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Lip-3.

 先輩に連れられて、寮の前まで来たとき、時間はもう夜のニュースが始まるほどの時間帯になっていた。陽気に世間話を交える先輩を前に、僕と瑠衣は緊張でしばらく口をまともに動かすことが出来なかった。

「んな固まることはねえって。生徒会長だろうが何だろうが、二人も同じ学校に通うことになるんだろ? なら身分上はおれと同じじゃん」

 と先輩は笑いながら言ったけれど、僕と瑠衣は時折瞳を合わせて、苦笑いを見せ合ってしまう。セレブ校で名高い鳴桜に、こんな人がいるとは、というのが僕らの率直な意見だった。なんせ、今まで見てきた鳴桜出身のテレビタレントなんかは、男女関わらず控えめだったり、淑やかだったりするのだ。その印象をいきなりぶち砕いた人が目の前にいれば、今まで信じてきた現実が壊れたことに、驚き呆れる。

「あ、あの先輩」

「だから先輩なんて堅苦しい言い方やめろって」先輩は苦笑して、僕の肩を叩く。「由利さんとか、英一さん、とかで呼んでくれよ。あ、なんなら呼び捨てでもいいぜ。でも会長さんだけは勘弁な」

 先輩――英一さんは、白い歯を見せて、僕と瑠衣の前に人差し指を立てた。瑠衣はとっさに、言葉を漏らす。

「せ、いや由利さんってなんか」

「なんか?」

 英一さんは瑠衣の言葉をオウム返しに言い、首を傾げる。

「……なんか、由利さんって、鳴桜の人らしくない、っていうか……」

 瑠衣が言葉を濁して言う。出会って間もないとは言え、ここまで謙遜気味にものを言う瑠衣は初めてだ。

「そう?」英一さんは、転がっていた石を蹴ったような、軽い口調で言う。「まあ、あれはイメージだよイメージ。マスコミ用に出すんなら、鳴桜はセレブ校、で出した方が世間の受けが良いだろ? だから、テレビや新聞で見るような奴らはそういう性格の奴を選抜してるんだよ。まあ実際は確かにブルジョアリーな奴らが多いんだけどさ」

 けらけらと乾いた笑い声を上げながら、報道の裏をあっさりとひっくり返した英一さんに、僕と瑠衣は唖然として何も言えなくなる。

「だから、鳴桜にはおれみたいな奴もいるし、テレビや新聞で見るような奴らだっている。そこんとこは、他の高校と大差ないんじゃないかな。……お、着いたね」

 英一さんが指さした先を、僕と瑠衣は見据えると同時に、視線の先にある建造物に驚嘆して、思わず目を丸める。

 最初、僕は寮と言われればアパートと大差ないような、そんな構造を予想していた。でも、目の前に現れた建物は、森林がちらほらと見える、彩海市郊外に異様なほどにマッチしていた。街道と同じ、赤銅色が特徴的な外壁。骨格を支える柱は、白亜の一片を連想させる。緑色の屋根がアクセントになっていて、常緑樹が彩る中に、溶け込んでいた。

「ここが寮」

「ちょ、待ってください!」

 僕は言葉を飲み込むことが出来ずに、英一さんに叫びかけてしまう。

「寮じゃないですよこれ!」

「いやいや。さっきも言ったけどさ、この学校って金持ち多いからさ。だからどうしても一般的な寮だと満足しないらしんだよね。それに結構寄付金も多いからね」

 それを聞いて、余計に肩が縮こまってしまう。今更だけど僕は、高額な入学金や授業料を払ってまでしてこの学校に入っているわけではないから、他人のお金でこのホテル同然の寮に入ると言うことになるのか。

 僕の横で、呆然とした眼差しを寮に向けている瑠衣を一瞥してみる。多分僕と大体心境は同じなのだろうけど、まじまじと外壁を見つめる視線は、迷走する魚みたいに泳いでいた。

「こ、こんなところに住んじゃっていいんですかっ?」

 瑠衣は声を裏返してしまう。

「そりゃ、新入生だからねえ」

 笑みを絶やさない英一さんは、僕と瑠衣の肩を掴んで門の方へ押した。僕らは戸惑ったような面持ちで、背後でニコニコしている英一さんの方を振り返る。

 英一さんは、僕らの表情に勘づいて、苦笑混じりに言った。

「あのさ、あんま誰にも言ったこと無いんだけど」英一さんは頬を掻きながら言う。「おれも、特待生だから君らと境遇は同じだったからね?」

「え」

 僕と瑠衣の声が重なる。

「確かに最初は戸惑ったけどさ、慣れれば当たり前になるから大丈夫。さあ、行ってきなよ。入学式でまた会おう、諸君」

 英一さんは子供のように敬礼し、街路樹が囲む道を駆けて行ってしまう。英一さんの姿が見えなくなったところで、カラスが鳴いたような気がした。

「なんかさ、瑠衣」うん、と瑠衣が相づちを打ったところで、僕は苦笑いを浮かべながら言った。「すげえ人だったね」

「ちょっとね……」

 それから、彩海市にそびえる摩天楼の影を見送るまで、僕らは呆然とした表情で立ちつくしていた。

 ……すごい人に会ってしまった。

 瑠衣がボストンバッグを落として、均衡を破る頃には、もう六時に近かったことを覚えている。


 寮の受付で入学証明書を提示し、寮の部屋を指定される頃には、もうすっかり闇が外を包んでしまっていた。瑠衣とは(もちろんだけど)別室と言うことで、間逆の方向で別れると、僕は三階に向かう階段を登っていた。荷物は全て部屋に運び込まれています、との事だったから、今手荷物としてはリュックサックぐらいしかない。少し疲れていたから、助かった。

