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Lip-5.

 入学してからの一週間は、学園に馴染むことがとにかく大変だった。

 瑠衣とは違うクラスに別れてしまったけれど、運良く拓馬と同じクラスになることが出来たから、友人関係に関してはそこまで問題があった訳じゃない。言うまでもなく、僕が当初振り回されたのは、独特の校風だ。

 僕は知っての通り、こんなにも発展した町とは、昔から縁がない。だからこそ、ビルが一本建ってるだけで驚くのに、セレブな生徒が多いこの学園では、振り回されっぱなしだ。

 購買で売り出される種類は地元の十倍はあるし、周囲の頭の良さだって凄い。スポーツが出来る人間に至っては、同じ人間か疑うほどだ。髪を染めていたり、スカートの丈が極端に短かったりするような生徒だってほとんどいない。中身は僕らと同じ高校生なのだけれど、廊下ですれ違う度、僕以外の全員が異色なオーラでも放っているような気がして、肩が狭くなる。

 もう一つの理由は、多分僕が困惑するだけの問題ではないと思う。

 一週間前の入学式、英一さんが発言した校風の一つが、「恋愛の義務」だった。

 生徒は恋愛をする中で社交性を身につけ、社会に出るときに役に立つ基盤を作ること。不純異性交遊は禁止。ちなみに誰と誰がカップルだとかは全部学校でデータベース化されていて、極秘情報になっている。……意味が分からない。

 とどめで言うとすれば、英一さんがあまりの饒舌っぷりに頭を混乱させた教師に引っ張られて、壇上を後にする前に言った一言だった。

『鳴桜学園では、生徒が確実に交際することが出来るようになるよう、毎年二名、各学年で委員会を選出している。その名も「恋友会」。抽選選抜がなされるこの委員会では、生徒の恋愛補助を投書により相談、補助するもので、委員以外は誰もその役員に選抜されたか分からない。もし君たちの誰かが、この委員会に選抜されたのなら、誇りを持って取り組んでくれ――』

 僕以外にも、この事情を知らない人たちは多かったらしく、初等部から進級してきた拓馬も、かなり驚いていた。何でも、中等部までは恋愛をすることすら禁止されていたらしい。余計訳が分からない。

 本音を言えば、一週間経った後も、僕はかなり困惑した生活を送っていた。廊下を歩く度に、男子生徒と女子生徒が気楽に話している光景なんて、地元じゃあまり見られなかったし(まあ、僕の友達に草食系が集まってしまったのも原因の一つだと思うけど)。

 でも、その不安は、やがて僕の中から消え去る事なんて無くて――

 逆に、ヒートアップしてしまったのだ。


「なあなあ葵! まあた隣のクラスでカップル出来たらしいで!」

 休日を目前に控えた日、僕は厳格な教師、ということで定評のある担任の授業を終えると、項垂れた表情で机に突っ伏していた。陽気な声を上げて僕の首を立てる拓馬は、相変わらずのエセ関西弁と陽気な振る舞いで、すっかりクラスの輪の中心にいた。

「また?」

「そう、って。どうないしたん? すっげー顔色悪いで」

「なんかあの人の授業って魂吸われたかと思うほど凄い授業で……」

 だって教卓にフェンシングの剣を立てておくような教師だよ?

「まああの先公、怖いって言われて中等部でも評判あったしな。せや、樫見は?」

「敬太郎は……あ、黒板消してる」

 僕が、乱雑な文字が羅列した黒板を指さすと、極端に細い目をつけた巨躯が、僕の視線に気づいたらしく、振り向く。

 樫見敬太郎(かしみけいたろう)は、クラス分けがなされた後に、最初に出来た友達だった。剣道部に所属していて、身長が百八十センチもある巨体なのに、やたらと言葉遣いが優しい物言いで、かなりおっとりしている。今も言ったけど、目が常人の半分くらい細く、どこを向いているのか正直分からない。

「おい、樫見」

 拓馬は声を張りあげる。

「……んー?」

 眠そうな声を上げた敬太郎は、僕らの方へ振り向くと、首をゆっくりと傾げた。これで拓馬から聞いた話、中学時代剣道の全国大会出場を果たしてしまったのだから、人は見かけによらない。

 敬太郎は黒板消しをクリーナーに掛け、定位置に戻すと、のそのそと机と机との間を歩いてくる。ずんぐりとした巨躯が隙間を抜けてくる度に、机ががたりとずれている。

「どうした? 連城」

「なあ知ってるやろ? 二組の安西と五組の木津。あの二人が付き合うんやて、どう思う?」

 敬太郎はむー、と牛のようなうなり声を上げて、こくり、と頷く。出会ったときから思ったのだけれど、こいつは本当に魂入ってるの?

