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Lip-4.

「やっぱりさ……似合わないってこういう制服」

「さよか? 俺は結構似合うと思うんやけどな」

 開けっ放しになっている部屋の窓から、柔らかい風が流れてくる。森の方から迷い込んでくる季節は、いつの間にかこの町に温もりを与えていた。僕はその日の朝から、拓馬にまずネクタイの付け方を教わっていた。指定されている紺色に黄色のラインが入り、胸には英一さんがつけていたのと同じワッペンを持つ特徴的なブレザーや、臙脂色のネクタイを着こなすのは、一苦労を要した。中学ではずっと学ランを着てきたし、何せ私服でネクタイなんて持っていないから、十五年間生きてきてこれをつけるのは初めてだったのだ。

「ここはこうしてな、この後ろに入れんねん」

 ネクタイを手取り教える拓馬の姿は、僕にとっては兄貴のように思えた。いや、兄貴持ってないから分からないけどね。

「なんか……窮屈じゃない? これ」

「まあ、入学式やからね。少しきつめにせんと、生徒指導の先公の目が痛いわ」

 拓馬はそう言って笑うと、手慣れた手つきでネクタイを締め、ピンをする。水色のラインが襟に入ったワイシャツは、酷く窮屈だった。サイズを間違えたのかもしれない。

 四月の第一週最終日は、鳴桜の入学式だった。朝から、寮は妙に騒がしい。やっぱり、抱いていたセレブのイメージなんてものは上っ面だけで、実際は僕らと大差なんて無いただの学生なのかもしれない。

 必需品だけ鞄の中に入れて、部屋を出たときには、青葉の茂る街路樹が、陽光に反射して町を照らしていた。拓馬が鍵を掛けたときには、廊下の生徒の影はまばらになっていて、真新しい制服に包まれた他の人がみんな初々しかった。少しだけ僕はほっとして、胸をなで下ろす。ブレザーって自分に似合う気がしない。

 寮を出たところで、僕は街路樹の先に渋滞が出来ていることに気づいた。鳴桜までたいした距離は無いから、徒歩で行くのだけれど、何でここまで凄いのかと拓馬に訪ねると、

「鳴桜の入学式って、やっぱ注目されんねん。財界の息子とか令嬢とか、政治家の子供とか、芸能人の子供までごっつい面子集まるしな。せやから入学式の模様は市のローカルテレビで中継される。んで、野次馬連中がごっつ集まるんや」

「はあ!?」

「いや、別に驚くもんでもあらへんよ? 小等部と中等部の中継は昨日のうちに終わったみたいやし」

 僕は拓馬の発言を落ち着いて整理してみる。入学式がケーブルテレビで報道されるって事はそれが町全体に伝わるわけでもし入学式で変な姿晒したらそれが町中に広まってしまうと言うことでもしかしたらそれが発端でスカ「ほら何言ってんねん葵、行くで」「ちょー、待って!」

 僕は必要物だけを入れた新品の革鞄をひったくり、カードキーを片手に気怠そうな表情を見せた拓馬の方に走っていく。ガラス張りの外壁から、蒼にも似た陽光が、差し込んだ気がした。


「……私たち鳴桜学園は、小等部から高等部まで、小中高一貫教育制度を設けた、今年で創設十八年を誇る、私立学園にございます。敷地面積は総じて東京ドーム五個分、彩海市の学園都市約六十パーセントを占めております。充実した設備と、最新器具および近代建築術による、確固且つ美麗なキャンパスを設けている点も、この学園が誇るべきものであります。

 近年の輩出される人材は各分野において数々の実績を残しておりまして、喜ばしいことに芸能界を始め世界規模での活躍も、珍しくは無くなりました。学生の大半はエスカレーター式の進級方式を取っておりますが、高等部にのみ「一般受験枠」を設けております。

 受験問題の難解度、そして募集人数の関係、将来的な観点から、年々受験倍率は増加しておりまして、本年度の受験倍率は過去最高の約四十五倍。しかし一般受験枠の人数は生徒総数に対して約五パーセント程度しか占めておりません。それ故、私たち教職員の他、生徒間でもそれらの一般入学生の生徒の皆様は、『特待生』扱いとなっております。一般受験合格者には入学金の他授業料の半額が優遇されていまして……」

 薄明かりが灯る水銀灯が灯る体育館は、僕が従来認識していた体育館なんかとはまるで別物だった。深紅の段幕が壁に掛かっていて、特徴的な白い翼と黄色いベルの校章が、ステージのバックを飾っている。

 僕は最前列の端際で、こみ上げてくるあくびをかみ殺していた。長々しい、白髪だらけの理事長の話は、いつまで経っても終わりそうにはない。けれど、体育館の両際で臣下よろしく林立している教師の剣幕は、見るだけでも恐ろしかった。異様に厳しい家庭教師に威嚇されてる気分だ。

 鳴桜学園の入学式は確かに凄いと拓馬から耳にしていたけれど、それは僕の想像を楽に超えていた。体育館はバスケットコートを三面はゆうに張れる。二階の閲覧席からは重そうなカメラがセットされていて、来賓の人なんかは、しょっちゅうニュースで目にするような人しか見あたらない。市長だってよくテレビに映ってるし。

 僕は横目で、理事長を睨み付ける勢いで耳を傾けている、両脇の男子生徒を見た。一般受験生ってやっぱり真面目に思われているのだろうか、何だか二人とも眼光の鋭さが違う。

僕なんて今寝ていいぞと言われれば、間違いなく寝てるだろうに。

 あまり周囲の人間を気にすることも少ない僕なのだけど、今ばかりは肩身が狭かった。エスカレーター式で進級してきたという拓馬は、ずっと遠くの座席にいるから、どうしているかも分からない(いずれにせよ、壁際でスタンバってる教師を懸念しすぎて振り向くことすら出来ないのだけど)。