 階段を登っていると、妙なことに気がついた。階段に敷かれたレッドカーペットや、漆の光沢が眩しい手すりなどにもはや驚かなかったけど、すれ違う他の寮生が、妙に騒がしく階段を駆け下りていく。「またあいつだ」とか「寮母さん呼んでこよう」とか。胸騒ぎがする。

 三階のフロアに上がって、左折して一番奥の部屋。廊下と言っても、幅は七メートルくらいあるし、右手の窓枠はガラス張りになっているから、すぐ駅周辺の摩天楼が映っている。部屋の入り口もいちいち高級ホテルみたいに広々としていて、慣れないカードキーを持つ手が、自然に震えてきた。

 一番奥の部屋に着いたとき、僕は妙な音を耳にした。ポケットの携帯電話が鳴っているのかと思い携帯を取るけれど、そういう訳じゃない。胸ポケットのiPodに電源が入っているわけでもなければ、上や下のフロアから音が漏れてきているわけでもない。ギターソロが特徴的な、疾走感のある曲。

「……嘘だろ」

 僕は呟く。でも、これ以外考えられない。

 カードキーをスキャンして、鍵の解除音を確認する。ガコリ、といった機械的な音だ。

 僕が恐る恐るドアを開くと――

「I beg to dream and differ from the hollow lies!」

「のわあ!」

 僕は咄嗟に扉を閉めてしまい、尻餅をついてしまう。耳の奥が、まだじんじんとしびれている気がする。一瞬、何が起こったのか自分でも分からなくなって、目をぱちくりさせてしまう。

 ……何だ、今のは。

「悪い悪い! 今アンプ切ったから、音は出えへんよ!」

 鼻にかかったような声が、厚い扉越しに聞こえてくる。僕は立ち上がって、扉を恐る恐る開き、扉の先で真っ赤なギターを持ち構えている少年を見た。

 僕より身長が高く、ギターよりドラムスを叩くようにも見える、がっちりした体つき。少しだけ焼けたような肌と、脱色した短髪が特徴的だ。陽気に笑って歯を見せてくる彼は、扉を身長に閉める僕を、何の警戒無しに見ているようだった。

「よっ」

 彼が手を挙げる。煌々と照る室内に、彼が肩に掛けているギターが黒光りした。

「よっ」

 咄嗟に、僕も手を挙げてしまう。何これ。

「おまえが俺のルームメイト?」

「そういうことになるんじゃないかな」

 僕はすぐ突っ込んでしまうような、下手な漫才めいた口調を見せてしまう。彼はそんな僕を凝視すると、乾いた笑いをあげた。

「さよか、まあ入れよ。立ち話も何だし」

 彼は僕とは比較にならない、広く厚い手を僕の肩に回し、ぐい、と僕を部屋に引き込む。

 大体予想はついていたのだけど、部屋の中も外観にそぐわない、僕には十分すぎる構造だった。タブルベッドが備え付けられていて、天井はホテルさながらに高く、ベッドの上からジャンプしたとしても届かないほどだ。部屋の壁は、黒の薄いクッションが詰められたようになっていて、バルコニーからは森が一望できる。室内灯に反射して光っている、クローゼットも、ニスを張り替えたばかりなのか新品みたいにピカピカだ。

「何見とれてんねん」

 彼は僕の髪をくしゃりと握り、苦笑する。

「そんなに新鮮かぁ?」

「……まあ」

 僕も、彼に苦笑を見せた。少なくとも、生まれて十五年間を、こんな都会とは無縁の田舎で過ごしてきた僕だ。生活環境がまるで違う影響もあって、彼にとっては普通であろう事が、全て新鮮に映える。

「そういや、おまえの名前聞いてへんね」

 彼はギターをアンプの上へ下ろす。僕もベッドの上にリュックサックを放り投げた。彼は肩を上下させて、

「俺、連城拓馬れんじょうたくま。呼び方なんてどうでもええ。でも、適当な呼び方だけは堪忍な。お前、とか自分、とかな」

 彼はがはは、と下品な笑い声を上げ、引っかかったような関西弁を走らせる。拓馬、でいいのかな、と僕は自分に言い聞かせ、拓馬の顔を見上げた。

「拓馬は関西の人?」

「いいや、ちゃう」

 僕は速すぎる拓馬の返答に、思わずきょとんとしてしまう。

「昔、関西弁を喋る主人公が活躍するアクション映画があってな。それに影響されてしもたんわ。せやから元は生粋の関東人。うどんよりそば派やし、球団なら阪神より巨人のほうが好きやわ」

