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Lip-7.

 部屋の中は、予想にしない作りが広がっていた。部屋の周囲は黒塗りの壁に覆われていて、ほのかな橙色を交えた電球が、微かな暖かさを感じさせてくれた。床は臙脂色のカーペットで覆われ、部屋の中央を、高そうな桐の机が占領している。ニスの輝き具合から見ても、まだ部屋に運び込んで間もないみたいだ。

 その巨大な机に腰掛けていた英一さんは、笑みを僕らに見せていた。状況が読み込めない僕らが、足を一歩だけ踏み出すと、背中の扉が大きな音を響かせ、閉まってしまう。すると瑠衣が、僕の尻をいきなり叩いてきて、僕は二重の意味で飛び上がってしまった。

(逃げる?)わくわくしてたんじゃねえのかよ。

「そんなに警戒しなくてもいいですよ」

 風車の描かれた、西洋画が掛かっている壁際で、御佐倉さんがくすくすと笑い声を上げた。聞こえてたのかよ。逆に警戒するよ。

「別におれが君らを××したり○○したりしないから」「んなこと言わないでください!」

 冗談だよ、と陽気な笑みで返してくる英一さんと会話していると、何だか疲れがどっとたまってしまって、何だか何もかもがどうでもよく感じてきそうになった。早く話を終わらせて、寮に返ってベッドにダイブしたい気分だ。

「さて、用件は今言ったとおりだよ」

 急に仰々しい声音になった英一さんを前に、僕も瑠衣も背筋を固くしてしまって、十分に話が聞ける体制にはなれなかった。

「入学式で、俺が言っただろう? 生徒間の恋愛を補助する秘密委員会」

「はあ」

 あまりに唐突すぎて、曖昧な返答しか出来ない。

「ですからね」御佐倉さんは可愛らしく人差し指を立てる。「私たちがあなた方を選出したんですよ。一学年代表として」

「ちょっと、待ってください」

 瑠衣が飛び出して、眉をひそめる。

「なんか、状況が読めないんですけど……」

「ああ、悪い。じゃあ、そこに座ってよ。順を追って説明する」

 英一さんに座って、と言われて、僕らは自嘲気味に、教室にあるような椅子を引き、英一さんの前に座った。英一さんは、御佐倉さんから手渡されたプリントを数枚数えると、手際よく小分けしていくと、僕らの前にそれを差し出した。

「とりあえずそればっか読んでるとキリがないからさ。それは後で個人個人見ておいてな。じゃあ、唯子」

「はい」

 御佐倉さんは、英一さんの背の方を陣取るホワイトボードを反転させた。ホワイトボードには、端麗な文字で、矢印や文字が交差している。「生徒会」とか、「依頼」とか。あまりそういうことに縁がない僕にでも、それが英一さんの言う委員会と直結していることがよく分かった。

「まず」

 英一さんは肘を立てると、僕らに人差し指を向けた。

「恋ってなんだと思う?」

「は?」僕らの声が、ほぼ同時に裏返る。

「一般論でも、主観論でも何でもいいよ。じゃあ、葵。君は、恋って何のことを言うと思う?」

「え、ええと……」

 交際未経験歴が年齢と一致している僕にそれを訊くか、と心の中で反論しつつ、僕は下唇を噛んで口を噤んだ。人を好きになるとか、誰かと付き合うとか、そういうことでいいのかな、と思案していると、

「はい! 葵はどーせ恋なんて知らないからあたしが先に答えます!」

 何で急にテンションマックスになってるんだ!

「確かにそう見えなくもない」

「なんですかそれ!」

「草食系にも見えますしね」

「御佐倉さんまで変なこと言わないでください!」

 瑠衣は馬鹿にした目で笑うし、英一さんは無駄に納得するし、御佐倉さんは淑やかに笑ってるし!

