初になんで学園にパフェがあるんだ、という突っ込みは無視するにしても、その姿は奇妙さを醸し出している。おまけに、ちらちらと視線を斜め右の方に向けているし。
「……あの人?」
瑠衣が指さす。僕も同感だった。というか、切れ気味の瞳とか、ポニーテールとか、その長身とか、言ってしまうと悪いけれど、パフェには合わない。妙に、何かが致命的に欠けて、マッチしていないのだ。なんというか(失礼だけど)、紫式部がホットケーキ食べてる感じ。
「とりあえず、どう説明しようか?」
「すみませーん!」
「早えよ!」
瑠衣は僕の声に聞く耳など立てず、そのポニーテールに声をかける。
「ん?」
瑠衣の声に振り向いたその声の主は、なぜか顔に似つかわない、超絶アニメ声だ。
「藤原英梨さん、ですか?」
「いかにも」軍人かよ。
「恋友会に言われてきました、橘瑠衣と言います、こっちは神澤葵です」
そのとき、藤原さんのスプーンを持つ手が、クリームに突き刺さったまま止まった。スプーンをクリームに入れたまま、藤原さんは急に立ち上がって、僕らを睨むと、首根っこを掴んでホールから引きずり出す。僕らは何が起こったのか分からなくなって、泳いだ声しか出すことができなかった。
ホールの外の壁に叩きつけられた僕らは、睨む藤原さんから目を逸らす。
「恋友会の鉄則!」なんか、声が声だから予想以上に怖くない。「あんな人前にいたら、うちが恋友会員だってことがばれるでしょ! 無暗にその言葉を口にするな!」
「すすすすみませんあばば」
「瑠衣、バグってる」
僕がそう言った瞬間、藤原さんは僕の口元を掴んで、なんと僕の体を持ち上げてしまった。身長はさほど変わらないのに、怪力だったりアニメ声だったり意味が分からなくなる。
「君も! 彼女の彼でしょ!」
「ちちち違いますったらららら」
「葵もバグってるよ!」
口が回んねえ。
「とにかく! ああいう人が多い場所では、『恋友会』のことを口に出すな!」
「は、はい」
僕がそう苦し紛れに言うと、藤原さんは深く嘆息して、僕を芝生の上に下してくれた。っていうか、僕は別に言ってないよね?
「ああもう、何で会長はこんな子たちを選出したのよ、って、そんなこと言ってる場合じゃない!」
再び僕らの首根っこを掴んだ藤原さんは、僕らを引きずりながら、パフェの置いてある丸テーブルの方へ掛けて行った。襟がのど元を圧迫して、半ば首絞め状態。おかげで瑠衣は青い顔をしていて、状況が全く笑えない。
テーブルに据え付けられた椅子に、僕らを放り込んだ藤原さんは、眉をしかめて、黙々とパフェを食べ続ける。というか、このパフェ、近くで見るとものすごくでかい。容器とクリームの高さを見積もっただけでも、三十センチくらいあった。なんで校内でギガ盛りなんてものがあるんだよ。
「何、そんなにうちがパフェ突っついてるのがおかしいの」
「いえいえ」
僕は即座に手のひらを見せて否定する。変ではないけど、致命的に何か欠落していますなんて言ったら、何が飛んでくるのか分からない。
正直、印象は最悪だった。分かりやすく言えば、性格さえ知らなければ彼女にしたな、って感じ。容姿は可憐だし、時々聞こえる声のあどけなさも、男を引き寄せるかもしれない。
でも僕は無理だ。なんせ、さっきからギラギラと目じりを吊り上げている、そのまなざしとか。強気な言動も、この学園の女子には少ないタイプで、中々対応が難しい。瑠衣は早くも肩を縮めてしまう。
「で」
藤原さんはスプーンに付いたクリームを舐めとると、スプーンを僕らに突き付けてくる。
「会長がなんだっての」
「あ、えーと、藤原さんの様子見てきてくれって言われて」
瑠衣が自嘲気味に言う。
「はあ? うちが君ら二人よりレベル下って言いたいのあのバカ会長は! 自分はちっとも依頼受けないくせにさあ」
彼女は盛り付けられたイチゴやバナナを次々に口の中に放り、ポッキーをクリームだらけにして口の中に入れていく。頬に付いたカスタードクリームを指で舐めとると、
「それから、うちのことは英梨、って呼びなよ。名字で呼ばれるの嫌いなんだから」
「は、はあ……」
僕は声を詰まらせながら言った。
すると英梨さんはスプーンを、崖みたいな姿になっているクリームの山に突き刺して、怪訝な表情で僕と瑠衣の間を見た。僕らはほぼ同時に背中の後ろを向き、やがて僕は、その見覚えのあるずんぐりとした体に、声をあげそうになる。
敬太郎だ。一人でホールのテーブルに陣取っているだけで不自然なのに、持ち前の巨体のせいで、余計に浮いている。英梨さんの鋭い視線を見る限り、焦点は間違いなく敬太郎の方にロックされていた。
「あいつが、依頼者なんだよね」
「え? ええ?」
「何変な声あげてるのよ」
僕は英梨さんの言っていることが分からなくなって、思考回路が数秒間だけ制御しなくなる。それって、敬太郎が依頼したってこと? しかも恋友会に? あの何考えてるのか分からないようなやつが?