「続きまして、生徒会長式辞」細々とした声が、スピーカーから響いてくる。「生徒会長、由利英一」

 僕は息を呑む。ステージ脇から、悠然とした態度で歩く英一さんを見ると、僕が以前会ったとは思えない。新入生が着ているかのような、真新しいブレザーの胸には、白い翼が煌々と輝いているみたいだった。

 壇上で一礼した先輩は、咳払いをすると、ブレザーのポケットから紙を取り出す。

「新一年生諸君」

 英一さんは気張るように言うと、にこやかな笑みを見せた。

「まずは、進級おめでとう。さて――おれもあまり形式張った話は得意じゃないからね」

 と言った英一さんに、僕だけじゃなく、周囲の人たちも、目を疑ってしまう。

 マイクを通じて、紙が破けていく音が、体育館中に響いた。僕らは一心不乱に式辞の紙を破く英一さんを前に驚嘆し、口をぽっかりと開けてしまう。壁際を一瞥してみると、口を半開きにして唖然とする教師の姿しか、目に映らなかった。

 なんかすげえ。

「式辞なんて、事前に書いた字面をだらだら読むだけだからね。だからここからは、おれの思いのままの話を、君らに聞いてもらいたいと思う。まず!」

 すると英一さんはスタンドからマイクを取り外した。顔に似合わずすげえ事言うなあ、この人。

「高校生活には、大いに期待していい、とここに断言しよう! 正直、三年なんてあっという間だ! おれだってついさっきまで、君らと同じ舞台に立っていたようなやつだ、楽しめるだけ楽しめ!」

 英一さんが、厳粛なムードに包まれた会場の均衡を破ると、僕の周囲の人間も徐々にざわめき始めた。二階の閲覧席で、険しい表情を浮かべる、セレブな保護者の視線が痛い。でも英一さんは怯むことなく、舌を走らせる。

「勉強・部活・学校行事と、正直休む暇もないくらいかもしれない。だが、それがいい!」いいのかよ。「高校生活は一生の財産になる、だから口を酸っぱくして大人が受験勉強だなんだ言うかもしれないが、適度に聞き流せ!」いや、言い過ぎです。「進路や将来も大事かもしれないがおれはあえて『今』を推す!」

 力説する英一さんは、凄くいい笑顔を撒きながら僕らに呼びかけてくる。僕はもはや苦笑いしか浮かばなくなってきていたのだけど、背中の方からは「何あの先輩」「面白い人じゃん」なんて声が聞こえてくる。僕はぎょっとして、思わず振り返ってみると、周囲の人間にも自然に笑顔が見えてきていて、余計に驚愕してしまう。

「世間の印象なんて気にするな! 君らの高校生活は君たち自身のものだ、大人が強制するものじゃない、分かったかー!」

 うおおー! なんて叫び声が、(主に僕の背中側から)沸いてくる。一般受験の連中ってノリがいいのかな。電車の中だとガリ勉のイメージしか無かったのだけど。

 体育館の喧騒がひときわ強まってきた頃、英一さんは軽い咳払いを響かせる。僕は生唾を呑み込んで、一瞬の静寂が弾けてしまうような、英一さんの声に耳を傾けた。

「……あとは、もう一つだけ。これ以上好き放題言ったら、おれの身もやばいからね」

 僕の背後が、笑いに包まれる。

「諸君、おれの言葉を胸に、今後の高校生活を大いに楽しんでくれ。そしてもう一つ、ここ鳴桜学園高等部では、伝統的に重要視される、大切なものがある」

 英一さんの口調が、打って変わって神妙なものになる。少しだけ間をおくと、英一さんは僕らの方を見渡し始めて、僕ら一人一人をスキャンするみたいな眼差しを見せている。すると、英一さんと僕との目が合って、英一さんは壇上でにやりと笑みを浮かべた。

「お、君がいい」

「え? あ、はいっ?」

 マイク越しに名前を呼ばれた瞬間、会場内の緊張が一気にほぐれて、周囲の視線が僕に浴びせられる。全身の毛が逆立って、嫌な汗が噴き出してきた。

「名前、聴いてなかったね。君、名前は?」

「あ、えと」

 僕はしどろもどろになって、噛み噛みの状態で、何とか本名を言う。

「うん、じゃあ神澤葵君。もし君がここを卒業して、大学に行くんでも就職するのでもいいや。社会に出たとき、問われる能力ってなんだと思う?」

 緊張で何を言ってるのかすら正確に理解できないのに、英一さんがすらすらと饒舌にものを言うせいで、脳内がパンクしそうになってしまった。でも、胸に手を当てて、呼吸を整えると、断片的な物言いで僕は言う。

「えーと……コミュニケーション能力……ですか」

「うん、それも大事。じゃあ、葵に質問するけど、君は女の子と話すのに抵抗ある?」

 えええ。

「いや、えーと……」

 僕は今にも平衡感覚を失って倒れてしまいそうな体を何とか立て直し、脳裏に一瞬、瑠衣の顔を思い浮かべる。そういや、僕がこの町に最初に来たときの最初の友達って、瑠衣だったよな。

「別に抵抗は、特にないです」

「ん。でもな、世間的にはそういうのを苦手とするのもいるし、他の諸君も分かるとおり、君たちはある意味上流階級を生きる少年少女だ。だから、高等部では――」

 英一さんは僕から視線をずらして、中央に視線をシフトする。息を吸い込んだ英一さんの声に、僕らの思考が、停止した。

「――生徒間の恋愛を義務づけることにする」

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