 地団駄を踏んだ僕を、子供じみた視線で一瞥する瑠衣は、弾みのかかった声で言った。ジト目で瑠衣を凝視していると、涙腺が緩みそうになる。

「人にとって大切なことだと思います!」

 そのときの瑠衣の表情は、出会ったときよりもずっと爛漫で、ずっと明るい表情をしているように見えた。笑顔の中からキラキラした粒子が飛び散っているみたいで、夏に咲かせるひまわりみたいな笑顔に、僕は一瞬だけ心を揺れ動かしてしまった。

「誰かを好きになるって、『想いを許せる人が出来る』っていう意味からしたら素敵なことだし、それは信頼の形にも出来ますし!」

 瑠衣の笑顔に見とれていたせいで、瑠衣の言葉なんてものは全く耳を通らなくて、目の前で相槌を打つ英一さんと、母親のように微笑む御佐倉さんの姿だけが映った。

 咳払いをした英一さんは、「じゃあ、今度こそ葵は」と尋ねてくる。

「えと」僕は頬を掻く。「……よく分かんないですけど。僕はそんなに頭が良くないから、素直に『人を好きになること』だと思います。だから人はそういった人を失えば、悲しんだり、出会ったときに喜んだりするんじゃないんですか?」

「鋭いね」

 英一さんがニヤリと笑みを浮かべて、呟く。おもむろに立ち上がった英一さんは、ホワイトボードをマーカーで叩いた。

「じゃあ、君らは誰かを好きになったら、自分でその好意をぶつけられる自信がある?」

 僕は口をつぐむ。小学校の頃に確か初めて女の子を好きになったけど、あのとき僕がどうしたかなんてものは正確に覚えていない。思い出そうとすると、無性に恥ずかしさがこみ上がってきて、言いようのないものばかりが脳裏を散らかした。

「わたしは、ない……かもしれないです」

 瑠衣は酷く消極的な声で言った。語末に至っては、小さすぎて何を言っているかさえよく分からなかった。

「僕も」

 僕は呟くようにして言う。告白経験だって皆無だし。

「だから、おれたちがいるんだよね」

 英一さんは僕らの顔を見渡すと、ホワイトボードを、キャップの着いたマーカーでなぞっていく。

「恋愛は最後は自分で成就させなければならないのは、多分分かってると思う。でも、それに至るまでなら、どんな協力を得たり、サポートを受けたりしても、別に反則なんかじゃないだろ? それを勤めるのが、おれたち『恋友会』だよ」

 英一さんは、ほぼ中央に赤文字で書かれた、ひときわ目立っている文字を叩いた。「恋友会」の三文字に、それらを囲む赤丸が一つ。その丸からは、枝のような線が分岐していた。

「恋友会は基本的に、生徒からの『依頼』が成り立った上で、サポートが実行される」

 丸からほぼ真下にある線には、「依頼箱」と小さく書かれていた。

「仕事は依頼によるけれど、絶対的な鉄則が一つある」

 僕は瑠衣とほぼ同時に、息を呑んだ。

「絶対に、おれたちが依頼を受けてサポートしていること、という事実を依頼人に知られてはいけない」

「え」

 僕らは素っ頓狂な声を出した。

「人って言うのは不思議なもんでな、特に依頼するような奴に限って、サポートされてると知られた途端に任せっきりになって、自分のことを他人事になりがちなんだよ。そしたら、そいつが恋してるってことが崩壊しちまうだろ? だからおれたちは、基本的に『依頼』が知られちゃいけない。水面の中で気づかれず、それとなく仕事をする。それで、依頼人が成功したら無事依頼完了、振られたらはい残念でしたっていうわけだ」

「ちょ、それはいいんですか!?」

 僕の咄嗟のつっこみに、英一さんは眉間を寄せて、首を傾げる。

「なんでだよ? だって振られたらしょうがねえだろ。おれらがサポートするのは告白に至るまで。あとのことなんてわざわざ構ってられないの。大体、この学校の総生徒どんだけいると思ってるんだよ」