 エセ関西人とか呼ばれとるわ、と拓馬は笑う。なるほど、流暢に聞こえるけれど、ちょっと引っかかったのはそこなのか、と僕は思わず頷いてしまう。

「おまえは?」

 僕は下がりかかっていた首をあげる。目を細めている拓馬は、ワイシャツの上からでも分かる、太い腕を組んだ。

「一分以内で簡潔に纏めよ」

「面接試験かよ」

 僕は滑稽な笑いをあげた。テンションが独特すぎて、飲み込まれる以前に笑えてくる。

神澤かみさわ葵。普通に葵って呼べばいいよ。呼びづらいなら神澤でも構わないし」

「じゃあ、葵で」

 拓馬は白い歯を立てて言う。すると、拓馬の後ろでまだ電源がつけっぱなしだったギターと、コード(詳しくは分からないけど)みたいなので繋がれたアンプが姿を現す。拓馬は弦を弾き、ストラップを肩に掛けた。金属音が、部屋中に響き渡る。

「ねえ、それ結構廊下に響くよ?」

 僕は眉をしかめて、皮肉っぽく言ってやる。

「あー、そこの扉は防音聞かなくてな。周囲の壁は一応防音しといたんやけど」

 これ、自費で出したんやけどな、と拓馬はぼやいて、弦を弾く。ってこれ自費だったのか。天井だけ白塗りで、壁が黒いのはこれだったのか、と僕は自問を続けた。

 ベッドの下を見ると、タンスが二つ転がっていて、そこに僕が事前発送した鞄や、スーツケースが納められていた。僕はそれらを引き抜いて、中身を確認する。生活に困らない程度の衣類や、必要最低限のものを出して、僕はタンスの中に収納していった。拓馬は僕に脇目もふらず、ギターに没頭している。

 音楽が好きなのかな。そう思い、僕は衣類をベッドの上でたたみながら、横目で拓馬に問う。

「ねえ、拓馬って音楽好きなの?」

 んー、と拓馬は生返事をすると、弦の方を見ずに、僕の方を向いた。未経験者の僕からしたら凄い。

「いいや、授業では三以上取ったことあらへん」

 僕は彼が何を言っているのか分からず、口を凍らせる。

「前に、授業でビートルズの曲聴いてな。あれで目覚めた。音楽一つでここまでやりおった連中の音楽に衝撃受けたんやな」

 親父はんなことより勉強せえってうるさかったけどな、と拓馬は感慨深そうに言う。あんまり父親との中は良くないのだろうかと察して、僕は口をつぐんだ。

 すると拓馬は急に立ち上がって、息ばんで僕の名を呼ぶ。

「曲弾いたるわ」

「え?」

「何でもええよ。基本、ロックしか弾けへんけどな」

 僕は真っ赤なピックを握る拓馬の指先に視線を移した。太い指先は、切り傷だらけだ。

「じゃあ、ビートルズ。拓馬が衝撃受けたっていう曲が聴きたい」

「お、ええで」

 拓馬はうれしそうな表情を見せて、ギターを鳴らす。陽気な表情が印象的な拓馬の表情が急に変わって、鋭い視線が弦の方に向かった。ベッドの目の前から弾かれる音は、僕も聞き慣れた曲だった。今のロックとはかけ離れてるけど、レトロな雰囲気や、思ったより優しい拓馬の声音が、部屋中を包んでいく。「愛こそはすべて」だ。

 金属音とベッドが共鳴するかのように、音の波紋が僕を包む。生の音楽ってこんな感じだったんだな、と思わず口にしてしまうかと思った。拓馬の声はアンプから解放される音にほとんどかき消えてしまったけど、僕の中ではジョンやポールの歌声が、確かに再生された、そんな気がした。

 拓馬が弦から指を離したところで、僕は喝采を送った。部屋に味気ない音が響く。拓馬は気恥ずかしい音をして、恥隠しをするように背を向けて、アンプの電源を落とす。

「凄かったよ!」

「さよか」

 拓馬は苦笑する。

「人前で弾いたん、実は葵が初めてや。いやあ、緊張するもんやね」

 拓馬はギターをケースの中に仕舞って、その場にあぐらを掻いた。僕はパーカーを脱ぎ、ベッドの上に放り投げた。

「いやいや、凄かった。僕なんか何も弾けないしね」

「じゃあ葵も音楽やるのはどや? 俺のバンドに入れば今ならベースかドラムス開いとるで」

「バンドかあ……でもそれ、まだバンド組んでるって言わなく無い?」

 僕は拓馬と笑い合った。すると拓馬の胸ポケットの携帯電話が鳴って、拓馬は液晶画面に釘付けになる。「夕食や。食い行こう」と拓馬は言って、僕はパーカーを着直して、扉の前でカードキーを片手に待つ拓馬の方へ急いだ。

「何食う? 結構旨いんやで、ここの飯」

「ほんと?」

 僕はポケットの中で音を立てる小銭を確認すると、慣れないレッドカーペットの上を歩いていった。

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