「知ってる」

「せやからどう思うかって」

「どう……って。別にその二人が付き合いたいって思ったのならいいんじゃないのかな」

「いや、分かってるんやけどさ……」

 こうして敬太郎と拓馬が会話を交えていると、最初に敬太郎に出会ったときのことを思い出す。

 入学式を波乱に終えた翌日、クラスに入ったとき、最初に目に飛び込んだのがこの敬太郎だった。何せ、席に着いたときに目の前にこんな巨体が座っていたのだ、驚きもする。背後を見ただけでも肩幅は僕の倍くらいあるし、そのくせして目が細すぎて、どこを向いているのか分からない。何気なく話しかけても、雲を掴むように何気なく会話を反らされ、そのくせして何気なく会話を仕掛けてきたりもする。

 最初は抵抗があったのだけど、中学時代からの縁だという拓馬の計らいで、今は何とかクラス内の友人としては成り立っている。でも見ての通りつかみ所がないから、なかなか自分から話をしづらいのが現状だ。

「そういや神澤」

「え? 何?」

 ふわふわした敬太郎の声が、耳元を掠めてきて、僕は思わず声を裏返してしまう。

「さっき、神澤に人が来てたよ。誰だっけ……三組の橘って言ってた」

「え? 瑠衣が!? っつか何で言わなかったんだよ!」

「いや、そのとき神澤は連城と喋ってたから」

「呼べば良かったのに!」

 敬太郎はこめかみをつまんで、表情一つ変えずに顎だけ引いて「ごめんね」と言う。ほんとに魂抜けてるんじゃないかこいつ!

「まあまあ葵、そんなに怒るもんやないで」

「だって相手は女の子だよ!」

 拓馬の表情が、一瞬だけゆるんだのを僕は見逃さなかった。

「女子? ぱっと見草食系の葵にも、女っ気があるん?」

 拓馬はからかうようにして、僕の頬を突っつく。

「彩海に来てからの友達!」

「はいはい、そういう冗談は建前でええ」ああうざい。

「俺にも紹介してーな。可愛い?」

 僕は思わず口ごもってしまう。なんかこれ以上言ったら余計拓馬に煽られて、端晒すだけになりそうだ。

 でも、予想とは裏腹に、

「あ、答えないん? じゃあ俺が他の連れひっぱらってその子のこと落としてまうけどかめへんの?」

 勝手にしろよ!


「良かった、葵も友達出来てたんだ」

 結局、瑠衣とは放課後の商店街で落ち合うことにした。初めて出会ったときの印象とは打って変わって、制服姿の瑠衣は大人っぽく映った。商店街でも評判のあるアイスクリームを頬張る瑠衣の姿は、どこにもいる女の子と同じに見えた。

「そんなに僕って友達いなさそう?」

 瑠衣はチョコチップを舐め取ると、苦笑して言う。

「ううん、そういうんじゃなくて。ほら、あたしがいないと何も出来ないかなー、って思っただけ」

「瑠衣もそうじゃない?」

 僕は冷え切ったスポーツドリンクを、のどの奥に流し込む。じゃんけんで負けたからって、トリプルをおごらせるのはいくら何でもひどいと思うんですが?

「ううん、あたしは問題ないもーん。ルームメイトもいい子だし、クラスのみんなも予想してたよりずっと気さくだったし」

 瑠衣は口を細めて、からかうような口調を向けてくる。まだ陽は高いところにあって、瑠衣の表情がいつにも増して明るく映えている気がした。通り交う買い物客がやたらとこっちを見てくるけど、やっぱり鳴桜の制服って目立つのだろうか?

「ねえねえ、やっぱりさ、葵の周りにもカップルって出来始めてる?」

 瑠衣はターンしてチェック柄のスカートをふるわせて、コーンをかじる。

「んー」僕はスポーツドリンクを飲み干すと、その手でアルミ缶を握りつぶした。「さすがにまだ多くはないけどね。でも付き合ってる、って噂はあるよ」

 ふーん、と瑠衣は口ずさみ、革靴で道を叩く。眉をひそめている辺りが、何だか怪しさを醸し出している気がした。

「でも葵はなー……」

 瑠衣はそう言いかけたところで、爪を噛んだ。僕は彼女の言っていることがよく聞き取れず、不意に、

「何?」

「ううん、別に気にしないでっ」

 瑠衣は言動をごまかすように、アイスクリームにかぶりつき、頬の方までクリームだらけにしてしまう。笑顔が何かをもみ消しているようで、何だか納得いかない。

 瑠衣がアイスクリームを食べきった頃には、夕焼けが顔を見せ始める時間帯になっていた。首筋ににじみ出てくる汗が、妙に新鮮味を帯びている。ブレザーを脱いで、ワイシャツの裾を丸めると、瑠衣は僕の腕をまじまじと凝視してくる。僕は瑠衣の視線が妙に真剣さを帯びていて、思わずたじろいでしまう。