 僕は肩をすくめた。鳴桜学園の一学年だけでも、五百人はいたっけ。

 瑠衣が横で苦笑するのをよそに、英一さんは舌を走らせる。

「で。もう一つ、恋友会がやらなきゃいけない業務があってな」

 英一さんがペンで叩いた先に、赤丸の上に線があった。そこには、青丸で囲まれた「社交会」の印。

「確か君らって一般受験枠だよね?」

「まあ」「一応」

「へえ、一般受験なんですか?」

 英一さんの横で笑顔を見せていた御佐倉さんが、指先を合わせて、柔和な物言いで言った。

「じゃあ、あの倍率を抜けたんですね、凄いですね」

 目を細めた御佐倉さんを前に、僕らは頭を下げてしまう。柔らかい言葉が部屋中を伝わって、気を抜いたらいつ顔をほころばせてしまうか分からない。

 英一さんは咳払いをすると、ホワイトボードを叩いた。

「で、この学校の九割は中等部からの進級で、入学式に見たろ? 財界や政界、マスコミ業界なんかでも顔が利くような親を持つ生徒が多いわけだ。だから、この学校は偶数月の一日、『社交会』ってものを開催するわけだよ。要は学園の教育理念にもある、『社交性の成育』の発展なんだけど、まあ簡単に言えば生徒や教師、その他彩海市の市民参加型によるパーティーみたいなもん」

 僕は口を半開きにして、唖然としてしまう。セレブ校って、ここまで凄いのか。打ち上げが最大範囲の僕には規模がよく分からなくて、頭を悩ませてしまう。

 僕が薄笑いの表情を浮かべていると、瑠衣が怪訝なまなざしで僕の瞳を覗き込んできた。

「な、何」

「葵、社交会のこと知らなかったのっ?」

 瑠衣は目を丸めて、僕の肩をつかみ揺さぶってくる。頭と同時に目までまわりそうな勢いだ。

「し、知らないって」

「テレビでもよく報道されるよ? 時々芸能人とかが招待されて、学園の一大イベントでもあるのに」

「そうそう、『招待されないと』社交会には行けないんだよ」

 しみじみとした口調を連ねる英一さんに、瑠衣が表情を固める。察知した英一さんは、

「大丈夫だから、恋友会員にさえなってくれれば、基本的な主催は俺たちが務めるんだから、嫌でも参加できるよ」

「やった!」

 子供のような歓声を上げた瑠衣は、太陽みたいな笑顔を散らした。僕や英一さんは反応に困り、御佐倉さんは相も変わらず穏やかな微笑みを見せたままだ。

「と、まあ業務という業務はこんな感じ、だけど」

 英一さんはペンを置き、椅子に腰かけた。そして、マグネットでホワイトボードに留めてあった二枚のプリントを取り出し、僕らの前に突きつける。そこには、「承諾書」と、荘厳なフォントで書かれていた。

「もちろん、恋友会に強制的に入れ、とは言わない。でも、デメリットはないからね。まずは、授業料の免除」

「やります!」

「早えよ!」

 瑠衣が即座に挙手するのをよそに、思わず本音が漏れた。

「授業料なんかで決めてないよ、恋友会ってここに来る前からの夢だったから、チャンスがあるならやってみたいな、って思って」

 素直な正論が飛び出してきて、僕は返答すらできなくなる。そのあとに、僕はホワイトボードの前で構える英一さんを見た。乱れのない容姿を僕の容姿を比較すると、つくづく場違いだとは思ったけれど、隣で嬉しそうなオーラを放っている瑠衣を見ていると、ほかに選択肢は現れなかった。

「僕も、やります」

「お、いいね。二人なら引き受けてくれると思ったよ。じゃあ、早速なんだけど、英梨のところに行ってくれないかな?」

「英梨?」

 僕らは声を重複させる。

「そう。二年の会員なんだけど、今依頼受けてる途中だからさ、そいつのところに行ってどんな感じか知ってもらえればいいからさ」

 英一さんは立ち上がると、僕らの座っていた椅子を引いて、肩をたたいた。細そうな腕なのに、思った以上に力のある人で、一瞬おののいてしまう。

 御佐倉さんが出入り口の扉を開くと、むさくるしい、ほこり臭さが一瞬だけ部屋の中に入ってきた。けれど、それは杞憂に終わって、部屋を出たころは、曇りガラスから零れてくる陽光みたいなものが、体中を輝かせながら溶けていくような気がした。

 

ようやく次話から、話がまともに動きだす感じです。ぐだぐだで申し訳ありませんが、付き合っていただけたら幸いです。

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