「樫見敬太郎、一年四組出席番号六番。現在剣道部所属で、一年生の中でもホープ的な存在みたいね。でも周りの女子陣に聞いたけど、あんまり印象は良くないって聞くわ。何考えてるのか分からないらしいし、言動も浮いてるし。なんであんな奴が依頼してきたのか、意味が分からない」
激しく同感だった。気づけば僕は、英梨さんの言葉にいちいち首肯している。
「で、あそこにいるのが、あの一年の意中らしいんだけど」
英梨さんはE.T.みたいに指を曲げて、ホールの端っこの、数人の女子の群れを指さす。
僕はその対象が、すぐに理解できた。五、六人くらいの輪の中にいる、小さな影だ。イメージで言えば、そのまんまこけしに、命を吹き込んだ感じ。美人とは言えないかもしれないけれど、あどけなさのある可愛さがあって、周囲の女子一人一人に、優しく会釈している。
「あれ? あれって佳那だよね?」
瑠衣が僕の左肩に顎を入れてくる。
「佳那?」
「うん、ルームメイトの子」
瑠衣は平坦な口調で言うと、僕らの中に、更に英梨さんが割り込んできた。ちょっと意外な、アジサイみたいな香りがする。
「そう、一年二組の綾野佳那。製薬業で有名な綾野財閥の令嬢でね、今年の一年の中でもすごい有名な子なのよ。ほら、周りにやたら女子が多いでしょ?」
「はあ」
「あの子たちは、一部の生徒に『近衛組』って呼ばれてるらしいよ。ほら、なんだか周囲への視線も結構鋭いでしょ? 佳那って見た目通り虚弱だし、ファンも多いから、そういうのを防ぐのに配置したんだって、親が」
瑠衣の饒舌なしゃべりに、英梨さんは一瞬だけ難色を見せたけれど、目を強くつむって、パフェの前に座って無言でクリームを食べ続ける。というか、親が設置したのかよ。どんな財閥だよ。
「『近衛組』の人たちって、みんなこの学校の生徒だよね?」
瑠衣が頷いたところを見て、僕は嘆息する。本当にどんな学校だよ、という本音が、ホールの中のいろいろなものに溶け込んだ。
「でも、佳那があの人と釣り合うのかな」
「だよねえ……」
多少の会話しか交えたことのない瑠衣も、クラスで絡みの多い僕も、思わず頭を悩めてしまう。脳内で、視線の先の二人が手をつないで、繁華街を仲良く歩いているなんて絵面を想像してしまうけれど、想像の時点でもうありえない。
「でも、依頼人のでっかい一年生の恋をサポートするのが、うちらの役目だから」
姿をクリームの山から現れた、プリンの一角を突っつく英梨さんが、妙に不満げな声で言う。実感ないけど、さっき僕らも会員になったばかりだから、あの二人のサポートをしなくちゃいけない、ってわけか。
「くじけそうです」
「ふざけんな」
ですよね、と僕は柔和に会釈して見せるけど、英梨さんの視線が痛すぎて、頬にチョコソースを付けた英梨さんの表情を見れない。
「とりあえず」瑠衣は僕の右腕を掴んだ。「実行だよ。ほら葵、行こうよ」
「な、行くのかよ!」
「当然! あたしたちの初めての仕事だよ! これが張り切らずにいられないじゃん!」
「うるせえそんなにでかい声で言うな!」
「でも英梨さんの方が声でかいですよ」
「いいから早く行って来い!」
英梨さんスプーンを投げつけるような、乱暴な口調で送り込まれると、僕らは人並みの中へと突っ込んでいく。
もちろん、これは初めての「業務」なのだけれど、人の感情を扱った業務が簡単であるはずがない、という実感を知るのは、もう少し後のことになる。