「な、何」

「ううん、なんか……葵って腕細いなー、って思って」

 そりゃあ、中学の頃に運動をきびきびやっていたような人間じゃないし。

「あたしと同じくらいじゃない?」

 マジかよ、と吐露してしまいそうになったけれど、ブレザー姿の瑠衣の腕を見ても、正直反駁出来る自信なんて無かった。別に重いものを持ち上げられないとかじゃないけれど、腕相撲で勝った経験はあんまり無いし、体力測定の握力もあんまり無いし。

「って、いうかさ、」僕は瑠衣の視線が痛くなってきたのにようやく気がついて、咄嗟に話題を割ってしまう。「瑠衣、今日僕のこと呼んだでしょ? 敬太郎が言ってたけど」

「敬太郎?」

「そうそう、どこ向いてるか分からないような、でっかい奴」

「あー、あの人かあ。何だかふわふわしすぎてテンションが分け分からなくなる人だよね」否定する余地がない。

 瑠衣はこめかみをつまんで、むー、と唸る。下唇を噛んでいる彼女は、喫茶店前で立ち止まると、何かを思い立ったように、首をあげた。

「そうそう、あたしと葵にプリントが来てたの」

 瑠衣は革鞄から封筒を二通、取り出す。白い便箋には、校章と、校名が明記されていて、僕と瑠衣宛にワープロが打たれていた。

「誰からもらったの?」

 瑠衣は苦笑混じりに言う。

「由利さん。ほんとにおかしい人だよね、あの人」

 葵に渡すまで、中を開けてはならぬ、だって、と瑠衣は付け加える。江戸時代の侍かよ。何だか英一さんの脳内を割っても、あの人の思考回路が読めないかもしれないと、今ばかりは思えてくる。

「開けていいのかな」

 僕は便箋の縁を破り、三つ折りにされたプリントを中から取り出す。どれだけ形式張った文章が飛び出してくるのだろうと思ったのだけれど、そんな想像も一瞬のうちに飛び散った。

 文章を目にした僕らは、ほぼ同時に目を点にしてしまう。

『お久しぶり、由利英一だ! 入学式はどうだった? 俺としては新入生の緊張を一生懸命ほぐすために考えついた、最終的な答えだったのだが』知らねえよ。『さておき、君たちを我が隠し部屋にご招待しよう! 何、別に君らが想像してしまうアンナコトやコンナコトを企画しているわけでは微・塵・も・無い☆ 我が部屋に来る勇気を持ち合わせているのなら、来るがいい!』どっちだよ!

 しばらくは僕らはその手紙に唖然として、言葉を出すことも出来なかった。A4のコピー用紙にワープロでこれらの文字が打たれているのではなく、習字のチェック用の朱色で書き殴られている点で、訳が分からない。おかげで血文字に間違えかねないまがまがしさを醸しだし、何より文章の意味が読み取れない。本当にこの人は鳴桜に一般入試で入学したのか、疑問になってくる。

「あ、葵、裏になんか書いてあるよ」

 瑠衣に言われてプリントを裏返してみると、そこには表面のつっこみどころ満載の文面とは裏腹に、ボールペン書きの、綺麗な文字が並んでいる。分かりやすく言うならば、表面を小学生が書いて、裏面に先生が書いた感じだ。

『明日の放課後、視聴覚室前に来てくださいね』

 女の人が書いたみたいな、流れているような文字に、僕は前面の意味のなさに涙すら出てきそうになる。英一さんの適当さが、明らかに露呈されている文だ。何だかここ数日で、英一さんのイメージが変わりすぎて変になりそう。

「どうするの? 葵」

 道に迷った妹みたいな口調で問い質してくる瑠衣の言葉に、僕はプリントをたたんで、ぼそり、と呟く。

「まあ、行ってみて悪くはないと思うけど……」

 と、言うわけで。明日の放課後。

 謎の教室への潜入決定。

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